巣鴨 拘置 所
概要
[前史
[かつては「
米 軍 管轄 下 の巣鴨 拘置 所
[1945
ただ、
1947
この
1948
1950
日本 移管 後
[1952
1958
『すがも新聞 』
[1948
跡地 の再 開発 など
[- 1971
年 (昭和 46年 )に東京 拘置 所 が移転 した後 、跡地 はサンシャインシティとして再 開発 された。 処刑 場 周辺 は豊島 区立 東池袋 中央 公園 となり、有田 正憲 が発起人 となった慰霊 碑 「平和 の碑 」が建立 されている。処刑 場 の鉄扉 (13号 鉄扉 )は跡地 の再 開発 を手掛 けた新 都市 開発 センター(現 :サンシャインシティ)により、法務省 に寄付 され、矯正 研修 所 などを経 て2018年 時点 でも保管 されている[14]。また、処刑 場 の入口 が13号 鉄扉 で、遺体 が出 されたのが13号 A扉 であるとも言 われる[15]
略 年表
[前史
[- 1895
年 -警視 廰監獄 巣鴨 支署 が設置 。 - 1897
年 -巣鴨 監獄 と改称 。 - 1922
年 -巣鴨 刑務所 と改称 。 - 1935
年 -巣鴨 刑務所 は東京 府 府中 に移転 。 - 1937
年 -巣鴨 刑務所 跡地 に市谷 刑務所 が移転 し、「東京 拘置 所 」と改称 。
巣鴨 プリズン
[- 1945
年 11月 - GHQに接収 され、「スガモプリズン」と呼 ばれる。 - 1948
年 12月23日 -極東 国際 軍事 裁判 の死刑 囚 7名 に対 する絞首刑 執行 。 - 1950
年 8月 :日本人 刑務 官 が着任 。 - 1952
年 4月 :平和 条約 の発効 により日本 に移管 、引 き続 き戦犯 を収容 。(公文書 上 は「巣鴨 刑務所 」) - 1958
年 5月:巣鴨 刑務所 閉鎖 、東京 拘置 所 を巣鴨 に復元 。
その後
[- 1966
年 11月1日 -住居 表示 実施 により、当地 の町名 が西巣鴨 から東池袋 に変更 。 - 1971
年 3月 20日 -首都 圏 整備 計画 の一環 として[16]、葛飾 区 小菅 の小菅 刑務所 を栃木 県 那須 郡 黒羽 町 (現 :大田原 市 )に移転 (黒羽 刑務所 )、同地 に東京 拘置 所 を移転 する[17][18]。同年 -建物 が解体 される。
- 1978
年 4月 6日 -拘置 所 跡地 に「サンシャインシティ」開業 。 - 1980
年 6月 -東池袋 中央 公園 に ”永久 平和 を願 って”と刻 まれた「平和 の碑 」建立 。
脚注
[- ^
東池袋 中央 公園 内 にある慰霊 碑 の座標 。 - ^
国立 公文書 館 デジタルアーカイブ[1]監獄 官制 改正 (昭和 12年 5月 26日 、勅 令 222号 ) - ^
豊島 区史 編纂 委員 会 編 『豊島 区史 通史 編 』 2巻 、東京 都 豊島 区 、1983年 、863頁 。doi:10.11501/9643055。 - ^
食事 の量 は十分 、米 紙 の報 じる巣鴨 風景 (昭和 20年 11月28日 朝日新聞 )『昭和 ニュース辞典 第 8巻 昭和 17年 /昭和 20年 』p341 - ^
小林 弘 忠 『巣鴨 プリズン教誨 師 花山 信勝 と死刑 戦犯 の記録 』中央公論 新 社 、1999年 、70頁 。ISBN 4-12-101459-6。 - ^
小林 弘 忠 『巣鴨 プリズン教誨 師 花山 信勝 と死刑 戦犯 の記録 』中央公論 新 社 、1999年 、75頁 。ISBN 4-12-101459-6。 - ^
一 例 として、A級 戦犯 として収容 された井田 磐 楠 は、サメの味噌 煮 を「アンモニアの冷凍 魚 」と非難 したため、BC級 戦犯 の反発 を買 ったという[6]。 - ^
小林 弘 忠 『巣鴨 プリズン教誨 師 花山 信勝 と死刑 戦犯 の記録 』中央公論 新 社 、1999年 、79頁 。ISBN 4-12-101459-6。 - ^
