木村 伊兵衛
1941 | |
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1901 | |
1974 |
来歴
[- 1901
年 -東京 市 下谷 (現在 の東京 都 台東 区 )に生 まれた。子供 のころからおもちゃカメラを手 にして写真 に興味 を持 った。 - 1920
年 -砂糖 問屋 の台湾 台 南市 支店 に勤務 する傍 ら、同市 にあった遠藤 写真 館 で営業 写真 の技術 を習 い、アマチュア写真 クラブにおいて頭角 を現 した。 - 1924
年 -内地 帰還 後 、日暮里 で写真 館 を開業 した。[3] - 1929
年 8月 19日 -霞ヶ浦 にグラーフ・ツェッペリンが飛来 した際 、フーゴー・エッケナー船長 が縦 型 距離 計 フォーディスつきのライカIAを首 に提 げていたのに触発 されたのがライカ購入 の動機 になったという[4]。 - 1930
年 -花王 石鹸 (現 ・花王 )広告 部 に嘱託 として入社 。入社 後 すぐに購入 したライカIAでリアルな広告 写真 を撮 ることで注目 され、その後 ライカを主力 に作家 活動 を続 けた[4]。 - 1932
年 -月刊 写真 雑誌 『光画 』を野島 康三 らと発刊 し、ライカによるスナップ写真 を毎号 のように発表 した[4]。 - 1933
年 -名取 洋之助 、伊奈 信男 、原 弘 、岡田 桑 三 らと「日本 工房 」に参加 。写真 報道 をライカなどの小型 カメラの特性 を生 かして切 り開 いた。- 12月 - ヘクトール73mmF1.9レンズを
多用 した写真 を『光画 』に発表 するとともに写真 展 『ライカによる文芸 家 肖像 写真 展 』を開 き絶賛 を浴 びた[4]。
- 12月 - ヘクトール73mmF1.9レンズを
- 1934
年 -日本 工房 を退 いた伊奈 、原 らと「中央 工房 」を設立 。写真 部 として岡田 、そして光吉 夏 弥 、渡辺 義雄 らと国際 報道 写真 協会 を設置 した。 - 1938
年 -国家 総動員 法 公布 により『写真 週報 』の写真 家 に抜擢 。内閣 情報 部 傘下 の「写真 協会 」へ所属 した。 - 1941
年 -対外 宣伝 プロダクション「東方 社 」の写真 部 責任 者 に就任 した。 - 1942
年 - グラフ誌 『FRONT』の制作 ・発刊 に携 わった。 - 1943
年 -写真 集 『王道 楽土 』を出版 した。 - 1950
年 -日本 写真 家 協会 が設立 され初代 会長 に就任 [5]。また写真 雑誌 の投稿 写真 コンテストの選考 ・論評 を通 じて、アマチュア写真 の指導 者 として土門 拳 とともにリアリズム写真 運動 を推進 した。 - 1956
年 - 「日 中 文化 交流 協会 」発足 と同時 に常任 理事 に就任 。以降 、日 中 国交 回復 前後 の中国 を度々 訪 れ、日 中 友好 に尽力 した。 - 1962
年 5月 -前進 座 の撮影 を始 めた[6]。 - 1966
年 -日本 リアリズム写真 集団 の顧問 に就任 した。 - 1974
年 -日暮里 の自宅 でその生涯 を終 えた。墓所 は台東 区 寛永寺 。 - 1975
年 -故人 の功績 をたたえ、新人 写真 家 を対象 とした「木村 伊兵衛 写真 賞 」(朝日新聞社 主催 )が創設 される。以後 、新人 写真 家 の登竜門 として数 多 くの著名 写真 家 を輩出 している。
作風 ・人物 像
[ことさらにテーマを
ポートレートにおいても、
『
カメラにも
プロからアマチュアに
脚注
[注
[- ^
田沼 が書 いた文章 によると、木村 の撮影 助手 を長 く務 めた後 しばらくその仕事 を離 れていたが、ある日 木村 から、池田 首相 の写真 を撮 らねばならなくなったから手伝 うように、との連絡 があった[8]。また木村 は、撮影 は田沼 が行 うように指示 していた[8]。木村 はエリートや権力 的 人間 を嫌 っていたのでこの仕事 をやりたくなかったようだが、木村 の旧友 の生活 のためにやむなく引 き受 けたらしい[8]。実際 、迎 えのハイヤーの中 では箱根 に着 くまで木村 は機嫌 が悪 かったという[8]。撮影 はホテルの会議 室 が使 われたが、木村 ではなく助手 の田沼 が撮影 したので池田 は怪訝 な顔 をしていた[8]。その後 、撮影 場所 を池田 の別荘 に移 し、孫 や夫人 と一緒 に撮影 することになった際 、和室 姿 で庭 に現 れた池田 の衣服 を夫人 が直 そうとした瞬間 、木村 は田沼 の使 っていたライカをさっと取 り上 げて連続 してシャッターを切 った[8]。木村 の撮 った池田 勇人 の写真 はこの時 のものである。 - ^
