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久留島くるしまよしふとし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
久留島くるしま よしふとし
くるしま よしひろ
生誕せいたん 村上むらかみ
1690ねんごろ?
備中びっちゅうげん岡山おかやまけん
死没しぼつ (1758-01-09) 1758ねん1がつ9にち(68さいぼつ
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
研究けんきゅう分野ぶんや 数学すうがく方陣ほうじん詰将棋つめしょうぎ
研究けんきゅう機関きかん 日向ひなたこく延岡のべおかはん
おも指導しどう学生がくせい 山路やまじしゅじゅう
おも業績ぎょうせき 和算わさん
影響えいきょう
けた人物じんぶつ
吉田よしだ光由みつよし
影響えいきょう
あたえた人物じんぶつ
松永まつながりょう
プロジェクト:人物じんぶつでん
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久留島くるしま よしふとし(くるしま よしひろ、1690ねんごろ?[1] - たかられき7ねん11月29にち1758ねん1がつ8にち[2])は江戸えど時代じだい和算わさんいえ将棋しょうぎ通称つうしょう喜内きない(きない)。沾数(おうぎすう)とごうした。収入しゅうにゅうのほとんどをさけにつぎむほどのさけきで、自身じしんでは著書ちょしょをほとんどのこさなかった。その独創どくそうてき学説がくせつつたわるのは、弟子でしかれ原稿げんこう理論りろんをまとめたことによる。

和算わさんとして

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ちち備中びっちゅうげん岡山おかやまけん松山まつやまはん村上むらかみ佐助さすけよせといい、主家しゅか断絶だんぜつのち父子ふしともに浪人ろうにんとなり、せい久留島くるしまあらためる[3]江戸えど吉田よしだ光由みつよしちょちりこう」をんで独学どくがく数学すうがくまな[4]数学すうがく指南しなんをしていたさい中根なかねもとけい道場破どうじょうやぶりにあったが、中根なかね喜内きない非凡ひぼんざい見出みいだ後援こうえんしまなかった[5]とおる15(1730)ねん陸奥みちのくこく磐城いわきひらはんあるじ内藤ないとう政樹まさきつかえ、のべとおる4(1747ねん)に内藤ないとう日向ひなたこく延岡のべおかはんうつりふうされたおりには同地どうちに6年間ねんかんほど赴任ふにんした[6]

後世こうせいせき孝和こうわ建部たけべけんひろしともさんだい和算わさんしょうされている。レオンハルト・オイラーよりはやオイラーのφふぁい関数かんすう言及げんきゅうしていたともわれる。また、ラプラスよりはや因子いんし展開てんかい(ラプラス展開てんかい)を発見はっけんしていたともわれる[7]

きょく問題もんだい級数きゅうすう展開てんかい視点してんから考察こうさつし、ピエール・ド・フェルマー方法ほうほうちかいものをた(『ひさじゅつ』)。そのほか、整数せいすう方程式ほうていしき無限むげん級数きゅうすうえん研究けんきゅう有名ゆうめいである。行列ぎょうれつしき展開てんかいではせき孝和こうわの『かいふくだいほう』のあやまりを訂正ていせいして、『だい成算せいさんけい』(せき孝和こうわ建部たけべけんひろし建部たけべ賢明たてあき)や『算法さんぽう発揮はっき』(井関いせきともたつ)とはことなる、ただしい展開てんかいみちびいている。また、立方りっぽうじんはフェルマーが1640ねん最初さいしょつくったが、4ほん立体りったい対角線たいかくせん成立せいりつするものをつくったのは喜内きないはじめて[8]

天衣無縫てんいむほうさけこのみ、みずからの研究けんきゅう成果せいか無頓着むとんじゃくで、研究けんきゅう成果せいかきしたかみ行李こうりうらってしまったという。和算わさんとしての業績ぎょうせきについては、知人ちじん山路やまじしゅじゅうのような弟子でしにより『ひさじゅつ』『ひささんひゃくかい』『ひさ遺稿いこう』などの書物しょもつにまとめられた。また同僚どうりょう親友しんゆう松永まつながりょうちょ方円ほうえんさんけい』におお引用いんようされている。

