(Translated by https://www.hiragana.jp/)
呉服商 - Wikipedia コンテンツにスキップ

呉服ごふくしょう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

呉服ごふくしょう(ごふくしょう)は、日本にっぽんにおいて「呉服ごふく」ともしょうされる、和服わふく販売はんばいかかわる商業しょうぎょう事業じぎょうしゃ商人しょうにん[1]歴史れきしてきには、江戸えど時代じだい規模きぼ拡大かくだい[2]業態ぎょうたいおおきな改革かいかく[3]明治めいじ時代じだい以降いこうにおける近代きんだいてき百貨店ひゃっかてん発達はったつ基礎きそきずいた[4]

現代げんだいにおいては、呉服ごふく[5]呉服ごふくてん[6]呉服ごふく専門せんもんてん呉服ごふく小売こうりしょう[7]などともしょうされる。

関東大震災かんとうだいしんさい日本橋にほんばし人形にんぎょうまちてられた小川屋おがわや呉服ごふくてん仮設かせつ店舗てんぽ 1923ころ

江戸えど時代じだい呉服ごふくしょう

[編集へんしゅう]
稲荷山いなりやま宿やどきゅう呉服ごふくしょうやま」(2015ねん)

呉服ごふく和服わふく)のしょう取引とりひき歴史れきしふるいが、現代げんだいにまで系譜けいふつたわる有力ゆうりょく呉服ごふくしょうおおくは、江戸えど時代じだい起源きげんをもっており、この時期じき流通りゅうつう形態けいたいにおけるおおきな変動へんどうがあったことを物語ものがたっている。京都きょうとでは、江戸えど幕府ばくふ政策せいさくで、中世ちゅうせい以来いらい上層じょうそう町衆まちしゅう一部いちぶ没落ぼつらくするなかで、近江おうみ伊勢いせ美濃みのなどから流入りゅうにゅうした商人しょうにんたちが、おもに御所ごしょちか上京じょうきょうって、新興しんこう町人ちょうにんとして取引とりひき主導しゅどうけんにぎった[8]とくに、皇室こうしつ将軍家しょうぐんけしょ大名だいみょうなどの呉服ごふく御用ごようつとめる呉服ごふくしょうは、呉服ごふくしょしょうされた[8]

有力ゆうりょく呉服ごふくしょうは、上方かみがた江戸えどなど各地かくち支店してんもうけ、商品しょうひん広域こういきてき流通りゅうつう実現じつげんした[8]

江戸えど時代じだい呉服ごふくしょうは、注文ちゅうもんけて顧客こきゃくのもとへ商品しょうひん持参じさんする「見世物みせものあきない」や、商品しょうひん顧客こきゃくのもとへ持参じさんしてる「屋敷やしきり」 といった、百貨店ひゃっかてん外商がいしょう相当そうとうする形態けいたい販売はんばい主軸しゅじくで、支払しはらいはとしに1かいないし2かいであったため、だおれリスクもおおきく、相手あいてによって売価ばいかさだまっていない状態じょうたいであった[9]。また、反物たんもの売買ばいばいするのが原則げんそくであり、仕立したては顧客こきゃく自家じかおこなうか、別途べっと仕立したさなければならなかった[9]

1673ねん江戸えど進出しんしゅつした三井みつい越後屋えちごや呉服ごふくてん三越みつこし前身ぜんしん)は、「みせまえ(たなさき)り」、「げんぎんかね掛値かけねなし」、「り」、「仕立したり」といったそれまでのしょう習慣しゅうかん打破だはする手法しゅほう次々つぎつぎし、あらたな需要じゅようこしに成功せいこうした[9]

百貨店ひゃっかてんへの移行いこう

[編集へんしゅう]

