古今 和歌集
『
成立
[『
その
延喜 五 年 四 月 十 八 日 に、大 内記 紀友則 、御 書 所 預 紀貫之 、前 甲斐 少 目 凡河内躬恒 、右 衛門 府 生 壬生忠岑 らにおほせられて、万葉集 に入 らぬ古 き歌 、みづからのをも奉 らしめたまひてなむ(中略 )すべて千 歌 、二 十 巻 、名 づけて古今 和歌集 といふ--仮名 序
爰に、
大 内記 紀友則 、御 書 所 預 紀貫之 、前 甲斐 少 目 凡河内躬恒 、右 衛門 府 生 壬生忠岑 等 に詔 して、各 家集 、并に古来 の旧 歌 を献 ぜしめ、続 万葉集 と曰ふ。是 に於 いて、重 ねて詔 有 り、奉 る所 の歌 を部類 して、勒して二 十 巻 となし、名 づけて古今 和歌集 と曰ふ。(中略 )時 に延喜 五 年 、歳 は乙 丑 に次 る四 月 十 五 日 、臣 貫 之 謹 みて序 す--真名 序
これらをみると
という
延喜 の御 時 、やまとうたしれる人々 、いまむかしのうた、たてまつらしめたまひて、承 香 殿 のひんがしなる所 にて、えらばしめたまふ。始 めの日 、夜 ふくるまでとかくいふあひだに、御前 の桜 の木 に時鳥 (ほととぎす)のなくを、四 月 の六 日 の夜 なれば、めづらしがらせ給 ふて、めし出 し給 ひてよませ給 ふに奉 る
とあり、これが『
構成
[- (
仮名 序 ) 巻 第 一 春 歌 上 巻 第 二 春 歌 下 巻 第 三 夏 歌 巻 第 四 秋 歌 上 巻 第 五 秋 歌 下 巻 第 六 冬 歌 巻 第 七 賀 歌 巻 第 八 離別 歌 巻 第 九 羈旅歌 巻 第 十 物 名 巻 第 十 一 恋歌 一 巻 第 十 二 恋歌 二 巻 第 十 三 恋歌 三 巻 第 十 四 恋歌 四 巻 第 十 五 恋歌 五 巻 第 十 六 哀傷 歌 巻 第 十 七 雑歌 上 巻 第 十 八 雑歌 下 巻 第 十 九 雑 体 (長歌 、旋頭歌 、誹諧 歌 )巻 第 二 十 大 歌 所 御歌 、神 遊 びの歌 、東歌 - (
墨 滅 歌 ) - (
真名 序 )
歌人
[紀貫之 :入 集 102首 。巻 第 六 巻軸 。撰者 の一人 。凡河内躬恒 :入 集 60首 。巻 第 二 第 三 第 五 巻軸 。撰者 の一人 。紀友則 :入 集 46首 。巻 第 八 第 十 二 巻軸 。撰者 の一人 。壬生忠岑 :入 集 36首 。撰者 の一人 。素性 :入 集 36首 。巻 第 九 巻軸 。遍昭 の子 。撰者 以外 での最多 入 集 。在原業平 :入 集 30首 。巻 第 十 三 第 十 五 巻頭 。六歌仙 の一人 。伊勢 :入 集 22首 。巻 第 一 第 十 三 第 十 八 巻軸 。宇多天皇 の中宮 温子 に仕 える。藤原 興 風 :入 集 17首 。巻 第 四 巻 第 十 巻頭 、並 びに古今 集 1100首 の掉尾 を飾 る巻 第 二 十 巻軸 。小野小町 :入 集 17首 。巻 第 十 二 巻頭 。六歌仙 の一人 。遍昭 :入 集 18首 。巻 第 四 巻軸 。六歌仙 の一人 。清原 深 養父 :入 集 17首 。在原 元方 :入 集 14首 。古今 集 の劈頭 を飾 る巻 第 一 巻頭 。業平 孫 、棟梁 子 。
享受 と評価 の変遷
[『
『
このように
やがて
伝 本
[『
古筆切
