下駄 スケート
概要
[1906
その
語法
[- 「
下駄 スケート」は用具 の名前 であり、遊戯 ・競技 としてのスケートを意味 するものではない。したがって、「下駄 スケートを履 く」「下駄 スケートでスケートをする」とは言 うが、「下駄 スケートをする」とは言 わない。 一般 的 な造語 法 では、修飾 する名詞 が先 におかれるため、「スケート下駄 」や「下駄 スケート靴 」という方 がスマートではあるが、発明 者 は感覚 的 に「下駄 スケート」と命名 したものと思 われる。ただし、英語 ではスケート靴 のこともskate(通例 は複数 形 )という。
エピソード
[下駄 スケートの発明 者 ・河西 準之助 は、飾 り職 人 として簪 (かんざし)や鋏 (はさみ)などをつくって生計 を立 てながら、紡績 機 (河西 式 )などの改良 ・発明 に取 り組 んだ。また西日本 を中心 に旅 して歩 き、使 い古 しの古銭 の寄付 を募 り、それを溶 かして作 ったといわれる大鳥居 が、第 二 次 大戦 も免 れて現在 も諏訪 に残 っている。金物 細工 店 「カネヤマ」創立 (現 、株式会社 カネヤマ)。諏訪 湖畔 の諏訪湖 博物館 の前 には、「下駄 スケート発祥 の地 」の石碑 と下駄 スケートを履 いて滑 る子 どもたちの像 がある。諏訪 大社 下社 の秋 宮 リンクで、下駄 スケートのレプリカを借 りることができる。長野 県 佐久 地域 では戦前 、戦後 に下駄 スケートが盛 んだった。下駄 スケートのことを「げろり」または「諏訪 式 」と呼 び、スケートのことを「氷 滑 り」と言 った。また、「かすげ」という下駄 スケートもあった。これは、歯 を抜 いた下駄 の下 に鎹(かすがい)を打 ちこんだもので、地元 の鍛冶 屋 が製造 した[1]。
脚注
[- ^
佐久 市 志 編纂 委員 会 編纂 『佐久 市 志 民俗 編 下 』佐久 市 志 刊行 会 、1990年 、948 - 949ページ。