1904ねん12月、三越みつこしは、日比ひび翁助おうすけ主導しゅどうした、「米国べいこくくだりはるるデパートメント・ストーアの一部いちぶ実現じつげんいたすべくこう」などとしるした、いわゆる「デパートメントストア宣言せんげん」を関係かんけいかく方面ほうめん発表はっぴょうし、りから陳列ちんれつ販売はんばい方式ほうしきへの転換てんかんした[10]以降いこう松坂屋まつざかや白木屋しらきや松屋まつやや、大阪おおさか拠点きょてんとしていた髙島じゅうごう大丸だいまるなどの有力ゆうりょく呉服ごふくてんが、1910年代ねんだいにかけて、株式会社かぶしきがいしゃ百貨店ひゃっかてんへの業態ぎょうたい転換てんかんった[4]

業種ぎょうしゅなどへの展開てんかい

[編集へんしゅう]

もともと呉服ごふくしょうなかには、両替りょうがえしょう[2][11][12]酒造しゅぞうぎょう[13][14]、その事業じぎょう兼業けんぎょうするものもあった。また、素封そほうとして社会しゃかいてき地位ちいきずいたものもいた[13][15][16]

その事業じぎょう起源きげん呉服ごふくしょうにある現代げんだい日本にっぽん企業きぎょうは、百貨店ひゃっかてんかぎられておらず、丸紅まるべに[17]アコム[18]など多様たようれいがある。

縮小しゅくしょう呉服ごふく流通りゅうつう呉服ごふくてん

[編集へんしゅう]

呉服ごふくなどの着物きもの関連かんれん産業さんぎょうは、最盛さいせいには「2ちょうえん産業さんぎょう」ともいわれ[19]1980ねんには1ちょう8,000おくえん市場いちば規模きぼがあったとされるが、その着物きもの小売こうり市場いちばは2003ねんに6,270 おくえん、2014ねんに3,090 おくえんと、規模きぼ縮小しゅくしょうさせている[20]。この数値すうちには、小物こものなど呉服ごふく以外いがいふくまれているため、呉服ごふくかぎった市場いちば規模きぼは、およそ2700おくえんともいわれる[21]

1990年代ねんだい縮小しゅくしょう呉服ごふくしょうから販売はんばいぎょう転換てんかんすることでった京都きょうときものプラザは、些末なきずりムラ、目立めだたないよごれがある「Bはん」とばれる反物たんものやすり、これによって「呉服ごふくたかい」という常識じょうしきくつがえして人気にんきあつめた。年間ねんかんやく220かい販売はんばい催事さいじとなった「だいBはん」は当時とうじ日本人にっぽんじんがよく催事さいじであり、顧客こきゃく販売はんばいいんいてまわる「つきそい営業えいぎょう」、Bたん正規せいきひんのセットで販売はんばいおこなきゃく単価たんか向上こうじょう戦略せんりゃくなどがヒットし、2004ねん7がつには売上うりあげだかやく26おくえん計上けいじょう。しかし、呉服ごふくのオンライン販売はんばい拡大かくだいとう開発かいはつした織原おりはらりょうによる廉価れんか製品せいひん登場とうじょう着付きつけの知識ちしき不要ふよう簡単かんたんられるセパレート着物きものなど、やすさで京都きょうときものプラザにまさ製品せいひんえ、手軽てがるさで上回うわまわ流通りゅうつう手段しゅだんられるようになったため、以後いご低迷ていめい。2015ねん4がつ事業じぎょう停止ていしし、同年どうねん6がつ破産はさん手続てつづき開始かいし決定けっていけた[22]

京都きょうときものプラザをはじめとして、2000ねんはいってから2016ねんまでのあいだに、1216しゃ呉服ごふく関連かんれん企業きぎょう経営けいえい破綻はたんしており、もっとおおかった2000ねんでは1年間ねんかんで114しゃ倒産とうさん連日れんじつ倒産とうさんのニュースがめぐなかで、京都きょうと室町むろまちとおる界隈かいわいでは「NTTドコモ」という「つぎつぶれる呉服ごふく問屋とんや」のイニシャルに「いま呉服ごふくしょうはどこもあぶない」をくわえた隠語いんご誕生たんじょうする始末しまつであった[22]

