(Translated by https://www.hiragana.jp/)
井口新次郎 - Wikipedia コンテンツにスキップ

井口いぐち新次郎しんじろう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
井口いぐち 新次郎しんじろう
1924ねん早稲田大学わせだだいがく野球やきゅう
後列こうれつみぎから2人ふたり井口いぐち新次郎しんじろう
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしん 和歌山わかやまけん
生年月日せいねんがっぴ (1904-06-07) 1904ねん6月7にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (1985-09-24) 1985ねん9月24にち(81さいぼつ
選手せんしゅ情報じょうほう
ポジション 内野ないやしゅ投手とうしゅ
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど
野球やきゅう殿堂でんどう日本にっぽん
殿堂でんどう表彰ひょうしょうしゃ
選出せんしゅつねん 1998ねん
選出せんしゅつ方法ほうほう 特別とくべつ表彰ひょうしょう

井口いぐち 新次郎しんじろう(いぐち しんじろう、1904ねん6月7にち - 1985ねん9月24にち)は、和歌山わかやまけん出身しゅっしん野球やきゅう選手せんしゅ

経歴けいれき

[編集へんしゅう]

旧制きゅうせい和歌山わかやま中学校ちゅうがっこうげん和歌山わかやま県立けんりつ桐蔭高とういんこうとう学校がっこう)では投手とうしゅけん遊撃手ゆうげきしゅとして1921ねん大正たいしょう10ねん)のだい7かい全国ぜんこく中学校ちゅうがっこう野球やきゅう大会たいかいで、中心ちゅうしん選手せんしゅとして活躍かつやく優勝ゆうしょう貢献こうけん[1]。この大会たいかい井口いぐち記録きろくした大会たいかい最多さいた得点とくてん「16」は、2017ねん時点じてんでも全国ぜんこく高等こうとう学校がっこう野球やきゅう選手権せんしゅけん大会たいかいけるいち大会たいかい個人こじん最多さいた得点とくてん記録きろくとしてのこっている[2]

1922ねん大正たいしょう11ねん)のだい8かい大会たいかいでも主将しゅしょうで4ばんエースとしてぜん試合しあい登板とうばんし、ぜん試合しあい完投かんとう勝利しょうりして大会たいかい連覇れんぱ達成たっせいした[1]

1923ねん早稲田大学わせだだいがく進学しんがくし、1年生ねんせいから卒業そつぎょうするまで不動ふどうの4ばん打者だしゃとして活躍かつやくした[1]入学にゅうがく直後ちょくごの1923ねん春季しゅんきリーグせんたい明治大学めいじだいがく3回戦かいせん湯浅ゆあさ禎夫さだおから満塁まんるい場面ばめん敬遠けいえんをされたとつたえられている[3]

卒業そつぎょう大阪おおさか毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ入社にゅうしゃし、選抜せんばつ高等こうとう学校がっこう野球やきゅう大会たいかい選考せんこう委員いいん日本にっぽん高等こうとう学校がっこう野球やきゅう連盟れんめい評議ひょうぎいん日本にっぽん野球やきゅう連盟れんめい理事りじ毎日新聞まいにちしんぶん西部せいぶ本社ほんしゃ運動うんどう部長ぶちょう歴任れきにんした[1]戦後せんご創設そうせつされた全日本ぜんにほん軟式なんしき野球やきゅう連盟れんめい常任じょうにん理事りじを35ねんふく会長かいちょうを4年間ねんかんつとめている[1]

1985ねん9がつ24にち死去しきょ。81さいぼつ没後ぼつご1998ねん野球やきゅう殿堂でんどう特別とくべつ表彰ひょうしょう顕彰けんしょうしゃとなった。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d e 野球やきゅう殿堂でんどう 2012 The Baseball Hall of Fame』(2012ねんスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ)、P.134
  2. ^ 中村なかむらもう最多さいた得点とくてん16も視野しや 過去かこ記録きろくホルダーはみんな頂点ちょうてん. 朝日新聞あさひしんぶん×朝日放送あさひほうそう「バーチャル高校こうこう野球やきゅう. 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ. (2017ねん8がつ22にち). http://www.asahi.com/koshien/articles/ASK8Q2SXHK8QUTQP00W.html 2017ねん8がつ23にち閲覧えつらん 
  3. ^ [1]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]