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崇高すうこう観念かんねん起原きげん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
崇高すうこう観念かんねん起原きげん
A philosophical enquiry into the origin of our ideas of the sublime and beautiful.
著者ちょしゃエドマンド・バーク
原題げんだいA Philosophical Enquiry into the Origin of Our Ideas of the Sublime and Beautiful
くにだいえい帝国ていこく
言語げんご英語えいご
出版しゅっぱん1757
文章ぶんしょう崇高すうこう観念かんねん起原きげん - Wikisource

崇高すうこう観念かんねん起原きげんすうこうとびのかんねんのきげん英語えいご: A Philosophical Enquiry into the Origin of Our Ideas of the Sublime and Beautiful)は、1757ねん発表はっぴょうされたエドマンド・バーク美学びがくかんする論説ろんせつ

崇高すうこう」(sublime)と「よし」(beautiful)を、それぞれ合理ごうりてき範疇はんちゅうとして分割ぶんかつした、もっとはや哲学てつがくてき説明せつめいであり、ディドロカントなどの著名ちょめい思想家しそうか注目ちゅうもくした。

概要がいよう

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バークによれば、「よし」とは美学びがくてき均整きんせいなものであり、「崇高すうこう」とは我々われわれ強制きょうせいし、破壊はかいするちからつものである。この「よし」よりも「崇高すうこう」をこの傾向けいこうは、しん古典こてん[よう曖昧あいまい回避かいひ]からロマン[よう曖昧あいまい回避かいひ]時代じだいへの移行いこうしめすものであった。

バークにとって、「よし」や「崇高すうこう」という観念かんねん起源きげんは、その因果いんがてき構造こうぞうによって理解りかいすることができる。アリストテレス物理ぶつりがく形而上学けいじじょうがくによれば、因果いんが関係かんけい形式けいしきてき原因げんいん物質ぶっしつてき原因げんいん効率こうりつてき原因げんいん最終さいしゅう原因げんいん(formal, material, efficient and final causes)にけられる。

よし」の形式けいしきてき原因げんいんあい情念じょうねんであり、物質ぶっしつてき原因げんいんちいささ、なめらかさ、繊細せんさいさなど特定とくていもの側面そくめん関係かんけいし、効率こうりつてき原因げんいんわたしたちの神経しんけいしずめることであり、最終さいしゅうてき原因げんいんかみ摂理せつりである。バークの「よし」にたいするかんがかたもっともユニークで独創どくそうてきなのは、「よし」が従来じゅうらいの「よし」の基本きほんである比例ひれい適合てきごうせい完全かんぜんせいでは理解りかいできないことである。

また、「崇高すうこう」は、「よし」とはことなる因果いんが構造こうぞうっている。その形式けいしきてき原因げんいん恐怖きょうふ情念じょうねんとく恐怖きょうふ)である。物質ぶっしつてき原因げんいん広大こうだいさ、無限むげんせい壮大そうだいさなど特定とくてい対象たいしょうひとしい側面そくめんである。効率こうりつてき原因げんいん神経しんけい緊張きんちょうである。最終さいしゅうてき原因げんいんジョン・ミルトン大作たいさくしつ楽園らくえん」で表現ひょうげんされているように、かみがサタンを創造そうぞうし、たたかったことである。

カントの評言ひょうげん

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イマニュエル・カントは、崇高すうこう体験たいけんしょうじる精神せいしんてき作用さよう原因げんいん理解りかいしていないとして、バークを批判ひはんしている。カントによれば、バークは、将来しょうらい思想家しそうか説明せつめいできるようにデータをあつめたにぎない。

To make psychological observations, as Burke did in his treatise on the beautiful and the sublime, thus to assemble material for the systematic connection of empirical rules in the future without aiming to understand them, is probably the sole true duty of empirical psychology, which can hardly even aspire to rank as a philosophical science.
Immanuel Kant, First Introduction to the Critique of Judgment, X.[1]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Kant, Immanuel, First Introduction to the Critique of Judgment, Library of Liberal Arts, 146, Bobbs-Merril Co., 1965

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Vermeir, Koen and Funk Deckard, Michael (eds.) The Science of Sensibility: Reading Burke's Philosophical Enquiry (International Archives of the History of Ideas, Vol. 206) (Springer, 2012)
  • Doran, Robert. The Theory of the Sublime from Longinus to Kant. Cambridge:Cambridge University Press, 2015.

外部がいぶリンク

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