市場いちば縮小しゅくしょう一因いちいんは、洋装ようそう浸透しんとう1970年代ねんだい以降いこう呉服ごふくしょうが、こう価格かかく製品せいひん販売はんばい注力ちゅうりょくしたことが消費しょうひしゃ着物きものばなれを加速かそくさせた[23]という見方みかたもあるが、これは当時とうじ社会しゃかい風潮ふうちょう理解りかいしていないおおきなあやまりであり、もっとおおきな要因よういん社会しゃかい変化へんかるのが妥当だとうである。1970ねんごろ授業じゅぎょう参観さんかんにゅう卒業そつぎょうしきには母親ははおやかなら着物きものくものであったがそういった風習ふうしゅう姿すがたし、カジュアルよう着物きもの次第しだい販売はんばい不振ふしんおちいり、その結果けっかフォーマルに注力ちゅうりょくせざるをなくなった。フォーマルは木綿もめんやウールにくらべて高価こうかなものがおおいが、ただたんにカジュアル需要じゅようがなくなったためフォーマルに注力ちゅうりょくせざるをなくなったのにならない。

呉服ごふくしょうは、売上うりあげそう利益りえきりつたかいが、人件じんけんりつ販管りつおおきい[21]。また、経営けいえい資本しほん回転かいてんりつ商品しょうひん回転かいてんりつひく[21]市場いちば規模きぼ縮小しゅくしょうなどもあって、市場いちば流通りゅうつう在庫ざいこは2015ねん時点じてんで、およそ3-4ちょうえんという巨額きょがく推定すいていされている[24]

呉服ごふく流通りゅうつうチャンネルの多様たようすすんでおり、2000年代ねんだい以降いこうリサイクルきもの事業じぎょう注目ちゅうもくされ[25]2010年代ねんだいにはネットショップでの売買ばいばいきゅう成長せいちょうした[21]。さらに、インターネットによる通信つうしん販売はんばいとサロンふう店舗てんぽあわせてきゅう成長せいちょうするれい登場とうじょうするなど、既存きそん形態けいたいによる呉服ごふくてんわるあらたな業態ぎょうたい登場とうじょうしている[26]

呉服ごふくてん

[編集へんしゅう]

