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日本にっぽんはつ送電そうでん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本にっぽんはつ送電そうでん株式会社かぶしきがいしゃ
Japan Electric Generation and Transmission Company
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
日本にっぽんはつ送電そうでん株式会社かぶしきがいしゃほうによる特殊とくしゅ会社かいしゃ
略称りゃくしょう にちはつ
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
東京とうきょう文京ぶんきょう小石川こいしかわまちいち丁目ちょうめ1番地ばんち11
設立せつりつ 1939ねん昭和しょうわ14ねん4がつ1にち
業種ぎょうしゅ 電気でんき・ガスぎょう
特記とっき事項じこう:このらん出典しゅってんは『会社かいしゃ四季しきほう昭和しょうわ26ねんだい2しゅう』(東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ、1951ねん3がつ)のp. 56
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日本にっぽんはつ送電そうでん株式会社かぶしきがいしゃほう
日本国政府国章(準)
日本にっぽん法令ほうれい
法令ほうれい番号ばんごう 昭和しょうわ13ねん法律ほうりつだい77ごう
種類しゅるい 行政ぎょうせい手続てつづきほう
効力こうりょく 失効しっこう
成立せいりつ 1938ねん3がつ26にち
公布こうふ 1938ねん4がつ6にち
施行しこう 1938ねん8がつ10日とおか
おも内容ないよう 戦時せんじ統制とうせい経済けいざい導入どうにゅう
関連かんれん法令ほうれい 国家こっか総動員そうどういんほう電力でんりょく管理かんりほうなど
条文じょうぶんリンク 官報かんぽう 1938ねん4がつ6にち
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日本にっぽんはつ送電そうでん株式会社かぶしきがいしゃ(にっぽんはっそうでん)は、1939ねん昭和しょうわ14ねん)から1951ねん昭和しょうわ26ねん)までのあいだ存在そんざいした日本にっぽん電気でんき事業じぎょうつかさどった特殊とくしゅ会社かいしゃである。国家こっかそう力戦りきせん体制たいせい構築こうちくしようとする当時とうじ日本にっぽん政府せいふ電力でんりょく国家こっか管理かんり政策せいさくもとづき、東京とうきょう電燈でんとう日本にっぽん電力でんりょくなど全国ぜんこく電力でんりょく会社かいしゃ現物げんぶつ出資しゅっし合併がっぺいによって設立せつりつされた半官半民はんかんはんみんトラストである。

略称りゃくしょうは「にちはつ」(にっぱつ・ニッパツ)、また英語えいご表記ひょうきは、Nippon Hassoden K.K. あるいは Japan Electric Generation and Transmission Company であった。

発足ほっそく経緯けいい

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1932ねん昭和しょうわ7ねん)4がつ後述こうじゅつのいわゆる五大ごだい電力でんりょく会社かいしゃ電力でんりょく連盟れんめいというカルテル発足ほっそくさせた。これが日本にっぽんはつ送電そうでん土台どだいとなった。五大ごだい電力でんりょく会社かいしゃ関東大震災かんとうだいしんさいのときに巨額きょがく外債がいさい発行はっこうしていたが、1931ねん昭和しょうわ6ねん)12月のきむ輸出ゆしゅつさい禁止きんしがもたらした為替かわせ低落ていらくにより、きゅう外債がいさい利払りばら負担ふたんえた。そこへ逓信ていしんしょう電力でんりょく連盟れんめい結成けっせいをはたらきかけ、連盟れんめい規約きやく8じょう顧問こもんには池田いけだ成彬せいひん各務かがみがまきち結城ゆうき豊太郎ほうたろう八代やしろ則彦のりひこ(やつしろのりひこ[注釈ちゅうしゃく 1])がされた[注釈ちゅうしゃく 2]

政府せいふがわ電気でんき委員いいんかい連盟れんめいから提出ていしゅつされた意見いけんしょ加味かみして、1933ねん昭和しょうわ8ねん)7がつ料金りょうきん認可にんかせいいた。連盟れんめいおおくのてん委員いいんかいから独立どくりつして活動かつどうした。以下いか具体ぐたいれい担保たんぽづけ社債しゃさい信託しんたくほう改正かいせい要求ようきゅう外債がいさい打撃だげき対策たいさく推進すいしん東西とうざい電力でんりょく融通ゆうずう決定けってい電力でんりょく広域こういきてき運営うんえい推進すいしん機関きかん参照さんしょう)、火力かりょく発電はつでん所用しょよう石炭せきたん共同きょうどう購入こうにゅう中国ちゅうごく大陸たいりくでの電力でんりょく統制とうせい電力でんりょく国家こっか管理かんりあんへの反対はんたいなど[1]

松永まつながやすしひだりもん連盟れんめい中心ちゅうしんてき役割やくわりえんじたが、連盟れんめい多方面たほうめん交渉こうしょうし、コスト削減さくげん実現じつげんした。1933ねん昭和しょうわ8ねん)4がつ担保たんぽづけ社債しゃさい信託しんたくほう改正かいせい同年どうねん5がつ翌年よくねん4がつ外債がいさいかいにゅう償却しょうきゃくよう海外かいがい送金そうきん許可きょか東電とうでんあずましん電気でんき日電にちでんあいだ電力でんりょく融通ゆうずうなでじゅんずみなでじゅん襲撃しゅうげき事件じけん参照さんしょう)の共同きょうどう購入こうにゅう関西かんさい共同きょうどう火力かりょく拡張かくちょう中部ちゅうぶ共同きょうどう火力かりょく設立せつりつとうである。

電力でんりょく行政ぎょうせい誕生たんじょう

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大井おおい発電はつでんしょひだり)と大井おおいダム岐阜ぎふけん木曽川きそがわ)。建設けんせつめぐってこった宮田みやた用水ようすい事件じけんはその電力でんりょく行政ぎょうせい影響えいきょうあたえた。

日本にっぽん電気でんき事業じぎょうは、1882ねん明治めいじ15ねん)に藤岡ふじおか市助いちすけらによって東京とうきょう電燈でんとう設立せつりつ請願せいがんされたときを以って誕生たんじょうした。その1887ねん明治めいじ20ねん)には日本橋にほんばし発電はつでんしょ建設けんせつされ、付近ふきんのごくかぎられた地域ちいきではあったが送電そうでん開始かいししている。その神戸こうべ電燈でんとう大阪おおさか電燈でんとう名古屋なごや電燈でんとう京都きょうと電燈でんとうなどが相次あいついで設立せつりつされ、にちしん戦争せんそう勝利しょうりによってそのいきおいはさらに加速かそくした。

こうした会社かいしゃ電気でんき事業じぎょう対応たいおうするほう制度せいど当初とうしょ存在そんざいしなかった。1891ねん明治めいじ24ねん)1がつ帝国ていこく議会ぎかいかり議事堂ぎじどう火災かさい事故じこ発生はっせいし、かり議事堂ぎじどう全焼ぜんしょうした。この火災かさい原因げんいん正確せいかくところ不明ふめいではあるものの、電灯でんとうよう設備せつび漏電ろうでんこして出火しゅっかしたのではないかという見方みかたた。これを警視庁けいしちょう保安ほあんじょう対策たいさくおこなうえ電気でんき事業じぎょう監督かんとくするための法令ほうれいを12月に制定せいていした。この「電気でんき営業えいぎょう取締とりしまり規則きそく」が日本にっぽんにおける電力でんりょく関連かんれん法規ほうきだいいちごうであった。その全国ぜんこく各地かくち勃興ぼっこうする電力でんりょく会社かいしゃ監督かんとく円滑えんかつはかるべく、監督かんとく官庁かんちょう警視庁けいしちょうから逓信ていしんしょう[注釈ちゅうしゃく 3]へとうつし、1896ねん明治めいじ29ねん)5がつに「電気でんき事業じぎょう取締とりしまり規則きそく」が発令はつれいされ、発電はつでん送電そうでん配電はいでんすべてにわたって電気でんき事業じぎょうしゃ保安ほあんなどの義務ぎむすこととした。これ以降いこう電力でんりょく行政ぎょうせい逓信ていしんしょうながれをくむ商工しょうこうしょう通商産業省つうしょうさんぎょうしょう経済けいざい産業さんぎょうしょうてのひらることになる。

1907ねん明治めいじ40ねん)には、東京とうきょう電燈でんとう山梨やまなしけん本格ほんかくてき水力すいりょく発電はつでんしょである駒橋こまはし発電はつでんしょ稼働かどうさせた。電源でんげん開発かいはつ促進そくしんは、富国強兵ふこくきょうへい観点かんてんからも政策せいさくとして促進そくしんされ、1910ねん明治めいじ43ねん)には全国ぜんこく河川かせん対象たいしょう包蔵ほうぞう水力すいりょく調査ちょうさ組織そしきてきかつだい規模きぼ実施じっししただいいち発電はつでん水力すいりょく調査ちょうさおこなわれた。同時どうじよく1911ねん明治めいじ44ねん)には電気でんき事業じぎょうほう施行しこうされ、電気でんき事業じぎょうしゃ公益こうえきせい確立かくりつ同時どうじ発電はつでん用水ようすい利権りけん土地とち立入たちいりけん山林さんりん伐採ばっさいけんなどあらゆる権利けんり保障ほしょうされた。どうほう成立せいりつ以後いごかく電力でんりょく会社かいしゃきそってだい規模きぼダムしき水力すいりょく発電はつでんしょ建設けんせつおこない、福澤ふくさわももかいによる大井おおいダム木曽川きそがわ)の建設けんせつなど、全国ぜんこく各地かくち発電はつでんようダム建設けんせつおこなわれた。

1914ねん大正たいしょう3ねん)には猪苗代いなわしろ水力すいりょく電気でんき福島ふくしまけん猪苗代いなわしろだいいち発電はつでんしょから東京とうきょうきた田端たばたまでやく225キロメートル区間くかんにもおよ長距離ちょうきょりこうあつ送電そうでん成功せいこうし、送電そうでん技術ぎじゅつ確立かくりつされていった。大正たいしょう時代じだいはいると電力でんりょく会社かいしゃあいだ競争きょうそう激化げきかし、やがて東京とうきょう電燈でんとう東邦とうほう電力でんりょく大同だいどう電力でんりょく宇治川うじがわ電気でんき日本にっぽん電力でんりょくのいわゆる「五大ごだい電力でんりょく会社かいしゃ」が誕生たんじょう。これらを中心ちゅうしんとして木曽川きそがわ信濃川しなのがわ飛騨川ひだがわ天竜川てんりゅうがわ庄川しょうがわなどで水力すいりょく発電はつでん開発かいはつすすめられていった。

ところが、こうした電力でんりょく開発かいはつたいして、旧来きゅうらいから慣行かんこう水利すいりけんなどを保有ほゆうしていた地元じもととのあつれきが激化げきかし、各地かくち紛争ふんそう勃発ぼっぱつした。とく大井おおいダム建設けんせつともな取水しゅすいこう水没すいぼつはしはっした宮田みやた用水ようすい事件じけん1924ねん - 1939ねん)や、慣行かんこう流木りゅうぼくけんめぐ法廷ほうてい闘争とうそうにまでもつれんだ庄川しょうがわ流木りゅうぼく争議そうぎ1918ねん - 1933ねん)などは、電力でんりょく会社かいしゃ地元じもと紛争ふんそう長期ちょうきしたれいとしてられている。

こうした紛争ふんそうたいして電気でんき事業じぎょうほうでは対応たいおう出来できなかった。このため河川かせん行政ぎょうせい管轄かんかつする内務省ないむしょう[注釈ちゅうしゃく 4]1926ねん大正たいしょう15ねん8がつ26にち河川かせん行政ぎょうせい監督かんとくれい発令はつれいダム水力すいりょく発電はつでんしょおよびそれに関連かんれんする施設しせつ河川かせん設置せっちするものはすべ内務ないむ大臣だいじん許認可きょにんかとすることで一応いちおう解決かいけつた。この内務省ないむしょう電力でんりょく行政ぎょうせいへの介入かいにゅうは、電力でんりょく国家こっか統制とうせい端緒たんしょともなった。

