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東京とうきょう大神宮だいじんぐう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
東京とうきょう大神宮だいじんぐう


拝殿はいでん(2019ねん7がつ19にち撮影さつえい

地図
所在地しょざいち 102-0071
東京とうきょう千代田ちよだ富士見ふじみ2-4-1[1]
位置いち 北緯ほくい3541ふん59.94びょう 東経とうけい13944ふん48.73びょう / 北緯ほくい35.6999833 東経とうけい139.7468694 / 35.6999833; 139.7468694 (東京とうきょう大神宮だいじんぐう)座標ざひょう: 北緯ほくい3541ふん59.94びょう 東経とうけい13944ふん48.73びょう / 北緯ほくい35.6999833 東経とうけい139.7468694 / 35.6999833; 139.7468694 (東京とうきょう大神宮だいじんぐう)
主祭しゅさいしん てんあきらすめらぎ大神だいじん
ゆたか受大しん
社格しゃかくひとし 別表べっぴょう神社じんじゃ[2]
創建そうけん 明治めいじ13ねん(1880ねん)4がつ17にち[2]
例祭れいさい 4がつ17にち[1]
地図ちず
東京大神宮の位置(東京都区部内)
東京大神宮
東京とうきょう大神宮だいじんぐう
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東京とうきょう大神宮だいじんぐう(とうきょうだいじんぐう)は、東京とうきょう千代田ちよだ富士見ふじみ丁目ちょうめにある神社じんじゃ[1][2]てんあきらすめらぎ大神だいじんゆたか受大しんおも祭神さいじんとする[3]

1880ねん明治めいじ13ねん4がつ17にち有楽町ゆうらくちょう大隈おおくま重信しげのぶやしきあと落成らくせいしたすめらぎ大神宮だいじんぐう遙拝ようはい殿どの起源きげんであり[2]一般いっぱんには「日比谷ひびや大神宮だいじんぐう」もしくは「日比谷ひびやすめらぎ大神宮だいじんぐう」としょうされた[4]すめらぎ大神宮だいじんぐう伊勢神宮いせじんぐう内宮ないくうであり、現代げんだい東京とうきょう大神宮だいじんぐうは「東京とうきょうのお伊勢いせさま」という看板かんばんかかげており、通称つうしょうともなっている[5]

明治めいじ政府せいふ宗教しゅうきょう政策せいさく転換てんかんにより神宮じんぐうつかさちょう神宮じんぐうきょういん分離ぶんりすると、後者こうしゃぞくしていたほん神社じんじゃは、大神宮だいじんぐうほこら神宮じんぐうたてまつときかいほんいんいく改名かいめいした[2][6]

1900ねん明治めいじ33ねん)5がつ10日とおか皇太子こうたいしよしみじん親王しんのう(のちの大正天皇たいしょうてんのう)の結婚式けっこんしき宮中きゅうちゅうさん殿どのおこなわれる[7]。これを記念きねん神前しんぜんしき結婚式けっこんしき創始そうし現在げんざいつたわる神前しんぜん結婚式けっこんしきとなった[6][8]

1923ねん大正たいしょう12ねん)9がつ1にち関東大震災かんとうだいしんさい被災ひさいし、1928ねん昭和しょうわ3ねん)に現在地げんざいち移転いてんして飯田橋いいだばし大神宮だいじんぐうばれた[6]

太平洋戦争たいへいようせんそう終結しゅうけつ1946ねん昭和しょうわ21ねん)1がつ宗教しゅうきょう法人ほうじん東京とうきょう大神宮だいじんぐう改称かいしょうし、現在げんざいいた[1]

祭神さいじん

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てんあきらすめらぎ大神だいじんゆたか受大しん主祭しゅさいしんとする[3]てん御中おんちゅう主神しゅしんこう御産おさんしんかみ御産おさんしんやまとうりいのちそう殿どのまつ[6][9]

