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中野なかのさんさとし

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なかの みつとし
中野なかの さんさとし
文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょうさいして
公表こうひょうされた肖像しょうぞう写真しゃしん
生誕せいたん (1935-11-24) 1935ねん11月24にち
日本の旗 福岡ふくおかけん
死没しぼつ (2019-11-27) 2019ねん11月27にち(84さいぼつ
居住きょじゅう 日本の旗 日本にっぽん
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
研究けんきゅう分野ぶんや 文学ぶんがく
研究けんきゅう機関きかん 正則せいそく高等こうとう学校がっこう
愛知淑徳短期大学あいちしゅくとくたんきだいがく
九州大学きゅうしゅうだいがく
福岡大学ふくおかだいがく
出身しゅっしんこう 早稲田大学わせだだいがくだい文学部ぶんがくぶ卒業そつぎょう
早稲田大学わせだだいがく大学院だいがくいん文学ぶんがく研究けんきゅう修士しゅうし課程かてい修了しゅうりょう
指導しどう教員きょういん 石丸いしまるひさ
がつよう
山沢やまさわ英雄ひでお
あきらたかし康隆やすたか
おも業績ぎょうせき とおる中心ちゅうしんとする江戸えど中期ちゅうき文化ぶんかの「みやび」と「ぞく」の研究けんきゅう
江戸えど時代じだい書物しょもつ収集しゅうしゅう研究けんきゅう
東洲斎写楽とうしゅうさいしゃらく出自しゅつじ斎藤さいとう十郎じゅうろう兵衛ひょうえだとするせつ立証りっしょう
影響えいきょう
けた人物じんぶつ
中村なかむら幸彦さちひこ
丸山まるやまおっと
もり銑三せんぞう
高浜たかはま二郎じろう
プロジェクト:人物じんぶつでん
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中野なかの さんさとし(なかの みつとし、1935ねん昭和しょうわ10ねん11月24にち[1] - 2019ねんれい元年がんねん11月27にち[1])は、日本にっぽん教育きょういくしゃ文学ぶんがくしゃ日本にっぽん近世きんせい文学ぶんがく)。位階いかいしたがえさん学位がくいは、文学ぶんがく博士はかせ早稲田大学わせだだいがく1982ねん)。九州大学きゅうしゅうだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ文化ぶんか功労こうろうしゃ文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょう

正則せいそく高等こうとう学校がっこう教諭きょうゆ愛知淑徳短期大学あいちしゅくとくたんきだいがく国文学こくぶんがく助教授じょきょうじゅ九州大学きゅうしゅうだいがく文学部ぶんがくぶ教授きょうじゅ九州大学きゅうしゅうだいがく文学部ぶんがくぶちょう福岡大学ふくおかだいがく人文学部じんぶんがくぶ教授きょうじゅなどを歴任れきにん

人物じんぶつ

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福岡ふくおかけんまれ佐賀さがけんたけ雄市ゆういちそだちの日本にっぽん文学ぶんがく研究けんきゅうしゃである。江戸えどから明治めいじ近世きんせい文学ぶんがく中心ちゅうしん研究けんきゅうする。九州大学きゅうしゅうだいがく文学部ぶんがくぶ学部がくぶちょうなどをつとめ、のちに名誉めいよ教授きょうじゅとなった。

来歴らいれき

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福岡ふくおかけんまれ佐賀さがけん武雄たけおそだつ。ちち 中野なかの敏雄としお戦前せんぜん高額こうがく納税のうぜいしゃ貴族きぞくいん議員ぎいん戦時せんじちゅうは、海軍かいぐん参与さんよかんで、戦後せんごGHQにより公職こうしょく追放ついほうにあったが、のち1954ねん合併がっぺいによって誕生たんじょうした佐賀さがけんたけ雄市ゆういち初代しょだい市長しちょう就任しゅうにん。102さい長寿ちょうじゅたもった。

