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旧石器時代きゅうせっきじだい

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更新こうしん
旧石器時代きゅうせっきじだい
前期ぜんき旧石器時代きゅうせっきじだい
中期ちゅうき旧石器時代きゅうせっきじだい
後期こうき旧石器時代きゅうせっきじだい
かんしん
ちゅう石器せっき時代じだい/旧石器時代きゅうせっきじだい
しん石器せっき時代じだい

旧石器時代きゅうせっきじだい(きゅうせっきじだい、英語えいご: Pal(a)eolithic Age)とは、ホモ・サピエンスなどヒトぞくによる石器せっきせい石器せっき)の使用しようはじまった時代じだいで、石器せっき時代じだい初期しょき前期ぜんきにあたる。年代ねんだいてきには260まんねんまえはじまる。旧石器時代きゅうせっきじだい石器せっき出現しゅつげんから農耕のうこう開始かいしまでの時代じだいかんしん)をさす。旧石器時代きゅうせっきじだい語源ごげんギリシャπαλαιός (palaios, ふるい)+ λίθος (lithos, いし)である。

時代じだい区分くぶん

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区分くぶんほう

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通常つうじょう旧石器時代きゅうせっきじだい以下いかの3つに区分くぶんされる。

  1. 前期ぜんき旧石器時代きゅうせっきじだい
  2. 中期ちゅうき旧石器時代きゅうせっきじだい
    • へずかた石器せっき出現しゅつげんした時代じだい
    • ネアンデルタールじんひろがった。極東きょくとうアジアの中期ちゅうき石器せっき文化ぶんか特徴とくちょうから、ヨーロッパからたネアンデルタールじんったものではなく、アジア原人げんじんから進化しんかした古代こだいがた新人しんじんによって形成けいせいされた可能かのうせいおおきいとされる。
  3. 後期こうき旧石器時代きゅうせっきじだい
    • 石器せっき急速きゅうそく高度こうど多様たようした時代じだい。このような技術ぎじゅつ革新かくしん原動力げんどうりょく言語げんごもとめるせつもある。クロマニョンじんホモ・サピエンス)が主流しゅりゅうとなり、化石かせき人類じんるい急速きゅうそく姿すがたした。

おも文化ぶんか分類ぶんるい

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区分くぶんほうにより、かく文化ぶんかおおきく3つの時代じだい分類ぶんるいされる。

  1. 前期ぜんき旧石器時代きゅうせっきじだい英語えいご: Lower Paleolithic/Early Stone Age、やく260まんねんまえ - やく30まんねんまえ
    1. オルドワン石器せっき文化ぶんかやく260まんねんまえ - やく180まんねんまえ
    2. アシュール文化ぶんかやく170まんねんまえ - やく10まんねんまえ
    3. クラクトン文化ぶんかやく30まんねんまえ - やく20まんねんまえ
  2. 中期ちゅうき旧石器時代きゅうせっきじだい英語えいご: Middle Paleolithic/Middle Stone Ageやく30まんねんまえ - やく3まんねんまえ
    1. ムスティエ文化ぶんかやく30まんねんまえ - やく3まんねんまえ
    2. アテリア文化ぶんか英語えいごばんやく8まん2せんねんまえ
  3. 後期こうき旧石器時代きゅうせっきじだい英語えいご: Upper Paleolithic/Later Stone Ageやく3まんねんまえ - やく1まんねんまえ
    1. バラドスティアン文化ぶんか英語えいごばん
    2. シャテルペロン文化ぶんか
    3. オーリニャック文化ぶんか
    4. グラヴェット文化ぶんか
    5. ソリュートレ文化ぶんか
    6. マドレーヌ文化ぶんか
    7. ハンブルク文化ぶんか
    8. アーレンスブルク文化ぶんか英語えいごばん
    9. スウィデリアン文化ぶんか英語えいごばん

