大島 寛一
来歴
[略歴
[- 1937
年 4月 :大蔵省 入省 。理財 局 属 。 - 1938
年 1月 :中華民国 駐在 。 - 1939
年 9月:理財 局 。 - 1940
年 9月:大蔵 大臣 秘書官 (事務 担当 )。 - 1941
年 5月:企画 院 第 一部 第 三 課 。 - 1941
年 11月:企画 院 第 一部 第 三 課 兼 総裁 官房 総務 室 。 - 1943
年 3月:企画 院 第 一部 第 三 課 。 - 1943
年 6月 :理財 局 。 - 1943
年 11月:臨時 召集 (東部 第 39部隊 )。 - 1946
年 5月:召集 解除 。 - 1946
年 6月 :大臣 官房 文書 課 。 - 1947
年 4月 :管理 局 閉鎖 機関 課長 。 - 1947
年 11月:大臣 官房 渉外 部 次長 。 - 1948
年 7月 :理財 局 経済 課長 。 - 1949
年 6月 :理財 局 見返 資金 課長 。- 1951
年 1月 :欧米 各国 出張 (〜1951年 5月 )。
- 1951
- 1952
年 8月 :理財 局 総務 課長 。 - 1952
年 12月:理財 局 (米国 出張 )。 - 1953
年 6月 :外務省 在 ニューヨーク総領事館 領事 兼 在 米国 大使館 一等 書記官 。 - 1956
年 3月:外務省 在 米国 大使館 参事官 。 - 1956
年 6月 :大臣 官房 財務 調査官 (為替 局 担当 )。 - 1957
年 6月 :近畿財務局 長 。 - 1959
年 5月:内閣 官房 内閣 審議 室長 。 - 1960
年 6月 :関東 財務局 長 。 - 1961
年 6月 :財務 参事官 。 - 1962
年 6月 :退官 。
脚注
[関連 項目
[大島 正太郎 -息子
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1957 |
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