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木村きむら正義まさよし

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木村きむら正義まさよし

木村きむら 正義まさよし(きむら まさよし、1890ねん明治めいじ23ねん1がつ1にち[1] - 1952ねん昭和しょうわ27ねん9月28にち)は、日本にっぽん文部もんぶ官僚かんりょう政治せいじ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん(4)。

略歴りゃくれき

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東京とうきょう出身しゅっしん1915ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく法科ほうか大学だいがく法律ほうりつ学科がっかどくほう)を卒業そつぎょう官界かんかいはいり、京都きょうと久世くせぐんちょう文部もんぶ書記官しょきかんけん文部もんぶ大臣だいじん秘書官ひしょかん文部省もんぶしょう学生がくせいちょう同省どうしょう実業じつぎょう学務がくむきょくちょうなどを歴任れきにん

1932ねん2がつだい18かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ熊本くまもとけんだい1立憲りっけん政友せいゆうかいから出馬しゅつば当選とうせん以後いごだい19かいだい20かい1942ねんだい21かいそう選挙せんきょ翼賛よくさん政治せいじ体制たいせい協議きょうぎかい候補こうほ)まで連続れんぞく4かい当選とうせんはたした。このあいだ立憲りっけん政友せいゆうかい総務そうむだい1近衛このえないかく内務ないむ参与さんよかんべい内内うちうちかく大蔵おおくら政務次官せいむじかん歴任れきにんした。

1945ねん4がつ香川かがわけん知事ちじ就任しゅうにん。1945ねん6がつ10日とおかより同年どうねん10がつ31にちまで四国しこく地方ちほう総監そうかん兼任けんにんした。戦後せんご公職こうしょく追放ついほうとなる[2]1951ねん追放ついほう解除かいじょ[3]よく1952ねん死去しきょ

著作ちょさく

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栄典えいてん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 衆議院しゅうぎいんだいなな十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院しゅうぎいん公報こうほう附録ふろく〉、1936ねん、30ぺーじ
  2. ^ 公職こうしょく追放ついほう該当がいとう事項じこうは「翼賛よくさん支部しぶちょう武徳ぶとくかい香川かがわ支部しぶちょう」。(総理そうりちょう官房かんぼう監査かんさ へん公職こうしょく追放ついほうかんする覚書おぼえがき該当がいとうしゃ名簿めいぼ日比谷ひびや政経せいけいかい、1949ねん249ぺーじNDLJP:1276156 
  3. ^ 毎日新聞まいにちしんぶん』1951ねん8がつ7にちめん
  4. ^ 官報かんぽうだい4438ごう付録ふろく辞令じれい」1941ねん10がつ23にち

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいんへん議会ぎかい制度せいどななじゅうねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1962ねん
  • しんてい 政治せいじ家人かじんめい事典じてん 明治めいじ昭和しょうわ日外にちがいアソシエーツ、2003ねんISBN 9784816918056
公職こうしょく
先代せんだい
土肥どいべいこれ
四国しこく地方ちほう行政ぎょうせい協議きょうぎかい会長かいちょう
日本の旗 四国しこく地方ちほう総監そうかん
1945ねん
次代じだい
田中たなか省吾しょうご
四国しこく地方ちほう行政ぎょうせい事務じむきょく長官ちょうかん
先代せんだい
清瀬きよせ規矩きくゆう
日本の旗 大蔵おおくら政務次官せいむじかん
1940ねん
次代じだい
小笠原おがさわらさんきゅうろう
先代せんだい
肝付きもつきけんえい
日本の旗 内務ないむ参与さんよかん
1937ねん - 1939ねん
次代じだい
中井なかい一夫かずお
先代せんだい
新設しんせつ
日本の旗 航海こうかい練習れんしゅうしょなが
1930ねん - 1932ねん
次代じだい
菊池きくち豊三郎とよさぶろう
先代せんだい
長世ながよきち
京都きょうと久世くせぐんちょう
1918ねん - 1919ねん
次代じだい
平田ひらた光雄みつお