名人 (将棋 )
概要
[その
江戸 時代 の将棋 指 しの家元 の第一人者 が名乗 った称号 (一世 ~十 世 )。徳川 家康 主導 の下 、慶長 17年 (1612年 )、初代 大橋 宗 桂 (大橋 本家 )が俸禄を与 えられ、初 めて将棋 所 を任 されることになったとされる[注釈 2]。それまでは本因坊 算 砂 の碁 将棋 所 が「将棋 所 」を呼称 していたともいわれる[注釈 3]。以降 、大橋 家 本家 、大橋 家 分家 、伊藤 家 の三 家 の最強 者 が「名人 」「将棋 所 」を名乗 る家元 名人 制 が確立 する[注釈 4]。この時代 は、名人 とは九 段 であった。なお、八 段 は「準 名人 」、七 段 は「上手 (じょうず)」と呼 ばれた。江戸 幕府 の瓦解 とともに、将棋 家元 名人 制 は終焉 を迎 えた。明治 ・大正 ・昭和 初期 においては将棋 界 の年功 ある実力 者 が推挙 されて名乗 った名誉 称号 (十 一 世 ~十 三 世 )。この時代 も、名人 とは九 段 であった。しかし、昭和 10年 (1935年 )に十 三 世 名人 関根 金次郎 が退 隠 する考 えを表明 したことで、日本 将棋 連盟 が実力 制 名人 戦 の開催 を決定 。昭和 12年 (1937年 )12月6日 に木村 義雄 が第 1期 名人 戦 の優勝 者 となる。昭和 13年 (1938年 )2月 11日 に関根 金次郎 は名人 位 を返上 し、木村 が名人 位 につく。これにより家元 名人 制 時代 から続 いていた一世 名人 制 が廃止 され、短期 実力 制 名人 戦 へ移行 した。昭和 13年 (1938年 )以降 の現代 においてはプロ棋戦 (タイトル戦 )の1つである名人 戦 の勝者 の棋士 が推戴 される称号 であり、次期 名人 戦 終了 まで名乗 ることができる。名人 位 の初 獲得 順 に「実力 制 第 ○代 名人 」と称 する。順位 戦 が導入 された昭和 22年 (1947年 )以降 、名人 戦 で戦 うにはその前 に、基本 的 にAクラスまで昇級 しなければいけなくなった。当初 は順位 戦 リーグは3クラス制 (A,B,C)であり(なおかつ、B級 優勝 者 も挑戦 者 決定 戦 に参加 できた時期 があった)、のちに5クラス制 (A,B1,B2,C1,C2)が定着 したため名人 位 に就 くには棋士 になってから最短 で5年 かかる。前期 名人 戦 の勝者 の棋士 が今期 名人 戦 に敗 れると前 名人 となり、ほかにタイトルを持 っていない場合 に、次期 名人 戦 終了 まではタイトルに準 ずる称号 として「前 名人 」と名乗 る資格 が与 えられていた。(「前 名人 」の称号 は、本人 の意向 により辞退 することができた。)ただし、当初 は「前 名人 」と名乗 れる期間 が1年間 に限 られておらず、最初 の「前 名人 」である木村 義雄 は第 六 期 名人 戦 で敗 れて、翌々年 の第 八 期 に名人 復位 するまで「前 名人 」の称号 であった。二人 目 の「前 名人 」である塚田 正夫 も第 八 期 名人 戦 で木村 に敗 れた後 、大山 康晴 の名人 奪取 ・塚田 自身 の九 段位 取得 の昭和 27年 (1952年 )まで「前 名人 」の称号 のままであった。木村 ・塚田 以降 は、大山 康晴 ・中原 誠 ・加藤 一二三 ・谷川 浩司 が前 名人 を称 したものの、米長 邦雄 が平成 6年 (1994年 )に羽生 善治 に名人 位 を奪 われ「前 名人 」を名乗 ったのを最後 に前 名人 の称号 を名乗 る棋士 がおらず、令 和 2年 (2020年 )に竜王 戦 の「前 竜王 」とともに前 名人 の称号 を廃止 した。通算 5回 名人 戦 の勝者 になった棋士 に「永世 名人 」の資格 が与 えられ、原則 引退 後 に襲 位 することができる(十 四 世 ~)。