歴史れきし

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明治めいじ5ねん1872ねん)に開設かいせつされたかみ宮司ぐうじちょう東京とうきょう出張所しゅっちょうしょ伊勢神宮いせじんぐう事務じむ機関きかんであるかみ宮司ぐうじちょうと、東京とうきょうきょうしょうとの連絡れんらくのための出張所しゅっちょうしょ)には[6]明治天皇めいじてんのうみことのりさいあお伊勢神宮いせじんぐう分霊ぶんれいまつられていた[1]翌年よくねん、その構内こうない東京とうきょう神宮じんぐう教会きょうかい伊勢神宮いせじんぐう教導きょうどう機関きかんである神宮じんぐうきょういん東京とうきょう支部しぶ)が開設かいせつされた[2]両所りょうしょにあった神殿しんでん継承けいしょうして[6]明治めいじ13ねん1880ねん4がつ17にち有楽町ゆうらくちょう大隈おおくま重信しげのぶやしきあと落成らくせいしたすめらぎ大神宮だいじんぐう遙拝ようはい殿どの当社とうしゃ起源きげんである[2][10]。これは、当時とうじ明治めいじ政府せいふ目指めざしていた祭政さいせい一致いっちだいきょう宣布せんぷ一環いっかんとしてつくられたものであった[2]

ほん神社じんじゃ落成らくせいとおりをへだてて中山なかやま忠能ただやすやしきがあり、前年ぜんねん12がつ7にちよりあかりみやよしみじん親王しんのう明治天皇めいじてんのうだいさん皇子おうじ大正天皇たいしょうてんのう)が生活せいかつしていた[11]4がつ25にちよしみじん親王しんのう当時とうじ2さい)は中山なかやま忠能ただやす中山なかやま慶子けいこ明治天皇めいじてんのう生母せいぼ)、正親町おおぎまちみのるとく柳原やなぎはら愛子あいこ大正天皇たいしょうてんのう生母せいぼとうとも日比谷ひびやすめらぎ大神宮だいじんぐう私的してき参拝さんぱいした[12]。 なお中山なかやま忠能ただやすていには、病弱びょうじゃくだったよしみじん親王しんのう健康けんこういのり、出雲いずも大社たいしゃよりだい国主こくしゅ分霊ぶんれいまつられていた[13]

明治めいじ15ねん1882ねん)1がつ明治めいじ政府せいふ方針ほうしん転換てんかんにより神社じんじゃ宗教しゅうきょう活動かつどう分離ぶんりすることとなり、伊勢神宮いせじんぐうでもかみ宮司ぐうじちょう神宮じんぐうきょういん分離ぶんりすることとなった[6][14]すめらぎ大神宮だいじんぐう遙拝ようはい殿どの神宮じんぐうきょういんぞくすることになった[2]同年どうねん5がつ神宮じんぐうきょういん神道しんとう神宮じんぐう改称かいしょうするさい[15]当社とうしゃ大神宮だいじんぐうほこら改称かいしょうした[2]一般いっぱんには、所在地しょざいちめいから日比谷ひびや大神宮だいじんぐう[4]日比谷ひびやすめらぎ大神宮だいじんぐうばれていた[16]明治めいじ18ねん(1885ねん)3がつ23にちよしみじん親王しんのう(7さい)は有楽町ゆうらくちょう中山なかやま忠能ただやすていから赤坂あかさか用地ようち青山あおやま御用邸ごようていない新造しんぞうされたあきらみや御殿ごてんはな御殿ごてん[17]移転いてんした[18]。そのいく中山なかやま忠能ただやすてい訪問ほうもんしたが、そのたび日比谷ひびやすめらぎ大神宮だいじんぐう参拝さんぱいしている[19][20]

明治めいじ32ねん1899ねん)9がつ神道しんとう神宮じんぐう解散かいさんしてあらたに神宮じんぐうたてまつときかいつくられ[15]当社とうしゃ神宮じんぐうたてまつときかいほんいん改称かいしょうし、神宮じんぐうたてまつときかい本部ほんぶ機関きかんとなった[2][6]。なお三重みえけん宇治山田うじやまだげん伊勢いせ)には神宮じんぐうきょういんだい本部ほんぶかれていた。大正たいしょう12ねん(1923ねん)の関東大震災かんとうだいしんさい社殿しゃでん焼失しょうしつする[2]昭和しょうわ3ねん1928ねん)、現在地げんざいち再建さいけん遷座せんざして、以降いこう飯田橋いいだばし大神宮だいじんぐうばれるようになった[6]上述じょうじゅつのように、だい大戦たいせん以前いぜん神社じんじゃというかたちではなかったので、社格しゃかく指定していはない。ゆえに氏子うじこ地域ちいき存在そんざいしない(当社とうしゃ所在地しょざいちちく神社じんじゃ氏子うじこ地域ちいきにあたる。)。