サービスはみせによって実施じっしされていたりいなかったりするが、着物きものレンタル着付きつひとしおこなみせもある。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 大辞林だいじりん だいさんはん呉服ごふくしょう』 - コトバンク
  2. ^ a b 大丸だいまるについての言及げんきゅう末田すえだ智樹ともき大正たいしょう昭和しょうわにおける伝統でんとう呉服ごふくしょう百貨店ひゃっかてん : 大丸だいまる経営けいえい動向どうこう企業きぎょう活動かつどう着目ちゃくもくして」『岡山大学おかやまだいがく大学院だいがくいん文化ぶんか科学かがく研究けんきゅう紀要きようだい18かんだい1ごう岡山大学おかやまだいがく大学院だいがくいん文化ぶんか科学かがく研究けんきゅう、2004ねん11月、147-172ぺーじdoi:10.18926/1388NAID 120002306017。「こののちは、文化ぶんか14ねん(1817ねん)の大阪おおさか文政ぶんせい9ねん(1826ねん)の京都きょうと両方りょうほう両替りょうがえてんもうけて ... 傘下さんかみせうち、10てん創業そうぎょうから明和めいわまでの40年間ねんかん開設かいせつされ(ひょう1)、大丸だいまる創業そうぎょう初期しょき急速きゅうそく経営けいえい発展はってんをみせた。... 2では、江戸えどそう資本しほんだか上昇じょうしょう一途いっとであり、売上うりあげだか漸増ぜんぞうしていたことがわかる。」 
  3. ^ した向井むかい紀彦のりひこ書評しょひょう: 武居たけい奈緒子なおこだい規模きぼ呉服ごふくしょう流通りゅうつう革新かくしん進化しんか三井みつい越後えちごにおける商品しょうひん仕入しいれ体制たいせい変遷へんせん―』 千倉ちくら書房しょぼう、2014ねん3がつ、216ぺーじ」『東北とうほくアジア研究けんきゅうだい19ごう東北大学とうほくだいがく東北とうほくアジア研究けんきゅうセンター、2015ねん、189-197ぺーじISSN 1343-9332NAID 120005556195。「越後屋えちごやといえば、初代しょだい三井みつい高利たかとしはじめたげんぎんしや切売きりうり名高なだかだいてんであり、三井みつい高利たかとし商法しょうほう呉服ごふく商売しょうばいにおけるイノベーションをこしたとして、一般いっぱんてきにその革新かくしんせい評価ひょうかされている。本書ほんしょは、越後屋えちごや革新かくしんせい販売はんばいめんのみならず、仕入しいれめんにおいても発揮はっきされて事業じぎょう展開てんかいおこなったという視点してんち、仕入しいれ革新かくしんという観点かんてんから越後屋えちごや経営けいえい特質とくしつろんじるものである。」 
  4. ^ a b 末田すえだ智樹ともき日本にっぽんにおける百貨店ひゃっかてん成立せいりつ過程かてい : 三越みつこし高島屋たかしまや経営けいえい動向どうこうつうじて」『岡山大学おかやまだいがく大学院だいがくいん文化ぶんか科学かがく研究けんきゅう紀要きようだい16かんだい1ごう岡山大学おかやまだいがく大学院だいがくいん文化ぶんか科学かがく研究けんきゅう、2003ねん11月、263-288ぺーじdoi:10.18926/1357NAID 120002305912。「これまで日本にっぽんにおける百貨店ひゃっかてん成立せいりつ過程かていについては、明治めいじ38ねん1がつ新聞しんぶんかく紙上しじょうでの三越みつこしの「デパートメントストア宣言せんげん」からはじまり、これを契機けいき三越みつこし自身じしん、さらに東京とうきょうでは松坂屋まつざかや白木屋しらきや松屋まつや、そして大阪おおさかでは高島屋たかしまやじゅうごう大丸だいまるといった呉服ごふくてんが、大正たいしょう中期ちゅうきにかけて株式会社かぶしきがいしゃおこない、次々つぎつぎ百貨店ひゃっかてんとして成立せいりつしたという見解けんかい一致いっちしている。」 
  5. ^ デジタル大辞泉だいじせん呉服ごふく』 - コトバンク
