(Translated by https://www.hiragana.jp/)
火の路 - Wikipedia コンテンツにスキップ

みち

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
みち
小説中に登場する明日香村の酒船石
小説しょうせつちゅう登場とうじょうする明日香あすかむらさけ船石ふないし
作者さくしゃ 松本まつもと清張せいちょう
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 長編ちょうへん小説しょうせつ
発表はっぴょう形態けいたい 新聞しんぶん連載れんさい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつ朝日新聞あさひしんぶん1973ねん6月16にち - 1974ねん10月13にち
初出しょしゅつ題名だいめい回路かいろ
出版しゅっぱんもと 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ
刊本かんぽん情報じょうほう
刊行かんこうみち』(上下じょうげまき
出版しゅっぱんもと 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ 1975ねん11月10にち上巻じょうかん
1975ねん12月10にち下巻げかん
装幀そうてい 坂田さかた政則まさのり
挿絵さしえ 坂田さかた政則まさのり
ウィキポータル 文学ぶんがく ポータル 書物しょもつ
テンプレートを表示ひょうじ

みち』(ひのみち)は、松本まつもと清張せいちょう長編ちょうへん推理すいり小説しょうせつペルシアじんゾロアスターきょう飛鳥あすか時代ときよ伝来でんらいせつえが話題わだいんだ、著者ちょしゃ古代こだいミステリーの代表だいひょうてき長編ちょうへん。『回路かいろ』のタイトルで『朝日新聞あさひしんぶん』に連載れんさいされ(1973ねん6月16にち - 1974ねん10月13にち)、改題かいだいうえ1975ねん11月・12月に文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうから刊行かんこうされた。革命かくめいまえパフラヴィーあさ末期まっきイラン重要じゅうよう舞台ぶたいとなっている。大胆だいたん仮説かせつくわえ、連載れんさい開始かいし前年ぜんねんこう松塚まつづか古墳こふん壁画へきが発見はっけんされ、古代こだい注目ちゅうもくされていたこともあり、話題わだいさくとなった[1]

1976ねんにテレビドラマされている。

あらすじ

[編集へんしゅう]

カメラマンの坂根さかねかなめすけは、奈良ならけん明日香あすかむら石造せきぞう遺跡いせき取材しゅざいちゅう遺跡いせき真剣しんけん観察かんさつする女性じょせい高須たかす通子みちこ出会であう。通子みちこ奈良ならうち宿泊しゅくはくしていたが、散歩さんぽちゅう法華寺ほっけじちかくでおとこされているのを発見はっけんする。被害ひがいしゃ海津かいづしんろく同情どうじょうした通子みちこ供血きょうけつおもつが、病院びょういんかう途中とちゅう坂根さかね再会さいかいした。海津かいづ歴史れきし学徒がくと時代じだいうわさみみにした坂根さかねは、海津かいづ周辺しゅうへん人間にんげん関係かんけい疑問ぎもんいだくようになる。他方たほう論文ろんぶん飛鳥ひちょう石造せきぞう遺物いぶつ」を発表はっぴょうした通子みちこのもとに、海津かいづから供血きょうけつれいねた丁寧ていねい感想かんそうとどいた。海津かいづとの議論ぎろん文通ぶんつうのやりとりによってみずからの仮説かせつ検証けんしょうしていく通子みちこは、イランきへのおもいをふかめる。

おも登場とうじょう人物じんぶつ

[編集へんしゅう]
  • 物語ものがたり前半ぜんはんから登場とうじょうする人物じんぶつのみ記述きじゅつ
高須たかす通子みちこ
東京とうきょう国立こくりつTだい文学部ぶんがくぶ日本にっぽん古代こだい専攻せんこう身分みぶん助手じょしゅ高校こうこう非常勤ひじょうきん講師こうしつ。発想はっそうがユニークとひょうされるが、学閥がくばつ慣習かんしゅうおもんじる教授きょうじゅじんからはけむたがられている。
坂根さかねかなめすけ
フリーのカメラマン。長髪ちょうはつ童顔どうがん雑誌ざっし文化ぶんか領域りょういき」といをち、その取材しゅざいさき通子みちこ出会であう。
海津かいづしんろく
大阪おおさか和泉いずみ保険ほけん勧誘かんゆういんをしているが、Tだい有望ゆうぼう歴史れきし学徒がくとであった過去かこつ。奈良なら市内しないでシンナーの常習じょうしゅうしゃされるが、通子みちこ坂根さかね供血きょうけつもあり一命いちめいめる。
村岡むらおか一郎いちろう
京都きょうと南禅寺なんぜんじちかくで普茶料理ふちゃりょうりだい仙洞せんとう」をいとなむ。
稲富いなとみ倶子ともこ
私立しりつR学院がくいんだい4年生ねんせい。フランス留学りゅうがく夢見ゆめみる。
福原ふくはら庄三しょうぞう
雑誌ざっし文化ぶんか領域りょういきふく編集へんしゅうちょう