日本にっぽんにおける旧石器時代きゅうせっきじだい

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日本にっぽんにおける旧石器時代きゅうせっきじだいは、後期こうきについては、きた北海道ほっかいどうからみなみ九州きゅうしゅうにかけて5000カ所かしょえる遺跡いせき確認かくにんされる。前期ぜんき中期ちゅうきについても、かずこそすくないがいくつか確認かくにんされている。 前期ぜんききゅう石器せっき遺跡いせきについてはすべ捏造ねつぞうであったことがわかっている(きゅう石器せっき捏造ねつぞう事件じけん参照さんしょう)。中期ちゅうきおおくが前期ぜんききゅう石器せっき捏造ねつぞうをした人物じんぶつ関与かんよしていて否定ひていてきである。 捏造ねつぞう事件じけん発覚はっかく以後いごあたらしく発見はっけんされた遺跡いせきについては議論ぎろんがある。

人口じんこう

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人類じんるいきた最古さいこ時代じだいである旧石器時代きゅうせっきじだい人口じんこう推定すいていが、研究けんきゅうしゃによって算定さんていした基準きじゅんちがいがあるが、発表はっぴょうされている。旧石器時代きゅうせっきじだい前期ぜんき(260まん〜20まんねんまえ)12まん5せんにんどう中期ちゅうき(20まん〜4まんねんまえ)100〜120まんにんどう後期こうき(4まん〜1まん3せんねんまえ)220〜300まんにん[1]

生業せいぎょう社会しゃかい

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氷河期ひょうがきした前期ぜんき旧石器時代きゅうせっきじだいにはおおむホモ・ハビリスホモ・エレクトスなどの原人げんじんるい中期ちゅうき旧石器時代きゅうせっきじだいにはおおむネアンデルタールじんなどのきゅう人類じんるい石器せっき武器ぶきにしてれで動物どうぶつりをしていた時代じだいであり社会しゃかい構造こうぞうははっきりしない。判明はんめいしているのは原始げんしてき採集さいしゅう集団しゅうだん生活せいかつ痕跡こんせきかわ獣皮じゅうひ加工かこうをしていたことである。利用りようは100まんねんまえ程度ていどからである。ほう更新こうしん北京ぺきん原人げんじんなどは次第しだい洞穴どうけつまい、若干じゃっかん言語げんご使つかっていたようである。ネアンデルタールじんはマンモスとうりなどで石器せっき次第しだい高度こうどなものとなり小屋こやつくって器具きぐ加工かこう獲物えもの解体かいたい調理ちょうりをしていた。埋葬まいそう習慣しゅうかんられ、壁画へきがなどをえがはじめる。

社会しゃかいべるものが検証けんしょうできるのは後期こうき旧石器時代きゅうせっきじだいおおむ新人しんじんるいクロマニョンじんなど、諸説しょせつあり)が登場とうじょうしてからである。石器せっきるいはさらに高度こうどやりばりあみなども使つかわれた。集落しゅうらくでの集団しゅうだん生活せいかつ中心ちゅうしんとしてさかえた痕跡こんせき顕著けんちょとなる。集団しゅうだんあいだでのこうそう交易こうえき集団しゅうだんないでの原始げんしてき宗教しゅうきょう儀礼ぎれい確認かくにんされる。

おおきな変化へんかあらわれるのはネアンデルタールじん絶滅ぜつめつ更新こうしんわってちゅう石器せっき時代じだい旧石器時代きゅうせっきじだいはい気候きこう温暖おんだんしてからである。氷河ひょうが後退こうたいしマンモスやトナカイとう大型おおがたじゅうきた寒冷かんれいり、わりに温暖おんだんではイノシシやシカなどが狩猟しゅりょう対象たいしょうとなった。植物しょくぶつ魚介ぎょかいるい採集さいしゅう発達はったつする。イヌなどが家畜かちくされ、狩猟しゅりょう戦闘せんとうおどりなどは壁画へきがえがかれた。今日きょうでは家畜かちくとなっているおおくの動物どうぶつや、自生じせいした栽培さいばい植物しょくぶつ原型げんけい狩猟しゅりょう採集さいしゅう対象たいしょうとしていた。