だい世界せかい大戦たいせん昭和しょうわ21ねん1946ねん)4がつ宗教しゅうきょう法人ほうじん東京とうきょう大神宮だいじんぐうとしてさい発足ほっそくした[2]

日比谷ひびや大神宮だいじんぐうでの結婚式けっこんしき日比谷ひびや大神宮だいじんぐう明治めいじ13ねん(1880)、有楽町ゆうらくちょう大隈おおくま重信しげのぶていあと落成らくせいした、すめらぎ大神宮だいじんぐう遙拝ようはい殿どの起源きげんとする。32ねん(1899)、神宮じんぐうたてまつときかいほんいん改称かいしょう神前しんぜん結婚式けっこんしき創設そうせつ普及ふきゅう活動かつどうおこない、現在げんざいの「神前しんぜんしき」の基礎きそきずいた。関東大震災かんとうだいしんさい飯田橋いいだばし大神宮だいじんぐうともばれ、戦後せんご宗教しゅうきょう法人ほうじん東京とうきょう大神宮だいじんぐうとしてさい発足ほっそくした。「日比谷ひびや大神宮だいじんぐう神前しんぜんにて結婚けっこんしきあがおい々にくだりこれ東京とうきょう名物めいぶついちなるべし」と記載きさいあり。屠蘇とそかざり(ちょうめすちょう折紙おりがみ)のあり。「東京とうきょうこうじまち有樂町ゆうらくちょうさん丁目ちょうめ2番地ばんち 神宮じんぐうたてまつときかいほんいん」 としるされた紙片しへんうつされている。 — 清水しみずはれふうちょ東京とうきょう名物めいぶつひゃくにんいちしゅ明治めいじ40ねん8がつ日比谷ひびや大神宮だいじんぐうでの結婚式けっこんしき」より抜粋ばっすい[21]

神前かみまえ結婚式けっこんしき

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東京とうきょう大神宮だいじんぐうマツヤサロン

明治維新めいじいしん以後いご近代きんだい日本にっぽんでもキリスト教きりすときょう方式ほうしき結婚式けっこんしきおこなわれていたが、皇室こうしつ神社じんじゃへの信仰しんこうしん影響えいきょうにより神前かみまえ結婚式けっこんしきおこなわれるようになった[8]。だが、このうごきは統一とういつてき運動うんどう方式ほうしきではなかった[8]。また明治維新めいじいしん以前いぜんにも武家ぶけ社会しゃかい神官しんかんでの「作法さほう」として、あるいは出雲いずも大社たいしゃ方式ほうしき神前しんぜん結婚式けっこんしき存在そんざいしたが、全国ぜんこくてきひろがりはなかった[8]

神宮じんぐうたてまつときかい時代じだいほん神社じんじゃ教化きょうか事業じぎょうとして神前かみまえ結婚式けっこんしき創設そうせつ普及ふきゅう活動かつどうおこなった[7]新聞しんぶん記者きしゃ随筆ずいひつ大庭おおば柯公かこうは、高木たかぎけんひろし男爵だんしゃくもと海軍かいぐん軍医ぐんい)が日比谷ひびや大神宮だいじんぐうとうみや)ではじめたとのせつとなえる[22]

明治めいじ33ねん1900ねん5がつ10日とおか明治天皇めいじてんのうだいさん皇子おうじあきらみやよしみひとし親王しんのう大正天皇たいしょうてんのう)と九條くじょう公爵こうしゃく令嬢れいじょう九條くじょう節子せつこ(のちの貞明皇后ていめいこうごう)との結婚式けっこんしき宮中きゅうちゅうさん殿どのにおいておこなわれた[23]皇太子こうたいし夫妻ふさいつづいて伊勢いせ京都きょうと地方ちほう行啓ぎょうけい、5月25にちには伊勢神宮いせじんぐうゆたか受大神宮じんぐうすめらぎ大神宮だいじんぐう)に参拝さんぱいして結婚けっこん報告ほうこくした[24]

