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前田まえだ直之なおゆき

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前田まえだ 直之なおゆき(まえだ なおゆき、慶長けいちょう9ねん3月9にち1604ねん4がつ8にち〉 - のべたから2ねん10月18にち1674ねん11月15にち〉)は、江戸えど時代じだい前期ぜんき加賀かがはん前田まえだ家臣かしん前田まえだ利政としまさ長男ちょうなん前田まえだ土佐とさまもるの2だい当主とうしゅはは側室そくしつ嶺雲れいうんいん幼名ようみょうまたわかはつ利直としなおのち政之まさゆき通称つうしょう肥後ひごさん左衛門さえもん前田まえだ直作なおさくなど。

来歴らいれき

[編集へんしゅう]

慶長けいちょう9ねん1604ねん)、前田まえだ利政としまさ長男ちょうなんとして京都きょうと誕生たんじょう

ちち利政としまさ関ヶ原せきがはらたたかのち改易かいえきされていたため、祖母そぼ芳春よしはるいん(おまつのほう)にられ金沢かなざわ養育よういくされた。12さいとき芳春よしはるいんねがいもあって加賀かがはんだい3だい藩主はんしゅ利常としつねされ、2000せき家臣かしんとなる。また、芳春よしはるいん死後しご化粧けしょうりょうとして拝領はいりょうしていた7500せきぎ、そのさらに加増かぞうされて1まんせきりょうした。

のべたから2ねん(1674ねん)、死去しきょはん前田まえだ利家としいえ芳春よしはるいん直系ちょっけいであったため、子孫しそん加賀かが藩中はんちゅうでも別格べっかく家柄いえがらとして明治めいじまで存続そんぞくした。