国家こっか統制とうせいへの道程どうてい

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1926ねん、その河川かせん行政ぎょうせいおおきく転換てんかんさせるひとつの私案しあん発表はっぴょうされた。東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく教授きょうじゅ内務省ないむしょう土木どぼく試験しけん所長しょちょうしょくいていた物部ものべ長穂ながほによる河水こうすい統制とうせい計画けいかくあんがそれである。物部ものべはこのあんにおいて、「治水ちすい洪水こうずい調節ちょうせつ)と利水りすい上水道じょうすいどう農地のうち灌漑かんがい水力すいりょく発電はつでん)を総合そうごうてきかつ効率こうりつてきおこなうためには多目的たもくてきダムによる河川かせん開発かいはつもっと有用ゆうようであり、これを有効ゆうこうおこなうためには水系すいけい一貫いっかん開発かいはつのぞましい」と主張しゅちょうした。これはのち河川かせん総合そうごう開発かいはつ事業じぎょうあらため、現在げんざいいたるまで日本にっぽんにおける河川かせん行政ぎょうせい基本きほんとなっている。さらにこのなか物部ものべは、「これら河川かせん施設しせつ有機ゆうきてき運用うんようするには、公平こうへい立場たちば立脚りっきゃくしている河川かせん事業じぎょうしゃ、すなわち国家こっかによる統制とうせいのぞましい」とした。この河水こうすい統制とうせい計画けいかくあんは、内務省ないむしょう内務ないむわざかん当時とうじ日本にっぽんにおける河川かせん行政ぎょうせい第一人者だいいちにんしゃであった青山あおやま(あおやま・あきら)によってげられ、以後いご内務省ないむしょうはこの物部ものべあん国策こくさくとして強力きょうりょく推進すいしんする姿勢しせいてんじた。どう時期じき鶴見つるみ騒擾そうじょう事件じけんはじめとした無秩序むちつじょ激烈げきれつ市場いちばあらそいをひろげていた電力でんりょく業界ぎょうかいたいし、逓信ていしんしょう官僚かんりょうなかには「民間みんかんには電気でんき事業じぎょうまかせられない」とかんがえるものはじめていた。

1927ねん昭和しょうわ2ねん)、電力でんりょく業界ぎょうかい監督かんとくする逓信ていしんしょう電気でんききょくは、新進しんしん気鋭きえい官僚かんりょう9めいえら内部ないぶ組織そしきである「臨時りんじ電気でんき事業じぎょう調査ちょうさ」を設置せっち今後こんご電力でんりょく行政ぎょうせいについてあらたなる方針ほうしん検討けんとうするよう指示しじした。そしてよく1928ねん昭和しょうわ3ねん)のあき最終さいしゅう結果けっか答申とうしんされた。その内容ないようとは、日本にっぽんはつ送電そうでんにつながる半官半民はんかんはんみん国策こくさく会社かいしゃ設立せつりつしてそこに電力でんりょく開発かいはつすべゆだね、資源しげん適正てきせい開発かいはつ低廉ていれん電気でんき料金りょうきんによる安定あんてい供給きょうきゅうおこなうことが重要じゅうようであるというものであった。逓信ていしんしょうはこの答申とうしんをさらに検討けんとうしたうえ1932ねん昭和しょうわ7ねん)4がつ電気でんき事業じぎょうほう改正かいせいした。12月には施行しこうにともない、電力でんりょく資本しほん利益りえき寛容かんよう電気でんき委員いいんかい設置せっちした。1937ねん昭和しょうわ12ねん)よりだいさん発電はつでん水力すいりょく調査ちょうさ実施じっししたが、その根幹こんかんにあったのは、さき物部ものべ発表はっぴょう内務省ないむしょう国策こくさくとする河水こうすい統制とうせい計画けいかくのっとった、水系すいけい一貫いっかん多目的たもくてき開発かいはつ沿った水力すいりょく発電はつでん開発かいはつ調査ちょうさであった。このころから次第しだいに、内務ないむ官僚かんりょう逓信ていしん官僚かんりょうは、重要じゅうよう電気でんき事業じぎょう河川かせん事業じぎょう同様どうよう国家こっか管理かんりとして統制とうせいするという方向ほうこうせいはじめていた。

当時とうじ日本にっぽん満州まんしゅう事変じへん勃発ぼっぱつ以降いこう軍部ぐんぶ次第しだい台頭たいとうしていった。とく台頭たいとうしていたのは「統制とうせい」とばれるグループであった。かれらは自由じゆう主義しゅぎ経済けいざい否定ひていして国家こっかによる統制とうせい経済けいざいおこなうことで戦時せんじ体制たいせい構築こうちく強化きょうかしてくことを主眼しゅがんにおいていた。いち事件じけん二・二六事件ににろくじけん対立たいりつするすめらぎどう粛清しゅくせいすることで実権じっけん獲得かくとくした東條とうじょう英機ひでき統制とうせい面々めんめんは、私企業しきぎょう利益りえきより公益こうえき優先ゆうせんすることを主張しゅちょうしていた企画きかくいん内務ないむ逓信ていしん官僚かんりょうなどと結託けったくし、本格ほんかくてき統制とうせい経済けいざい構築こうちくはじめた。そしてその標的ひょうてきとなったのが電気でんき事業じぎょうであり、1938ねん昭和しょうわ13ねん)、だい73かい帝国ていこく議会ぎかいに「電力でんりょく国家こっか統制とうせい法案ほうあん」が上程じょうていされたのである。

電力でんりょく管理かんりほう

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電力でんりょく管理かんりほう
日本国政府国章(準)
日本にっぽん法令ほうれい
法令ほうれい番号ばんごう 昭和しょうわ13ねん法律ほうりつだい76ごう
種類しゅるい 行政ぎょうせい手続てつづきほう
効力こうりょく 廃止はいし
成立せいりつ 1938ねん3がつ26にち
公布こうふ 1938ねん4がつ6にち
施行しこう 1938ねん5がつ25にち
おも内容ないよう 戦時せんじ統制とうせい経済けいざい導入どうにゅう
関連かんれん法令ほうれい 国家こっか総動員そうどういんほう配電はいでん統制とうせいれいなど
条文じょうぶんリンク 官報かんぽう 1938ねん4がつ6にち
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電力でんりょく国家こっか統制とうせい法案ほうあん」は、1938ねん昭和しょうわ13ねん1がつ19にちだい1近衛このえないかくにおいて、内閣ないかく調査ちょうさきょくにより、国家こっか総動員そうどういん法案ほうあんなどととも提出ていしゅつされたが、法案ほうあん成立せいりつ過程かていにおいては、国策こくさく研究けんきゅうかいかい内部ないぶ委員いいんかい設置せっちし、それまでのよりゆきははあん修正しゅうせいはかった[2]にちちゅう戦争せんそう次第しだい激化げきかするにれ、現状げんじょうでは戦時せんじ体制たいせい維持いじはかれないとする軍部ぐんぶ意向いこうつよ反映はんえいされていた。

この「電力でんりょく国家こっか統制とうせい法案ほうあん」はみっつの法案ほうあんからなる。「電力でんりょく管理かんり法案ほうあん」・「日本にっぽんはつ送電そうでん株式会社かぶしきがいしゃ法案ほうあん」そして「電力でんりょく管理かんりともな社債しゃさい処理しょりかんする法案ほうあん」であったが、とく重要じゅうようだったのが電力でんりょく管理かんり法案ほうあんであった。これは電力でんりょく会社かいしゃ道府県どうふけん民間みんかん企業きぎょうすべてを対象たいしょうに、日本にっぽん存在そんざいするすべての電力でんりょく施設しせつ国家こっか接収せっしゅう管理かんりするという趣旨しゅし法案ほうあんである。そして接収せっしゅうした電力でんりょく施設しせつは「半官半民はんかんはんみん」である日本にっぽんはつ送電そうでん株式会社かぶしきがいしゃによって管理かんりし、一元いちげん運営うんえいおこなうとするものであった。

この法案ほうあんたいして、電力でんりょく業界ぎょうかい当然とうぜんのことながらもう反発はんぱつした。とく東邦とうほう電力でんりょく社長しゃちょうで「電力でんりょくおう」の異名いみょう松永まつながやすしひだりもんは、1933ねん講演こうえんにおいて軍部ぐんぶ追随ついずいする内務ないむ逓信ていしん官僚かんりょうを「人間にんげんのクズである」と痛烈つうれつ非難ひなんした。だがこうした電力でんりょく業界ぎょうかい反発はんぱつ当時とうじ絶大ぜつだい権力けんりょくった軍部ぐんぶによって抑圧よくあつされ、「人間にんげんのクズ」発言はつげんをした松永まつなが軍部ぐんぶから危険きけん人物じんぶつとしてマークされるにいたった。松永まつなが企画きかくいん総裁そうさいであった鈴木すずき貞一さだいち助言じょげんによって隠退いんたいし、以後いご正面しょうめんって法案ほうあん反対はんたいする勢力せいりょくなくなった。一方いっぽう議会ぎかいでは日本にっぽんはつ送電そうでん資金しきん調達ちょうたつたいする財源ざいげんや、低廉ていれん電気でんき料金りょうきん現実げんじつせいめぐって意見いけん紛糾ふんきゅう原案げんあん否決ひけつされて衆議院しゅうぎいん修正しゅうせいあん提出ていしゅつされたものの、貴族きぞくいんでさらにさい修正しゅうせいされるなど法案ほうあん成立せいりつには紆余曲折うよきょくせつがあった。

収用しゅうよう業者ぎょうしゃしん会社かいしゃ株式かぶしきまたは社債しゃさい交付こうふするというのは、公用こうよう徴収ちょうしゅう精神せいしんである完全かんぜん賠償ばいしょうはんするという批判ひはんたいしては、政府せいふは、「しん会社かいしゃ社債しゃさいまたは株式かぶしきしん会社かいしゃ採算さいさん確実かくじつであるのだから完全かんぜん賠償ばいしょうである」と反論はんろんした。また「本法ほんぽう成立せいりつさせる理由りゆうは、そもそも電力でんりょくはその性質せいしつじょう公益こうえきてき独占どくせんてきであり、わがくに天然てんねん資源しげんとぼしく、石油せきゆ石炭せきたんのような燃料ねんりょうめぐまれず、ただ電源でんげんである天然てんねん水力すいりょくにはめぐまれており、電力でんりょく事業じぎょう民間みんかん経営けいえいまかせておくと採算さいさんじょう水力すいりょく完全かんぜん利用りようのぞまれず、地方ちほうによって料金りょうきん不同ふどうであるから、本法ほんぽうによって、水力すいりょく完全かんぜん利用りよう実現じつげんさせ、料金りょうきん低廉ていれんならしめ、農村のうそん電化でんか実現じつげんもあわせて企図きとするものである」と説明せつめいした。

最終さいしゅうてきには衆議院しゅうぎいん貴族きぞくいんでの両院りょういん協議きょうぎかい調整ちょうせいされて、3月26にち成立せいりつ4がつ6にち公布こうふされた(昭和しょうわ13ねん法律ほうりつだい76ごう)。5月25にちだい5じょうが、8がつ10日とおかだい1・2じょうが、は1939ねん3がつ18にち施行しこうされた。

ぜん7じょう適用てきようにおいては、自己じこ専用せんようまたはいち地方ちほう需要じゅようきょうする発送はっそうでんみことのりれいさだめるもの(すなわち、最大さいだい電圧でんあつ 40,000 V 以上いじょうにおいて使用しようされる送電そうでん線路せんろ主体しゅたいとする電力でんりょく系統けいとうぞくする設備せつび、またはこれと密接みっせつ関係かんけいゆうする設備せつびによる発送はっそうでん以外いがい発送はっそうでん電力でんりょく管理かんりほう施行しこうれい1じょう)は除外じょがいされる。みぎにより管理かんりする発送はっそうでんちゅうみことのりれいさだめるもの[注釈ちゅうしゃく 5]は、日本にっぽんはつ送電そうでん株式会社かぶしきがいしゃとして発送はっそうでんおこなわせる。政府せいふ規定きていによって日本にっぽんはつ送電そうでん株式会社かぶしきがいしゃおよび政府せいふ管理かんりする発送はっそうでんをなすものにたいして一定いってい命令めいれいをだすことができ、後者こうしゃたいする命令めいれい違反いはんした場合ばあい、2000えん以下いか罰金ばっきん規定きていがある。

