(Translated by https://www.hiragana.jp/)
広瀬寿助 - Wikipedia コンテンツにスキップ

広瀬ひろせ寿ひさしすけ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

広瀬ひろせ 寿ひさしすけ(ひろせ じゅすけ、1875ねん明治めいじ8ねん6がつ10日とおか[1]没年ぼつねんしょう)は、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん軍人ぐんじん最終さいしゅう階級かいきゅう陸軍りくぐん中将ちゅうじょうまんしゅう電信でんしん電話でんわ株式会社かぶしきがいしゃ総裁そうさい

経歴けいれき

[編集へんしゅう]

広島ひろしまけん出身しゅっしん陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう卒業そつぎょう1900ねん明治めいじ33ねん)に陸軍りくぐん少尉しょうい任官にんかんし、1929ねん昭和しょうわ4ねん)に陸軍りくぐん中将ちゅうじょう昇進しょうしんした[2]。そのあいだ陸軍りくぐんだい学校がっこう卒業そつぎょうし、参謀さんぼう本部ほんぶ部員ぶいん陸軍りくぐん兵器廠へいきしょう陸軍りくぐん歩兵ほへい学校がっこう歩兵ほへいだい1旅団りょだんちょう参謀さんぼう本部ほんぶだいさん部長ぶちょう陸軍りくぐん運輸うんゆちょうなどを歴任れきにんした[2]1931ねん昭和しょうわ6ねん)、だい10師団しだんちょうとなり、満州まんしゅう事変じへん出動しゅつどうした[2]1934ねん昭和しょうわ9ねん)、予備よびやく編入へんにゅう[2]

1937ねん昭和しょうわ12ねん)よりまんしゅう電信でんしん電話でんわ株式会社かぶしきがいしゃ総裁そうさいつとめた[2]戦後せんご公職こうしょく追放ついほうとなった[3]

栄典えいてん

[編集へんしゅう]
位階いかい
勲章くんしょう

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん p.621 2001.
  2. ^ a b c d e 人事じんじ興信録こうしんろく 1939.
  3. ^ 公職こうしょく追放ついほう該当がいとう事項じこうは「まんしゅう電信でんしん電話でんわ総裁そうさい」。(総理そうりちょう官房かんぼう監査かんさ へん公職こうしょく追放ついほうかんする覚書おぼえがき該当がいとうしゃ名簿めいぼ日比谷ひびや政経せいけいかい、1949ねん121ぺーじNDLJP:1276156 
  4. ^ 官報かんぽうだい3672ごう叙任じょにん及辞れい」1924ねん11月18にち
  5. ^ 官報かんぽうだい869ごう叙任じょにん及辞れい」1929ねん11月20にち
  6. ^ 官報かんぽうだい1433ごう叙任じょにん及辞れい」1931ねん10がつ7にち
  7. ^ 官報かんぽうだい1905ごう叙任じょにん及辞れい」1933ねん5がつ11にち

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信録こうしんろく だい12はん 下巻げかん人事じんじ興信所こうしんじょ、1939ねん 
  • 総理そうりちょう官房かんぼう監査かんさ公職こうしょく追放ついほうかんする覚書おぼえがき該当がいとうしゃ名簿めいぼ日比谷ひびや政経せいけいかい、1949ねん 
  • 福川ふくかわ秀樹ひでき日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、2001ねん