小林 弘 忠 『巣鴨 プリズン教誨 師 花山 信勝 と死刑 戦犯 の記録 』中央公論 新 社 、1999年 、68頁 。ISBN 4-12-101459-6。 - ^
中田 整一 『トレイシー日本 兵 捕虜 秘密 尋問 所 』講談社 、2010年 、372頁 。ISBN 978-4-06-216157-2。 - ^ a b c
織田 1983, pp. 82–83 - ^
茶園 義男 (編著 )『図説 戦争 裁判 スガモプリズン事典 』日本 図書 センター、1994年 、[要 ページ番号 ]頁 。ISBN 4-8205-5707-6。 - ^ 1983
年 刊行 の織田 文二 の著書 に「巣鴨 プリズン」の看板 を「東京 拘置 所 」に付 け替 える写真 が掲載 されている[11]。 - ^ 「
巣鴨 プリズンの象徴 が現存 刑場 入 り口 の13号 扉 、法務省 施設 で保管 」『東京 新聞 』2018年 10月 11日 。オリジナルの2018年 10月 11日 時点 におけるアーカイブ。2018年 10月 16日 閲覧 。 - ^ レファレンス
事例 詳細 「巣鴨 プリズンの13号 鉄扉 について(刑場 の扉 )」[2]。 - ^ 1970
年 (昭和 45年 )3月 18日 、『官報 』第 13217号 付録 『官報 資料 版 』9ページ - ^ 1970
年 (昭和 45年 )12月24日 、法律 第 129号 「法務省 設置 法 の一部 を改正 する法律 」 - ^ 1971
年 (昭和 46年 )3月 19日 、政令 第 28号 「法務省 設置 法 の一部 を改正 する法律 の一部 の施行 期日 を定 める政令 」
参考 文献
[織田 文二 『巣鴨 プリズン記録 写真 集 今 のサンシャイン60は昔 の巣鴨 戦犯 刑務所 だった』丘 書房 、東京 都 三鷹 市 、1983年 。全国 書誌 番号 :86060410。小林 弘 忠 『巣鴨 プリズン教誨 師 花山 信勝 と死刑 戦犯 の記録 』中央公論 新 社 〈中公新書 〉、1999年 /中公 文庫 、2007年 。中田 整一 『トレイシー日本 兵 捕虜 秘密 尋問 所 』講談社 、2010年
関連 文献
[田嶋 隆 純 編 『わがいのち果 てる日 に巣鴨 プリズン・BC級 戦犯 者 の記録 』新版 ・講談社 エディトリアル、2021年 花山 信勝 『平和 の発見 巣鴨 の生 と死 の記録 』方丈 堂 出版 、新版 2017年 上坂 冬子 『巣鴨 プリズン13号 鉄扉 裁 かれた戦争 犯罪 』新潮社 、1981年 。新潮 文庫 、中公 文庫 、PHP研究所 で再刊 吉村 昭 『プリズンの満月 』新潮社 、1995年 。新潮 文庫 、1998年 -小説 - 『
巣鴨 プリズン未 公開 フィルム』織田 文二 撮影 /茶園 義男 監修 ・解説 小学館 文庫 、2000年 -看守 により密 かに撮 られた写真 集 。 - 『C
級 戦犯 がスケッチした巣鴨 プリズン』飛田 時雄 画 、岡村 青 構成 、草 思 社 、2011年 平野 英雄 『学徒 戦犯 たちのスガモ・プリズン-『巣鴨 版 画集 』にみるBC級 戦犯 の戦後 』桜美林大学 北東 アジア総合 研究所 、2015年 大杉 栄 『獄中 記 』土曜 社 、2012年 。大正 期 の記録
関連 項目
[外部 リンク
[- Records of General Headquarters, Far East Command, Supreme Commander Allied Powers, and United Nations Command - (Record Group 554)
- Japanese Interim Report - Implementation of the Japanese Imperial Government Disclosure Act and the Japanese War Crimes Provisions of the Nazi War Crimes Disclosure Act - An Interim Report to Congress