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ぼうになったおとこ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ぼうになったおとこ
わけだい The Man Who Turned Into A Stick
作者さくしゃ 安部あべ公房こうぼう
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 戯曲ぎきょく
まくすう オムニバス形式けいしきの3けい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつかばん一幕ひとまく」-『文藝ぶんげい1969ねん1がつごう
ぼうになったおとこ」-『文學ぶんがくかい』1969ねん8がつごう
どきがけ」-ろし
刊本かんぽん情報じょうほう
刊行かんこうぼうになったおとこ
出版しゅっぱんもと 新潮社しんちょうしゃ
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ 1969ねん9がつ20日はつか
装幀そうてい 安部あべ真知まち
そうページすう 135
初演しょえん情報じょうほう
公演こうえんめい だいいちかい紀伊國屋きのくにや演劇えんげきプロデュース公演こうえん
場所ばしょ 紀伊國屋きのくにやホール
初演しょえん公開こうかい 1969ねん11月1にち
演出えんしゅつ 安部あべ公房こうぼう
主演しゅえん 井川いかわ比佐志ひさし
ポータル 文学ぶんがく ポータル 舞台ぶたい芸術げいじゅつ
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ぼうになったおとこ』(ぼうになったおとこ)は、安部あべ公房こうぼう戯曲ぎきょく。「かばん」「どきがけ」「ぼうになったおとこ」の3つで構成こうせいされるオムニバス形式けいしき演目えんもくである。かくけいはそれぞれ人間にんげんの「誕生たんじょう」「過程かてい」「」を象徴しょうちょうし、だいいちけいでは人間にんげんが「かばん」、だいけいでは「ボクサー」、だい三景さんけいでは「ぼう」である[1]

1969ねん昭和しょうわ44ねん)、雑誌ざっし文藝ぶんげい』1がつごうに「かばん一幕ひとまく)」が掲載けいさいされ、同年どうねん雑誌ざっし文學ぶんがくかい』8がつごうに「ぼうになったおとこ」が掲載けいさいされた。同年どうねん9がつ20日はつかに「がけ」をくわえた単行本たんこうぼん新潮社しんちょうしゃより刊行かんこうされた。初演しょえん同年どうねん11がつ1にち安部あべ演出えんしゅつにより紀伊國屋きのくにやホール上演じょうえんされた。翻訳ほんやくばんドナルド・キーンわけえいだい:The Man who turned into a Stick)をはじめ、各国かっこくおこなわれている。現在げんざいまで国内外こくないがい多数たすう上演じょうえんされつづけている。

作品さくひん成立せいりつ主題しゅだい

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だい一景いっけいかばん」は、ラジオドラマ『おとこたち』(1968ねん)を戯曲ぎきょくしたもので、だいけいがけ」は、ラジオドラマ『チャンピオン』(1963ねん)を小説しょうせつした『どきがけ』(1964ねん)を、さらに戯曲ぎきょくしたものである[2]だい三景さんけいぼうになったおとこ」は、小説しょうせつぼう』(1955ねん)をラジオドラマした『ぼうになったおとこ』(1957ねん)を、さらに戯曲ぎきょくしたものである[2]

舞台ぶたいにかける配列はいれつは、かれた順序じゅんじょとそっくりぎゃくになっているが、安部あべ公房こうぼうによると、3つのけい最初さいしょから1ほん作品さくひんにまとめるつもりで計画けいかくてきいたわけではないが、意識いしきしたときには、この3つはすでに1つの作品さくひんとしてまえり、なんのためらいもなく、ごく必然ひつぜんてきにこのわせを受容じゅようしていたという[1]

また安部あべは、「かばん」「ボクサー」「ぼう」はかくけいつうじてかなら同一どういつ俳優はいゆうえんじなければならないと指定していし、この3つのやくえんじる俳優はいゆう一見いっけん無関係むかんけいえるかくけい有機ゆうきてきむすびつけ、かくされた内部ないぶ主題しゅだいをあらわにする「くさり役目やくめ」をすると説明せつめいしている[1]

