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女子大じょしだいせい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

女子大じょしだいせい(じょしだいせい、英語えいご: female college student)とは、広義こうぎには大学だいがく通常つうじょう短期大学たんきだいがくふくむ)でまな女性じょせいである。

女子じょし大学生だいがくせい(じょしだいがくせい)ともいう。略語りゃくごJD(Joshi Daigakusei)。狭義きょうぎでは、女子じょし大学だいがくかよ大学生だいがくせいすこともある。本稿ほんこうでは広義こうぎ女子大じょしだいせいについてべる。

概説がいせつ

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近代きんだいてき高等こうとう教育きょういくとしての女子じょし教育きょういくは、1874ねん明治めいじ7ねん)に東京とうきょうした女子じょし師範しはん学校がっこう設立せつりつ布達ふたつされ、翌年よくねん東京とうきょう女子じょし師範しはん学校がっこうもうけられたことにはじまるとされる。とはえ、かつて女性じょせい大学だいがくなどの高等こうとう教育きょういく機関きかんせきくことはまれであった。事実じじつ男子だんし学生がくせいすうくらべても、当時とうじ女子じょし学生がくせいはその1わりにもたなかった。

男子だんし高等こうとう教育きょういく機関きかんにおける日本にっぽんはつ女子大じょしだいせいは、東北とうほく帝国ていこく大学だいがく理科りか大学だいがく1913ねん大正たいしょう2ねん)に入学にゅうがくした黒田くろだチカ牧田まきたらく丹下たんげウメの3にんまでさかのぼる[1]黒田くろだ東京とうきょう女子じょし師範しはん学校がっこう学科がっか牧田まきた同校どうこうすう学科がっか丹下たんげ日本女子大にほんじょしだい学校がっこう当時とうじ専門せんもん学校がっこうれいもとづく旧制きゅうせい専門せんもん学校がっこうだった)化学かがく出身しゅっしんであった。この3めい当時とうじとく世間せけん注目ちゅうもくあつめた。なお、3にん入学にゅうがく許可きょか官報かんぽう掲載けいさいされた8がつ21にち女子大じょしだいせいとなっている[2][3]。それ以後いご九州きゅうしゅう北海道ほっかいどう大阪おおさか名古屋なごやかく帝国ていこく大学だいがく東京とうきょう広島ひろしまりょう文理ぶんり大学だいがく女子じょし入学にゅうがくみとめていった。

私学しがくでは(専門せんもん学校がっこうれい準拠じゅんきょの)東洋大学とうようだいがく日本にっぽん大学だいがくせん門部かとべつづき、同志社大学どうししゃだいがく(1923ねん[ちゅう 1]明治大学めいじだいがく(1932ねん[4]法政大学ほうせいだいがく(1934ねん[5]早稲田大学わせだだいがく(1939ねん[6]などが女子じょし学生がくせいれ、女子じょし専門せんもん学校がっこうから進学しんがくするものもいた。

日本にっぽん一般いっぱん女子大じょしだいせいられるようになったのは、1950年代ねんだいころからである。1960ねん昭和しょうわ35ねん前後ぜんこうには、文学部ぶんがくぶなどで男子だんし学生がくせいよりも女子じょし学生がくせい比率ひりつたかくなり、「女子大じょしだいせい亡国ぼうこくろん」がマスメディアをにぎわせるようになった(「女子大じょしだいせい亡国ぼうこくろん」は、『婦人ふじん公論こうろん』に掲載けいさいされた、早稲田大学わせだだいがく教授きょうじゅあきらたかし康隆やすたかの「女子じょし学生がくせいにはばかる」、慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく教授きょうじゅ池田いけだ彌三郎やさぶろうの「大学だいがくおんなろん」が発端ほったんである)。1970年代ねんだいまでの日本にっぽんでは、大学だいがく卒業そつぎょうしても就職しゅうしょくする女性じょせいすくなく、また一般いっぱんしょく就職しゅうしょくしたとしても当時とうじすうねん退社たいしゃするのがつねであり、20だい中盤ちゅうばんまでに結婚けっこんすることを前提ぜんていとして、高度こうど教養きょうようけることを目的もくてき大学だいがくまな女性じょせいおおかった。

女子じょし大学だいがく進学しんがく大衆たいしゅうした1980年代ねんだいには、テレビ番組ばんぐみオールナイトフジ』などで素人しろうとの(芸能人げいのうじんでない)女子大じょしだいせいがマスメディアでもてはやされ、女子大じょしだいせいブームといわれた。やがて1990年代ねんだいはいり、きょう女子大じょしだいせいたちの就職しゅうしょくなん社会しゃかい問題もんだいした(女子大じょしだいせい就職しゅうしょく氷河期ひょうがき)。