やがて人口じんこう増加ぞうかするほどに食糧しょくりょう豊富ほうふとなり、原始げんし家屋かおくつく居住きょじゅう農耕のうこう牧畜ぼくちくはじめるまえ段階だんかいはいる。しん石器せっき時代じだいまえぶれである。それまでは狩猟しゅりょう採集さいしゅう社会しゃかいであった。旧石器時代きゅうせっきじだい人類じんるい態様たいよう地域ちいきによって多様たようである。

旧石器時代きゅうせっきじだい社会しゃかいは、れまたは社会しゃかいごとに指導しどうしゃ存在そんざいした。男性だんせい女性じょせいはおおむね平等びょうどうで、男性だんせい狩猟しゅりょう女性じょせい漁労ぎょろうおよび育児いくじこととしていたが、この役割やくわりはしばしば共有きょうゆうされており、明確めいかく分業ぶんぎょうはされていなかったとかんがえられている[よう出典しゅってん]

当時とうじ人糞じんぷん化石かせきからは、旧石器時代きゅうせっきじだい人類じんるいハーブなど植物しょくぶつかんする知識ちしき豊富ほうふであったことがられ、現代げんだいじん想像そうぞうするよりも健康けんこうてき食事しょくじ実現じつげんされていたことも判明はんめいしている[よう出典しゅってん]

住居じゅうきょ

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住居じゅうきょのはじまりは、風雨ふううさむさをしのぐためや外敵がいてきからまもるためにいわかげ洞穴どうけつんだり、だい樹下じゅかなどにってらしたり、ゆうどう生活せいかつでは簡単かんたん小屋こやつくったりしたことだろうとおもわれる。前期ぜんき旧石器時代きゅうせっきじだい38まんねんまえのフランスのテラ・マタ遺跡いせき小屋こや、13まんねんまえのラザーレ洞穴どうけつない小屋こやなどが最古さいこ住居じゅうきょといわれている。

ほかにふるいものとしては、6まんねんまえ計測けいそくされるウクライナ地方ちほう中期ちゅうき旧石器時代きゅうせっきじだいのモロドヴァI遺跡いせき[2]住居じゅうきょないし風除かざよ構造こうぞうぶつがある。それは11×7メートルでマンモスほねきばかこったもので、15うちあと発見はっけんされている。狩猟しゅりょうのための見張みはじょうであったとかんがえられている。

道具どうぐ

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当時とうじ石器せっき(せい石器せっき)は、いし動物どうぶつほねいてつくられた鋭利えいりナイフやりハンドアックスなど、多岐たきにわたるものがつくられた。また、をくりぬいてカヤックカヌーつくって水上すいじょう移動いどうをしていた。さらにシアン化水素しあんかすいそやヘビのどくアルカロイドなど毒物どくぶつあつかいにもけていた[よう出典しゅってん]食糧しょくりょうくさらないよう、かわかしたり低温ていおん保存ほぞんさせたりということもっていた。

芸術げいじゅつ文化ぶんか

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自然しぜん信仰しんこう呪術じゅじゅつひろおこなわれたが、晩期ばんき旧石器時代きゅうせっきじだいヨーロッパでは35,000ねんまえ最初さいしょ芸術げいじゅつまれた。絵画かいがだけでなく塗装とそう彫刻ちょうこくはじまった。動物どうぶつ女性じょせいなどの彫刻ちょうこくつかっているが、その技術ぎじゅつはきわめてたかいとされる。芸術げいじゅつ信仰しんこう呪術じゅじゅつ緊密きんみつむすびついていた。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 田中たなかみがく紀元きげん前後ぜんこうのボートピープル(田中たなかみがく佐原さはらしんちょ考古学こうこがく散歩道さんぽみち岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ新書しんしょ(しんあかばん)312〉 1995ねんだい9はん)12ページ
  2. ^ 海部かいふ陽介ようすけ人類じんるいがたどってきたみち―“文化ぶんか多様たよう”の起源きげんさぐる―』日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい, 2005ねん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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