神宮じんぐうたてまつときかいこくれい修業しゅうぎょうよしみじん親王しんのう節子せつこ結婚けっこん基本きほんにして神前しんぜん結婚けっこん儀式ぎしき創設そうせつし、よく明治めいじ34ねん1901ねん3月3にち当社とうしゃにおいて模擬もぎ結婚式けっこんしき開催かいさいした[8][2]1902ねんには民間みんかんじんはつ神前しんぜんしきとして、アメリカがえりの歯科しか医師いし高島たかしまぼう仙台せんだい豪商ごうしょう金須きんす松三郎まつさぶろういもうと金須きんす松代まつよ結婚式けっこんしき高木たかぎけんひろし夫妻ふさい媒酌人ばいしゃくにん日比谷ひびや大神宮だいじんぐうおこなわれた[25][26]儀式ぎしき媒酌人ばいしゃくにん新郎しんろう新婦しんぷ両家りょうけ親族しんぞく着席ちゃくせきし、緒方おがたよろずしゅれい斎主さいしゅ)で、媒酌人ばいしゃくにんによる誓文せいもん朗読ろうどくむすはいさんさんきゅう)、かみはい親類しんるいはいといったながれでしき進行しんこうし、披露宴ひろうえん帝国ていこくホテルおこなわれた[25]。その改良かいりょうくわえた神前かみまえ結婚式けっこんしきのスタイルがたてまつときかいかくけん本部ほんぶかく支部しぶによって全国ぜんこくひろめられ、定着ていちゃくしていった[7]今日きょう神前しんぜんしき」としておこなわれている結婚式けっこんしきは、神宮じんぐうたてまつときかい創設そうせつしたものがもとになっている[8]

現在げんざいどう神社じんじゃでの神前しんぜん結婚式けっこんしきおよ披露宴ひろうえんについては、松屋まつや関連かんれん会社かいしゃであるアターブル松屋まつや運営うんえいしており、「東京とうきょう大神宮だいじんぐうマツヤサロン」の名称めいしょうもちいている。

パワースポットとして

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東京とうきょう大神宮だいじんぐう縁結えんむすびの神社じんじゃとして、わか女性じょせい中心ちゅうしんおおくの参拝さんぱいしゃあつめている[27]パワースポットとして女性じょせい度々たびたび紹介しょうかいされたことや、2008ねん平成へいせい20ねん)に「こんかつ」という言葉ことば流行りゅうこうしたさいにほぼすべての在京ざいきょうテレビ局てれびきょくげられ、宮崎みやざきあおい番組ばんぐみちゅう参拝さんぱいにここで挙式きょしきした(その離婚りこん)ことをけて参拝さんぱいしゃ増加ぞうかした[27]。『朝日新聞あさひしんぶん』の取材しゅざいによれば大安たいあんねらって参拝さんぱいし、同日どうじつからこんかつはじめる女性じょせいたちがおおいというが、お日柄ひがら天候てんこう関係かんけいなく平日へいじつでも多数たすう参拝さんぱいしゃおとずれ、ときにはなが行列ぎょうれつができる[27]東京とうきょう大神宮だいじんぐうではスズランかたちをした「縁結えんむす鈴蘭すずらんまもり」や恋愛れんあいのアドバイスをしるした「こいみくじ」などを頒布はんぷしている[28]境内けいだいのハートマークの装飾そうしょく猪目いのめ)やご神木しんぼく画像がぞうけにすると、恋愛れんあい成就じょうじゅ効果こうかがあるとわれている。[29]

新型しんがたコロナウイルス感染かんせんクラスターの発生はっせい

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参拝さんぱい中止ちゅうし告知こくち閉鎖へいさじょうきょう

2021ねん12月31にち大晦日おおみそか)に職員しょくいん1めい新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしていることが確認かくにんされ、1がつ1にち濃厚のうこう接触せっしょくしゃとして自宅じたく待機たいきしていた3めいふくむ8めい職員しょくいん感染かんせん確認かくにんし、千代田ちよだ保健所ほけんじょ調査ちょうさおこなクラスター発生はっせい認定にんていされた。元日がんじつにおいて勤務きんむしていた職員しょくいん初詣はつもうで一般いっぱん参拝さんぱいきゃく祈祷きとう祈願きがんしゃ濃厚のうこう接触せっしょくみとめられなかったが、よく2にちからいのり禱を中止ちゅうしし、3にちからは一般いっぱん参拝さんぱい一時いちじ休止きゅうしする措置そちがとられ、参道さんどう閉鎖へいさされ境内けいだいへのりが禁止きんしとなった[30]