  6. ^ 日本にっぽんきもの連盟れんめいについて”. 日本にっぽんきもの連盟れんめい. 2015ねん12月27にち閲覧えつらん。 “日本にっぽんきもの連盟れんめい国民こくみん生活せいかつにおける和装わそう生活せいかつ普及ふきゅう和装わそう文化ぶんか普及ふきゅう事業じぎょう目的もくてきとする全国ぜんこく各地かくち呉服ごふくてん、... 呉服ごふく小売こうり団体だんたい、...”
  7. ^ 全日本ぜんにほんきもの振興しんこうかい正会員せいかいいん名簿めいぼには、「○○呉服ごふくしょう組合くみあい連合れんごうかい」などといった表現ひょうげんならんで、「○○呉服ごふく専門せんもんてんかい」、「○○呉服ごふく小売こうりしょう連合れんごうかい」といった表現ひょうげんえる。:正会員せいかいいん名簿めいぼ”. 全日本ぜんにほんきもの振興しんこうかい. 2015ねん12月27にち閲覧えつらん
  8. ^ a b c 江戸えど豪商ごうしょう光琳こうりん生涯しょうがい”. 上京かみぎょう (2010ねん12月6にち). 2015ねん12月27にち閲覧えつらん
  9. ^ a b c 三友さんゆう新聞しんぶんしゃ. “越後屋えちごや誕生たんじょう高利こうりしん商法しょうほう”. 三井みつい広報こうほう委員いいんかい. 2015ねん12月27にち閲覧えつらん。 “... 高利こうり天才てんさいてき創意そういしん機軸きじく商法しょうほうしていく。その代表だいひょうてき商法しょうほうが「みせまえ(たなさき)り」と「げんぎんかね掛値かけねなし」である。当時とうじ一流いちりゅう呉服ごふくてんでは、まえもって得意とくいさき注文ちゅうもんき、から品物しなもの持参じさんする見世物みせものあきないと、直接ちょくせつ商品しょうひん得意とくいさき持参じさんして屋敷やしきりが一般いっぱんてきであり、支払しはらいは、ぼんくれ節季せっきはらい、または12月のみの極月ごくげつばらいの掛売かけうりが慣習かんしゅうであった。そのため、貸倒かしだおれや掛売かけうりの金利きんりがかさむので、商品しょうひんたかく、資金しきん回転かいてんわるかった。高利こうりはこの制度せいど廃止はいしし、みせ前売まえうりにえ、商品しょうひんげ、正札しょうふだをつけて定価ていかせいによる店頭てんとう販売はんばいでの現金げんきん取引とりひき奨励しょうれいした。げん金売かねうりによる収入しゅうにゅう資金しきん回転かいてんはやめ、節季せっきばらいの仕入しいさきにはすうばい活用かつようされた。もうひとつは呉服ごふく業者ぎょうしゃあいだではきんじられていた「り」の断行だんこうである。当時とうじ一反いったん単位たんい取引とりひき常識じょうしきで、どのみせ一反いったんからっていたものを、きゃく需要じゅようおうじてりし、江戸えど町民ちょうみんおおきな需要じゅようこした。このほか、「即座そくざ仕立したててわたす」というイージーオーダーである「仕立したり」も好評こうひょうび、越後屋えちごやはやがて江戸えど町人ちょうにんから「芝居しばいせんりょう魚河岸うおがしせんりょう越後屋えちごや千両せんりょう」とばれ、1にちせんりょうげをるほど繁盛はんじょうした。”
  10. ^ “1904ねん12月20にち デパートメントストア宣言せんげん 近代きんだい百貨店ひゃっかてん産声うぶごえ. 東京とうきょう新聞しんぶん. (2007ねん12月19にち). オリジナルの2016ねん8がつ9にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160809234010/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2008/anohi/CK2007121902073370.html 2015ねん12月27にち閲覧えつらん 
  11. ^ 三友さんゆう新聞しんぶんしゃ. “暖簾のれんしるしさだめ、両替りょうがえしょう進出しんしゅつ”. 三井みつい広報こうほう委員いいんかい. 2015ねん12月27にち閲覧えつらん
  12. ^ 成田なりた誠一せいいち. “三菱みつびしノート せんねんくすのき 1”. 三菱みつびし広報こうほう委員いいんかい. 2015ねん12月27にち閲覧えつらん。 “呉服ごふくしょう両替りょうがえしょう起源きげん三井みついや、...” - 初出しょしゅつは「マンスリーみつびし」2008ねん4がつごう