法案ほうあん成立せいりつ政府せいふによって逓信ていしん大臣だいじん管理かんりぞくする電力でんりょく管理かんり準備じゅんびきょく諮問しもん機関きかんである電力でんりょく審議しんぎかい昭和しょうわ13ねんみことのりれい369ごうによる)が5月5にち設置せっちされ、発電はつでん送電そうでん計画けいかくのほか議会ぎかいめにめた電気でんき料金りょうきん設定せっていなどについて審議しんぎ決定けっていおこなわれた。8がつ10日とおかには電力でんりょく評価ひょうか審査しんさ委員いいんかい設置せっちされ、全国ぜんこく電気でんき事業じぎょうしゃから接収せっしゅうする電力でんりょく施設しせつ評価ひょうかについて審査しんさおこない、これ以降いこう全国ぜんこく発電はつでんしょ変電へんでんしょ送電そうでん施設しせつ段階だんかいてき接収せっしゅうされていった。なお、建前たてまえとしてはかく事業じぎょうしゃからの出資しゅっしあるいは買収ばいしゅうというかたち管理かんり移管いかんするということであったが、実際じっさい国家こっかそう力戦りきせんした強制きょうせいてき接収せっしゅうしたのと同様どうようであった。

施設しせつ接収せっしゅうがほぼわると、国家こっか管理かんり実施じっしするための実務じつむ官庁かんちょう必要ひつようとなった。そこでよく1939ねん昭和しょうわ14ねん)4がつ1にち逓信ていしんしょう電気でんききょく電力でんりょく管理かんり準備じゅんびきょく統合とうごうし、逓信ていしん大臣だいじん管理かんりぞくする電気でんきちょう設置せっちした[3]

こうしてすべての準備じゅんびととのい、電気でんきちょう新設しんせつおな日本にっぽんはつ送電そうでん発足ほっそくしたが、日本にっぽんはつ送電そうでんはそのとお発電はつでん送電そうでん主体しゅたいとする企業きぎょうであり、かく家庭かてい事業じぎょうしょへの配電はいでん事業じぎょう従来じゅうらいどお民間みんかんゆだねていた。

配電はいでん統制とうせいれい

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電力でんりょく管理かんりほう施行しこうにより、日本にっぽん国内こくないにおける発電はつでん送電そうでん施設しせつはことごとく日本にっぽんはつ送電そうでん管理かんりにおかれた。だが配電はいでん事業じぎょうかんしては従来じゅうらいとお民間みんかんおこなった。1937ねん昭和しょうわ12ねん当時とうじ日本にっぽん存在そんざいした電気でんき事業じぎょうしゃは470しゃにもおよんでいたが、政府せいふ電気でんき事業じぎょうほうもとづく行政ぎょうせい指導しどう強化きょうかすることで、これら事業じぎょうしゃあいだ統合とうごうはかり、より広域こういきてき配電はいでん事業じぎょう形成けいせいしようとかんがえていたからである。だが、大正たいしょう時代じだい以降いこう激烈げきれつなシェアあらそいは、かく事業じぎょうしゃあいだぬぐがたいしこりをのこしており、逓信ていしんしょう事業じぎょう統合とうごううながしても、利害りがい関係かんけい感情かんじょうてきなもつれによって遅々ちちとしてすすまなかった。

行政ぎょうせい指導しどう限界げんかいかんじた逓信ていしんしょうは、事業じぎょうについても発送はっそうでん事業じぎょう同様どうよう国家こっか統制とうせいによって管理かんりし、以って国家こっかそう力戦りきせん対応たいおうするための配電はいでん事業じぎょうとする方針ほうしんかためた。配電はいでん事業じぎょう国家こっか統制とうせいすることでさき発足ほっそくした日本にっぽんはつ送電そうでん保有ほゆうする全国ぜんこく規模きぼ送電そうでんせんあみに、かく事業じぎょうしょ保有ほゆうしていた配電はいでん系統けいとう接続せつぞくすることで設備せつび効率こうりつはかり、重複じゅうふくしている配電はいでん施設しせつ撤去てっきょしてじゅう投資とうし削減さくげんすることにより、コスト削減さくげんはかって電気でんき料金りょうきん低廉ていれん実現じつげんするというねらいもあった。低廉ていれん電気でんき料金りょうきん帝国ていこく議会ぎかいでも議論ぎろん争点そうてんとなっていたが、逓信ていしんしょうはコスト削減さくげんにより、この問題もんだい解決かいけつする方針ほうしんったのである。

こうして、発送はっそうでん事業じぎょうつづいて配電はいでん事業じぎょう国家こっか統制とうせい推進すいしんされ、太平洋戦争たいへいようせんそう直前ちょくぜん1941ねん昭和しょうわ16ねん)8がつ30にち配電はいでん統制とうせいれい公布こうふ即日そくじつ施行しこうされた。全国ぜんこく各地かくち配電はいでん事業じぎょうしゃ統合とうごう余儀無よぎなくされ、五大ごだい電力でんりょく会社かいしゃふくめてすべ解散かいさんし、全国ぜんこく9ブロック(北海道ほっかいどう東北とうほく関東かんとう中部ちゅうぶ北陸ほくりく近畿きんき中国ちゅうごく四国しこく九州きゅうしゅう)にあらたな配電はいでん会社かいしゃ設立せつりつされ、この9配電はいでん事業じぎょう体制たいせいした日本にっぽんはつ送電そうでん連携れんけいした配電はいでん事業じぎょうおこなわれた。

こうして戦局せんきょくせま直前ちょくぜんに、日本にっぽん電力でんりょく事業じぎょうすべ政府せいふ管理かんりかれ、逓信ていしんしょう宿願しゅくがん電力でんりょく国家こっか統制とうせい実現じつげんしたのである。

事業じぎょう内容ないよう

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組織そしき

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日本にっぽんはつ送電そうでん本社ほんしゃ東京とうきょう小石川こいしかわげん東京とうきょう文京ぶんきょう小石川こいしかわ)にかれた。組織そしきとしては社長しゃちょう相当そうとうする総裁そうさいしょくかれ、そのしたふく総裁そうさい理事りじかれることになった。しかしこうした高級こうきゅう幹部かんぶについてはその任免にんめんけんすべ内閣ないかくによってにぎられ、経営けいえいかんする最高さいこう意思いし決定けってい機関きかん事実じじつ上内うえうちかくにあった。そして発電はつでんかんする重要じゅうよう施設しせつ計画けいかく新規しんき事業じぎょう決定けっていには政府せいふ直接ちょくせつ関与かんよし、水利すいりけんはじめとする許認可きょにんかけん主務しゅむ大臣だいじん逓信ていしん大臣だいじん内務ないむ大臣だいじん)がこれをこまかい項目こうもくいたるまで掌握しょうあく日本にっぽんはつ送電そうでん運営うんえい完全かんぜん政府せいふがコントロールすることになった。このことから日本にっぽんはつ送電そうでんは「半官半民はんかんはんみん」とうたってはいるが、事実じじつじょう国営こくえいひとしかった。

歴代れきだい総裁そうさい

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施設しせつ接収せっしゅう

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施設しせつ接収せっしゅうについては官民かんみんべつなく、段階だんかいてきかつ一律いちりつおこなわれた。その基準きじゅん電力でんりょく管理かんりほう同時どうじ発令はつれいされたみことのりれいだい575ごうである「電力でんりょく管理かんりほう施行しこうれい」によってさだめられている。すなわち、

  1. 認可にんか出力しゅつりょく5,000キロワットえる水力すいりょく発電はつでんしょおよびダム。
  2. 認可にんか出力しゅつりょく10,000キロワットえる火力かりょく発電はつでんしょ
  3. 最大さいだい電圧でんあつ10まんボルト以上いじょうにおいて使用しようされる送電そうでん施設しせつ

以上いじょうさん項目こうもく該当がいとうする発電はつでん送電そうでん施設しせつ一切いっさい例外れいがいなく日本にっぽんはつ送電そうでん管理かんりおこない、また施工しこうちゅうであったものにかんしても補償ほしょうによる対価たいか既存きそん電力でんりょく会社かいしゃ支払しはらってこれを所有しょゆうすることになった。送電そうでん設備せつびのうち40,000ボルト以上いじょう10まんボルト未満みまんのものについても、その重要じゅうようせいおうじて接収せっしゅうされていった。さらにかく電力でんりょく会社かいしゃ既得きとく発電はつでん用水ようすい利権りけん自体じたいはそのまま保持ほじみとめられたものの、5,000キロワット以上いじょう水力すいりょく発電はつでんしょ新規しんき建設けんせつすることは日本にっぽんはつ送電そうでん独占どくせん業務ぎょうむとされてしまい、事実じじつじょう民間みんかん企業きぎょうだい規模きぼ水力すいりょく発電はつでん事業じぎょうたずさわることが出来できなくなった。くわえて日本にっぽんはつ送電そうでん株式会社かぶしきがいしゃほうだい24じょうにおいて、どういち地点ちてん開発かいはつ競合きょうごうした場合ばあい水利すいりけん両立りょうりつしないケースには、かく電力でんりょく会社かいしゃ所有しょゆうしていた既得きとく水利すいりけん行政ぎょうせい処分しょぶんによってされてしまうと規定きていされていた。こうして民間みんかん電力でんりょく会社かいしゃ新規しんき電力でんりょく開発かいはつというさい重要じゅうよう業務ぎょうむうばわれたかたちになった。

例外れいがいとして企業きぎょう自家じか発電はつでんについては当初とうしょ接収せっしゅう対象たいしょうからはずされるケースがあった。れいげれば王子製紙おうじせいし所有しょゆうする千歳ちとせ発電はつでんしょぐん日本軽金属にほんけいきんぞく所有しょゆうする富士川ふじかわ水系すいけい水力すいりょく発電はつでんしょぐんなどがこれにたる。このうち王子製紙おうじせいし当時とうじ石狩川いしかりがわ水系すいけい千歳川ちとせがわ雨竜川うりゅうがわ水力すいりょく発電はつでん施設しせつ管理かんり建設けんせつしていたが、雨竜うりゅうだいいちダムなどの雨竜川うりゅうがわ水系すいけいについては電力でんりょく管理かんりほう対象たいしょうとして接収せっしゅうされた。だが千歳ちとせがわ水力すいりょく発電はつでんしょぐんについては、かり接収せっしゅうおこなわれた場合ばあい苫小牧とまこまい工場こうじょう操業そうぎょう停止ていしするとして逓信ていしんしょう必死ひっし折衝せっしょうおこなった。この結果けっか千歳ちとせがわ発電はつでんしょぐん接収せっしゅうまぬかれた。日本軽金属にほんけいきんぞくについても、アルミニウム精錬せいれん支障ししょうたすとして接収せっしゅうまぬかれている。しかし配電はいでん統制とうせいれい発令はつれいされるとそれらの例外れいがいもほとんどかく配電はいでん会社かいしゃ接収せっしゅうされ、王子製紙おうじせいし日本軽金属にほんけいきんぞくなどをのぞけば出力しゅつりょくが1,000キロワット以下いか小規模しょうきぼ発電はつでんしょ以外いがいはことごとく接収せっしゅうされている。

さらに発電はつでん施設しせつ付随ふずいする鉄道てつどう事業じぎょうなども接収せっしゅう対象たいしょうとなった。たとえば1942ねん昭和しょうわ17ねん)に富山とやまけん電気でんききょく現在げんざい富山とやまけん企業きぎょうきょく)の電力でんりょく事業じぎょう接収せっしゅうしたさい富山とやま県営けんえい鉄道てつどうから千垣ちがきえき粟巣野あわすのえきあいだ路線ろせん接収せっしゅうした。だがこの路線ろせん翌年よくねん富山とやま地方ちほう鉄道てつどう譲渡じょうとしている。現在げんざい富山とやま地方ちほう鉄道てつどう立山線たてやません一部いちぶがこれにあたる。

