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村田むらた孝生たかお

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村田むらた 孝生たかお
生誕せいたん 1893ねん10月6にち
日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょう
死没しぼつ 1953ねん4がつ3にち
所属しょぞく組織そしき 日本にっぽん陸軍りくぐん
ぐんれき 1915 -
最終さいしゅう階級かいきゅう  陸軍りくぐん中将ちゅうじょう
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村田むらた 孝生たかお(むらた たかお/たかいき、1893ねん10月6にち - 1953ねん4がつ3にち)は、日本にっぽん陸軍りくぐん軍人ぐんじん最終さいしゅう階級かいきゅう陸軍りくぐん中将ちゅうじょう

経歴けいれき

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東京とうきょうまれ。東京とうきょう府立ふりつだいいち中学校ちゅうがっこうて、1915ねん大正たいしょう4ねん)5がつ陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう(27)を卒業そつぎょう同年どうねん12がつ歩兵ほへい少尉しょうい任官にんかん1928ねん昭和しょうわ3ねん)12月、陸軍りくぐんだい学校がっこう(40)を卒業そつぎょう

1938ねん昭和しょうわ13ねん)7がつ歩兵ほへい大佐たいさ昇進しょうしんだい1独立どくりつ守備しゅびたい参謀さんぼう就任しゅうにん1939ねん昭和しょうわ14ねん)1がつ関東軍かんとうぐん隷下れいか歩兵ほへいだい43連隊れんたいちょうとなり、1940ねん昭和しょうわ15ねん)12月、だい11ぐん隷下れいかだい33師団しだん参謀さんぼうちょうてんじ、にちちゅう戦争せんそうささえ事変じへん)の錦江きんこう作戦さくせん中原なかはら会戦かいせん出動しゅつどう

太平洋戦争たいへいようせんそうだい東亜とうあ戦争せんそう)にいてはだい15ぐん隷下れいかとしてビルマ侵攻しんこう作戦さくせんの「解放かいほう尖兵せんぺい」として活躍かつやくした。1942ねん昭和しょうわ17ねん)8がつ陸軍りくぐん少将しょうしょう進級しんきゅう以後いご関東軍かんとうぐん隷下れいかだい14歩兵ほへい団長だんちょうささえ派遣はけんぐん隷下れいか独立どくりつ歩兵ほへいだい12旅団りょだんちょう歴任れきにん1945ねん昭和しょうわ20ねん)4がつ陸軍りくぐん中将ちゅうじょうすすみ、同年どうねん6がつだい2そうぐん隷下れいかだい231師団しだんちょう発令はつれいされ、山口やまぐち付近ふきん本土ほんど決戦けっせんそなえていたが、交戦こうせんすることなく終戦しゅうせんむかえた。

1947ねん昭和しょうわ22ねん)11月28にち公職こうしょく追放ついほうかり指定していけた[1]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 総理そうりちょう官房かんぼう監査かんさへん公職こうしょく追放ついほうかんする覚書おぼえがき該当がいとうしゃ名簿めいぼ日比谷ひびや政経せいけいかい、1949ねん、「昭和しょうわじゅうねんじゅういちがつじゅうはちにち かり指定していしゃ」84ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 福川ふくかわ秀樹ひでき日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、2001ねん
  • 外山とやまみさおへん陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1981ねん