- このほかに、
名誉 称号 として贈 られる「贈名 人 」「名誉 名人 」などがある。
家元 制 (世襲 制 )および推挙 制 による名人
[一世 名人 初代 大橋 宗 桂 :慶長 17年 (1612年 )に江戸 幕府 より俸禄を与 えられた。二 世 名人 二 代 大橋 宗古 :寛永 11年 (1634年 )に襲 位 。初代 大橋 宗 桂 の子 。三 世 名人 初代 伊藤 宗 看 :承 応 3年 (1654年 )に襲 位 。二 代 大橋 宗古 の娘 婿 で「伊藤 家 」初代 。生前 の1691年 に名人 退位 。四 世 名人 五代 大橋 宗 桂 :元禄 4年 (1691年 )に襲 位 。初代 伊藤 宗 看 の子 、二 代 大橋 宗古 の外孫 。五 世 名人 二 代 伊藤 宗 印 :正徳 3年 (1713年 )に襲 位 。初代 伊藤 宗 看 の養子 。六 世 名人 三 代 大橋 宗 与 :享 保 8年 (1723年 )に襲 位 。初代 大橋 宗 桂 の曾孫 。七 世 名人 三 代 伊藤 宗 看 :享 保 13年 (1728年 )に襲 位 。二 代 伊藤 宗 印 の子 。八 世 名人 九 代 大橋 宗 桂 :寛政 元年 (1789年 )に襲 位 。二 代 伊藤 宗 印 の孫 (父 は八 代 大橋 宗 桂 )。三 代 宗 看 の甥 。九 世 名人 六 代 大橋 宗 英 :寛政 11年 (1799年 )に襲 位 。三代大橋宗与の曾孫 (父 、五代 大橋 宗 順 は養子 )。十 世 名人 六 代 伊藤 宗 看 :文政 8年 (1825年 )に襲 位 。五代 伊藤 宗 印 の養子 。十 一 世 名人 八 代 伊藤 宗 印 :明治 12年 (1879年 )に襲 位 。七 代 伊藤 宗 寿 の養子 。十 二 世 名人 小野 五平 :明治 31年 (1898年 )に襲 位 。十 三 世 名人 関根 金次郎 :大正 10年 (1921年 )に襲 位 。生前 の昭和 13年 (1938年 )に名人 退位 。
実力 制 による名人
[実力 制 歴代 名人
[
(
- (1938
年 )実力 制 初代 名人 木村 義雄 (十 四 世 名人 、称号 としての「実力 制 初代 名人 」[4]、通算 8期 ) - (1947
年 )実力 制 第 二 代 名人 塚田 正夫 (称号 としての「実力 制 第 二 代 名人 」[4]、通算 2期 ) - (1952
年 )実力 制 第 三 代 名人 大山 康晴 (十 五 世 名人 、通算 18期 ) - (1957
年 )実力 制 第 四 代 名人 升田 幸三 (称号 としての「実力 制 第 四 代 名人 」[5]、通算 2期 ) - (1972
年 )実力 制 第 五 代 名人 中原 誠 (十 六 世 名人 、通算 15期 ) - (1982
年 )実力 制 第 六 代 名人 加藤 一二三 (1期 ) - (1983
年 )実力 制 第 七 代 名人 谷川 浩司 (十 七 世 名人 、通算 5期 ※) - (1993
年 )実力 制 第 八 代 名人 米長 邦雄 (1期 ) - (1994
年 )実力 制 第 九 代 名人 羽生 善治 (十 九 世 名人 資格 者 、通算 9期 ※) - (1998
年 )実力 制 第 十 代 名人 佐藤 康光 (通算 2期 ※) - (2000
年 )実力 制 第 十 一 代 名人 丸山 忠久 (通算 2期 ※) - (2002
年 )実力 制 第 十 二 代 名人 森内 俊之 (十 八 世 名人 資格 者 、通算 8期 ※) - (2016