電力でんりょくヵ年かねん計画けいかく

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1939ねん日本にっぽんはつ送電そうでん発足ほっそくした当初とうしょは、水力すいりょく発電はつでんしょ134箇所かしょ・197まん6,800キロワット火力かりょく発電はつでんしょ18箇所かしょ27まん3,552キロワット、変電へんでん設備せつび115箇所かしょそう容量ようりょう464まん8,350キロボルトアンペア送電そうでんせんぜん延長えんちょう7,947キロメートルの設備せつびがあった。政府せいふ戦時せんじ体制たいせい遂行すいこうのために早急そうきゅう新規しんき電力でんりょく資源しげん開発かいはつすすめたが、とく水力すいりょく発電はつでん重点じゅうてんいて開発かいはつおこなった。すでに1937ねん逓信ていしんしょう実施じっししただいさん発電はつでん水力すいりょく調査ちょうさによって、だい規模きぼダムしき発電はつでんしょ建設けんせつ必要ひつようであるとの認識にんしきしめされよく1938ねん10がつには電力でんりょく審査しんさかいによって「発電はつでんおよ送電そうでん予定よてい計画けいかく要綱ようこう」が策定さくていされた。これにより「水主みずししたがえ」を原則げんそくとし、だい規模きぼこう能率のうりつ水力すいりょく発電はつでんしょ多数たすう建設けんせつしこれをだい規模きぼ送電そうでんによって円滑えんかつ電力でんりょく供給きょうきゅうはかろうとしたのである。その翌年よくねん、1939ねんには「電力でんりょくヵ年かねん計画けいかく」をさだめ、1943ねん昭和しょうわ18ねん)までの年間ねんかん新規しんき水力すいりょく発電はつでんを185まんキロワット、火力かりょく発電はつでんを92まんキロワット開発かいはつするという遠大えんだい計画けいかくてた。

電力でんりょくヵ年かねん計画けいかく」の策定さくていしたがい、日本にっぽんはつ送電そうでんはかつて電気でんき事業じぎょうしゃ手掛てがけていた開発かいはつ事業じぎょう着手ちゃくしゅした。発足ほっそく当時とうじ施工しこうすすめられていた水力すいりょく発電はつでんしょわせて83まんキロワットにおよび、これら事業じぎょう早期そうき完成かんせいもとめられた。さらに計画けいかく段階だんかいにあった尾瀬おぜだいいちだい発電はつでんしょ利根川とねがわ)や朝日あさひ発電はつでんしょ飛騨川ひだがわ)などのだい規模きぼダムしき発電はつでんしょ計画けいかく早期そうき着手ちゃくしゅすべく、調査ちょうさした。ところが実際じっさい運営うんえい開始かいしすると許認可きょにんか準備じゅんび命令めいれいなどの上意下達じょういかたつ上手うまかず、計画けいかく遂行すいこう遅々ちちとしてすすまないという問題もんだい発生はっせいした。また、逓信ていしんしょう計画けいかくした「電力でんりょくヵ年かねん計画けいかく」に沿った発電はつでんしょ建設けんせつ計画けいかくはコストのりには設備せつび規模きぼ小規模しょうきぼで、コスト&パフォーマンスてき問題もんだいがあった。この結果けっか、1943ねんまでに新規しんき開発かいはつされた電力でんりょく水力すいりょく火力かりょくあわせても44まんキロワットと、当初とうしょ計画けいかくくらやく15.3パーセントにしかならなかった。さらに太平洋戦争たいへいようせんそう戦局せんきょく悪化あっかともな物資ぶっし不足ふそく深刻しんこくになり、新規しんき電力でんりょく開発かいはつ抑制よくせいせざるをない状況じょうきょうおちいった。このため既設きせつ設備せつび最小さいしょう限度げんど補修ほしゅうするという消極しょうきょくてき対応たいおう余儀無よぎなくされたのである。

施工しこう管理かんりしていたおも発電はつでんしょ

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水力すいりょく発電はつでんしょ

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佐久さく発電はつでんしょ群馬ぐんまけん
読書どくしょ発電はつでんしょ長野ながのけん
上麻生かみあさお発電はつでんしょ岐阜ぎふけん
志津川しづがわ発電はつでんしょ京都きょうと
塚原つかはらダム(宮崎みやざきけん
千住せんじゅ火力かりょく発電はつでんしょ東京とうきょう
発電はつでんしょ 所在地しょざいち 水系すいけい 河川かせん 取水しゅすいこう 認可にんか出力しゅつりょく
(kW)
運開うんかいねん 備考びこう
雨竜うりゅう 北海道ほっかいどう 石狩川いしかりがわ 雨竜川うりゅうがわ 雨竜うりゅうだいいちダム 51,000 1943ねん
十和田とわだ 青森あおもりけん 奥入瀬川おいらせがわ 奥入瀬川おいらせがわ 十和田湖とわだこ 31,000 1943ねん 天然てんねん湖沼こしょう利用りよう
蓬莱ほうらい 福島ふくしまけん 阿武隈川あぶくまがわ 阿武隈川あぶくまがわ よもぎ萊ダム 38,500 1938ねん
なつ 秋田あきたけん 雄物川おものがわ 玉川たまがわ なつダム 20,000 1937ねん
秋元あきもと 福島ふくしまけん 阿賀野川あがのがわ 長瀬川ながせがわ 秋元湖あきもとこ 93,600 1940ねん 天然てんねん湖沼こしょう利用りよう
猪苗代いなわしろだいいち 福島ふくしまけん 阿賀野川あがのがわ 日橋川にっぱしがわ (日橋川にっぱしがわ) 56,500 1921ねん
新郷しんごう 福島ふくしまけん 阿賀野川あがのがわ 阿賀野川あがのがわ 新郷しんごうダム 51,600 1939ねん
豊実とよみ 新潟にいがたけん 阿賀野川あがのがわ 阿賀野川あがのがわ 豊実とよみダム 56,400 1929ねん
鹿瀬かのせ 新潟にいがたけん 阿賀野川あがのがわ 阿賀野川あがのがわ 鹿瀬かのせダム 49,500 1928ねん
田子倉たごくら 福島ふくしまけん 阿賀野川あがのがわ 只見川ただみがわ 田子倉たごくらダム 407,000 完成かんせい 1959ねん完成かんせい
宮下みやした 福島ふくしまけん 阿賀野川あがのがわ 只見川ただみがわ 宮下みやしたダム 32,000 1946ねん
尾瀬おぜだいいち
尾瀬おぜだい
群馬ぐんまけん 阿賀野川あがのがわ
利根川とねがわ
只見川ただみがわ
片品川かたしながわ
尾瀬おぜげんダム 179,000
185,000
完成かんせい 1996ねん中止ちゅうし
矢木やぎさわ 群馬ぐんまけん 利根川とねがわ 利根川とねがわ 矢木やぎさわダム 36,300 完成かんせい 1967ねん完成かんせい
須田すだかい 群馬ぐんまけん 利根川とねがわ 利根川とねがわ なら俣ダム[注釈ちゅうしゃく 6] 27,200 完成かんせい 1955ねん完成かんせい
佐久さく 群馬ぐんまけん 利根川とねがわ 利根川とねがわ 綾戸あやどダム
真壁まかべダム
66,000 1928ねん
鬼怒川きぬがわ 栃木とちぎけん 利根川とねがわ 鬼怒川きぬがわ 黒部くろべダム 36,500 1926ねん
はちさわ 山梨やまなしけん 相模さがみがわ 谷田川やたがわ 大野おおのダム 35,000 1911ねん
田代川たしろかわだいいち 静岡しずおかけん
山梨やまなしけん
大井川おおいがわ
富士川ふじかわ
大井川おおいがわ
早川はやかわ
田代たしろダム
保利ほりさわダム
20,862 1928ねん
大井川おおいがわ 静岡しずおかけん 大井川おおいがわ 大井川おおいがわ 大井川おおいがわダム 68,200 1936ねん
泰阜やすおか 長野ながのけん 天竜川てんりゅうがわ 天竜川てんりゅうがわ 泰阜やすおかダム 61,500 1936ねん
平岡ひらおか 長野ながのけん 天竜川てんりゅうがわ 天竜川てんりゅうがわ 平岡ひらおかダム 61,500 中断ちゅうだん 1952ねん完成かんせい
三浦みうら 長野ながのけん 木曽川きそがわ 王滝川おうたきがわ 三浦みうらダム 7,700 1945ねん
読書どくしょ 長野ながのけん 木曽川きそがわ 木曽川きそがわ 読書どくしょダム 40,700 1923ねん
大井おおい 岐阜ぎふけん 木曽川きそがわ 木曽川きそがわ 大井おおいダム 48,000 1924ねん
丸山まるやま 岐阜ぎふけん 木曽川きそがわ 木曽川きそがわ 丸山まるやまダム 125,000 中断ちゅうだん 1954ねん完成かんせい
兼山けんざん 岐阜ぎふけん 木曽川きそがわ 木曽川きそがわ 兼山かねやまダム 39,000 1943ねん
今渡いまわたり 岐阜ぎふけん 木曽川きそがわ 木曽川きそがわ 今渡いまわたりダム 20,000 1938ねん
朝日あさひ 岐阜ぎふけん 木曽川きそがわ 飛騨川ひだがわ 朝日あさひダム 20,500 中断ちゅうだん 1953ねん完成かんせい
上麻生かみあさお 岐阜ぎふけん 木曽川きそがわ 飛騨川ひだがわ 上麻生かみあさおダム
細尾ほそおたにダム
27,000 1926ねん
水内みずうち 長野ながのけん 信濃川しなのがわ 犀川さいがわ 水内みずうちダム 21,000 1943ねん
信濃川しなのがわ 長野ながのけん 信濃川しなのがわ 信濃川しなのがわ 西大滝にしおおたきダム 177,000 1939ねん
せん 新潟にいがたけん 信濃川しなのがわ 信濃川しなのがわ 宮中きゅうちゅう取水しゅすいダム 120,000 1939ねん
中津川なかつがわだいいち 新潟にいがたけん 信濃川しなのがわ 中津川なかつがわ 高野山こうのやまダム 38,950 1924ねん
黒部川くろべがわだい 富山とやまけん 黒部川くろべがわ 黒部川くろべがわ 小屋平こやだいらダム 72,000 1936ねん
黒部川くろべがわだいさん 富山とやまけん 黒部川くろべがわ 黒部川くろべがわ 仙人せんにんたにダム 81,000 1940ねん
和田川わだがわだいいち
和田川わだがわだい
富山とやまけん 常願寺川じょうがんじがわ 和田川わだがわ 有峰ありみねダム 27,000
122,000
中断ちゅうだん 1959ねん完成かんせい
真川まかわ 富山とやまけん 常願寺川じょうがんじがわ 真川まかわ 真川まかわダム 33,200 1930ねん
小口川こぐちがわだいさん 富山とやまけん 常願寺川じょうがんじがわ 小口川こぐちがわ ゆうのべダム 14,000 1931ねん 揚水ようすい発電はつでん[注釈ちゅうしゃく 7]
小原おはら 富山とやまけん 庄川しょうがわ 庄川しょうがわ 小原おはらダム 45,700 1942ねん
祖山そやま 富山とやまけん 庄川しょうがわ 庄川しょうがわ 祖山そやまダム 54,000 1929ねん
小牧こまき 富山とやまけん 庄川しょうがわ 庄川しょうがわ 小牧こまきダム 72,000 1929ねん
志津川しづがわ 京都きょうと 淀川よどがわ 淀川よどがわ[注釈ちゅうしゃく 8] 志津川しづがわダム 32,000 1924ねん 1964ねん廃止はいし[注釈ちゅうしゃく 9]
打梨うちなし 広島ひろしまけん 太田おおたがわ 太田おおたがわ 立岩たていわダム 21,770 1939ねん
神野かみの 広島ひろしまけん ごうかわ 神野かみの瀬川せかわ 高暮こうぼダム 20,000 1945ねん
長沢ながさわ 高知こうちけん 吉野川よしのがわ 吉野川よしのがわ 長沢ながさわダム 5,000 1949ねん にちはつ最後さいご事業じぎょう
女子畑おなごはた 大分おおいたけん 筑後川ちくごがわ 玖珠川くすがわ (玖珠川くすがわ) 26,750 1913ねん
うえ椎葉しいば 宮崎みやざきけん 耳川みみかわ 耳川みみかわ うえ椎葉しいばダム 90,000 完成かんせい 1955ねん完成かんせい
岩屋いわや 宮崎みやざきけん 耳川みみかわ 耳川みみかわ 岩屋いわやダム 50,000 1942ねん
塚原つかはら 宮崎みやざきけん 耳川みみかわ 耳川みみかわ 塚原つかはらダム 60,000 1938ねん つつみだか当時とうじ日本一にっぽんいち
  • (ちゅう1)原則げんそくとして出力しゅつりょく2まんキロワット以上いじょう発電はつでんしょ掲載けいさい出力しゅつりょく当時とうじのものである。
  • (ちゅう2)黄色おうしょくらん戦争せんそうにより中断ちゅうだん、あるいは計画けいかく段階だんかい状態じょうたいで9電力でんりょく会社かいしゃ移管いかんされたものである。
  • (ちゅう3)桃色ももいろらん日本にっぽんはつ送電そうでん手掛てがけた事業じぎょう