エピソード

[編集へんしゅう]
  • ほんさく取材しゅざい文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうちからりておこなわれたが、古代こだいあつかった専門せんもんてき内容ないようから、朝日新聞あさひしんぶん学芸がくげい部員ぶいんはしきりにむずかしい、むずかしいとこぼしていたという[2]清張せいちょう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうどもに、単行本たんこうぼんはあまりれないだろうと予測よそくし、部数ぶすうしぼったうえ仕上しあげに時間じかんようする、はこりのうえ製本せいほんつくられた。ところが、発売はつばいするとたちまち増刷ぞうさつがかかり、前記ぜんき製本せいほん事情じじょうゆえ、注文ちゅうもんにすぐおうじられない結果けっかとなった[3]
  • 考古こうこ学者がくしゃ末永すえなが雅雄まさお論文ろんぶんとおしていた清張せいちょうは、論文ろんぶんちゅう藪田やぶた嘉一郎かいちろう名前なまえをひかれ、内容ないようほんさく関連かんれんがあったため、藪田やぶた手紙てがみ教示きょうしもとめた。1976ねん薮田やぶたまでひゃくつうちかくの書簡しょかんけた清張せいちょうは「まるで薮田やぶたゼミナールに入門にゅうもんしたとおなじだった」と回顧かいこしている。清張せいちょう薮田やぶた死後しご当時とうじ平凡社へいぼんしゃ社長しゃちょう下中しもなか邦彦くにひこに、薮田やぶた論文ろんぶんしゅう出版しゅっぱん依頼いらいし『日本にっぽん古代こだい文化ぶんか宗教しゅうきょう』の上梓じょうしつながった[4]
  • 藪田やぶたのほかに、相談そうだん相手あいてとして古代こだい仏教ぶっきょう寺院じいん神社じんじゃ建築けんちく権威けんいとしてられた京都大きょうとだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ福山ふくやま敏男としおなどがいた[1]
  • ほんさくでなされた推論すいろんは、手塚てづか治虫おさむ漫画まんがみっがとおる』の物語ものがたり影響えいきょうおよぼしている。

関連かんれん事項じこう

[編集へんしゅう]
沈黙ちんもくとう(ヤズド)

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • みち誕生たんじょう秘話ひわ・・・松本まつもと清張せいちょう記念きねんかん企画きかくてん図録ずろく清張せいちょう建築けんちく福山ふくやま敏男としお古代こだい史家しか藪田やぶた嘉一郎かいちろうとの往復おうふく書簡しょかん掲載けいさい
  • 小説しょうせつみち創作そうさくノート・・・『日本にっぽんなぞかぎ』(1976ねん平凡社へいぼんしゃ)に収録しゅうろく
  • ほんさく参考さんこうとなった先行せんこう論文ろんぶん、また推論すいろん部分ぶぶん評価ひょうかをめぐっては、『松本まつもと清張せいちょう全集ぜんしゅうだい50かん(1983ねん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう)のイラン学者がくしゃ伊藤いとう義教よしのりによるコメント、『松本まつもと清張せいちょう研究けんきゅうだい6ごう特集とくしゅう清張せいちょう古代こだい軌跡きせき現在げんざい」(2005ねん北九州きたきゅうしゅう市立しりつ松本まつもと清張せいちょう記念きねんかん編集へんしゅう発行はっこう)、文春ぶんしゅん文庫ぶんこばん(2009ねん)の考古こうこ学者がくしゃもり浩一こういちによる解説かいせつなどに言及げんきゅうがある。
  • ゾロアスターきょう・ペルシアじん日本にっぽん伝来でんらいをめぐって、清張せいちょう以降いこう推論すいろん展開てんかいした。

テレビドラマ

[編集へんしゅう]
みち
ジャンル テレビドラマ
原作げんさく 松本まつもと清張せいちょうみち
脚本きゃくほん 中島なかじまたけはく
演出えんしゅつ 江口えぐち浩之ひろゆき
清水しみずみつる
出演しゅつえんしゃ 栗原くりはら小巻こまきほか
製作せいさく
制作せいさく NHK
放送ほうそう
放送ほうそうこく地域ちいき日本の旗 日本にっぽん
放送ほうそう期間きかん1976ねん4がつ8にち - 5月27にち
放送ほうそう時間じかん22:15 - 23:00
放送ほうそうわくドラマ人間にんげん模様もよう
放送ほうそうぶん45ふん
回数かいすう7
テンプレートを表示ひょうじ

1976ねん4がつ8にちから5月27にちまで、NHKの「シリーズ人間にんげん模様もよう」(22:15-23:00)にて、ぜん7かい連続れんぞくドラマとして放映ほうえい[5]

キャスト
スタッフ
NHK シリーズ人間にんげん模様もよう
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
-
みち
(1976.4.8 - 5.27)

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b 松本まつもと清張せいちょうあおいだ京都きょうとの“怪物かいぶつ序章じょしょう 一本いっぽん電話でんわTJE KYOTO, 2020.09.01
  2. ^ 対談たいだん清張せいちょう古代こだい現在げんざいさい検討けんとうする」(『松本まつもと清張せいちょう研究けんきゅうだい6ごう(2005ねん北九州きたきゅうしゅう市立しりつ松本まつもと清張せいちょう記念きねんかん編集へんしゅう発行はっこう)に収録しゅうろくちゅうもり浩一こういち発言はつげんによる。
  3. ^ 藤井ふじいやすしさかえ松本まつもと清張せいちょう残像ざんぞう』(2002ねん文春ぶんしゅん新書しんしょ)118-120ぺーじ参照さんしょう
  4. ^ 藪田やぶた嘉一郎かいちろう日本にっぽん古代こだい文化ぶんか宗教しゅうきょう』(1976ねん平凡社へいぼんしゃ)349ぺーじ清張せいちょうによる同書どうしょあとがき「上梓じょうしまで」参照さんしょう
  5. ^ げき評論ひょうろんだい18かんだい1ごう、「げき評論ひょうろん」のかい、1976ねん4がつ5にち、27ぺーじ NDLJP:2223252/18
  6. ^ 栗原くりはら小巻こまき - NHK人物じんぶつろく

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]