戯曲ぎきょく全体ぜんたいのねらいについては、「おけですよ。人間にんげん以外いがいけものが日常にちじょうてき存在そんざいしている現代げんだい状況じょうきょうをそのままのかたちす。舞台ぶたいかがみのようにして、観客かんきゃく一人ひとりひとりの実像じつぞううつすことをねらっています。観客かんきゃくとじっさいには対話たいわはしないが、一種いっしゅ対話たいわげきです」と説明せつめい[3]、ききて金田かねだ浩一こういちりょが、だいいちけいでは、カバンになったおとこより、そのカバンをあけることをこわがる女性じょせいたちへの風刺ふうしげきともとれるという感想かんそうべたことにたいしては、「いや、舞台ぶたいにかければわかりますよ」とだけこたえている[3]

だい一景いっけいかばん

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あらすじ

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新婚しんこんおんないえに、おんな友達ともだちきゃくとしてている。おんなおっと所有しょゆうする中古ちゅうこ旅行りょこうかばんきゃくしめし、かぎけて中身なかみたしかめてほしいとたのむ。物音ものおとがするその不審ふしんかばんは、おっとうにはなかに「先祖せんぞ」がはいっているのだという。きゃくは、ピンでかぎあなうごかしたりするが、ちゅうからひく言葉ことばつぶやきのようなものがきこえ、おもわずはなす。中身なかみむしミイラ得体えたいのしれないかばんまえにし、なぜあなたが自分じぶんけないのか、あなたはただけたがってるふりをしているだけだと、きゃくおんなう。おんなは、ってかえってどこかにててきてくれとたのむが、きゃくことわる。そんな問答もんどうしているうち、はずみで錠前じょうまえのはずれるおとがした。うろたえるおんなきゃくは、「あとは、あなたのしん錠前じょうまえだけね」といいのこしてかえってゆく。しばらくし、午後ごご6になると、おんなはそのかばんかぎをかけた。そしてとなり部屋へやき、出前でまえ電話でんわをかけ、チャーシューメンひと注文ちゅうもんする。

登場とうじょう人物じんぶつ

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おんな
結婚けっこんしてあいだもないわかつま
きゃく
まだ独身どくしんおんな友達ともだちねこだいきらい。
旅行りょこうかばんおとこ
中型ちゅうがた中古ちゅうこ旅行りょこうかばん株式かぶしき相場そうばや、脈絡みゃくらくのない意味いみ不明ふめい語句ごくや、輪廻りんねのあとについてひくくつぶやく。

だいけいがけ

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あらすじ

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昭和しょうわ38ねんのランキング・ボクサーが、試合しあい直前ちょくぜん心境しんきょうから、試合しあいちゅうのダウンまでの経過けいか実況じっきょうふう独白どくはくつづける。

登場とうじょう人物じんぶつ

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ボクサー
8がつうまれ。ふだんは会社かいしゃいん。2月18にちつとさきわった。出社しゅっしゃまえロードワークし、退社たいしゃスパーリング練習れんしゅうをしている。縁起えんぎかつあか靴下くつした新調しんちょうする。
こえ(セコンド)
試合しあいちゅう、ボクサーに指示しじする。

だい三景さんけいぼうになったおとこ

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あらすじ

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ある6月の日曜日にちようびターミナルデパート屋上おくじょうから一本いっぽんぼうち、歩道ほどう縁石えんせきすわっていたフーテンのカップルのそばにころがった。フーテンおとこぼうでリズムをとっていると、ぼうさがしていた地獄じごくおとこおんながやってた。二人ふたりぼうわたすようにったが、フーテンおとこ拒否きょひした。そしてフーテンおんなぼう背中せなかあわせったりしてわたすのをしぶっていたが、ぼうがふとにかけたさかなみたいにピクッとうごいて気味悪きみわるくなり、地獄じごくおとこせんえんぼうった。