年 )実力 制 第 十 三 代 名人 佐藤 天 彦(通算 3期 ※) - (2019
年 )実力 制 第 十 四 代 名人 豊島 将之 (1期 ※) - (2020
年 )実力 制 第 十 五 代 名人 渡辺 明 (通算 3期 ※) - (2023
年 )実力 制 第 十 六 代 名人 藤井 聡 太 (通算 2期 ※)
称号 としての「実力 制 名人 」
[これまでに
称号 「実力 制 名人 」の追贈 者
升田 幸三 - 「実力 制 第 四 代 名人 」(1988年 4月 1日 襲 位 )木村 義雄 - 「実力 制 初代 名人 」 (1989年 11月17日 追贈 )※十 四 世 名人 <永世 名人 >につき「実力 制 名人 」の称号 は冠 さない。塚田 正夫 - 「実力 制 第 二 代 名人 」(1989年 11月17日 追贈 )
(
永世 名人
[1949
十 四 世 名人 木村 義雄 :1946年 、通算 5期 達成 (「永世 名人 」制定 は1949年 )。1952年 、引退 後 に襲 位 。十 五 世 名人 大山 康晴 :1956年 、通算 5期 達成 。1976年 、現役 のまま襲 位 。十 六 世 名人 中原 誠 :1976年 、通算 5期 達成 。2007年 、現役 のまま襲 位 。十 七 世 名人 谷川 浩司 :1997年 、通算 5期 達成 。2022年 、現役 のまま襲 位 [7]。十 八 世 名人 森内 俊之 :2007年 、通算 5期 達成 (引退 後 =遅 くとも2036年 まで[注釈 6]に襲 位 予定 )。十 九 世 名人 羽生 善治 :2008年 、通算 5期 達成 (引退 後 に襲 位 予定 )。
現代 における名人 位 (竜王 と名人 )
[その他 の名人
[贈名 人
[伊藤 看 寿 (贈名 人 ):没後 に追贈 坂田 三吉 (阪田 三吉 )(贈名 人 ・王将 ):没後 の昭和 30年 (1955年 )に日本 将棋 連盟 により追贈
名誉 名人
[小菅 剣 之 助 :大正 10年 (1921年 )に名人 に推挙 される[要 出典 ]が当時 は専業 棋士 でなかったため辞退 。昭和 11年 (1936年 )に時 の「将棋 大成 会 」により名誉 名人 を贈位 される。土居 市太郎 :大正 時代 の関東 棋界 においては師 の関根 をしのぐ実質 第一人者 であった。昭和 29年 (1954年 )に日本 将棋 連盟 から贈位 される。- ただし
土居 は実力 制 の初期 まで現役 で、第 2期 名人 戦 で木村 義雄 に挑戦 している(当時 52歳 )。
- ただし
関西 名人
[なお「
名人 に関 する名言 など
[名人 に定跡 なし名人 の強 さは、定跡 だけにとらわれないものであるということ。名人 に香 を引 く升田 幸三 が標榜 し、かつ実現 した言葉 。将棋 界 の第一人者 である名人 に対 して、駒 落 ち戦 で香車 を落 とすハンデキャップをつけること。すなわち名人 の強 さを超 えること。将棋 の神 に選 ばれたものだけが名人 になれる- 400
年 余 りの名人 位 の歴史 の中 で、就位 した人物 がわずか28名 という、名人 位 の特別 性 を表現 した言葉 [10]。
その他