久留米大学くるめだいがく附設ふせつ高校こうこう在学ざいがくちゅう江戸川えどがわ乱歩らんぽ谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろういずみ鏡花きょうか永井ながい荷風かふうなどを耽読たんどくし、小説しょうせつこころざす。一浪いちろう早稲田大学わせだだいがくだい文学部ぶんがくぶ入学にゅうがく。もともと小説しょうせつになって中退ちゅうたいするつもりだったが、中央公論ちゅうおうこうろん新人しんじんしょう落選らくせんしたことで作家さっかゆめあきらめ、早稲田大学わせだだいがく大学院だいがくいんすすむ。在学ざいがくちゅう石丸いしまるひさがつよう山沢やまさわ英雄ひでおあきらたかし康隆やすたからにまなんだ。

洒落本しゃれぼん研究けんきゅうすすめるうちに中村なかむら幸彦さちひこ傾倒けいとうした。帰省きせいりに九州大学きゅうしゅうだいがく中村なかむらたずね、書簡しょかんのやりとりをつづけ、中村なかむら終生しゅうせいとなった。近世きんせい研究けんきゅうかいさんいにしえかいや掃苔かい参加さんかするなか丸山まるやまおっともり銑三せんぞう高浜たかはま二郎じろうらの薫陶くんとうけ、やがて近世きんせい文人ぶんじんいたる興味きょうみをもつ。国会図書館こっかいとしょかん日比谷ひびや図書館としょかんなどにかよい、本郷ほんごう上野うえの神保じんぼうまちにある古書こしょてん常連じょうれんきゃくとなり、ひたすら和本わほんあさる。古書こしょにもおおかよい、書肆しょし反町そりまち茂雄しげお出会であっている。また中村なかむら兄弟子あにでし野間のまひかりたつ知遇ちぐうた。雑誌ざっし経済けいざい往来おうらい」に文人ぶんじんでん掲載けいさいをはじめ、1977ねん毎日新聞社まいにちしんぶんしゃから『近世きんせいしん畸人きじんでん』として出版しゅっぱんされた。1964ねん漢学かんがくしゃである早川はやかわ祐吉ゆうきちむすめ裕子ゆうこ結婚けっこん結婚式けっこんしき宇野うの哲人てつと塩谷しおやあつしなども列席れっせきして、儒式おこなわれた。

文学ぶんがくしゃとして

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1966ねん名古屋なごや愛知淑徳短期大学あいちしゅくとくたんきだいがくしょく赴任ふにん長沢ながさわ規矩きく信任しんにん学会がっかい書誌しょしがく」への寄稿きこうはじめる。また書肆しょし ふじえんどうつうじて書誌しょし学者がくしゃ尾崎おざき久弥ひさや横山よこやましげる知遇ちぐうる。かつてもり銑三せんぞう目録もくろく整理せいりした西尾にしお岩瀬いわせ文庫ぶんこ刈谷かりや図書館としょかんあししげかよ和本わほん知見ちけんひろげた。このころ水田みずた紀久のりひさ多治比たじひ郁夫いくお肥田ひだ晧三とのまじわりをふかめている。

1972ねん中村なかむら幸彦さちひこ関西大学かんさいだいがく転出てんしゅつしたあとけ、今井いまいみなもとまもる要請ようせいおうじて九州大学きゅうしゅうだいがく文学部ぶんがくぶ助教授じょきょうじゅとなる(このとき、前田まえだあい要請ようせいされたがことわっている)。1981ねん博士はかせ論文ろんぶん戯作げさく研究けんきゅう』が出版しゅっぱんされ、しょう受賞じゅしょう年譜ねんぷ参照さんしょう)。1982ねん教授きょうじゅ昇任しょうにんし、文学ぶんがく部長ぶちょう歴任れきにん退官たいかん九州大学きゅうしゅうだいがく名誉めいよ教授きょうじゅとなり、福岡大学ふくおかだいがく人文学部じんぶんがくぶ教授きょうじゅ2006ねんまで)。1998ねん紫綬褒章しじゅほうしょう[1][2]2010ねん文化ぶんか功労こうろうしゃ[1][3]2016ねん文化ぶんか勲章くんしょう[1][4]