  13. ^ a b 美術びじゅつ人名じんめい辞典じてん桜井さくらい蕉雨』 - コトバンク
  14. ^ とみひろ”. とみひろ. 2015ねん12月27にち閲覧えつらん。 “しょう六右衛門ろくうえもん」は天正てんしょう6ねん冨士ふじ」としょうして薬種やくしゅしょういとなみ、山形やまがた紅花べにばな麻糸あさいとべいとう特産とくさんぶつ京都きょうと大阪おおさかへとはこび、あきないをはじめる。京都きょうとより呉服ごふくぶつ仕入しいれ、呉服ごふくしょうおよ年貢ねんぐまいにて酒造しゅぞうぎょういとなむ。”
  15. ^ 房総ぼうそう素封そほう近代きんだい日本にっぽん画壇がだん大観たいかん紫紅しこうとその周辺しゅうへん”. 城西国際大学じょうさいこくさいだいがく水田すいでん美術館びじゅつかん. 2015ねん12月27にち閲覧えつらん。 “そんな明治めいじまつから大正たいしょうに、房総ぼうそうのある呉服ごふくしょうによって収集しゅうしゅうされたのが、今回こんかいのコレクションです。”
  16. ^ きゅう岩船いわふね庭園ていえんえん - 文化ぶんか遺産いさんオンライン文化庁ぶんかちょう
  17. ^ 丸紅まるべに創業そうぎょう150周年しゅうねん記念きねん 丸紅まるべにコレクションてん衣裳いしょうから絵画かいが競演きょうえん”. 東郷とうごう青児せいじ記念きねん損保そんぽジャパン日本にっぽん興亜こうあ美術館びじゅつかん. 2015ねん12月27にち閲覧えつらん。 “総合そうごう商社しょうしゃ丸紅まるべにのルーツは、江戸えど時代じだい末期まっき創業そうぎょうした呉服ごふくしょうにあります。”
  18. ^ 呉服ごふくしょうとしての創業そうぎょう”. アコム. 2015ねん12月27にち閲覧えつらん。 “当社とうしゃは、昭和しょうわ11ねん4がつ2にち(1936)、神戸こうべ生田いくたげん中央ちゅうおう)の三宮さんのみや商店しょうてんがいで「まるいと呉服ごふくてん」として、創業そうぎょうしました。”
  19. ^ 吉田よしだみつるなし (2013ねん12月26にち). 着物きもの関連かんれん市場いちばにおけるあらたなセグメントとその特性とくせい分析ぶんせき (PDF). 研究けんきゅうだより (大学だいがくコンソーシアム京都きょうと) (4): pp. 1-2. http://www.consortium.or.jp/wp-content/uploads/kenkyudayori_2013_4.pdf. "かつて2ちょうえん産業さんぎょうわれた着物きもの関連かんれん産業さんぎょうは、購買こうばい金額きんがく数量すうりょうともに減少げんしょうをつづけ、2011ねん呉服ごふく小売こうり市場いちば規模きぼは、やく 3,000 おくえん推計すいけいされている。" 
  20. ^ 足立あだち敏樹としき着物きもの復活ふっかつ本物ほんもの」(PDF)『繊維せんいトレンド』7・8がつとう経営けいえい研究所けんきゅうじょ、2015ねん、58ぺーじ2015ねん12月27にち閲覧えつらん。「着物きもの市場いちば全体ぜんたい規模きぼ推移すいいについて、矢野やの経済けいざい研究所けんきゅうじょ発行はっこうの「きもの産業さんぎょう年鑑ねんかん2014年版ねんばん所載しょさいのデータをると、図表ずひょう1のとおり、2003ねんには6,270おくえんあった着物きもの小売こうり市場いちば規模きぼが2014ねんには3,090おくえんやく半分はんぶん縮小しゅくしょうしている。もうすこ長期ちょうきてきにみると、消費しょうひしゃころも生活せいかつスタイルの変化へんかくわえて、1980年代ねんだい以降いこうこう価格かかく戦略せんりゃく販売はんばいなどの反動はんどうで1980ねんには1ちょう8,000おくえんあったとされ る着物きもの市場いちばは2014ねんにはやく3,000おくえん金額きんがくベー スで 1/6、数量すうりょうベースでは 1/10 の水準すいじゅんにまで縮小しゅくしょうした。」 