[芹沢 博文 は生前 に「芹沢名人 」の別称 で呼 ばれたことがある。ただこれはあくまでもテレビ番組 における愛称 であり、芹沢 は棋士 人生 において順位 戦 A級 に2期 だけ在位 したことがあるものの、名人 位 を獲得 したことはなく、そもそも名人 戦 に挑戦 したことがない。またタレントの芹澤名人 は芹沢 博文 に由来 する芸名 であり、やはり名人 位 とは関係 がなく、そもそも日本 将棋 連盟 との接点 かない。昭和 51年 (1976年 )には、主催 紙 移行 問題 が長引 き、順位 戦 および名人 戦 が中止 となる事態 に陥 った。その間 の昭和 51年 (1976年 )末 に、新 たな主催 紙 となった毎日新聞 は、移籍 を記念 し、選抜 棋士 による特別 名人 戦 と称 した非公式 戦 のトーナメントを独自 に開催 し、当時 八 段 の大内 延 介 が優勝 。大内 は毎日新聞 から「特別 名人 」の称号 を贈 られたが、上述 のとおり、公式 戦 ではなく毎日新聞 のイベントの一環 であるため、大内 の日本 将棋 連盟 における棋士 としての実績 には計上 されていない。ちなみに大内 は、昭和 50年 (1975年 )に行 われた第 34期 名人 戦 で中原 誠 の挑戦 者 となったことはあるものの3勝 4敗 1持 将棋 で敗退 し、公式 な名人 位 獲得 には至 っていない。
脚注
[注釈
[- ^
林 元美 『爛 柯堂棋話』および『坐 隠 談 叢 』の記述 だが、証明 する資料 は一切 なく、また師匠 の仙 也も存命 であり弱冠 20歳 の算 砂 が「名人 」と呼 ばれたとは信 じがたいとの主張 もある。(福井 正明 著 『囲碁 古名 人 全集 』の巻末 評伝 (秋山 賢司 ))。 - ^ しかし
増川 宏一 は、この時期 には、「名人 」「碁 所 」「将棋 所 」いずれの名称 もまだ存在 していないとしている - ^ これは
明治 期 に刊行 された安藤 如意 『坐 隠 談 叢 』の記述 だが、この時期 には「碁 所 」「将棋 所 」という言葉 そのものがなく、信 じがたいとの意見 がある。(増川 宏一 『碁 』および福井 正明 著 『囲碁 古名 人 全集 』の巻末 評伝 (秋山 賢司 )) - ^
適当 な候補者 がいない場合 は空位 となった。 - ^
制定 のいきさつが、退役 棋士 で観戦 記者 である河口 俊彦 の『一 局 の将棋 一 回 の人生 』(新潮社 (新潮 文庫 )、1994年 、ISBN 4-10-126511-9)の36ページに記載 されており、升田 を称号 なしの「九 段 」で呼 ぶのは他 の棋士 とのバランスが取 れないという理由 が示 されている。 - ^ フリークラス
転出 宣言 を行 ったため、2036年 が定年 となる。
出典
[- ^ 『
現代 囲碁 大系 別巻 現代 囲碁 史 概説 』(林 裕 )P.46 - ^ 『
将棋 名人 戦 ~昭和 ・平成 時代 を映 す名 勝負 ~』(マイナビ) - ^ 『「
近代 将棋 」1990年 1月 号 』近代 将棋 社 /国立 国会図書館 デジタルコレクション、73–74頁 。 - ^ a b 1989
年 11月17日 の「第 15回 将棋 の日 」に、木村 義雄 十 四 世 名人 に対 して「実力 制 初代 名人 」の称号 が、塚田 正夫 名誉 十 段 に対 して「実力 制 第 二 代 名人 」の称号 が、それぞれ追贈 された[3]。 - ^ a b 『「
近代 将棋 」1988年 6月 号 』近代 将棋 社 /国立 国会図書館 デジタルコレクション、35頁 。 - ^
窪 寺 紘一 『日本 将棋 集成 』新人物往来社 、1995年 、326ページ。 - ^
将棋 ニュース -谷川 浩司 九 段 が永世 名人 (十 七 世 名人 )を襲 位 ,日本 将棋 連盟 , (2022-05-26) 2022年 5月 26日 閲覧 。 - ^ “
日本 将棋 の歴史 (9)”.日本 将棋 連盟 . 2020年 4月 11日 閲覧 。 - ^
日本 将棋 の歴史 (9) - ^
佐藤 天 彦『理想 を現実 にする力 』朝日新聞 出版 、2017年 、4頁 。ISBN 978-4-02-273714-4。