[高野 切 :もとは11世紀 半 ばに源兼行 ら3人 が分担 して書写 した巻子本 形態 の伝 本 である。このうち巻 第 五 、巻 第 八 、巻 第 二 十 が完本 として伝 わっており、いずれも国宝 に指定 されている。亀山 切 :もとは綴 葉 装 冊子 本 。書風 が高野 切 に通 じるところがあり、書写 年代 は11世紀 中頃 か、それをやや下 るあたりと推定 される。丹波 亀山 藩 形原 松平 家 に伝 わったためこの名 がある。伝 称 筆者 は、紀貫之 とするものが多 いが、藤原 行 成 とするものもある。しかし、いずれも確証 はない。薄 藍 の打 曇 のある紙 に荒 い雲母 を一 面 に撒 いた料紙 を用 い、軽妙 な連綿 、品格 ある優美 な書風 が特徴 。巻 第 二 と第 四 を合 わせた17丁 の零 本 (九州 国立 博物館 蔵 、重文 [20]、徳川 美術館 、メナード美術館 などに分 蔵 された30点 ほどの断簡 が伝 存 。曼殊 院本 :巻 十 七 の零 巻 。詞書 なし。関戸 本 :もと冊子 本 。零本 および断簡 。荒木 切 :もと冊子 本 、上下 二 帖 。名称 は、江戸 時代 初期 の能筆 家 ・荒木 素白 が愛蔵 していたことに因 む。伝承 では、藤原公任 または藤原 行 成 筆 とされるが確証 はなく、11世紀 末 から12世紀 初 めごろの書写 とみられる。断簡 が十 数 葉 確認 されている。本 阿弥 切 :もと巻子本 。零 巻 および断簡 。久 海 切 :もとは上下 二 冊 の綴 葉 装 冊子 本 と推定 。舶来 の唐紙 を用 いており、全体 に剥落 がある。11世紀 から12世紀 にかけての作 。伝 称 筆者 は紫式部 とされるが、これは久 海 切 の繊細 な筆致 を女性 の筆跡 だと思 い込 んだためと見 られる。書 芸 文化 院 などが所蔵 。伝 存 数 は10点 以内 と少 なく、公開 される機会 も少 ない。大江 切 筋 切 ・通 切 :もと綴 葉 装 冊子 本 。名称 は「筋 」のある紙 や、「通 し」(簁。竹 または銅 線 でそこの網目 を編 んだ篩 い)の文様 がある紙 に書 かれていることによる。両者 は同 じ紙 を用 いた表裏一体 の古筆 で、違 いは前者 は表 、後者 は裏 に書写 されたため紙 の模様 が異 なっている点 である。藤原 佐 理 筆 と伝 わるが、元永 本 、唐紙 巻子本 と同筆 で、藤原 定実 筆 とする説 が有力 。個人 蔵 が多 く、他 に梅沢 記念 館 、東京 国立 博物館 [1][2][3]、常盤山 文庫 、メナード美術館 、藤田 美術館 、出光 美術館 、五島 美術館 、京都 国立 博物館 、MOA美術館 、逸 翁 美術館 、滴 翠 美術館 、山 種 美術館 などが所蔵 [21]。巻子本 古今 和歌集 :元永 本 、筋 切 ・通 切 と同筆 。
元永 本
[伝 公 任 筆 本
[清 輔本
[宮本 家蔵 本 :永治 2年 (1142年 )に清 輔が書写 した本 を源 家長 が建 仁 元年 (1201年 )に写 し、さらにそれを転写 した古 写本 。かつて前田 家 尊 経 閣 文庫 の所蔵 であったが、のちに宮本 家 の所蔵 となった。尊 経 閣 文庫 蔵本 :保 元 2年 (1157年 )に書写 したものの転写 本 。伝 本 としては書写 年代 がかなり古 く、清 輔自筆 本 ともいわれるが、その奥書 の内容 から清 輔筆であることは疑 われている。右 衛門 切 :寂蓮 筆 と伝 わる古筆切 でもとは冊子 本 。仮名 序 の全文 と和歌 四 百 余 首 分 の本文 が残 る。その本文 については、西下 経 一 は本文 の崩 れた清 輔本の系統 としている。
なお2017
雅経 本
[俊成 本
[永 暦 二 年 本 :宮内庁 書 陵 部 蔵 。永 暦 2年 (1161年 )7月 の奥書 を持 つ転写 本 。建 久 二 年 本 昭和 切 :俊成 自筆 の古筆切 で、晩年 の書写 であろうといわれている。巻 第 一 から巻 第 十 までが伝 わる。仮名 序 と真名 序 はいずれも無 く、巻 第 一 には息子 の定家 が「あをやぎの いとよりかくる はるもしぞ みだれてはなの ほころびにける」の一 首 を補筆 している。了 佐切 :およそ和歌 60首 分 ほどの古筆切 が伝 わる。巻 第 十 の断簡 には俊成 の真筆 に間違 いないという烏丸 光広 の極 め書 きがある。本文 は昭和 切 とほぼ同 じく、これは俊成 盛年 のときの筆 であろうという。