地獄じごくおとこおんなは、ぼうになって屋上おくじょうからちた父親ちちおやさがしに子供こどもからぼうかくして、地獄じごく本部ほんぶ通信つうしんする。ぼうけいなし・登録とうろく不要ふよう確定かくていされ、ぼうはそのまま排水溝はいすいこうあな放置ほうちされることになった。地獄じごくおんな同情どうじょうしんこして、子供こどもかえしてやるべきだとい、ぼうになった父親ちちおや反省はんせいかがみになるのではと提案ていあんすると、地獄じごくおとこはそれを一笑いっしょうし、自分じぶん満足まんぞくしているものが、どうやって反省はんせいするのさとった。その一連いちれん会話かいわいていたぼうは、「満足まんぞくしている人間にんげん屋上おくじょうからりたりするものか! いったい、ぼう以外いがいなにになればいいってうんだ、こので、確実かくじつひろってもらえるものとえば、けっきょくぼうだけじゃないか!」と独白どくはくする。

地獄じごくおんなは、「でもあんずることはないのです、あなたは一人ひとりぽっちではないのです」とい、地獄じごくおとこは、あたり(客席きゃくせき)をぐるりとゆびさし、「たまえ、きみをとりまく、このぼうもり……もっとちがったぼうにはなりたくても、ぼう以外いがいなにかになりたいなどとは、いちおもったことのない、このつみなき人々ひとびと……」とはなす。

登場とうじょう人物じんぶつ

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地獄じごくおとこ
地上ちじょう勤務きんむMC実習じっしゅうはん指導しどういん該当がいとうしゃ消滅しょうめつ時間じかん消滅しょうめつ地点ちてん確認かくにん地獄じごく本部ほんぶトランシーバー連絡れんらくして確認かくにん番号ばんごう照合しょうごうし、けい判定はんていやその種類しゅるい処置しょち登録とうろくをする。
地獄じごくおんな
新任しんにん地上ちじょう勤務きんむいん地獄じごくおとこいて実地じっち研修けんしゅうをしている。
ぼうになったおとこ
1メートル20センチくらいのぼう小学生しょうがくせい息子むすことデパートの屋上おくじょうゆう園地えんちにいるときに、ぼうになって落下らっかした。
フーテンおとこ
ざされた表情ひょうじょうわかおとこ
フーテンおんな
わかおんな。「断絶だんぜつ時代じだいなのよ、わたしたち疎外そがいされてんの」がくちぐせ。
地獄じごくからのこえ
地獄じごく本部ほんぶおとこ地上ちじょうからトランシーバーで報告ほうこくけ、該当がいとうしゃ確認かくにん番号ばんごう照合しょうごうする。つぎ作業さぎょう予定よていらせる。

作品さくひん評価ひょうか解釈かいしゃく

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中野なかの孝次たかじは、安部あべガルシア・マルケスの『ひゃくねん孤独こどく』をさんした文章ぶんしょう一節いっせつの、〈現代げんだいというこの特殊とくしゅ時代じだい人間にんげん関係かんけい照射しょうしゃする強烈きょうれつひかりなんです〉という言葉ことば着目ちゃくもくしながら、安部あべほかのいくつかの作品さくひん同様どうように『ぼうになったおとこ』も、「現代げんだいにおけるなま構造こうぞうそのもの」を照射しょうしゃしている文学ぶんがくだとし[4]地獄じごくおとこが〈われわれの仕事しごとは、彼等かれらせい忠実ちゅうじつ記録きろくしておくことなのさ〉、〈人間にんげんの、せかけのかたちに、ついまよわされてしまうんだな。しかし、ぼうはもともと、きているときからぼうだったってことがわかってしまえば……〉という台詞せりふいて、このときの〈ぼう〉は、戯曲ぎきょく友達ともだち』における「〈家族かぞく〉のイメージ」同様どうように、「われわれ自身じしん問題もんだいとしていろんなエコーをおこしだす」と考察こうさつしている[4]