背景 にTOKYO P.X.の文字 が見 えるので、銀座 4丁目 の服部 時計 店 (現 ・和光 )前 の写真 であることがわかる。
出典
[- ^ 『
朝日 年鑑 第 2巻 』 : “木村 伊兵衛 ” (p.55) 1973年 朝日新聞社 - ^ 『12月12
日 は写真 家 ・木村 伊兵衛 の誕生 日 です』 2014年 12月12日 FASHION HEADLINE - ^ この
写真 館 は後 に俳優 小沢 昭一 の父 が借 り受 けている。その後 戦災 で焼失 。 - ^ a b c d e 『クラシックカメラ
専 科 No.50、ライカブック'99ライカのメカニズム』p.128。 - ^
岩波書店 編集 部 編 『近代 日本 総合 年表 第 四 版 』岩波書店 、2001年 11月26日 、379頁 。ISBN 4-00-022512-X。 - ^ 『クラシックカメラ
専 科 No.19、ライカブック'92』p.24。 - ^
三島 靖 『木村 伊兵衛 と土門 拳 』p.17。 - ^ a b c d e f
渡辺 義雄 、安岡 章太郎 、佐々木 崑 ほか編 『木村 伊兵衛 写真 全集 昭和 時代 』 2巻 、筑摩書房 、1984年 、187頁 。ISBN 4480613021。 - ^ 『ニコン
党 入門 』p.165。
主 な没後 刊 の作品 集
[- 『
木村 伊兵衛 写真 集 パリ』のら社 、1974年 - 『
僕 とライカ木村 伊兵衛 傑作 選 +エッセイ』朝日新聞社 、2003年 /朝日 文庫 、2019年 、ISBN 402-2619589 - 『
木村 伊兵衛 昭和 を写 す』田沼 武能 編 、ちくま文庫 全 4巻 、1995年
- 1
戦 前 と戦後 、2よみがえる都市 、3人物 と舞台 、4秋田 の民俗
- 1
- 『
木村 伊兵衛 の昭和 』筑摩書房 「ちくまライブラリー」、1990年 -田沼 武能 編 、加太 こうじ解説 - 『
木村 伊兵衛 昭和 の女 たち』ちくまライブラリー、1991年 -田沼 武能 編 、長部 日出雄 解説 - 『
木村 伊兵衛 日本 の写真 家 8』岩波書店 、1998年 -小 著 (入門 書 ) - 『
木村 伊兵衛 人間 を写 しとった写真 家 』平凡社 「別冊 太陽 日本 のこころ」、2011年 -田沼 武能 監修 - 『
木村 伊兵衛 のパリ ポケット版 』朝日新聞 出版 、2014年 -田沼 武能 監修 、新編 普及 版 - 『
木村 伊兵衛 パリ残像 』クレヴィス、2016年 -田沼 武能 監修 - 『
木村 伊兵衛 写真 に生 きる』クレヴィス、2021年 -田沼 武能 ・飯沢 耕 太郎 解説
以下 は大著
- 『
木村 伊兵衛 写真 全集 昭和 時代 』筑摩書房 全 4巻 、1984年 、復刊 2001年 - 『
定本 木村 伊兵衛 』朝日新聞 社 、2002年 -田沼 武能 ・金子 隆一 監修 - 『
木村 伊兵衛 のパリ』朝日新聞社 、2006年 -同上 (1950年代 のパリを撮影 ) - 『
木村 伊兵衛 の秋田 』朝日新聞 出版 、2011年 -田沼 武能 監修
参考 文献
[三島 靖 『木村 伊兵衛 と土門 拳 写真 とその生涯 』平凡社 、1995年 /平凡社 ライブラリー、2004年 、ISBN 4582764886- 『
木村 伊兵衛 の眼 スナップショットはこう撮 れ!』平凡社 コロナ・ブックス、2007年 、ISBN 4582634281 -入門 書 三木 淳 、渡辺 良一 、渡辺 澄 晴 『ニコン党 入門 』池田 書店 ・実用 新書 カメラ、1983年 11月- 『クラシックカメラ
専 科 No.19、ライカブック'92』朝日 ソノラマ - 『クラシックカメラ
専 科 No.50、ライカブック'99ライカのメカニズム』朝日 ソノラマ