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下駄げたスケート

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

下駄げたスケート(げたスケート)とは、下駄げた(ブレード)をけた日本にっぽん独特どくとくスケートくつである。現在げんざい一般いっぱんてきかわせいのスケートくつひろまる以前いぜん日本にっぽん国内こくないひろ使用しようされた。

概要がいよう

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下駄げたスケート

1906ねん明治めいじ39ねん)、長野ながのけん下諏訪しもすわまちかざしょくじんだった河西かさいじゅん乃助が、外国がいこくせいのスケートくつして下駄げたそこ鉄製てつせいをつけた「カネヤマしき下駄げたスケート」を発明はつめいした。この下駄げたスケートの流行りゅうこうにより、スケートが日本にっぽん国内こくない急速きゅうそくひろまった。1908ねん明治めいじ41ねん)2がつには、諏訪湖すわこ下駄げたスケートによるスピードスケートの「諏訪湖すわこ一周いっしゅうスケート大会たいかい」が開催かいさいされている。

その改良かいりょうにより、さきまるいものからまっすぐなものへ、下駄げたをつなぐ支柱しちゅうも2ほんから3ほんへ、材質ざいしつ鉄製てつせいから鋼鉄こうてつせいへとわっていった。現在げんざいのようなかわせいのスケートくつ完全かんぜんってわられる昭和しょうわ30年代ねんだい中頃なかごろまでは、一般いっぱんてき使つかわれていた。

語法ごほう

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  • 下駄げたスケート」は用具ようぐ名前なまえであり、遊戯ゆうぎ競技きょうぎとしてのスケートを意味いみするものではない。したがって、「下駄げたスケートをく」「下駄げたスケートでスケートをする」とはうが、「下駄げたスケートをする」とはわない。
  • 一般いっぱんてき造語ぞうごほうでは、修飾しゅうしょくする名詞めいしさきにおかれるため、「スケート下駄げた」や「下駄げたスケートくつ」というほうがスマートではあるが、発明はつめいしゃ感覚かんかくてきに「下駄げたスケート」と命名めいめいしたものとおもわれる。ただし、英語えいごではスケートくつのこともskate(通例つうれい複数ふくすうがた)という。

エピソード

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大和やまとさくない さく下駄げたスケート発祥はっしょう」(長野ながのけん下諏訪しもすわまち諏訪湖すわこ博物館はくぶつかん屋外おくがい
  • 下駄げたスケートの発明はつめいしゃ河西かさい準之助じゅんのすけは、かざしょくじんとしてかんざし(かんざし)ややっとこ(はさみ)などをつくって生計せいけいてながら、紡績ぼうせき河西かさいしき)などの改良かいりょう発明はつめいんだ。また西日本にしにほん中心ちゅうしんたびしてあるき、使つかふるしの古銭こせん寄付きふつのり、それをかしてつくったといわれる大鳥居おおとりいが、だい大戦たいせんまぬかれて現在げんざい諏訪すわのこっている。金物かなもの細工ざいくてん「カネヤマ」創立そうりつげん株式会社かぶしきがいしゃカネヤマ)。
  • 諏訪すわ湖畔こはん諏訪湖すわこ博物館はくぶつかんまえには、「下駄げたスケート発祥はっしょう」の石碑せきひ下駄げたスケートをいてすべどもたちのぞうがある。
  • 諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃあきみやリンクで、下駄げたスケートのレプリカりることができる。
  • 長野ながのけん佐久さく地域ちいきでは戦前せんぜん戦後せんご下駄げたスケートがさかんだった。下駄げたスケートのことを「げろり」または「諏訪すわしき」とび、スケートのことを「こおりすべり」とった。また、「かすげ」という下駄げたスケートもあった。これは、いた下駄げたした(かすがい)をちこんだもので、地元じもと鍛冶たんや製造せいぞうした[1]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 佐久さくしむら編纂へんさん委員いいんかい編纂へんさん佐久さくしむら 民俗みんぞくへん 佐久さくしむら刊行かんこうかい、1990ねん、948 - 949ページ。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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