ゴーシュ・ダスティダー・デバシリタは、だい三景さんけいの「ぼうになったおとこ」において、「他者たしゃ道具どうぐにしかぎないぼうたような人間にんげん存在そんざい」をあつ分析ぶんせきする「地獄じごくからの使者ししゃたち」は、「人間にんげん世界せかい他者たしゃ」、「大胆だいたん残酷ざんこく世間せけん」をあらわすとし[5]、それにより、「人間にんげんきている世界せかい他者たしゃつめることでなか混乱こんらんしている様々さまざま状況じょうきょう」をりにし、「人間にんげん社会しゃかい制度せいどのなかにまれ、生存せいぞんまくらそう所有しょゆうよくなどによって人間にんげんせいうしないつつあることがしめされている」と解説かいせつしている[5]

また、デバシリタは、都市とし生活せいかつする個々ここ人間にんげん他者たしゃ葛藤かっとうしながらきているのは、生育せいいく環境かんきょう家庭かてい環境かんきょう仕事しごと交友こうゆう関係かんけい物事ものごとかんがかた価値かちかん習慣しゅうかんにかかわらずに共通きょうつうしているとし[5]、そういった近代きんだい消費しょうひ社会しゃかいなかで、それぞれのみち選択せんたくしながらきている人間にんげん存在そんざいを「現代げんだい都市としにおける〈孤独こどく〉〈アイデンティティー喪失そうしつ〉などのシチュエーション」で戯曲ぎきょくし、「現実げんじつ社会しゃかい存在そんざいする問題もんだい」を提示ていじするのが安部あべ意図いとだと考察こうさつし、以下いかのように解説かいせつしている[5]

現代げんだい社会しゃかいひろがる人間にんげん疎外そがいじょうきょうはますます深刻しんこくしている。都市とし発達はったつともな価値かちかん多様たようは、一方いっぽうでは価値かちかん混乱こんらん人間にんげん関係かんけい危機きき、アイデンティティーの喪失そうしつ拡大かくだいさせている。さらにいえば、現代げんだい社会しゃかい危機きき現象げんしょうおちいっていることを公房こうぼう作品さくひんとおして読者どくしゃつたえようとしていた。 — ゴーシュ・ダスティダー・デバシリタ「『ぼうもり』のちょう時代じだいせいをめぐって―安部あべ公房こうぼうぼうになったおところん―」[5]