女子大じょしだいせい」は、かつて個人こじんによって商標しょうひょう登録とうろくされていた。登録とうろく番号ばんごう4354802、登録とうろく平成へいせい12ねん1がつ28にち商品しょうひん区分くぶん商品しょうひんおよ役務えきむ区分くぶんならびに指定してい商品しょうひんまた指定してい役務えきむ)はビール、清涼せいりょう飲料いんりょう果実かじつ飲料いんりょう飲料いんりょうよう野菜やさいジュース、日本酒にほんしゅ洋酒ようしゅ果実かじつしゅ。その存続そんぞく期間きかん更新こうしん登録とうろくがされず、平成へいせい22ねん1がつ28にち商標しょうひょうけん消滅しょうめつした。

ファッション

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  • おおくの高等こうとう学校がっこうでは通学つうがく制服せいふく着用ちゃくようするため通学つうがく学生がくせいがファッションに使つか場面ばめんすくないが、大学だいがく進学しんがく使つかはじめるものおおい。とく高校こうこう卒業そつぎょうした直後ちょくごの、18さいから19さい女子じょしにおいては大人おとな女性じょせいへの第一歩だいいっぽとして、はじめて化粧けしょうをしたり、流行りゅうこうにあわせた服装ふくそうをしたり、ストッキング着用ちゃくようする(ただし、出身しゅっしん高校こうこうによっては規定きていにより、冬季とうき防寒ぼうかんようとしての着用ちゃくようをすでに経験けいけんしているものもいるため、かならずしもこの段階だんかいはじめて着用ちゃくようするとはかぎらない)。
  • 1981ねん昭和しょうわ56ねん)、ボートハウスのトレーナー女子大じょしだいせい中心ちゅうしんわか女性じょせいたちあいだだいブームとなり、いわゆる女子大じょしだいせいブームが発生はっせいした。ファッション・ジャンルてきには1978ねん昭和しょうわ53ねん)に流行りゅうこうしたハマトラ横浜よこはまトラッド)の系譜けいふをひく嬢様じょうさまけいで、「ボートハウスのトレーナーにチェックがらのスカート、くつローファー」など平底ひらぞこくつ、が定番ていばんであった。
  • 1980年代ねんだい バブル経済けいざい全盛期ぜんせいき女子大じょしだいせいけのファッション雑誌ざっしおお発行はっこうされる。しろブラウスカーディガン、ハイウエストのミニスカートまたはパンツルック、前髪まえがみニワトリ鶏冠けいかんのようにがらせたいでたちで、渋谷しぶやなどをあるいた。
  • 1990年代ねんだいコギャルブームをこした女子じょし中高生ちゅうこうせい世代せだいポスト団塊だんかいジュニア)にってわられたが、2000年代ねんだい彼女かのじょたちの大学だいがく進学しんがく就職しゅうしょくあねけいブームが発生はっせいした。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 旧制きゅうせい大学だいがく時代じだいつうじて111めい女子じょし卒業生そつぎょうせいおくした(たちばなしゅんみことのり女性じょせい学歴がくれき』 勁草書房しょぼう、2011ねん、84ぺーじ)。

出典しゅってん

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  1. ^ 日本にっぽんはつ女子大じょしだいせい」は全員ぜんいん東北大とうほくだい」だった…110ねん社会しゃかいからかたよりはえたのか:東京とうきょう新聞しんぶん TOKYO Web”. 東京とうきょう新聞しんぶん TOKYO Web. 2024ねん4がつ25にち閲覧えつらん
  2. ^ 女子大じょしだいせい」は8がつ21にち 東北大とうほくだいが16にちせつ修正しゅうせい”. 河北かほく新報しんぽう (2020ねん8がつ5にち). 2020ねん8がつ16にち閲覧えつらん
  3. ^ 女子大じょしだいせい”. 日本にっぽん記念きねん協会きょうかい. 2020ねん8がつ16にち閲覧えつらん
  4. ^ 明治大学めいじだいがくひゃくねんだいよんかん 通史つうしへんⅡ、82ぺーじ
  5. ^ 法政大学ほうせいだいがくひゃくねん年表ねんぴょう 40ぺーじ(『法政大学ほうせいだいがくひゃくねん所収しょしゅう
  6. ^ 早稲田大学わせだだいがくひゃくねん だいさんかん/だいななへん だいななしょう

参考さんこう資料しりょう

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  • 女子大じょしだいガール 〜秘密ひみつ花園はなぞので、女子大じょしだいせいなにまなぶのか〜(白河しらかわ理子さとこ こまくさ出版しゅっぱん

関連かんれん項目こうもく

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