定家 本
[貞 応 元年 十 一 月 二 十 日 書 写本 :定家 の自筆 本 は現存 しない。真名 序 を欠 く。貞 応 二 年 七 月 二 十 二 日 書 写本 :流布 本 。所謂 「貞 応 本 」。これも定家 の自筆 本 は現存 していない。巻末 に真名 序 を持 つ。冷泉 家 時雨 亭 文庫 蔵 為 家 自筆 奥書 本 :貞 応 二 年 本 の現存 最古 の写本 で、かつ最善 の本 と考 えられる。梅沢 彦太郎 旧 蔵本 -定家 の子孫 二 条 為 明 が元 享 4年 (1324年 )9月 に書写 したもの。この本 は同年 10月 に為 明 の祖父 二 条 為 世 が、頓阿 に古今 伝授 を行 うために用 いられており、「宗家 相伝 本 」と呼 ばれる。重要 文化財 、東京 国立 博物館 蔵 [23]。『日本 古典 文学 大系 』(岩波書店 )底本 。今治 市 河野 美術館 蔵 『詁訓和歌集 』:為 定本 の転写 本 。二 条 為 定 が文 保 2年 (1318年 )に定家 自筆 の貞 応 二 年 本 を書写 し、それを明 暦 3年 (1657年 )ごろ転写 したもの。『新 日本 古典 文学 大系 』(岩波書店 )底本 。北村 季吟 『八 代 集 抄 』:天和 2年 (1682年 )刊 。近世 に広 く流布 した刊本 。新潮 日本 古典 集成 版 (奥村 恒 哉校 注 )、ちくま学芸 文庫 版 (小 町谷 照彦 校 注 )の底本 。
伊達 家 旧 蔵 無 年号 本 :定家 自筆 本 。伊達 政 宗 が所持 して後 、伊達 家 に伝 わったことから「伊達 本 」と通称 される。近代 以前 は流布 しなかったが、近年 底本 として用 いられることが多 い。真名 序 を欠 く。新編 国歌 大観 版 、講談社 学術 文庫 版 (久 曾神昇 校 注 )、角川 文庫 新版 (高田 祐 彦訳注 )の底本 。嘉 禄 二 年 四 月 九 日 書 写本 :定家 自筆 本 。いわゆる「嘉 禄 本 」と称 されるもので真名 序 を欠 く。冷泉 家 の古今 伝授 に用 いられる。『古今 和歌集 全 評釈 』(片桐 洋一 校 注 )底本 。
2010
伝 慈円 筆 古今 和歌集 :定家 本 系 。鎌倉 時代 初期 ―中期 頃 の書写 (定家 存命 中 の書写 と考 えられる)。仮名 序 ・真名 序 の両 序 を持 つ完本 としては最古 のもの。親 本 は定家 本 の中 でも初期 のものとされる。甲南女子大学 蔵 。和泉 書院 から影印本 が刊行 されている(米田 明美 補遺 ・解題 )。
脚注
[注釈
[- ^ 『
栄花物語 』「月 の宴 」の巻 には、天平 勝 宝 5年 (572年 )に孝 謙 天皇 が橘諸兄 ほかに命 じて『万葉集 』を撰 ばせたとの記述 があり、これに従 えば勅撰 和歌集 の一番 初 めは『万葉集 』ということになる。しかし現在 では『万葉集 』の成立 は大伴家持 が関 わるところ大 であるとされており、この『栄花物語 』の記述 はほとんど省 みられていない。ゆえに勅撰 和歌集 の最初 は『古今 和歌集 』であるとされている。 - ^ 「
真名 」とは漢字 のことで、すなわち漢文 で書 かれた序文 で、この真名 序 は『本朝 文 粋 』にも収録 されている。 - ^ この
日付 は仮名 序 にある日付 で、真名 序 では延喜 5年 4月 15日 となっている。 - ^ 「…たなびくくものたちゐ、なくしかのおきふしは、つらゆきらが、この
世 におなじくむまれて、この事 の時 にあへるをなむよろこびぬる」(仮名 序 )とある。 - ^ ほとんどの