例祭れいさい

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交通こうつう

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参道さんどう

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参道さんどうくちは、神宮じんぐうから東南東とうなんとう目白めじろどおにあるが、おおくの参拝さんぱいきゃく反対はんたいがわの、飯田橋いいだばしえき下記かき参照さんしょうがわからおとずれてかえっていく[5]参道さんどうがわふくめた周辺しゅうへん全体ぜんたい回遊かいゆうせいたかめるため、東京とうきょう大神宮だいじんぐうどおり・飯田橋いいだばしえき西口にしぐちどお商業しょうぎょう連合れんごうかい東京とうきょう大神宮だいじんぐう千代田ちよだ協力きょうりょくして、参道さんどう舗装ほそうアスファルトから石畳いしだたみふうにするなどのみをすすめている[5]

鉄道てつどう

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高速こうそく道路どうろ

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ じゅうななにち御殿ごてんこうひなる教導きょうどうしょく事務じむきょくすめらぎ大神宮だいじんぐうにて、神殿しんでん遷宮せんぐうしきなみ鎮座ちんざさいくだりふをもって、みなみ長屋ながやなる中山なかやま公憲きみのりたくかいより諸人もろびと参詣さんけい景況けいきょう御覧ごらんあらせらる。」
  2. ^ じゅうにち午前ごぜんきゅうもん教導きょうどうしょく事務じむきょくすめらぎ大神宮だいじんぐう遊歩ゆうほあらせらる。中山なかやま忠能ただやす正親町おおぎまちみのるとく中山なかやま慶子けいこ柳原やなぎはら愛子あいことうじゅうすうにん扈従こしょうす。わたし初穂はつほりょうきょうし、忠能ただやす慶子けいこたすまつりて神殿しんでん階下かいかより簀子すのこすすきゅうはいのち帰還きかんあらせらる。」
  3. ^ じゅうななにち午前ごぜんはちもん日比谷ひびやすめらぎ大神宮だいじんぐうらせらる。客殿きゃくでんにて少憩しょうけいのち鳥居とりいないいたきゅうふ。祠官しかん浄水じょうすいならびにはらいじょのち玉串たまぐしまつりて神殿しんでん誘導ゆうどうす。みやはいあり、はちじゅうふん帰還きかんあらせらる。」
  4. ^ じゅうきゅうにち午後ごごれいさんじゅうふんもん靖国神社やすくにじんじゃ参拝さんぱいひろいでゆう就館にて陳列ちんれつひん巡覧じゅんらん偕行社かいこうしゃ中山なかやま忠能ただやすてい日比谷ひびや大神宮だいじんぐう立寄たちよりあり、よんかえみやあらせらる。此ののちがつじゅうはちにちさんがつじゅうはちにちなながつにち同月どうげつじゅうはちにちきゅうがつろくにちにも靖国神社やすくにじんじゃゆう就館・偕行社かいこうしゃ御成おなりことあり。就中なかんづくがつじゅうはちにちには神宮じんぐう宝剣ほうけん鍛錬たんれんじょう御覧ごらんあらせらる。また侯爵こうしゃく中山なかやま忠能ただやすていにもしばしば御立みたちりあり。ときには邦芳くによしおう同伴どうはんあらせられ、やしきないおい御相手おあいてとうとも撃剣げっけんとう遊戯ゆうぎきょうぜらるることあり。御立みたちよせあた日比谷ひびや大神宮だいじんぐう参拝さんぱいことまた尠からず。」
  5. ^ 「さても日比谷ひびや大神宮だいじんぐうが、むすぶのかみ出店しゅってん仕事しごとを扱はれるにいたりつたごと次第しだいは、當今とうぎんぼう主義しゅぎのプロパガンダに浮身うきみをやつされる、高木たかぎけんひろしおとこ創意そういしょすくなくない。明治めいじさんじゅうねんなながつに、高木たかぎおとこ媒酌人ばいしゃくにんとなつて、保科ほしなぼう結婚式けっこんしき日比谷ひびや大神宮だいじんぐう拝殿はいでんげられたのが、此處ここらでの神前しんぜん結婚式けっこんしきはじめらしい。爾来じらい商賣しょうばいだい繁昌はんじょう料理りょうりから寫眞しゃしんまでに、聯絡れんらくいたらざるなき有様ありさまである。」

