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もりはる

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
もりはる
作者さくしゃ 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 短編たんぺん小説しょうせつ
発表はっぴょう形態けいたい 雑誌ざっし掲載けいさい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつあかとり1920ねん7がつごう
刊本かんぽん情報じょうほう
収録しゅうろく夜来やらいはな
出版しゅっぱんもと 新潮社しんちょうしゃ
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ 1921ねん3月14にち
ウィキポータル 文学ぶんがく ポータル 書物しょもつ
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もりはる』(とししゅん)とは、1920ねん大正たいしょう9ねん)に雑誌ざっしあかとり』にて発表はっぴょうされた芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ短編たんぺん小説しょうせつふくげん[1][2]へんの『ぞくげんかいろく中国語ちゅうごくごばんおようしそう[3]へんの『げんかいろく中国語ちゅうごくごばん[4]双方そうほう収録しゅうろくされたとされる伝奇でんき小説しょうせつもりはる中国語ちゅうごくごばん』を童話どうわしたものである。芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけは、1927ねん2がつ3にちづけ河西かさい信三しんぞう[5]あて書簡しょかん[6] に「とう小説しょうせつもりはるでん主人公しゅじんこうもちいひをりこうへども、はなしは 2/3 以上いじょう創作そうさくゆうこう」といており、またかれ蔵書ぞうしょていかえふる せんもりはるでん』があったらしい[7]

ほんこうでは、どう作品さくひん原作げんさくとするテレビアニメについても記述きじゅつする。

あらすじ

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とう王朝おうちょう洛陽らくよう[8]。あるはる日暮ひぐれ、西門にしもんしたもりはるという若者わかもの一人ひとりたたずんでいた。かれ金持かねもちの息子むすこだったが、おや遺産いさんあそらして散財さんざいし、いま乞食こじき同然どうぜんになっていた。

そんなかれあわれんだかたすがめ(すがめ、斜視しゃし)の不思議ふしぎ老人ろうじんが、「この場所ばしょように」ともりはるにいいふくめる。その場所ばしょからは荷車にぐるまいちりょうぶん黄金おうごんされ、たちまちもりはるだい富豪ふごうになる。しかし財産ざいさん浪費ろうひするうちに、3ねんには一文いちぶんしになってしまうが、もりはるはまた西門にしもんした老人ろうじん出会であっては黄金おうごんし、ふたた大金持おおがねもちになってもあそらして蕩尽とうじんする。

3度目どめ西門にしもんしたもりはる心境しんきょうには変化へんかがあった。金持かねもちの自分じぶん周囲しゅういからちやほやされるが、一文いちぶんしになればかえしたようにつめたくあしらわれる。人間にんげんというものに愛想あいそかしたもりはる老人ろうじん仙人せんにんであることを見破みやぶり、仙術せんじゅつおしえてほしいと懇願こんがんする。そこで老人ろうじん自分じぶんてつかんむり[9]という仙人せんにんであることをかし、自分じぶんむという峨眉山がびさんれてく。

峨眉山がびさん頂上ちょうじょう一人ひとりのこされたもりはる試練しれんける。てつかんむりかえってくるまで、なにがあってもくちをきいてはならないというのだ。とら大蛇おろちおそわれても、かれ姿すがたあやしんだかみころされても、地獄じごくちてくわえられても、もりはる一言ひとことはっしなかった。おこった閻魔えんま大王だいおうは、畜生道ちくしょうどうちたもりはる両親りょうしんれてきたさせると、かれまえおにたちにめったちにさせる。無言むごんつらぬいていたもりはるだったが、くるしみながらももりはるおも母親ははおやしんり、れずに「おかあさん」と一声いっせいさけんでしまった。

さけぶと同時どうじもりはる現実げんじつもどされる。洛陽らくようもんしたはる日暮ひぐれ、すべては仙人せんにんせていたまぼろしだった。これからは人間にんげんらしいらしをするともりはるに、仙人せんにん泰山たいざんふもとにあるいちけんいえはたけあたえてっていった。