詰将棋つめしょうぎ作家さっかとして

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喜内きない将棋しょうぎでもアマチュア高段こうだん程度ていど腕前うでまえがあったとわれているが、とく詰将棋つめしょうぎ作図さくず有名ゆうめいである。今日きょうでも詰将棋つめしょうぎ作図さくず使つかわれる趣向しゅこうきむ知恵ちえ」「ぎん知恵ちえ」をかんがすなど、論理ろんりてき作風さくふう多数たすう傑作けっさくのこした。またきょくつめ得意とくいであり、添田そえたはじめ太夫たゆう桑原くわばらくんなかとともに江戸えど時代じだいの3大曲おおまがりつめ作家さっかともばれている。喜内きない作品さくひんあつめた図式ずしきとして、100きょくおさめた『将棋しょうぎ妙案みょうあん』と120きょくおさめた『たちばなせん』がのこされている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 小学館しょうがくかんデジタル大辞泉だいじせん. “久留島くるしまよしふとし”. コトバンク. 2017ねん12月9にち閲覧えつらん
  2. ^ ちょうにち日本にっぽん歴史れきし人物じんぶつ事典じてん. “久留島くるしまよしふとし”. コトバンク. 2021ねん5がつ22にち閲覧えつらん
  3. ^ 平凡社へいぼんしゃ世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だいはん. “久留島くるしまよしふとし”. コトバンク. 2017ねん12月9にち閲覧えつらん
  4. ^ 講談社こうだんしゃデジタルばん 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん+Plus. “久留島くるしまよしふとし”. コトバンク. 2017ねん12月9にち閲覧えつらん
  5. ^ 大矢おおや真一しんいち日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ). “久留島くるしまよしふとし”. コトバンク. 2017ねん12月9にち閲覧えつらん
  6. ^ 朝日新聞あさひしんぶん出版しゅっぱんちょうにち日本にっぽん歴史れきし人物じんぶつ事典じてん. “久留島くるしまよしふとし”. コトバンク. 2017ねん12月9にち閲覧えつらん
  7. ^ 三省堂さんせいどう大辞林だいじりん だいさんはん. “久留島くるしまよしふとし”. コトバンク. 2017ねん12月9にち閲覧えつらん
  8. ^ 高木たかぎ茂男しげお日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ). “久留島くるしまよしふとし”. コトバンク. 2017ねん12月9にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 川北かわきたちょう ちょせき夫子ふうし以降いこう本朝ほんちょう數學すうがく進歩しんぽなみまなべせん」、東京とうきょう數學すうがく物理ぶつり學會がっかい へん本朝ほんちょう數學すうがく通俗つうぞく講演こうえんしゅう せき孝和こうわ先生せんせいひゃくねん記念きねんだい日本にっぽん圖書としょ、1908ねん、3-8ぺーじNDLJP:1085851/67 
  • 藤原ふじわら松三郎まつさぶろう ちょだい5せつ 久留島くるしまよしふとしとその業績ぎょうせき」、日本学士院にほんがくしいん日本にっぽん科学かがく刊行かんこうかい へん明治めいじぜん日本にっぽん数学すうがくだい2かん岩波書店いわなみしょてん、1956ねん、62-75ぺーじNDLJP:2421761 
  • 藤原ふじわら松三郎まつさぶろう ちょだい5しょう 久留島くるしまよしふとし」、日本学士院にほんがくしいん日本にっぽん科学かがく刊行かんこうかい へん明治めいじぜん日本にっぽん数学すうがくだい3かん岩波書店いわなみしょてん、1957ねん、1-75ぺーじNDLJP:2421846 

関連かんれん文献ぶんけん

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  • 鳴海なるみふううつくしき方陣ほうじん 久留島くるしまよしふとし見参けんざん!』小学館しょうがくかん小学館しょうがくかん文庫ぶんこ な5-1〉、2007ねんISBN 978-4-09-408210-4 

外部がいぶリンク

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