おもな公演こうえん

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関連かんれん小説しょうせつ

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ぼう
作者さくしゃ 安部あべ公房こうぼう
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 短編たんぺん小説しょうせつ
発表はっぴょう形態けいたい 雑誌ざっし掲載けいさい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつ文藝ぶんげい1955ねん7がつごう
刊本かんぽん情報じょうほう
収録しゅうろくR62ごう発明はつめい
出版しゅっぱんもと 山内やまうち書店しょてん
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ 1956ねん12月10にち
装幀そうてい 安部あべ真知まち
ウィキポータル 文学ぶんがく ポータル 書物しょもつ
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どきがけ
作者さくしゃ 安部あべ公房こうぼう
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 短編たんぺん小説しょうせつ
発表はっぴょう形態けいたい 雑誌ざっし掲載けいさい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつ文學ぶんがくかい1964ねん3がつごう
刊本かんぽん情報じょうほう
収録しゅうろく無関係むかんけい
出版しゅっぱんもと 新潮社しんちょうしゃ
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ 1964ねん11月25にち
ウィキポータル 文学ぶんがく ポータル 書物しょもつ
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  • 短編たんぺん小説しょうせつぼう』 
    • 1955ねん昭和しょうわ30ねん)、雑誌ざっし文藝ぶんげい』7がつごう掲載けいさい。1956ねん昭和しょうわ31ねん)12がつ10日とおか山内やまうち書店しょてんより刊行かんこうの『R62ごう発明はつめい』(現代げんだい作家さっかシリーズ)に収録しゅうろく。のち1964ねん昭和しょうわ39ねん)12がつ10日とおか桃源とうげんしゃより刊行かんこうの『水中すいちゅう都市とし』にも収録しゅうろく
    • ※ のちにラジオドラマされ、さらにだい三景さんけいぼうになったおとこ」となる。
  • 短編たんぺん小説しょうせつがけ』 
    • 1964ねん昭和しょうわ39ねん)、雑誌ざっし文學ぶんがくかい』3がつごう掲載けいさい同年どうねん11がつ25にち新潮社しんちょうしゃより刊行かんこうの『無関係むかんけい』に収録しゅうろく
    • 1971ねん昭和しょうわ46ねん)1がつ限定げんていばんがけ』がプレス・ビブリオマーヌより刊行かんこう
    • ※ ラジオドラマ『チャンピオン』から小説しょうせつされたもの。のちにだいけいがけ」となる。
    • ※ この小説しょうせつがけ』について安部あべは、一般いっぱんてきによくわれる〈最後さいごには、かならず勝利しょうりがおとずれるものとしんじているからこそ、ひと敗北はいぼくをもおそれずにたたかえるのだ〉という言葉ことばげながら、「しかし、結末けつまつはつねに敗北はいぼくしかないとりながら、その敗北はいぼくへの道程どうていにしかすぎない、つか勝利しょうりをめざしてたたかいつづける人生じんせいもありうるのだ」と提起ていきしつつ[6]、むしろ後者こうしゃほうが、「なま本質ほんしつ」なのかもしれないとし、「チャンピオン・ベルトうらには、つねに紋章もんしょうきざまれている」とべている[6]

ラジオドラマ

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映画えいが

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  • がけ』(自主じしゅ制作せいさく映画えいが) 
    • 1971ねん昭和しょうわ46ねん)7がつ2にち試写ししゃ上映じょうえい。モノクロ(一部いちぶカラー)16じゅうろくミリ映画えいが。26ふん制作せいさくやく250まんえん俳優はいゆうへのギャラをのぞき)。
    • 監督かんとく安部あべ公房こうぼう脚本きゃくほん安部あべ公房こうぼう製作せいさく新田にったたかし撮影さつえい渡辺わたなべ公夫きみお音楽おんがく大倉おおくら義夫よしお照明しょうめいはらただし編集へんしゅうなか達美たつみ 助監督じょかんとく寺尾てらお正樹まさき
    • 出演しゅつえん井川いかわ比佐志ひさし(ボクサー)、条文じょうぶんおんな
    • 1976ねん昭和しょうわ51ねん)5がつ再演さいえんされた舞台ぶたいぼうになったおとこ』のさいにもあわせて上映じょうえい
    • 台本だいほんは1980ねん昭和しょうわ55ねん)4がつ1にち、「CROSS OVER」8ごう掲載けいさい
    • だいけいがけ」を映画えいがしたもの。
    • 安部あべは、映画えいががけ』については、「小説しょうせつつくった映画えいが」としててはほしくないとし、この映画えいがは、「ぼくの内部ないぶ小説しょうせつ」にたいする、「もう一人ひとりのぼくの挑戦ちょうせん」のつもりだとべている[7]。そして、「はん芸術げいじゅつ芸術げいじゅつではない)の理念りねん現代げんだい芸術げいじゅつ基本きほん条件じょうけん―」は、作家さっか内部ないぶでの「しょジャンルの葛藤かっとう」と無関係むかんけいではないはずだとし[7]、ボクサーをえんじた井川いかわ比佐志ひさしたいしては、「ぼくの想像そうぞう産物さんぶつ完璧かんぺき実体じったいしてくれた」とひょうして、井川いかわ才能さいのう協力きょうりょくが、安部あべ自身じしん願望がんぼう実行じっこうらせてくれたと感謝かんしゃしながら、「わずかさんじゅうぶんじゅうろくミリ映画えいがにすぎないが、充実じゅうじつしたひとつの世界せかいつくたと自負じふしている」とかたっている[7]