2013ねん1がつ10日とおか皇居こうきょ正殿せいでんまつあいだ」でのこうしょはじめにおいて「江戸えど文化ぶんか再考さいこう」とだいしたご進講しんこうおこな[5]

2019ねん11月27にち急性きゅうせい肺炎はいえんのため死去しきょ[6]。84さいぼつ死没しぼつをもってしたがえさんじょされる[7][8]

息子むすこはアメリカ文学ぶんがくしゃ中野なかのがく(1973- 中央大学ちゅうおうだいがくじゅん教授きょうじゅ)。

略歴りゃくれき

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おも著書ちょしょ

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たんちょ

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編著へんちょ

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校訂こうてい

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きょうてい

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出典しゅってん文献ぶんけん

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  • 中野なかのさんさとしほん道楽どうらく講談社こうだんしゃ、2003ねん回想かいそう

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h 江戸えど畸人きじんたち ―中野なかの三敏名誉教授没後一周年記念展示―”. 九州大学きゅうしゅうだいがく附属ふぞく図書館としょかん (2020ねん10がつ28にち). 2022ねん8がつ23にち閲覧えつらん
  2. ^ はる褒章ほうしょう780にん 高倉たかくらけんさんら「紫綬しじゅ」33にん」『読売新聞よみうりしんぶん』1998ねん4がつ28にち朝刊ちょうかん
  3. ^ 文化ぶんか勲章くんしょう 三宅みやけ一生かずお蜷川にながわ幸雄ゆきおさんら7 ノーベル化学かがくしょう鈴木すずき根岸ねぎしさんも」『読売新聞よみうりしんぶん』2010ねん10がつ26にち夕刊ゆうかん
  4. ^ 文化ぶんか勲章くんしょうに6にんまる 大隅おおすみ良典よしのり草間くさま彌生やよいら”. 朝日新聞あさひしんぶん. (2016ねん10がつ28にち). http://www.asahi.com/articles/ASJBT543RJBTUCVL01D.html 2016ねん10がつ28にち閲覧えつらん Archived 2020-12-04 at the Wayback Machine.
  5. ^ りょう陛下へいか 皇居こうきょで「こうしょはじめ」」『読売新聞よみうりしんぶん』2013ねん1がつ10日とおか夕刊ゆうかん
  6. ^ 訃報ふほう中野なかのさんさとしさん 84さい文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょう. 毎日新聞まいにちしんぶん. (2019ねん12月4にち). https://mainichi.jp/articles/20191204/ddm/041/060/063000c 2019ねん12月4にち閲覧えつらん 
  7. ^ 官報かんぽうだい165ごう11ぺーじ れい2ねん1がつ8にちごう
  8. ^ 中野なかのさんさとししたがえさん 江戸えど文化ぶんか研究けんきゅう第一人者だいいちにんしゃ 千葉ちば日報にっぽう 2019ねん12月23にち配信はいしん(2019ねん12月23にち最終さいしゅう閲覧えつらん
  9. ^ a b c d e f g h i j 中野なかのさんさとし教授きょうじゅ 略歴りゃくれき著作ちょさく目録もくろく」『福岡大學ふくおかだいがく人文じんぶん論叢ろんそうだい37かんだい4ごう福岡大学ふくおかだいがく研究けんきゅう推進すいしん、2006ねん3がつ巻末かんまつ11-。 
  10. ^ 中野なかの さんさとし 『戯作げさく研究けんきゅう』 受賞じゅしょうしゃ一覧いちらん選評せんぴょう サントリー学芸がくげいしょう”. www.suntory.co.jp. サントリー文化ぶんか財団ざいだん. 2022ねん8がつ23にち閲覧えつらん
  11. ^ 博士はかせろん文書ぶんしょデータベースによる
  12. ^ あき叙勲じょくん」『読売新聞よみうりしんぶん』2012ねん11月3にち朝刊ちょうかん
  13. ^ 平成へいせい24ねんあき叙勲じょくん みずたから重光しげみつあきら受章じゅしょうしゃ” (PDF). 内閣ないかく. p. 2 (2012ねん11月). 2013ねん1がつ22にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2023ねん2がつ10日とおか閲覧えつらん