(Translated by https://www.hiragana.jp/)
有馬直純 - Wikipedia コンテンツにスキップ

有馬ありま直純なおずみ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
有馬ありま 直純なおずみ
時代じだい 安土あづち桃山ももやま時代じだい - 江戸えど時代じだい前期ぜんき
生誕せいたん 天正てんしょう14ねん1586ねん
死没しぼつ 寛永かんえい18ねん4がつ25にち1641ねん6月3にち
改名かいめい 忠清ただきよはつ)、直純なおずみ
戒名かいみょう 月光げっこういん殿どの金吾きんごほまれたかしだい居士こじ
れいめい ミゲル
墓所はかしょ 福井ふくいけん坂井さかい丸岡まるおかまち石城戸いしきどまちしろ道寺どうじ
官位かんい したがえ左衛門さえもん
幕府ばくふ 江戸えど幕府ばくふ
主君しゅくん 徳川とくがわ家康いえやす秀忠ひでただ家光いえみつ
はん 肥前ひぜんにち野江のえはんおも日向ひなた延岡のべおかはんあるじ
氏族しぞく 肥前ひぜん有馬ありま
父母ちちはは ちち有馬ありま晴信はるのぶはは大上おおがみ山田やまだじゅんぶんまわしむすめ
兄弟きょうだい 西郷さいごうじゅんけいしつ直純なおずみじゅんさだ酒井さかい摂津せっつもりしつ菊亭きくていしつ有馬ありま純忠すみただしつとみらん、於松、じつみこと
つま 正室せいしつ小西こにし如清むすめマルタ
継室けいしつ栄寿えいじゅいん徳川とくがわ家康いえやす養女ようじょ
かんじゅん本多ほんだ政勝まさかつ正室せいしつ吉子よしこ本多ほんだ政勝まさかつやしなえいもうと)、じゅんせい長子ちょうし秋元あきもととみあさ正室せいしつ)、有馬ありまじゅんおやしつ
テンプレートを表示ひょうじ

有馬ありま 直純なおずみ(ありま なおずみ)は、安土あづち桃山ももやま時代じだいから江戸えど時代じだい前期ぜんきにかけての大名だいみょう肥前ひぜんこくにち野江のえはんおも日向ひなたこく延岡のべおかはんおも晴信はるのぶけい肥前ひぜん有馬ありま2だい

生涯しょうがい

[編集へんしゅう]

天正てんしょう14ねん1586ねん)、有馬ありま晴信はるのぶ嫡男ちゃくなんとして肥前ひぜんこくにち野江のえじょうまれる[1]ちち同様どうようキリシタンであり、洗礼せんれいめいはミゲル。

慶長けいちょう5ねん1600ねん)、15さいから親元おやもとはな駿府すんぷじょう徳川とくがわ家康いえやす側近そっきんとしてつかえる。慶長けいちょう15ねん(1610ねん)、キリシタンであったつま・マルタ(小西こにし行長ゆきながめい)を離縁りえんし、家康いえやす養女ようじょくにひめ桑名くわなはん藩主はんしゅ本多ほんだ忠政ただまさむすめ)を正室せいしつとしてめとった。

慶長けいちょう17ねん1612ねん)にちち晴信はるのぶ岡本おかもと大八だいはち事件じけん責任せきにんわれ(直純なおずみ早期そうき家督かとく継承けいしょうと、つまくにひめ意向いこうけてキリシタンとのえんるべく、ちち処断しょだんするように幕臣ばくしんうったえたともされる)、改易かいえきのうえ死罪しざいとなったが、直純なおずみ家康いえやすとのえんふかかったために連座れんざまぬかれ、ちち所領しょりょういで肥前ひぜんにち野江のえはんおもとなった。同年どうねん江戸えど幕府ばくふによる禁教きんきょうれいしたが改宗かいしゅうし、領内りょうないのキリシタンを迫害はくがいした。また、慶長けいちょう18ねん1613ねん4がつ25にちには、ちちとそのつま・ジュスタのあいだまれた8さいと6さい異母弟いぼてい(フランシスコ(とみらん)とマティアス(於松)という洗礼せんれいめいのみのこる)を殺害さつがいしている。

しかし、これらのことから良心りょうしん呵責かしゃくえかねて嫌気いやけがさし、幕府ばくふうたてふうねが慶長けいちょう19ねん1614ねん)7がつ日向ひなた延岡のべおかに5まん3せんせき所領しょりょうあたえられた。寛永かんえい14ねん1637ねん)に旧領きゅうりょうこった天草てんぐさ島原しまばららんにおいては、地理ちりあかるいことから4000めいちか軍団ぐんだんひきいて征伐せいばつぐんくわわり、らんこしたみずからの旧臣きゅうしんもと領民りょうみん対決たいけつした。なおこのとき豊前ぶぜん中津なかつはんあるじ小笠原おがさわら長次ちょうじ配下はいかぐんかんとして参戦さんせんしていた剣豪けんごう宮本みやもと武蔵むさしから書簡しょかんっている[2]

寛永かんえい18ねん1641ねん)、直純なおずみ参勤交代さんきんこうたい途中とちゅう大坂おおさか屋敷やしきにて死去しきょした。享年きょうねん56。一説いっせつには、明石あかしおきふねちゅうにて死去しきょとも。

系譜けいふ

[編集へんしゅう]

父母ちちはは

正室せいしつ継室けいしつ

子女しじょ

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 上田うえだただしあきら津田つだ秀夫ひでお永原ながはらけい藤井ふじい松一しょういち藤原ふじわらあきら、『コンサイス日本人にっぽんじんめい辞典じてん だい5はん』、株式会社かぶしきがいしゃ三省堂さんせいどう、2009ねん 64ぺーじ
  2. ^ 書簡しょかん原本げんぽん吉川よしかわ英治えいじ記念きねんかん東京とうきょう青梅おうめ所蔵しょぞう