おもな刊行かんこうほん

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掲載けいさい教科書きょうかしょ

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高等こうとう学校がっこう国語こくご総合そうごう現代げんだいぶん)の教科書きょうかしょのうち、筑摩書房ちくましょぼう精選せいせん国語こくご総合そうごう 現代げんだいぶんへん 改訂かいていばん』に「ぼうになったおとこ」が「ぼう」の題名だいめい掲載けいさいされている[8]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c 安部あべ公房こうぼう後記こうき」(『ぼうになったおとこ』)(新潮社しんちょうしゃ、1969ねん
  2. ^ a b 作品さくひんノート22」(『安部あべ公房こうぼう全集ぜんしゅう 22 1968.02‐1970.02』)(新潮社しんちょうしゃ、1999ねん
  3. ^ a b 安部あべ公房こうぼう談話だんわ記事きじけをそのまま観客かんきゃくに」(サンケイ新聞しんぶん、1969ねん10がつ4にち掲載けいさい
  4. ^ a b 中野なかの孝次たかじ解説かいせつ」(文庫ぶんこばん友達ともだちぼうになったおとこ』)(新潮しんちょう文庫ぶんこ、1987ねん
  5. ^ a b c d e ゴーシュ・ダスティダー・デバシリタ(Ghosh Dastidar Debashrita)「『ぼうもり』のちょう時代じだいせいをめぐって―安部あべ公房こうぼうぼうになったおところん―」(『安部あべ公房こうぼう文学ぶんがくにおける実存じつぞん越境えっきょうせいをめぐって―作品さくひんにおける普遍ふへんてき魅力みりょくさい評価ひょうか―』だい八章はっしょう)(筑波大学つくばだいがく博士はかせ学位がくい論文ろんぶん、2006ねん
  6. ^ a b 安部あべ公房こうぼうおぼがき――『がけ』」(限定げんていばんがけみ)(プレス・ビブリオマーヌ、1971ねん
  7. ^ a b c 安部あべ公房こうぼう映画えいががけ』について」(試写ししゃかいようチラシ 1971ねん7がつ2にち
  8. ^ ちくまの教科書きょうかしょ > 国語こくご通信つうしん > 連載れんさい > 授業じゅぎょう実践じっせんれい > だいしょう 小説しょうせつ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 安部あべ公房こうぼう全集ぜんしゅう 22 1968.02-1970.02』(新潮社しんちょうしゃ、1999ねん
  • 安部あべ公房こうぼう全集ぜんしゅう 23 1970.02-1973.03』(新潮社しんちょうしゃ、1999ねん
  • 安部あべ公房こうぼう全集ぜんしゅう 17 1962.11-1964.01』(新潮社しんちょうしゃ、1999ねん
  • 安部あべ公房こうぼう全集ぜんしゅう 18 1964.01-1964.09』(新潮社しんちょうしゃ、1999ねん
  • 安部あべ公房こうぼう全集ぜんしゅう 5 1955.03-1956.02』(新潮社しんちょうしゃ、1997ねん
  • 安部あべ公房こうぼう全集ぜんしゅう 7 1957.01-1957.11』(新潮社しんちょうしゃ、1998ねん
  • 文庫ぶんこばん友達ともだちぼうになったおとこ』(付録ふろく解説かいせつ 中野なかの孝次たかじ)(新潮しんちょう文庫ぶんこ、1987ねん
  • ゴーシュ・ダスティダー・デバシリタ(Ghosh Dastidar,Debashrita)「『ぼうもり』のちょう時代じだいせいをめぐって―安部あべ公房こうぼうぼうになったおところん―」(『安部あべ公房こうぼう文学ぶんがくにおける実存じつぞん越境えっきょうせいをめぐって―作品さくひんにおける普遍ふへんてき魅力みりょくさい評価ひょうか―』だい八章はっしょう)(筑波大学つくばだいがく博士はかせ学位がくい論文ろんぶん、2006ねん[1]