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児玉こだま末男すえお

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児玉こだま 末男すえお兒玉こだま、こだま まつお、 1921ねん12月1にち[1] - 2005ねん2がつ20日はつか)は、日本にっぽん政治せいじ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん(8)。

児玉こだま 末男すえお
こだま まつお
生年月日せいねんがっぴ (1921-12-01) 1921ねん12月1にち
出生しゅっしょう 日本の旗 日本にっぽん 鹿児島かごしまけん曽於そおぐん末吉すえよしまち
げん鹿児島かごしまけん曽於そお
ぼつ年月日ねんがっぴ (2005-02-20) 2005ねん2がつ20日はつか(83さいぼつ
出身しゅっしんこう 門司もじ鉄道てつどう教習所きょうしゅうじょ卒業そつぎょう
所属しょぞく政党せいとう 日本にっぽん社会党しゃかいとう
称号しょうごう くんとう旭日重光章きょくじつじゅうこうしょう

選挙せんきょ きゅう宮崎みやざき2
当選とうせん回数かいすう 8かい
在任ざいにん期間きかん 1958ねん5月22にち - 1969ねん12月2にち
1972ねん12月10にち - 1980ねん5月19にち
1983ねん12月18にち - 1986ねん6月2にち
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来歴らいれき

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鹿児島かごしまけん曽於そおぐん末吉すえよしまちげん曽於そお出身しゅっしん[2][ちゅう 1]1942ねん門司もじ鉄道てつどう教習所きょうしゅうじょそつ[2]都城みやこのじょうえき助役じょやく[1][2][3]国鉄こくてつ労働ろうどう組合くみあい宮崎みやざきけん支部しぶ委員いいんちょうなどを[1][3]1958ねんだい28かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ宮崎みやざき2日本にっぽん社会党しゃかいとうより立候補りっこうほ当選とうせん以後いご当選とうせん8かい[3]

1986ねんだい38かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ落選らくせんし、政界せいかい引退いんたい1992ねんくんとう旭日重光章きょくじつじゅうこうしょう受章じゅしょう[2]。2005ねん2がつ20日はつか死去しきょ享年きょうねん83。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん』254ぺーじには「宮崎みやざきけん出身しゅっしん」と記載きさい

出典しゅってん

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  1. ^ a b c 激動げきどう日本にっぽん政治せいじ : 明治めいじ大正たいしょう昭和しょうわ歴代れきだい国会こっかい議員ぎいんろく 1339コマ』 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション
  2. ^ a b c d しんてい 現代げんだい政治せいじ家人かじんめい事典じてん』212ぺーじ
  3. ^ a b c 議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん』254ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいん議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1990ねん
  • しんてい 現代げんだい政治せいじ家人かじんめい事典じてん : 中央ちゅうおう地方ちほう政治せいじ4000にん日外にちがいアソシエーツ、2005ねん
議会ぎかい
先代せんだい
金丸かねまる徳重とくしげ
日本の旗 衆議院しゅうぎいん災害さいがい対策たいさく特別とくべつ委員いいんちょう 次代じだい
湯山ゆやまいさむ