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嘉納かのう徳三郎とくさぶろう

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嘉納かのう徳三郎とくさぶろう

嘉納かのう 徳三郎とくさぶろう(かのう とくさぶろう、明治めいじ3ねん4がつ12にち[1]1870ねん5月12にち) - 1945ねん昭和しょうわ20ねん5月17にち[2])は、日本にっぽん大蔵おおくら官僚かんりょう錦鶏きんけいあいだ祗候しこう

経歴けいれき

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兵庫ひょうごけん出身しゅっしん[3]1895ねん明治めいじ28ねん)、東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく法科ほうか大学だいがく政治せいじ卒業そつぎょうし、高等こうとう文官ぶんかん試験しけん合格ごうかくした[1]大蔵おおくらぞく主税しゅぜいかん税務ぜいむ監督かんとくかん青森あおもり税務ぜいむ管理かんり局長きょくちょう松山まつやま税務ぜいむ管理かんり局長きょくちょう神戸こうべ税関ぜいかん監視かんし部長ぶちょう長崎ながさき税関ぜいかんちょう横浜よこはま税関ぜいかんちょう歴任れきにん[1]1916ねん大正たいしょう5ねん)に大蔵省おおくらしょう専売せんばいきょく長官ちょうかん就任しゅうにんした[1]

1918ねん大正たいしょう7ねん)6がつ7にち退官たいかん[4]したのち同年どうねん同月どうげつ21にち錦鶏きんけいあいだ祗候しこうになると同時どうじ朝鮮ちょうせん銀行ぎんこうふく総裁そうさい就任しゅうにんした[3][5]1923ねん大正たいしょう12ねん)に朝鮮ちょうせん銀行ぎんこう退職たいしょくしたのちは、財団ざいだん法人ほうじん講道館こうどうかん理事りじつとめた[3]

1945ねん昭和しょうわ20ねん)5がつ死去しきょし、戦時せんじのため葬儀そうぎ神戸こうべ自宅じたく近親きんしんしゃのみでおこなわれた[2]

栄典えいてん

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親族しんぞく

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  • 久保田くぼた貫一かんいち - つまちち埼玉さいたま県知事けんちじ和歌山わかやま県知事けんちじ鳥取とっとり県知事けんちじ

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d 大正たいしょう人名じんめい辞典じてん p.1424 1917.
  2. ^ a b 朝日新聞あさひしんぶん』(東京とうきょう本社ほんしゃ発行はっこう)1945ねん6がつ4にち朝刊ちょうかん、2ぺーじ
  3. ^ a b c 人事じんじ興信録こうしんろく 1931.
  4. ^ 官報かんぽうだい1754ごう大正たいしょう7ねん6がつ8にち
  5. ^ 官報かんぽうだい1766ごう大正たいしょう7ねん6がつ22にち
  6. ^ 官報かんぽうだい7743ごう叙任じょにん及辞れい」1909ねん4がつ21にち
  7. ^ 官報かんぽうだい4438ごう付録ふろく辞令じれい」1941ねん10がつ23にち

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 五十嵐いがらし栄吉えいきち大正たいしょう人名じんめい辞典じてん東洋とうよう新報しんぽうしゃ、1917ねん 
  • 人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信録こうしんろく だい9はん人事じんじ興信所こうしんじょ、1931ねん