伝 本 では803番 「あきのたの いねてふことも かけなくに なにをうしとか ひとのかるらん」の歌 に兼 芸 の作者 表記 があるが、定家 本 はその表記 が落 ちており、この前 にある歌 の作者 素性 の作 に見 える。ここでは、この歌 を兼 芸 の作 と考 える。 - ^ 『
袋 草紙 』に「基 俊 本 には初 めに真名 序 を書 き、奥 に仮名 序 を書 きて侍 りし」とある。『新 日本 古典 文学 大系 29袋 草紙 』53頁 より。
出典
[- ^ a b
古今 和歌集 (元永 本 )上巻 国立 文化財 機構 「e国宝 」(2024年 4月 19日 閲覧 ) - ^
吉海 直人 (同志社女子大学 日本語 日本 文学 科 特 任 教授 )「君 が代 」の歴史 的 変遷 (2019年 7月 5日 )2024年 4月 19日 閲覧 - ^ 『
古今 和歌集 』(岩波書店 <日本 古典 文学 大系 >8)7 - 9頁 - ^ a b 『
群 書 類従 』第 十 四 輯・和歌 部 (続 群 書 類従 完成 会 、1960年 )所収 の『紀貫之 集 』より。 - ^ 『
伊達 本 古今 和歌集 』笠間 書院 、1995年 。ISBN 4305402017 - ^
小松 英雄 『古典 和歌 解読 :和歌 表現 はどのように深化 したか』笠間 書院 、2000年 。ISBN 9784305702203 - ^
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定家 の直筆 書 発見 /古今 集 注釈 書 「国宝 級 」『読売新聞 』朝刊 2024年 4月 19日 1面 (同日 閲覧 ) - ^
横井 金男 ・新井 栄蔵 編 『古今 集 の世界 :伝授 と享受 』(世界 思想 社 、1986年 。ISBN 4790702928)第 九 章 「歌学 カリキュラムとしての古今 伝授 」 - ^
田中 康二 『本 居 宣 長 の国文学 』(ぺりかん社 、2015年 。ISBN 9784831514257)73-113頁 (初出 は「『古今 集 遠 鏡 』受容 史 」『日本 文藝 研究 』第 64巻 1号 、2012年 ) - ^ a b c
田中 康二 「県 居 派 ・江戸 派 ・桂園 派 の歌人 たち:江戸 時代 中 ・後期 」(鈴木 健一 ・鈴木 宏子 編 『和歌 史 を学 ぶ人 のために』世界 思想 社 、2011年 。ISBN 9784790715337)178-196頁 - ^
田中 康二 『本 居 宣 長 の思考 法 』(ぺりかん社 、2005年 。ISBN 4831511277)122-151頁 (初出 は「近世 国学 と古今 集 :『古今 集 遠 鏡 』における俗語 訳 の理論 と方法 」増田 繁夫 ・小 町谷 照彦 ・鈴木 日出男 ・藤原 克巳 編 『古今 和歌集 の伝統 と評価 』風間 書房 〈古今 和歌集 研究 集成 3〉2004年 。ISBN 4759914307) - ^
田中 康二 『村田 春海 の研究 』(汲古書院 、2000年 。ISBN 4762934321)114-116頁 (初出 は「村田 春海 の古今 風 和歌 :『琴 後 集 』一 〇五 一 を中心 に」『解釈 』第 42巻 3号 、1996年 ) - ^ 『
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甲南女子大学 蔵 「古今 和歌集 」について ・伝 慈円 筆 『古今 和歌集 』
参考 文献
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古今 和歌集 和歌 文学 大系 5』明治 書院 、2021年 。久保田 淳 ・高野 晴代 ・鈴木 宏子 ・高木 和子 ・高橋 由記 共編
関連 項目
[延喜 の治 (醍醐天皇 の親政 に対 する後代 の称 )