原拠げんきょとの相違そういてん

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原拠げんきょとされる『もりはる』では、もりはる地獄じごくちたのちおんなまれわって誕生たんじょうするが、やはりまったものわず、結婚けっこんしてんでもよろこびのこえひとはつしなかったため、おこったおっとあかぼうはたころし、そこでつまもりはる)が悲鳴ひめいげたところで現実げんじつもどり、仙人せんにんこえさなかったら仙薬せんやくができ仙人せんにんになれたのに、とってはなす。これは、すべてのものにたいする執着しゅうちゃくててこそのぼりせん出来できるという道教どうきょう思想しそう根差ねざしている。たいして芥川あくたがわは、おや地獄じごくける場面ばめんえて、「あのときもしせいさなかったら、おまえころしていた」と仙人せんにんわせ、他者たしゃへのいつくしみのしんとうと大乗だいじょう仏教ぶっきょうそくした結末けつまつえている。

西岡にしおか晴彦はるひこ[10]は、日本にっぽん中国ちゅうごく文学ぶんがく研究けんきゅうしゃ幼児ようじ芥川あくたがわ作品さくひんんだことの影響えいきょうで、原拠げんきょ小説しょうせつせっしたときに解釈かいしゃくにあるしゅゆがみをもたらしてはいないか、と提起ていきしている[11]

テレビアニメ

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あかとりのこころ

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1979ねんテレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ放送ほうそうされていた『あかとりのこころだい24(1979ねん7がつ16にち放送ほうそうぶん)で映像えいぞうされた。

まんがこども文庫ぶんこ

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1978ねん10がつからTBS系列けいれつきょく放送ほうそうされていた『まんがこども文庫ぶんこ』(毎日放送まいにちほうそう)のだい27(1979ねん4がつ13にち放送ほうそうぶん)でげられた。どう番組ばんぐみはそれまで2ほん作品さくひん放送ほうそうするスタイルをっていたが、ほんさくはじめて1ほん作品さくひんを30ふんとおして放送ほうそうした。

スペシャルアニメ

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もりはる
アニメ
原作げんさく 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ
監督かんとく 斉藤さいとう武市たけいち
脚本きゃくほん 首藤しゅどう剛志たけし
音楽おんがく 山本やまもと直純なおずみ
製作せいさく TBSダックスインターナショナル
放送ほうそうきょく TBS系列けいれつ
放送ほうそう期間きかん 1981ねん4がつ12にち -
はなしすう ぜん1
テンプレート - ノート
プロジェクト アニメ
ポータル 文学ぶんがくアニメ

上記じょうき『まんがこども文庫ぶんこ』での放送ほうそうから2ねんの1981ねん4がつ12にち日曜にちよう) 19:30 - 20:55 (日本にっぽん標準時ひょうじゅんじ)に、おなじくTBS系列けいれつきょく放送ほうそうぜん1

TBSダックスインターナショナル共同きょうどう製作せいさくした作品さくひんで、この2しゃ当時とうじどう系列けいれつきょく放送ほうそうされていた『まんがはじめて物語ものがたり』でもタッグをんでいた。脚本きゃくほん担当たんとうには『戦国せんごく魔神まじんゴーショーグン』でブレイクするまえ首藤しゅどう剛志たけし[12]監督かんとくには映画えいが監督かんとく斉藤さいとう武市たけいち[12]、そしてキャラクター設定せってい担当たんとう作画さくが監督かんとくには東京とうきょうムービーげんトムス・エンタテインメント作品さくひんがけた椛島かばしま義夫よしお起用きようしていた[12]

こえ出演しゅつえん

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  • もりはる - 太田おおた淑子としこ
  • ナレーター - 宇野うの重吉しげよし
  • ほか[だれ?]
  • 「オールシネマ」より[どれ?]