火力かりょく発電はつでんしょ

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発電はつでんしょ 所在地しょざいち 認可にんか出力しゅつりょく
kW
運開うんかいねん 備考びこう
千住せんじゅ 東京とうきょう 75,000 1905ねん 1963ねん廃止はいし
春日かすがいずる 大阪おおさか 62,400 1918ねん 2002ねん廃止はいし
尼崎あまがさき 兵庫ひょうごけん 140,000 1928ねん

監督かんとく官庁かんちょう移管いかん

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太平洋戦争たいへいようせんそう日本にっぽんにとって次第しだいきわめて不利ふり戦局せんきょくおちいった。このなか政府せいふ戦時せんじ体制たいせい維持いじのためにさらなる物資ぶっし動員どういん目指めざしたが電力でんりょく例外れいがいではなく、軍需ぐんじゅ産業さんぎょうよう莫大ばくだい電力でんりょくりょう要求ようきゅうした。とく軍部ぐんぶ要求ようきゅうしたのは戦闘せんとう増産ぞうさんのための電力でんりょく供給きょうきゅうである。1941ねん真珠湾しんじゅわん攻撃こうげきよく1942ねん昭和しょうわ17ねん)のミッドウェー海戦かいせんなどにより航空こうくうせん重要じゅうようせい海軍かいぐんなどで重要じゅうようされ、制空権せいくうけん確保かくほ戦争せんそう有利ゆうりすすめるためには戦闘せんとう増産ぞうさん不可欠ふかけつであった。この軍部ぐんぶ意向いこう電力でんりょく行政ぎょうせいただちに反映はんえいされ、1943ねん7がつには従来じゅうらいの「電力でんりょくヵ年かねん計画けいかく」を見直みなおした「昭和しょうわいちはち年度ねんど生産せいさんりょく拡充かくじゅう計画けいかく」が策定さくていされた。ここで1947ねん昭和しょうわ22ねん)までの年間ねんかん水力すいりょく135まんキロワット、火力かりょく16まんキロワットの新規しんき電力でんりょく開発かいはつ決定けっていされた。ところがこの計画けいかく決定けっていされたわずかいちヵ月かげつふたた新規しんき電力でんりょく開発かいはつ計画けいかく変更へんこうおこなわれた。この「緊急きんきゅう電力でんりょく拡充かくじゅう非常ひじょう対策たいさく」で1945ねん昭和しょうわ20ねん)までのわずか年間ねんかん水力すいりょく火力かりょくあわせて200まん~250まんキロワットを緊急きんきゅう拡充かくじゅうするとさだめられたのである。

緊急きんきゅう電力でんりょく拡充かくじゅう非常ひじょう対策たいさく」を着実ちゃくじつ実施じっしするため、東條とうじょう内閣ないかく電力でんりょく行政ぎょうせい軍需ぐんじゅ行政ぎょうせい直接ちょくせつ監督かんとく方針ほうしんした。そして国家こっかそう力戦りきせん遂行すいこう貫徹かんてつするため1943ねん11月1にち首相しゅしょう大臣だいじん兼任けんにんするかたち軍需ぐんじゅしょう設置せっちされた。これと同時どうじ電力でんりょく行政ぎょうせい従来じゅうらい逓信ていしんしょうから軍需ぐんじゅしょうへと移管いかんされ、日本にっぽんはつ送電そうでん監督かんとく官庁かんちょうであった逓信ていしんしょう電気でんききょく[注釈ちゅうしゃく 10]軍需ぐんじゅしょう電力でんりょくきょくとして編入へんにゅうされた[4]編入へんにゅうよく12がつには閣議かくぎによって軍需ぐんじゅしょう電力でんりょく行政ぎょうせい方針ほうしんされ、戦闘せんとう増産ぞうさん主眼しゅがんにおいた「電力でんりょく動員どういん緊急きんきゅう措置そち要綱ようこう」を策定さくてい戦時せんじ体制たいせい維持いじはかろうとしたのである。同時どうじ民間みんかんへの電力でんりょく供給きょうきゅう鉄道てつどう通信つうしん家庭かていよう電力でんりょくといった必要ひつよう最小限さいしょうげん供給きょうきゅうしぼり、ここにおいて電力でんりょく事実じじつじょう軍部ぐんぶ掌握しょうあくする状態じょうたいになった。

だが日本にっぽんはつ送電そうでん新規しんき電力でんりょく開発かいはつ能力のうりょくさきべたとおり「ヵ年かねん計画けいかく」でもいちわり程度ていど実績じっせきしかなく、「要綱ようこう自体じたい現実げんじつてきであった。かつ物資ぶっし欠乏けつぼうのため施工しこうちゅう発電はつでんしょについても進捗しんちょくとどこお有様ありさまであった。しかし政府せいふ新規しんき電力でんりょく開発かいはつによる戦闘せんとう増産ぞうさんいそぎ、人海じんかい戦術せんじゅつによるきゅうピッチでの建設けんせつ促進そくしんはかった。このなか中国人ちゅうごくじん朝鮮ちょうせんじん労働ろうどうしゃ敵対てきたいしていた連合れんごうこくぐん捕虜ほりょなどをダム・発電はつでんしょ工事こうじ使役しえきし、過酷かこく強制きょうせい労働ろうどう従事じゅうじさせるという事態じたい発生はっせいした。長野ながのけん平岡ひらおか発電はつでんしょ天竜川てんりゅうがわ)や広島ひろしまけん滝山川たきやまがわ発電はつでんしょ滝山川たきやまがわ)などでられたほか、北海道ほっかいどう雨竜うりゅう発電はつでんしょ雨竜川うりゅうがわ)では劣悪れつあくタコ部屋へや労働ろうどういた。また工事こうじ従業じゅうぎょういんたいする安全あんぜん確保かくほもずさんであり、富山とやまけん黒部川くろべがわだいさん発電はつでんしょ黒部川くろべがわ工事こうじでは雪崩なだれトンネルうち高熱こうねつによる火薬かやく爆発ばくはつ事故じこなどで多数たすう労働ろうどうしゃ殉職じゅんしょくする[注釈ちゅうしゃく 11]など、日本にっぽんはつ送電そうでんかかわった工事こうじではおおくの労働ろうどうしゃいのちとしており、現在げんざいダム近傍きんぼうには慰霊いれい建立こんりゅうされている。

また、本来ほんらい地域ちいき開発かいはつのために実施じっしされる河川かせん総合そうごう開発かいはつ事業じぎょうについても軍需ぐんじゅしょうによる介入かいにゅうがあり、広島ひろしまけんこう発電はつでんしょ黒瀬川くろせがわ)は海軍かいぐん工廠こうしょうのために建設けんせつされ、愛媛えひめけん柳瀬やなせダム銅山川どうざんがわ)では愛媛えひめけん徳島とくしまけん協議きょうぎによって廃止はいしした水力すいりょく発電はつでん事業じぎょう強引ごういん復活ふっかつ、さらに水利すいりけんめぐ福島ふくしまけん群馬ぐんまけんあいだ係争けいそう状態じょうたいであった尾瀬沼おぜぬま分水ぶんすい問題もんだい強引ごういん利根川とねがわ水系すいけい分水ぶんすいさせた。神奈川かながわけん相模さがみダム相模さがみがわ)では横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょうへの電力でんりょく供給きょうきゅう目的もくてきにしていたことから、ダム建設けんせつ反対はんたいする地元じもと住民じゅうみんたいして小磯こいそ国昭くにあき杉山すぎやまはじめ荒木あらき貞夫さだおなど陸軍りくぐん首脳しゅのう地元じもとみ、陸海りくかいぐん合同ごうどう閲兵えっぺいしきひら示威じい行動こうどうおこなうなど戦時せんじ体制たいせい維持いじのためになりふりかまわぬ姿勢しせいせた。

しかし日本にっぽん戦況せんきょうごと悪化あっか一途いっとをたどり、物資ぶっし欠乏けつぼう決定的けっていてきとなった。1944ねん昭和しょうわ19ねん)8がつ小磯こいそ内閣ないかくは「決戦けっせん非常ひじょう措置そち要領ようりょう」を発令はつれいすべての物資ぶっし戦時せんじ体制たいせい維持いじのために軍需ぐんじゅ徴用ちょうようする方針ほうしんした。この結果けっか施工しこうちゅう水力すいりょく発電はつでんしょ建設けんせつ続行ぞっこう不可能ふかのうになり、ほとんどすべての事業じぎょう中断ちゅうだんまれた。また空襲くうしゅうによって火力かりょく発電はつでんしょ変電へんでんしょ破壊はかいされて発電はつでん配電はいでん機能きのう喪失そうしつし、のこった水力すいりょく発電はつでんしょ酷使こくし老朽ろうきゅう補修ほしゅうができないため事故じこ続発ぞくはつ発電はつでん能力のうりょく戦前せんぜんの60パーセント程度ていどにまで減衰げんすいした。こうしたなか終戦しゅうせんむかえたが、電力でんりょく需給じゅきゅうのバランスはくずれたままであった。

電力でんりょくさい編成へんせい日本にっぽんはつ送電そうでん解体かいたい

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財閥ざいばつ指定していあつまりはいほう適用てきよう

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終戦しゅうせん日本にっぽん深刻しんこく電力でんりょく不足ふそくおそわれた。戦時せんじちゅう電力でんりょく供給きょうきゅう抑制よくせいさく必要ひつよう最小限さいしょうげん電力でんりょく需要じゅようしかなかったが、その制限せいげんはずされたことで電力でんりょく消費しょうひ爆発ばくはつてき増大ぞうだい一挙いっきょ需要じゅよう拡大かくだいした。だが供給きょうきゅうかんしては空襲くうしゅうによる火力かりょく発電はつでんしょ変電へんでんしょ破壊はかい既設きせつ水力すいりょく発電はつでんしょ設備せつび劣化れっかによる発電はつでん能力のうりょく減衰げんすい、「決戦けっせん非常ひじょう措置そち要領ようりょう」や物資ぶっし欠乏けつぼうによる新規しんき電力でんりょく開発かいはつ中断ちゅうだんといった複数ふくすう要因よういんかさなり、いちじるしく供給きょうきゅう不足ふそくになった。こうした電力でんりょく需給じゅきゅうバランスの崩壊ほうかい深刻しんこく電力でんりょく不足ふそくまねき、緊急きんきゅう制限せいげんによる停電ていでん頻発ひんぱつして、治安ちあんじょうにも問題もんだいしょうじていた。

軍需ぐんじゅしょう廃止はいし[注釈ちゅうしゃく 12]ともな電力でんりょく行政ぎょうせい商工しょうこうしょう移管いかんされたが、経済けいざい政策せいさく全般ぜんぱん経済けいざい安定あんてい本部ほんぶによってつかさどられた。1947ねん経済けいざい安定あんてい本部ほんぶ河川かせん総合そうごう開発かいはつ調査ちょうさ審議しんぎかい設置せっちし、河川かせん開発かいはつかんする調査ちょうさおこなったがこのなか商工しょうこうしょう新規しんき水力すいりょく発電はつでん開発かいはつおこなうため7河川かせん2湖沼こしょう[注釈ちゅうしゃく 13]対象たいしょう地域ちいきとして開発かいはつ計画けいかく検討けんとうした。これと同時どうじ日本にっぽんはつ送電そうでん只見川ただみがわ飛騨川ひだがわごうかわ耳川みみかわなどにおいて広域こういきかつだい規模きぼなダムしき発電はつでんしょぐん新規しんき計画けいかく立案りつあん電力でんりょく不足ふそく根本こんぽん解決かいけつそうとしており、田子倉たごくら発電はつでんしょ只見川ただみがわ福島ふくしまけん)や朝日あさひ発電はつでんしょ飛騨川ひだがわ岐阜ぎふけん)、長沢ながさわ発電はつでんしょ吉野川よしのがわ高知こうちけん)、うえ椎葉しいば発電はつでんしょ耳川みみかわ宮崎みやざきけん)の実施じっし調査ちょうさ計画けいかくすすめていた。