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e 全国ぜんこく神社じんじゃ名鑑めいかんじょう、314-315ぺーじ「◇東京とうきょう大神宮だいじんぐう(飯田橋いいだばし大神宮だいじんぐう)/由緒ゆいしょ
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 神社じんじゃ辞典じてん、243-244ぺーじ東京とうきょう大神宮だいじんぐう とうきょうだいじんぐう』
  3. ^ a b 全国ぜんこく神社じんじゃ名鑑めいかんじょう、314-315ぺーじ「◇東京とうきょう大神宮だいじんぐう(飯田橋いいだばし大神宮だいじんぐう)/祭神さいじん
  4. ^ a b 日比谷ひびや大神宮だいじんぐう」『東京とうきょう名所めいしょ写真しゃしんじょうhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1089370/8 コマ8「日比谷ひびやたい神宮じんぐう(麹町こうじまち有樂町ゆうらくちょう)HIBIYA-DAIJINGU.伊勢いせ宗廟そうびょうせし大社たいしゃにして嚴正げんせいたもため本社ほんしゃにて神道しんとう結婚式けっこんしききょぐるしゃおおし」
  5. ^ a b c 東京とうきょう大神宮だいじんぐう 地元じもとまちあいして:縁結えんむす人気にんき 参拝さんぱいしゃ回遊かいゆうみ/参道さんどう石畳いしだたみふうに■とおりに提灯ちょうちんはた」『朝日新聞あさひしんぶん朝刊ちょうかん2023ねん1がつ23にち東京とうきょうめん同日どうじつ閲覧えつらん
  6. ^ a b c d e f g h i j 神道しんとう事典じてん(1994)、658ぺーじ東京とうきょう大神宮だいじんぐう東京とうきょう千代田ちよだ富士見ふじみまち2-4-1)〈旧称きゅうしょう大神宮だいじんぐうほこら(日比谷ひびや大神宮だいじんぐう)飯田橋いいだばし大神宮だいじんぐう
  7. ^ a b c 全国ぜんこく神社じんじゃ名鑑めいかんじょう、314-315ぺーじ「◇東京とうきょう大神宮だいじんぐう(飯田橋いいだばし大神宮だいじんぐう)/神事しんじ芸能げいのう
  8. ^ a b c d e f 神道しんとう事典じてん(1994)、295-296ぺーじ神前しんぜん結婚けっこん(しんぜんけっこん)」
  9. ^ 祭神さいじん 公式こうしきサイト
  10. ^ 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくだいいち、16ぺーじ明治めいじ13ねん4がつ17にち記事きじ[注釈ちゅうしゃく 1]
  11. ^ 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくだいいち、11ぺーじ「(明治めいじじゅうねんじゅうがつ)ななにち 中山なかやまてい移徙わたまし
  12. ^ 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくだいいち、16ぺーじ明治めいじ13ねん4がつ25にち記事きじ〕「わたし日比谷ひびやすめらぎ大神宮だいじんぐう参拝さんぱい[注釈ちゅうしゃく 2]
  13. ^ #大正天皇たいしょうてんのう物語ものがたりコマ16-17(原本げんぽん7-9ぺーじ)「出雲いずもだいかみにおいのりあそばす」
  14. ^ 神道しんとうだい辞典じてんかんコマ136(原本げんぽん230-231ぺーじ)「ジングーシチョー しん宮司ぐうじ廰」
  15. ^ a b 神道しんとうだい辞典じてんかんコマ143(原本げんぽん240ぺーじ)「ジングーホーサイカイ 神宮じんぐうたてまつときかい
  16. ^ 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくだいいち、34ぺーじ明治めいじ16ねん3がつ17にち記事きじ[注釈ちゅうしゃく 3]
  17. ^ 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくだいいち、667ぺーじ[「〔3〕あきらみや御殿ごてん
  18. ^ 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくだいいち、48-49ぺーじ(明治めいじ18ねん3がつ23にち)「あきらみや殿御とのご帰参きさん/すすむけんじひん/拝領はいりょうひん/あきらみや御殿ごてん造営ぞうえい/あきらみや御殿ごてん造作ぞうさく
  19. ^ 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくだいいち、75-76ぺーじ明治めいじ19ねん10がつ27にち記事きじ〕「中山なかやま忠能ただやすてい御成おなり
  20. ^ 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくだいいち、85-86ぺーじ明治めいじ20ねん1がつ29にち記事きじ〕「靖国神社やすくにじんじゃゆう就館・偕行社かいこうしゃ御成おなり[注釈ちゅうしゃく 4]
