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』(うわなり)とは、歌舞伎かぶきじゅうはちばんのひとつ。

十八番じゅうはちばんうち よん 嫐」 さん代目だいめ歌川うたがわ豊国ほうこく。 

解説かいせつ

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元禄げんろく12ねん (1699ねん)7がつ江戸えど中村なかむらにおいて、初代しょだい市川いちかわだん十郎じゅうろう甲賀こうが三郎さぶろう初演しょえん。このとき外題げだいは『一心いっしんかいだま』(いっしんごかいのたま)で、「甲賀こうが三郎さぶろう/鬼神きじん退治たいじ」の角書つのがきがいた。

台本だいほんつたわらないので詳細しょうさい不明ふめいであるが、初代しょだい代目だいめだん十郎じゅうろう上演じょうえんした芝居しばいについて記録きろくした『金之かねゆき揮』(きんのざい)によれば、初代しょだいだんじゅうろうえんじる甲賀こうが三郎さぶろう岩穴いわあなちるとそのなか屋敷やしきがあり、三郎さぶろうわらわであるみなづきがいた。三郎さぶろうがそのみなづき蚊帳かやなかでのごとえんじているところに、代目だいめだん十郎じゅうろう(このとき市川いちかわ九蔵くぞうえんじる三郎さぶろうむすめくれちくあらわれる。くれちくにはんだ本妻ほんさい怨霊おんりょうがとりいており、三郎さぶろうわらわたいして嫉妬しっと所作しょさせる、という内容ないようだったという。

「うわなり」とは後妻ごさいのことで、すなわちここでげているのは後妻ごさいのことであるが、本来ほんらい後妻ごさいちが離縁りえんされたもとつま後妻ごさいたいしておこなあらそいであるのにたいして、『金之かねゆき揮』におさめられている内容ないようでは本妻ほんさいが(といっても死霊しりょうむすめにとりついたものであるが)わらわたいして嫉妬しっとねんやす。離縁りえん云々うんぬんということがくても、おとこいちにんおんな二人ふたりおとこい、ふるくからいたおんなのほうが嫉妬しっと所作しょさをみせるという内容ないようになっていれば、それを「後妻ごさいち」としたようである。いずれにしてもこれは女形おんながたげいであり、本来ほんらい立役たちやく荒事あらごと得意とくいとするはずの市川いちかわ家芸いえげいになぜれられたのかわからないという意見いけんもある。

その「うわなり」の外題げだいがつく芝居しばいなん上演じょうえんされたが、天保てんぽう8ねん1832ねん)の市村いちむら上演じょうえんされた『裏表うらおもてさくらいろどりまく』(うらおもてさくらのいろまく)が江戸えど時代じだいにおいて『嫐』上演じょうえん最後さいごとなった。この芝居しばい清玄せいげんさくらひめぶつ鏡山かがみやまぶつなどをぜにしたもので、その最後さいごまくである番目ばんめ大切たいせつ上演じょうえんされた常磐津ときわづ浄瑠璃じょうるり所作事しょさごとはなくもがねいれがつ』(はなのくもかねにいるつき)を『嫐』としたのである。のこされている番付ばんづけには『はなくもがねいれがつ』の外題げだいうえに、

歌舞伎かぶきじゅうはちばんこれない 其(その)古事ふるごと(ふるごと)いま(ここ)に/蝸牛かぎゅう(ででむし=でんでんむし)の嫐打(うわなりうち)や/かく(つの)びたひ」

とある。「蝸牛かぎゅうの嫐打」というのは初代しょだいだんじゅうろう俳名が「ざいうし」だったことにちなみ、「ざいうし」にくらべれば「蝸牛かぎゅう」のようなちいさいつまらぬ役者やくしゃですが、それもはばからずにざいうしえんじた『嫐』を御覧ごらんれますと謙遜けんそんしたもの。またうわなりちで嫉妬しっとのあまりにかくやしたおににまでなってしまう姿すがたを、蝸牛かぎゅうかくした様子ようすにたとえたのであるが、その肝心かんじん内容ないようさくらひめとその恋人こいびと清水しみずきよしげん(しみずきよはる)がねぎうり(しのぶうり)となってびるところに、さくらひめ恋慕れんぼして最後さいごにはころされた僧侶そうりょ清玄せいげん亡魂ぼうこんさくらひめおな姿すがたあらわれるというもので、ようするに『隅田川すみだがわぞくおもかげ』の大切たいせつとほぼおなじものである。初代しょだい代目だいめえんじた『嫐』とは内容ないようがまるでちがい、しかも嫉妬しっと所作しょさせるのがおんなではないおとこ清玄せいげん亡魂ぼうこんであるが、初演しょえんとき台本だいほん当時とうじすでにく、また舞台ぶたいじょうにいるのがおとこ一人ひとりおんなにんというてん注目ちゅうもくされててはめられたとられる。なお清玄せいげん亡魂ぼうこんえんじたのはなな代目だいめだん十郎じゅうろう門下もんか代目だいめ市川いちかわ九蔵くぞう(のちのろく代目だいめ市川いちかわだんぞう)であった。

近代きんだいになってからは、『嫐』は十八番じゅうはちばんぶつ同様どうようながらく上演じょうえんえていたが、昭和しょうわ11ねん1936ねん)に代目だいめ市川いちかわ三升みます山崎やまざき紫紅しこう脚本きゃくほん)が、また昭和しょうわ61ねん1986ねん)に代目だいめ尾上おがみ松緑しょうろく戸部とべ銀作ぎんさく脚本きゃくほん)がそれぞれ復活ふっかつ上演じょうえんした。内容ないようてきには、いずれもさん代目だいめ歌川うたがわ豊国ほうこく歌川うたがわ国貞くにさだ)のえがいた十八番じゅうはちばん錦絵にしきえなどを参考さんこうにして想像そうぞう大幅おおはばくわえたものである。

平成へいせい27ねん2015ねん)にはじゅういち代目だいめ市川いちかわ海老蔵えびぞうみずからのシンガポール公演こうえん(10がつ17にち~18にち)で、『嫐』を舞踊ぶようげき仕立したてになおして披露ひろうした[1]

脚注きゃくちゅう

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参考さんこう文献ぶんけん

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