日本にっぽん占領せんりょうしていた連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい(GHQ)は日本にっぽん戦時せんじ体制たいせいささえた戦争せんそう犯罪はんざいじん逮捕たいほと、戦争せんそう協力きょうりょくした独占どくせん資本しほん解体かいたい財閥ざいばつ解体かいたい)を戦後せんご処理しょり重要じゅうよう課題かだいとしていたが、1946ねん4がつポツダム政令せいれいとして持株もちかぶ会社かいしゃ整理せいり委員いいんかいれい公布こうふさせた。どうみことのりれい成立せいりつによって実施じっし機関きかんとして持株もちかぶ会社かいしゃ整理せいり委員いいんかい設置せっちされ、同年どうねん9がつ以降いこう5わたり、83しゃどう委員いいんかいつうじて政府せいふから財閥ざいばつトラストふくむ)指定していけた。このなかにはよんだい財閥ざいばつ三井みつい三菱みつびし住友すみとも安田やすだ)のほか電力でんりょく管理かんりほう適用てきようのがれた王子製紙おうじせいし、そして日本にっぽんはつ送電そうでんふくまれていた。先述せんじゅつとお日本にっぽんはつ送電そうでんはその成立せいりつ自体じたい国家こっかそう力戦りきせん目的もくてき沿って設立せつりつされ、経営けいえい人事じんじすべては政府せいふ影響えいきょうにあった。そして政府せいふ施策しさく連動れんどうした電力でんりょく事業じぎょうおこなっていたことから、財閥ざいばつ解体かいたい適用てきようからはのがれられなかった。さらに1947ねん12月には、財閥ざいばつ指定していけなかった独占どくせん寡占かせん企業きぎょう整理せいり目的もくてきとする過度かど経済けいざいりょく集中しゅうちゅう排除はいじょほうしゅうはいほう)が制定せいていされ、日本にっぽんはつ送電そうでんと9配電はいでん会社かいしゃ(と王子製紙おうじせいし)も独占どくせん寡占かせんしゅうはいほうじょうでは「過度かど経済けいざいりょく集中しゅうちゅう状態じょうたい」とばれる)企業きぎょう認定にんていされた。以後いごGHQの認可にんかもとで、日本にっぽんはつ送電そうでん保有ほゆう株式かぶしき整理せいり事業じぎょう認可にんか建設けんせつ命令めいれい経営けいえいじん任免にんめんけん持株もちかぶ会社かいしゃ整理せいり委員いいんかい商工しょうこうしょう監督かんとくする形態けいたいとなった。

電気でんき事業じぎょうさい編成へんせい審議しんぎかい

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GHQは日本にっぽんはつ送電そうでんと9配電はいでん会社かいしゃさい編成へんせい計画けいかく持株もちかぶ整理せいり委員いいんかい提出ていしゅつするよう命令めいれいした。これにたい両者りょうしゃは1948ねん4がつあん委員いいんかい提出ていしゅつしたが、このあんまったせい反対はんたい性格せいかく構想こうそうであった。すなわち日本にっぽんはつ送電そうでんあん従来じゅうらい体制たいせいである国家こっか管理かんり維持いじし、民間みんかんから選出せんしゅつされた「電気でんき委員いいんかい」が会社かいしゃ経営けいえいじん諮問しもんおこなうとするあんであり、形式けいしきてき民主みんしゅするというかたちではあったが会社かいしゃ自体じたい発電はつでん送電そうでん配電はいでん事業じぎょう一括いっかつして運営うんえいするとしており、いわば日本にっぽんはつ送電そうでん強化きょうかする内容ないようであった。一方いっぽうの9配電はいでん会社かいしゃあん会社かいしゃ発電はつでん送電そうでん配電はいでん事業じぎょう一括いっかつして運営うんえいするというてんでは日本にっぽんはつ送電そうでんあん一致いっちするものの、その経営けいえい形態けいたい完全かんぜん民有みんゆう民営みんえいであるとしており、にちはつ成立せいりつまえのいわば「先祖返せんぞがえり」であった。両者りょうしゃ電気でんき料金りょうきん需要じゅよう均衡きんこうというてんするど対立たいりつした。とき片山かたやま内閣ないかく水谷みずたに長三郎ちょうさぶろう商工しょうこう大臣だいじん諮問しもん機関きかんとして「電気でんき事業じぎょう民主みんしゅ委員いいんかい」を設置せっちして再編さいへん成案せいあん検討けんとうし、芦田あしだ内閣ないかくときりょうあん折衷せっちゅうする妥協だきょうあん呈示ていじした[注釈ちゅうしゃく 14]

しかしGHQはこうした政府せいふ対応たいおう不満ふまんであり、早急そうきゅうさい編成へんせいもとめた。そして1949ねん昭和しょうわ24ねん)5がつひらかれた集中しゅうちゅう排除はいじょ審査しんさ委員いいんかい決定けっていした全国ぜんこく7地域ちいきへの分割ぶんかつ民営みんえいあんをGHQあんとし、9月にはこのあん基礎きそにしてさらに商工しょうこうしょう電力でんりょくきょくから電力でんりょく会社かいしゃへの管理かんり権能けんのう剥脱はくだつし、経営けいえいには関与かんよしない調整ちょうせい機関きかん設置せっちおこなうというふたつの項目こうもく政府せいふたい強硬きょうこうもとめた。このときGHQは、政府せいふ鈍重どんじゅううごきにたいして電力でんりょくさい編成へんせい占領せんりょうぐん命令めいれい強行きょうこうする準備じゅんびもしていた。これにたいだい2吉田よしだ内閣ないかくはGHQの介入かいにゅう阻止そしすべく11月、大屋おおやすすむさん商工しょうこう大臣だいじん諮問しもん機関きかんとして電気でんき事業じぎょうさい編成へんせい審議しんぎかい設置せっち委員いいんちょうふくにん審議しんぎ委員いいん任命にんめいした。

審議しんぎ委員いいんには復興ふっこう金融きんゆう金庫きんこ理事りじちょう工藤くどう昭四郎しょうしろう慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく教授きょうじゅ小池こいけ隆一りゅういち日本にっぽん製鐵せいてつ[注釈ちゅうしゃく 15]社長しゃちょう三鬼みきたかし国策こくさくパルプ[注釈ちゅうしゃく 16]ふく社長しゃちょう水野みずの成夫しげおよんめいえらばれた。このよんめい人選じんせん白洲しらす次郎じろう官僚かんりょうへのはたらきかけによる。そして審議しんぎ委員いいんちょうには「電力でんりょくおう」「電力でんりょくおに」としょうされ、戦前せんぜん日本にっぽんはつ送電そうでん設立せつりつもう反対はんたい賛成さんせいする官僚かんりょうを「人間にんげんのクズ」ばわりしたきゅう東邦とうほう電力でんりょく社長しゃちょう松永まつながやすしひだりもん任命にんめいされ、ヶ月かげつ審議しんぎふたつのあん政府せいふ答申とうしんされた。ひとつは三鬼みきたかし提案ていあんした「融通ゆうずう会社かいしゃあん」で、電気でんき事業じぎょうは9地域ちいき分割ぶんかつ民営みんえいするものの日本にっぽんはつ送電そうでん施設しせつは60パーセントを移管いかんさせ、のこりの40パーセントは国営こくえい融通ゆうずう会社かいしゃ管理かんりしてかく会社かいしゃあいだ電力でんりょく融通ゆうずう調整ちょうせいするというもので、日本にっぽんはつ送電そうでんあん民主みんしゅ委員いいんかいあんちかい。一方いっぽう松永まつなが提案ていあんした「9ブロックあん」は全国ぜんこく9地域ちいき一切いっさい発電はつでん送電そうでん配電はいでん分割ぶんかつするというもので、9配電はいでん会社かいしゃあんとほぼ同様どうようであった。このあんたい松永まつなが以外いがいの4委員いいん三鬼みきの「融通ゆうずう会社かいしゃあん」をし、松永まつながあん付加ふか意見いけんとして両論りょうろん併記へいきというかたち提出ていしゅつされた。官僚かんりょうきらいでもある松永まつなが戦前せんぜんから一貫いっかんして電力でんりょく事業じぎょう国家こっか必要ひつよう以上いじょう介入かいにゅうをすることに反対はんたいしており、委員いいんかいでは孤立こりつしながらも持論じろんとおしたのである。なお、松永まつなが宿願しゅくがんであった日本にっぽんはつ送電そうでん解体かいたい財団ざいだん法人ほうじん電力でんりょく中央ちゅうおう研究所けんきゅうじょ設立せつりつするなど電力でんりょく事業じぎょう発展はってん注力ちゅうりょくしたが、業界ぎょうかい発展はってん展望てんぼうして電気でんき料金りょうきん値上ねあげなどを強力きょうりょくすすめたこともあって、「電力でんりょくおに」とあだされた。

電気でんき事業じぎょうさい編成へんせいれい

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このふたつの答申とうしんあんたいしGHQは三鬼みきあんには強硬きょうこう反対はんたいし、松永まつながあんについては不十分ふじゅうぶんであるとしながらも支持しじした。政府せいふはGHQの意向いこうけて付加ふか意見いけんであった松永まつながの「9ブロックあん」を政府せいふあんとして採用さいようし、同年どうねんだい7かい通常つうじょう国会こっかいに「電気でんき事業じぎょうさい編成へんせい法案ほうあん」・「公益こうえき事業じぎょう法案ほうあん」として提出ていしゅつした。だが政府せいふ与党よとうである民主みんしゅ自由党じゆうとうでも反対はんたい意見いけんがあり、野党やとうからも反発はんぱつがあって国会こっかい審議しんぎ紛糾ふんきゅう審議しんぎ未了みりょうとなった。このため政府せいふ一旦いったんりょう法案ほうあんさい検討けんとうするためつぎだい8かい臨時りんじ国会こっかいでは法案ほうあん提出ていしゅつ見送みおくったのである。だがこの政府せいふ方針ほうしんにGHQはつよ異議いぎとなえ、早急そうきゅう法案ほうあん成立せいりつ督促とくそくした。さらにGHQはさい編成へんせい成立せいりつしないかぎり、日本にっぽんはつ送電そうでんや9配電はいでん会社かいしゃ申請しんせいする新規しんき電力でんりょく開発かいはつ設備せつび補修ほしゅう拡大かくだい増設ぞうせつおよ社債しゃさい発行はっこう増資ぞうし一切いっさい許可きょかしないと強硬きょうこう姿勢しせいった。これは電力でんりょく不足ふそく解消かいしょうするための新規しんき電力でんりょく開発かいはつのみならず、これと連携れんけいして実施じっしする河川かせん総合そうごう開発かいはつ事業じぎょう進捗しんちょくにも影響えいきょうおよぼし、当時とうじ建設省けんせつしょうすすめていた利根川とねがわ淀川よどがわなど6水系すいけいにおける「河川かせん改訂かいてい改修かいしゅう計画けいかく」などの治水ちすい事業じぎょうにまで影響えいきょうおよぼす懸念けねんがあった。

められた政府せいふだい9かい臨時りんじ国会こっかいでのりょう法案ほうあん強行きょうこう採決さいけつ検討けんとうしたが、成功せいこうする可能かのうせいきわめてひくかった。これをたGHQは関係かんけいするかく方面ほうめん占領せんりょうぐん命令めいれいじゅんじたかたちでの電気でんき事業じぎょうさい編成へんせい要請ようせいおこない、国会こっかい開会かいかい直後ちょくご1950ねん昭和しょうわ25ねん11月24にちポツダム政令せいれいはっして電力でんりょく事業じぎょう再編さいへんのための法令ほうれい、すなわち電気でんき事業じぎょうさい編成へんせいれい公益こうえき事業じぎょうれい公布こうふした。ここにおいてしゅうはいほう指定していからさんねんにわたって紛糾ふんきゅうした日本にっぽんはつ送電そうでんと9配電はいでん会社かいしゃ分割ぶんかつ民営みんえい問題もんだい決着けっちゃくたのである。公益こうえき事業じぎょうれいもとづいて設置せっちされた公益こうえき事業じぎょう委員いいんかいは、両社りょうしゃ再度さいどさい編成へんせい計画けいかくしょ提出ていしゅつもとめ、これを日本にっぽんはつ送電そうでん株式会社かぶしきがいしゃ総裁そうさいと9配電はいでん会社かいしゃ社長しゃちょうによって組織そしきする電気でんき事業じぎょうさい編成へんせい中央ちゅうおう委員いいんかい検討けんとうすることになった。