  21. ^ 清水しみずはるふうちょ東京とうきょう名物めいぶつひゃくにんいちしゅ明治めいじ40ねん8がつ日比谷ひびや大神宮だいじんぐうでの結婚式けっこんしき国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん蔵書ぞうしょ(2018ねん2がつ9にち閲覧えつらん
  22. ^ #其日のはなしコマ93(原本げんぽん190ぺーじ)[注釈ちゅうしゃく 5]
  23. ^ 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくだいいち、582-587ぺーじ明治めいじ33ねん5がつ10日とおか記事きじ〕「結婚けっこんくだりはせらる/賢所かしこどころ行啓ぎょうけい/にゅうみや/賢所かしこどころ大前おおまえ/告文こくぶんたてまつせらる/神酒みき拝受はいじゅ/皇霊こうれい殿どの神殿しんでんに謁せらるるの/参内さんだい朝見ちょうけん/同列どうれつにて還啓かんけい/菊花きっかあきら頸飾をたまものはらせらる/きょうぜん/参内さんだい拝賀はいがきゅうふ/天皇てんのう饗宴きょうえんもよおきゅうふ/三箇さんがよるもち/皇室こうしつこんよめれい制定せいてい/当日とうじつ模様もよう
  24. ^ 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくだいいち、590-592ぺーじ明治めいじ33ねん5がつ25にち記事きじ〕「神宮じんぐう山陵さんりょうおや謁のためと倶に行啓ぎょうけい/山田やまだはし/神宮じんぐうに謁するの/ゆたか大神宮だいじんぐうはい/すめらぎ大神宮だいじんぐう参拝さんぱい/二条にじょう離宮りきゅうはし/山陵さんりょうに謁するの
  25. ^ a b 田澤たざわ 昌枝まさえさかい 新一しんいち挙式きょしき披露宴ひろうえんにおけるブライダルビジネスの現状げんじょう戦略せんりゃく」『東京家政学院大学とうきょうかせいがくいんだいがく紀要きようだい44ごう 2004ねん
  26. ^ 新谷しんたに尚紀なおき岩本いわもととおるわたる都市としらしの民俗みんぞくがくだい3かん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2006ねん12月20にち)p.25
  27. ^ a b c 坂本さかもと哲史てつし神社じんじゃもうでる若者わかものたち こんかつ・アニメ・パワー…」『朝日新聞あさひしんぶん朝刊ちょうかん2010ねん6がつ12にちづけbe」4ページ
  28. ^ 佐藤さとう直子なおこ"WEB FRAME 地下ちかそだつ「みどりもり」『朝日新聞あさひしんぶん夕刊ゆうかん2017ねん5がつ16にちづけ夕刊ゆうかんbe」3ページ
  29. ^ 東京とうきょう大神宮だいじんぐうけ|ハート・ご神木しんぼくなど12種類しゅるいをダウンロード!”. 1rankup.jp. 2020ねん9がつ4にち閲覧えつらん
  30. ^ 区内くないでの新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょうのクラスター確認かくにんについて 千代田ちよだ(2022ねん1がつ7にち
  31. ^ 東京とうきょう大神宮だいじんぐうのアクセス|飯田橋いいだばしえき九段下くだんしたえきから徒歩とほなんふんなんびょう出口いでぐちは?”. 1rankup.jp. 2020ねん9がつ21にち閲覧えつらん
  32. ^ 東京とうきょう大神宮だいじんぐうのアクセス|飯田橋いいだばしえき九段下くだんしたえきから徒歩とほなんふんなんびょう出口いでぐちは?”. 1rankup.jp. 2020ねん9がつ21にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 宮内庁くないちょう図書としょりょう へん大正天皇たいしょうてんのう実録じつろく ていばん だいいち 自明じめいじゅうねんいたり明治めいじさんじゅうさんねん株式会社かぶしきがいしゃゆまに書房しょぼう、2016ねん12月。ISBN 978-4-8433-5039-3 
  • 編者へんしゃ國学院大学こくがくいんだいがく日本にっぽん文化ぶんか研究所けんきゅうじょ神道しんとう事典じてん弘文こうぶんどう、1994ねん7がつISBN 4-335-16023-2 
  • 編者へんしゃ白井しらい永二えいじ土岐ときあきらくん大橋おおはし信夫しのぶ発行はっこうしゃ神社じんじゃ辞典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、1979ねん12月。ISBN 4-490-10123-6 
  • 三浦みうらゆずる編纂へんさん発行はっこう全国ぜんこく神社じんじゃ名鑑めいかん上巻じょうかん>』全国ぜんこく神社じんじゃ名鑑めいかん刊行かんこうかい史学しがくセンター、1977ねん7がつ 

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外部がいぶリンク

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