  21. ^ a b c d 和装わそう振興しんこう研究けんきゅうかいだい3かい)-議事ぎじ要旨ようし”. 産業さんぎょう経済けいざいしょう. 2015ねん12月27にち閲覧えつらん。 “小売こうり市場いちば全体ぜんたいで3000おくえんといわれるが、きもの以外いがいふくまれるので実質じっしつ2700おくえん程度ていどか。販売はんばいチャネルをると、えらびやすく価格かかくごろなネットショップがここ3年間ねんかん倍増ばいぞう。... 呉服ごふく業界ぎょうかいは、経営けいえい資本しほん回転かいてんりつ商品しょうひん回転かいてんりつひくく、売上うりあげそう利益りえきりつたか構造こうぞう人件じんけんりつ、販管りつたかく、おかねをかけて集客しゅうきゃくしないとひとないというのが現状げんじょう。”
  22. ^ a b 藤森ふじもりとおる『あの会社かいしゃはこうしてつぶれた』日本経済新聞にほんけいざいしんぶん出版しゅっぱんしゃ、2017ねん4がつ10日とおか初版しょはん、15-20ぺーじISBN 9784532263379
  23. ^ 足立あだち敏樹としき着物きもの復活ふっかつ本物ほんもの」(PDF)『繊維せんいトレンド』7・8がつとう経営けいえい研究所けんきゅうじょ、2015ねん、60ぺーじ2015ねん12月27にち閲覧えつらん。「着物きもの業界ぎょうかい衰退すいたいは、70年代ねんだい後半こうはんはいって洋装ようそうライフスタイルの一般いっぱん急速きゅうそく進展しんてん着物きもの需要じゅよう減少げんしょうするなかで、業界ぎょうかい販売はんばい数量すうりょう下落げらくぶんをカバーするために、付加ふか価値かちたか製品せいひんかたよっ て開発かいはつ製品せいひん単価たんかげる戦略せんりゃくをとった。そのため、最初さいしょ日常にちじょう生活せいかつ着用ちゃくようするまちとしてのカジュ アルな着物きもの姿すがたし、市場いちばにはフォーマルな着物きもの)ばかりがえていった。 
  24. ^ 足立あだち敏樹としき着物きもの復活ふっかつ本物ほんもの」(PDF)『繊維せんいトレンド』7・8がつとう経営けいえい研究所けんきゅうじょ、2015ねん、61ぺーじ2015ねん12月27にち閲覧えつらん。「35ねんあまりにわたる長期ちょうきてき着物きもの市場いちば凋落ちょうらく傾向けいこうなかで、おおくの倒産とうさん廃業はいぎょう企業きぎょうのこした流出りゅうしゅつひんふくめた着物きもの流通りゅうつう在庫ざいこ規模きぼやく3~4ちょうえんといわ れている。これは 10年間ねんかん新規しんき生産せいさんしなくても着物きもの需要じゅようたせる規模きぼである。またねむれるタンス のなか着物きもの資産しさん膨大ぼうだいにある。」 
  25. ^ 手本てほんにしたい繁盛はんじょうてん だい8かい 衰退すいたいのこ戦略せんりゃく着物きものリサイクルショップ「たんす」の誕生たんじょう-publisher=中小ちゅうしょう企業きぎょう基盤きばん整備せいび機構きこう” (2010ねん5がつ27にち). 2015ねん12月27にち閲覧えつらん
  26. ^ きものじん通販つうはん専門せんもんてん)の事例じれい足立あだち敏樹としき着物きもの復活ふっかつ本物ほんもの」(PDF)『繊維せんいトレンド』7・8がつとう経営けいえい研究所けんきゅうじょ、2015ねん、69ぺーじ2015ねん12月27にち閲覧えつらん。「高級こうきゅう着物きもの販売はんばい実績じっせきげている。通販つうはんサイトに注文ちゅうもんしたきゃく東京とうきょう日本橋にほんばしのサロンふう店舗てんぽ訪問ほうもんして商品しょうひん直接ちょくせつてリピーターするケースがおお い。店舗てんぽ一般いっぱん呉服ごふくてんのような路面ろめんてんではなく、オフィスビルのなかの2かい所在しょざいする。... 着物きものいたい、てみたいが、旧来きゅうらいからの呉服ごふく専門せんもんてん百貨店ひゃっかてん、NCの呉服ごふくにははいりづらいとかんじている消費しょうひしゃから支持しじて いる。」 
  27. ^ まめ千代ちよ ちょまめせんだい着物きものモダン』中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ(2003ねんISBN 978-4123900584

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

呉服ごふくまち