日本にっぽんはつ送電そうでん終焉しゅうえん

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長沢ながさわ発電はつでんしょ長沢ながさわダム高知こうちけん吉野川よしのがわ)。日本にっぽんはつ送電そうでん最後さいご完成かんせいさせた発電はつでん事業じぎょうとなった。

電気でんき事業じぎょうさい編成へんせい中央ちゅうおう委員いいんかいでは、日本にっぽんはつ送電そうでん所有しょゆう施設しせつ分与ぶんよおよ水力すいりょく発電はつでんにおける発電はつでん用水ようすい利権りけん帰属きぞく重要じゅうよう議題ぎだいとなった。基本きほんてきには「属地ぞくち主義しゅぎ」として、かく地域ちいき存在そんざいするすべての施設しせつあらたに設立せつりつされる9電力でんりょく会社かいしゃ[注釈ちゅうしゃく 17]北海道電力ほっかいどうでんりょく東北電力とうほくでんりょく東京電力とうきょうでんりょく中部電力ちゅうぶでんりょく北陸電力ほくりくでんりょく関西電力かんさいでんりょく中国電力ちゅうごくでんりょく四国電力しこくでんりょく九州電力きゅうしゅうでんりょく)に移管いかんするとさだめられた。

北海道ほっかいどう中国ちゅうごく四国しこく九州きゅうしゅうかく地方ちほう水力すいりょく発電はつでんしょ水利すいりけん、ならびに全国ぜんこく火力かりょく発電はつでんしょ変電へんでん配電はいでん施設しせつについては、ほぼ順当じゅんとうかく地域ちいきてられたが、最大さいだい問題もんだいになったのは、東北とうほく関東かんとう北陸ほくりく新潟にいがたけんふくむ)・中部ちゅうぶ関西かんさい三重みえけんふくむ)かく地方ちほうにおける河川かせん発電はつでん用水ようすい利権りけん帰属きぞくであった。 とく北陸ほくりく中部ちゅうぶ地方ちほうは、日本にっぽんアルプスがあること、豪雪ごうせつ地帯ちたいおおいことからおおくの河川かせん急流きゅうりゅうで、水量すいりょう豊富ほうふであった。このため大正たいしょう時代じだいには、かく電力でんりょく会社かいしゃとくちかられて水力すいりょく発電はつでん開発かいはつおこなった。そしてこれらの水力すいりょく発電はつでんしょ水利すいりけんは、最初さいしょ開発かいはつした電力でんりょく会社かいしゃ保有ほゆうするという「いち河川かせんいちしゃ主義しゅぎ」が厳然げんぜんとして存在そんざいし、電力でんりょく会社かいしゃがそれらの河川かせん新規しんき参入さんにゅうすることは事実じじつじょう不可能ふかのうであった。だが9ブロックに地域ちいき分割ぶんかつした場合ばあい、この地域ちいきについては複数ふくすう電力でんりょく会社かいしゃ様々さまざま協定きょうていもとづいたり、あるいは合併がっぺいによる帰属きぞく変更へんこうなどで水利すいりけん所在しょざい複雑ふくざつんでおり、むずかしい対応たいおうせまられた。

おな時期じき政府せいふ国土こくど総合そうごう開発かいはつほう制定せいてい(1950ねん)にともなう22地域ちいき特定とくてい地域ちいき総合そうごう開発かいはつ計画けいかく策定さくてい戦前せんぜんられただい規模きぼかつ広域こういき水力すいりょく発電はつでん計画けいかく只見ただみ川筋かわすじ水力すいりょく開発かいはつ計画けいかく概要がいよう飛騨川ひだがわ流域りゅういき一貫いっかん開発かいはつ計画けいかく常願寺川じょうがんじがわ有峰ありみね発電はつでん計画けいかくなど)が治水ちすいかんがい事業じぎょうわせた河川かせん総合そうごう開発かいはつ事業じぎょうとなるにいたった。こうしたことは配電はいでん地域ちいきへの電力でんりょく供給きょうきゅうをより確固かっこにさせることができるだけでなく、当該とうがい地域ちいきにおける経営けいえい基盤きばん強化きょうかにもつながるため、かく電力でんりょく会社かいしゃは「たからやま」である開発かいはつ河川かせん発電はつでん用水ようすい利権りけん簡単かんたん他社たしゃわたすことにたい強烈きょうれつ抵抗ていこうしたのである。

とく問題もんだいになったのは福島ふくしまけんながれる阿賀野川あがのがわ水系すいけい只見川ただみがわで、建設けんせつちゅう本名ほんみょう上田うえだ発電はつでんしょ水利すいりけん帰属きぞくめぐって東北電力とうほくでんりょく東京電力とうきょうでんりょくあらそい、都合つごう2ねんにおよぶ法廷ほうてい闘争とうそうまれたほか国会こっかいでも問題もんだいとなり、東北とうほく地方ちほうたい関東かんとう地方ちほう新潟にいがたけん対立たいりつにまで発展はってんした。

最終さいしゅうてきに、属地ぞくち主義しゅぎ例外れいがいとして、「北陸ほくりく中部ちゅうぶ河川かせんにおける発電はつでん用水ようすい利権りけんいち河川かせんいちしゃ主義しゅぎ適用てきようする」という中央ちゅうおう委員いいんかいの「裁定さいてい」という形式けいしきで、かく電力でんりょく会社かいしゃ妥協だきょうした。その結果けっか下表かひょう帰属きぞくじょうきょうであるが、同一どういつ水系すいけいであっても本流ほんりゅう支流しりゅう水利すいりけん帰属きぞくことなる水系すいけい木曽川きそがわなど)、どういち河川かせんであっても上流じょうりゅう下流かりゅう水利すいりけん所在しょざいことなる河川かせん黒部川くろべがわなど)、配電はいでん地域ちいき以外いがい電力でんりょく会社かいしゃ水利すいりけんすべ所有しょゆうする河川かせん庄川しょうがわなど)など、複雑ふくざつ水利すいりけん帰属きぞく体系たいけいとなった。信濃川しなのがわ水系すいけいでは本流ほんりゅう支流しりゅう流域りゅういきによって水利すいりけん所有しょゆうする電力でんりょく会社かいしゃことなるという状態じょうたい発生はっせいした。こうした水利すいりけん帰属きぞく多少たしょう変更へんこうこそあったものの、基本きほんてきには現在げんざいわっていない。こうした状況じょうきょうたとえると、中部ちゅうぶ地方ちほうながれる木曽川きそがわ本流ほんりゅうみず水力すいりょく発電はつでんかぎっていえば、流域りゅういきである名古屋なごや中心ちゅうしんとする中京ちゅうきょうけんではなく、流域りゅういきがい大阪おおさかなど関西かんさいけん三重みえけん大半たいはんのぞ関西かんさい地方ちほう福井ふくいけん若狭わかさ)に電力でんりょく供給きょうきゅうするために利用りようされているという状況じょうきょうつづいている。

日本にっぽんはつ送電そうでん全国ぜんこく発送はっそうでん業務ぎょうむいち引受ひきうけていたことは、全国ぜんこく電気でんき産業さんぎょう労働ろうどうしゃ労働ろうどう条件じょうけん統一とういつしやすい条件じょうけんとなっており、総評そうひょう牽引けんいんする日本電気にほんでんき産業さんぎょう労働ろうどう組合くみあいでんさん)の結束けっそくりょくしていたのである。日本にっぽんはつ送電そうでん分割ぶんかつされた結果けっか、9電力でんりょく会社かいしゃあいだ労働ろうどう条件じょうけん格差かくさまれて企業きぎょうべつあらたな組合くみあい結成けっせいうながし、でんさん闘争とうそうりょくよわくなることになった[5]。そして会社かいしゃこそ分割ぶんかつされたが、9電力でんりょく会社かいしゃあいだねやばつ解体かいたいされなかった[6]

北陸ほくりく中部ちゅうぶ近畿きんきにおける発電はつでん用水ようすい利権りけん帰属きぞく

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備考びこう1):2008ねん現在げんざい帰属きぞくじょうきょうしめす。地方自治体ちほうじちたいによる公営こうえい発電はつでん事業じぎょうおよび民間みんかん企業きぎょうによる自家じか発電はつでんかか水利すいりけん除外じょがいしている。
備考びこう2):らん配色はいしょくみどり東北電力とうほくでんりょく水色みずいろ東京電力とうきょうでんりょくうす中部電力ちゅうぶでんりょく北陸電力ほくりくでんりょくもも関西電力かんさいでんりょく水利すいりけん保有ほゆうする河川かせん流域りゅういき
水系すいけい 河川かせん 所在地しょざいち 流域りゅういき 保有ほゆう企業きぎょう
阿賀野川あがのがわ 阿賀野川あがのがわ 新潟にいがたけん 阿賀野川あがのがわ本流ほんりゅうおよび支流しりゅう全域ぜんいき 東北電力とうほくでんりょく
福島ふくしまけん 阿賀野川あがのがわ本流ほんりゅうおよび日橋川にっぱしがわ流域りゅういき以外いがい支流しりゅう 東北電力とうほくでんりょく
猪苗代湖いなわしろこ桧原ひのはら小野川湖おのがわこ秋元湖あきもとこ日橋川にっぱしがわ流域りゅういき 東京電力とうきょうでんりょく
只見川ただみがわ 群馬ぐんまけん 尾瀬沼おぜぬま 東京電力とうきょうでんりょく
福島ふくしまけん たきダムより上流じょうりゅうおく只見ただみ大鳥おおとり田子倉たごくら只見ただみの4ダム) 電源でんげん開発かいはつ
本名ほんみょうダムより阿賀野川あがのがわ合流ごうりゅうてんまでの下流かりゅう 東北電力とうほくでんりょく
信濃川しなのがわ 信濃川しなのがわ 長野ながのけん 信濃川しなのがわ本流ほんりゅう一部いちぶおよび犀川さいがわ高瀬川たかせがわ 東京電力とうきょうでんりょく
信濃川しなのがわ本流ほんりゅう一部いちぶおよび穂高ほたかがわ鳥居川とりいがわうすかわなど 中部電力ちゅうぶでんりょく
中津川なかつがわ 新潟にいがたけん 全域ぜんいき 東京電力とうきょうでんりょく
清津川きよつがわ 新潟にいがたけん おくきよし発電はつでんしょきょダムカッサダムふく上流じょうりゅう 電源でんげん開発かいはつ
中流ちゅうりゅう一部いちぶおよびカッサ川下かわしもりゅう 東京電力とうきょうでんりょく
魚野川うおのがわ 新潟にいがたけん 本流ほんりゅうおよび支流しりゅうだい部分ぶぶん 東北電力とうほくでんりょく
破間川あぶるまがわ上流じょうりゅうおよび黒又川くむまたがわ上流じょうりゅう破間川あぶるまがわ黒又川くむまたがわだいいち黒又川くむまたがわだいの3ダム) 電源でんげん開発かいはつ
姫川ひめかわ 姫川ひめかわ 長野ながのけん 本流ほんりゅう 中部電力ちゅうぶでんりょく
大所川おおところがわ 長野ながのけん 全域ぜんいき 東北電力とうほくでんりょく
黒部川くろべがわ 黒部川くろべがわ 富山とやまけん 本流ほんりゅう上流じょうりゅう黒部くろべ仙人せんにんだに小屋平こやだいらひらた宇奈月うなづきダム 関西電力かんさいでんりょく
本流ほんりゅう下流かりゅう 北陸電力ほくりくでんりょく
黒薙川くろなぎがわ 富山とやまけん 朝日あさひ小川おがわだいいち発電はつでんしょ関連かんれんする黒薙川くろなぎがわ流域りゅういき 北陸電力ほくりくでんりょく
それ以外いがい流域りゅういき 関西電力かんさいでんりょく
神通川じんづうがわ 神通川じんづうがわ 岐阜ぎふけん 宮川みやがわばれる本流ほんりゅう上流じょうりゅう 関西電力かんさいでんりょく
富山とやまけん 本流ほんりゅう中流ちゅうりゅうおよび富山とやま県内けんない支流しりゅう 北陸電力ほくりくでんりょく
高原川たかはらがわ 岐阜ぎふけん 全域ぜんいき 北陸電力ほくりくでんりょく
庄川しょうがわ 庄川しょうがわ 岐阜ぎふけん 御母衣みぼろダムより上流じょうりゅうおよび大白川おおしらかわ流域りゅういき 電源でんげん開発かいはつ
岐阜ぎふけん
富山とやまけん
鳩谷はとがやダムより下流かりゅうぜん流域りゅういき 関西電力かんさいでんりょく
手取川てどりがわ 手取川てどりがわ 石川いしかわけん 手取川てどりがわダム関連かんれんするほん流域りゅういき 電源でんげん開発かいはつ
それ以外いがいぜん流域りゅういき 北陸電力ほくりくでんりょく
九頭竜川くずりゅうがわ 九頭竜川くずりゅうがわ 福井ふくいけん わしダムより上流じょうりゅうおよび石徹白川いとしろがわ流域りゅういき 電源でんげん開発かいはつ
仏原ぶつばるダムより下流かりゅう本流ほんりゅうおよび真名まんながわ以外いがい支流しりゅう 北陸電力ほくりくでんりょく
大井川おおいがわ 大井川おおいがわ 静岡しずおかけん 田代たしろダム関連かんれんする本流ほんりゅう源流げんりゅう 東京電力とうきょうでんりょく
はたけなぎだいいちダムより下流かりゅう本流ほんりゅうおよび支流しりゅうぜん流域りゅういき 中部電力ちゅうぶでんりょく
天竜川てんりゅうがわ 天竜川てんりゅうがわ 長野ながのけん ぜん流域りゅういき 中部電力ちゅうぶでんりょく
静岡しずおかけん 本流ほんりゅうおよ気田川きたがわのぞ支流しりゅう佐久間さくま秋葉あきば船明ふなぎらしん豊根とよね水窪みさくぼダム 電源でんげん開発かいはつ
木曽川きそがわ 木曽川きそがわ 長野ながのけん
岐阜ぎふけん
本流ほんりゅう全域ぜんいきおよび長野ながの県内けんない支流しりゅう 関西電力かんさいでんりょく
飛騨川ひだがわ
長良川ながらがわ
揖斐川いびがわ
岐阜ぎふけん ぜん流域りゅういき 中部電力ちゅうぶでんりょく
新宮しんぐうがわ 熊野川くまのがわ 奈良ならけん 猿谷さるやダムより下流かりゅう本流ほんりゅうおよび北山川きたやまがわ流域りゅういき池原いけはらななしょく小森こもり坂本さかもとダム) 電源でんげん開発かいはつ
九尾つづらおダムより上流じょうりゅう本流ほんりゅうおよび北山川きたやまがわ以外いがい支流しりゅう 関西電力かんさいでんりょく