    スタッフ

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    ちゅう出典しゅってん

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    1. ^ りふくげん、中国ちゅうごくちゅうとうばんとうひととされるがしょう
    2. ^ ふくげんていかえいにしえだというせつがあるが、今村いまむら与志雄よしお論外ろんがいとしている。(からそう伝奇でんきしゅう 『13 もりはる』の訳注やくちゅう 1988ねん 岩波いわなみ文庫ぶんこ p.265 ISBN 978-4003203828)。伝奇でんき小説しょうせつ参照さんしょう
    3. ^ ぎゅう そうじゅ、779ねん-847ねん中国ちゅうごくとうだい政治せいじ。『げんかいろく』の撰者せんじゃとみなされている。
    4. ^ 残存ざんそん原文げんぶんテキストとされる『太平たいへいこう神仙しんせんじゅうろく もりはるじょう末尾まつびに「ぞくげんかいろく」とあり、従来じゅうらいふくげんせんとされたが、おうゆめ鷗(おうぼうおう、1907-2002ねん、『唐人とうじん小説しょうせつ研究けんきゅうよんしゅうげんかいろく及其後継こうけい作品さくひんべんりゃく上下じょうげ、1978ねん台北たいぺい)、ほどあつしちゅう(ていきちゅう、1930ねん-、『げんかいろくみつるげんかいろくてんこう説明せつめい中華ちゅうかしょきょく小説しょうせつくさむらかん、1982ねん北京ぺきん)は『げんかいろくせつ提示ていじしている。ウィキソースのロゴ 中国語ちゅうごくごばんウィキソースほん記事きじ関連かんれんした原文げんぶんがあります:太平たいへいこう/まきだい016
    5. ^ かわにししんぞう、詳細しょうさい不明ふめいだが文面ぶんめんからすると教職きょうしょくしゃか?
    6. ^ 「あのとうかばのしゅう永楽えいらくひとりょいわおほらまろうどもう仙人せんにんさくゆうこう年少ねんしょう生徒せいとには字義じぎなどを説明せつめいおよばざる乎。なほまた拙作せっさくもりはる」はとう小説しょうせつもりはるでん主人公しゅじんこうもちいひをりこうへども、はなしは2/3以上いじょう創作そうさくゆうこう。なほなほまたあのなかてつかんむりもうすのはさんこく時代じだいひだり慈ともう仙人せんにんみちごうゆうこうさんこく時代じだいにはこうへども、なにしろ長生ちょうせい不死ふし仙人せんにんとうだい出没しゅつぼついたすもささえへなかるべくこうりょほらまろうどひだり慈のことはいろいろのほんゆうこうへども、現代げんだいほんにては東海林しょうじ辰三郎たつさぶろうちょささえ仙人せんにん列伝れつでんらんになればよろしくこう。」(『芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ全集ぜんしゅうだい11かん 書簡しょかん 2 岩波書店いわなみしょてん 1978ねん p.497)
    7. ^ 太平たいへいこうというせつもあるが、典拠てんきょ不明ふめい
    8. ^ 初出しょしゅつの『あかとり掲載けいさいばん(1920ねん)では長安ながやすとなっており、原拠げんきょおなじ。翌年よくねん新潮社しんちょうしゃかんたん編集へんしゅう夜来やらいはな影印えいいん以降いこうはんから洛陽らくようとなる。《芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ全集ぜんしゅう だい4かん 1977ねん 後記こうき
    9. ^ 芥川あくたがわ河西かさい信三しんぞうあて書簡しょかんひだりみちごうであると説明せつめいしているが、小説しょうせつ三国志さんごくし演義えんぎだい68かい登場とうじょうするひだり慈のみちごうがらすかく(うかく)先生せんせいである。このちがいについては成瀬なるせ哲生てつお(なるせてつお、1949-、山梨大学やまなしだいがく教授きょうじゅ)が紀要きよう論文ろんぶん芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけの「もりはる」:てつかんむりななぜっこう徳島大学とくしまだいがく国語こくご国文學こくぶんがく 2, 20-29, 1989-03-31 pdf一説いっせつ提起ていきしている。
    10. ^ にしおかはるひこ、1932年生ねんせいもと信州大学しんしゅうだいがく人文学部じんぶんがくぶ教授きょうじゅ
    11. ^ 西岡にしおか晴彦はるひこもりはるでん=その虚像きょぞう実像じつぞう=』《筑波大学つくばだいがく 漢文かんぶん学会がっかい会報かいほう 42, 25-38, 1984》pdf p.25
    12. ^ a b c d e f g 首藤しゅどう剛志たけし (2006ねん4がつ5にち). “シナリオえーだば創作そうさくじゅつ だい44かい 実写じっしゃとアニメ”. WEBアニメスタイル_COLUMN. 2017ねん3がつ24にち閲覧えつらん

    外部がいぶリンク

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