これら様々さまざま問題もんだいて、日本にっぽんはつ送電そうでんは、9配電はいでん会社かいしゃとも1951ねん昭和しょうわ26ねん5月1にちをもって全国ぜんこく9地域ちいき電力でんりょく会社かいしゃ分割ぶんかつされ、12ねんみじか活動かつどうえた。なお、分割ぶんかつされた9電力でんりょく会社かいしゃは、発足ほっそくしたあとしばらくは資金しきんてき脆弱ぜいじゃく(ぜいじゃく)な状態じょうたいつづいたため、満足まんぞく新規しんき電力でんりょく開発かいはつができなかった。これを補完ほかん電力でんりょく開発かいはつ促進そくしんすることを目的もくてきよく1952ねん昭和しょうわ27ねん)に電源でんげん開発かいはつ促進そくしんほう公布こうふ政府せいふ大蔵おおくら大臣だいじん財務ざいむ大臣だいじん)が66.69パーセント、のこりを9電力でんりょく会社かいしゃ出資しゅっししてしん会社かいしゃ設立せつりつした。これが電源でんげん開発かいはつ株式会社かぶしきがいしゃである。日本にっぽんはつ送電そうでん同様どうよう半官半民はんかんはんみん[注釈ちゅうしゃく 18]特殊とくしゅ会社かいしゃとして設立せつりつされ、のちには日本にっぽんはつ送電そうでん最後さいご総裁そうさいであった小坂こさかじゅんづくり総裁そうさい就任しゅうにんしているが、日本にっぽんはつ送電そうでんのように政府せいふ隷属れいぞくてき組織そしきとはならなかった。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 1890ねん明治めいじ23ねん日本郵船にっぽんゆうせん入社にゅうしゃ。1905ねん明治めいじ38ねん住友銀行すみともぎんこう入行にゅうこう、1930ねん昭和しょうわ5ねん)に会長かいちょうとなる。
  2. ^ 規約きやく全文ぜんぶんは「電力でんりょく連盟れんめい批判ひはん」『東洋経済新報とうようけいざいしんぽう』1932ねん5がつ28にち掲載けいさいされた。
  3. ^ 通常つうじょうは、郵政省ゆうせいしょう現在げんざい総務そうむしょう一部いちぶおよ日本にっぽん郵政ゆうせいグループ)およ日本電信電話にほんでんしんでんわ公社こうしゃ現在げんざいNTTグループ)・国際電信電話こくさいでんしんでんわ株式会社かぶしきがいしゃ現在げんざいKDDIとう広義こうぎ通信つうしん行政ぎょうせいおよ通信つうしん事業じぎょうたい前身ぜんしんとされることがおおいが、ほかにも、当時とうじ国営こくえいであった電信でんしん事業じぎょうとの関係かんけいから電力でんりょく行政ぎょうせい所管しょかんしており、このてんかんしては現在げんざい経済けいざい産業さんぎょうしょう前身ぜんしんたる。
  4. ^ 河川かせん行政ぎょうせいかんしては建設省けんせつしょう国土こくど交通省こうつうしょう前身ぜんしんである。
  5. ^ (1) 発電はつでん設備せつび、(イ)出力しゅつりょく5,000 kW超過ちょうかする水力すいりょく発電はつでん設備せつび、(ロ)出力しゅつりょく100,000 kWを超過ちょうかする火力かりょく発電はつでん設備せつび、(2) 送電そうでん設備せつび、(イ)最大さいだい電圧でんあつ100,000 V以上いじょうにおいて使用しようされるもの、(ロ)最大さいだい電圧でんあつ40,000 V以上いじょう100,000 V未満みまんにおいて使用しようされる送電そうでん設備せつびで、(1)発電はつでんしょから電気でんき主要しゅよう需要じゅよういた送電そうでん幹線かんせん送電そうでん系統けいとう連絡れんらく綜合そうごう運転うんてんをなすのを適当てきとうとするもの、(2) しゅとして電気でんき事業じぎょうしゃあいだにおける電力でんりょく受給じゅきゅうようきょうされるもの、または(3)最大さいだい電圧でんあつ40,000 V以上いじょうにおいて使用しようされる送電そうでん線路せんろ並行へいこう関係かんけいにある送電そうでん線路せんろ綜合そうごう運転うんてんにより電力でんりょく潮流ちょうりゅう改善かいぜんをなしるもの、(ハ)だい1ごう発電はつでん設備せつび相互そうごあいだ連絡れんらくするもの、(ニ)(イ)ないし(ハ)の送電そうでん設備せつびたいして送電そうでんじょう従属じゅうぞく関係かんけいになるもので電力でんりょく受給じゅきゅう関係かんけい整理せいりのために必要ひつようなもの、(3) 変電へんでん設備せつび、(イ)前号ぜんごう(イ)の送電そうでん設備せつび接続せつぞくするもの、(ロ)前号ぜんごう(ロ)ないし(ニ)の送電そうでん設備せつび接続せつぞくする変電へんでん設備せつび送電そうでん連絡れんらくのためにまたは電力でんりょく受給じゅきゅうのために必要ひつようなもの。ただし、電気でんき事業じぎょうほうだい30じょう規定きていされる施設しせつおよび特別とくべつ事由じゆうにより逓信ていしん大臣だいじん除外じょがいするものはこのかぎりでない(どうれい2じょう
  6. ^ のち名称めいしょう変更へんこうし、須田すだかいダムとなる。
  7. ^ 現在げんざい揚水ようすい発電はつでんおこなっていない。
  8. ^ 宇治川うじがわばれる流域りゅういき
  9. ^ 建設省けんせつしょう近畿きんき地方ちほう建設けんせつきょく直下ちょっかりゅう天ヶ瀬あまがせダム建設けんせつしたため、水没すいぼつ
  10. ^ 電気でんきちょうは1942ねん11月1にち行政ぎょうせい簡素かんそのため廃止はいしされ、逓信ていしんしょう電気でんききょくふたた設置せっちされていた。行政ぎょうせい簡素かんそ實施じっしためニスル遞信ていしんしょう官制かんせいちゅう改正かいせいけん昭和しょうわ17ねんみことのりれいだい754ごう)。
  11. ^ 黒部川くろべがわだいさん発電はつでんしょ工事こうじ顛末てんまつについては吉村よしむらあきら発表はっぴょうした小説しょうせつ、『高熱こうねつ隧道すいどう』がられている。
  12. ^ 1945ねん8がつ26にち廃止はいし
  13. ^ 阿賀野川あがのがわ犀川さいがわ黒部川くろべがわ神戸こうべがわ[よう曖昧あいまい回避かいひ]吉野川よしのがわ玖珠川くすがわ球磨川くまがわの7河川かせんおよ十和田湖とわだこ猪苗代湖いなわしろこの2湖沼こしょう
  14. ^ 詳細しょうさい不明ふめい
  15. ^ 日本にっぽんはつ送電そうでん同様どうよう特殊とくしゅ法人ほうじんであり、しゅうはいほうにより分割ぶんかつしん日本にっぽん製鐵せいてつ前身ぜんしん
  16. ^ 山陽さんよう国策こくさくパルプ日本製紙にほんせいし前身ぜんしんひとつ。
  17. ^ このとき沖縄おきなわけんアメリカ直接ちょくせつ統治とうちしており、1972ねん昭和しょうわ47ねん)の沖縄おきなわ返還へんかんのち沖縄電力おきなわでんりょく設立せつりつされ、それ以降いこうは10電力でんりょく会社かいしゃ体制たいせいである。
  18. ^ 2003ねん平成へいせい15ねん)の電源でんげん開発かいはつ促進そくしんほう廃止はいしともな政府せいふと9電力でんりょく会社かいしゃ保有ほゆうかぶ売却ばいきゃくされ、よく2004ねん平成へいせい16ねん)に東京とうきょう証券しょうけん取引とりひきしょ上場じょうじょう完全かんぜん民営みんえいされた。

出典しゅってん

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  1. ^ 栗栖くりす赳夫たけお外債がいさいわが社債しゃさい制度せいどあずかへた影響えいきょうなか)」『ダイヤモンド』1933ねん12月1にちごう
  2. ^ Tomohide Ito: Militarismus des Zivilen in Japan 1937–1940: Diskurse und ihre Auswirkungen auf politische Entscheidungsprozesse, (Reihe zur Geschichte Asiens; Bd. 19), München: Iudicium Verlag 2019, S. 207-246.
  3. ^ 電気でんきちょう官制かんせい昭和しょうわ14ねんみことのりれいだい153ごう
  4. ^ 軍需ぐんじゅしょう官制かんせい昭和しょうわ18ねんみことのりれいだい824ごう)。
  5. ^ 河西かさいひろしゆうでんさんがた賃金ちんぎん世界せかい早稲田大学わせだだいがく出版しゅっぱん 1999ねん pp.10-11。
  6. ^ 広瀬ひろせたかし私物しぶつ国家こっか 日本にっぽん黒幕くろまく系図けいず光文社こうぶんしゃ 1997ねん 系図けいず13 松永まつながあん左衛門さえもん電力でんりょく9しゃがつくりあげたねやばつ

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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