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田中たなか優子ゆうこ

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たなか ゆうこ

田中たなか 優子ゆうこ
生誕せいたん (1952-01-30) 1952ねん1がつ30にち(72さい
神奈川かながわけん横浜よこはま
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしんこう 法政大学ほうせいだいがく大学院だいがくいん人文じんぶん科学かがく研究けんきゅう文学部ぶんがくぶ修士しゅうし課程かてい修了しゅうりょう
職業しょくぎょう 江戸えど文化ぶんか研究けんきゅうしゃ
肩書かたが 法政大学ほうせいだいがくだい19だい総長そうちょう
栄誉えいよ 芸術げいじゅつ選奨せんしょう文部もんぶ科学かがく大臣だいじんしょう
紫綬褒章しじゅほうしょう
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田中たなか 優子ゆうこ(たなか ゆうこ、1952ねん昭和しょうわ27ねん1がつ30にち - )は、日本にっぽん江戸えど文学ぶんがく江戸えど文化ぶんか比較ひかく文化ぶんか研究けんきゅうしゃエッセイスト法政大学ほうせいだいがく社会学部しゃかいがくぶ学部がくぶちょうどう大学だいがくだい19だい総長そうちょうて、どう大学だいがく名誉めいよ教授きょうじゅどう大学だいがく江戸えど東京とうきょう研究けんきゅうセンターとくにん教授きょうじゅ

経歴けいれき

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相鉄そうてつ本線ほんせん西にし横浜よこはまえきちか商店しょうてんがいまれそだつ。ちち東京とうきょう出身しゅっしん空調くうちょう技師ぎしで、はは横浜よこはままれ。あにおなじく横浜よこはま市立しりつ本町ほんちょう小学校しょうがっこう越境えっきょう入学にゅうがくし、バスで通学つうがく読書どくしょきで志賀しが直哉なおや愛読あいどくしていた。清泉きよいずみ女学院じょがくいん中学校ちゅうがっこう高等こうとう学校がっこう入学にゅうがくバスケットボールはいり、読書どくしょのジャンルを天文学てんもんがくSFにもひろげ、高校こうこうでは構内こうない雑誌ざっし編集へんしゅうはじめ、カメラにのめりみ、写真しゃしん創設そうせつした。東京大学とうきょうだいがくはいって全共闘ぜんきょうとう参加さんかしていたあに影響えいきょうけ、文化ぶんかさい発表はっぴょうでは『共産党きょうさんとう宣言せんげん』をげた。だが、おおらかな雰囲気ふんいき清泉きよいずみ女学院じょがくいんでは、教師きょうししかるわけではなく、「こまったわねぇ」とうだけだった[1]

大学だいがく入学にゅうがく学生がくせい運動うんどうへの参加さんか

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清泉きよいずみ女学院じょがくいん高校こうこう時代じだい国語こくご教師きょうし助言じょげん興味きょうみった法政大学ほうせいだいがく文学部ぶんがくぶ日本にっぽん文学ぶんがく合格ごうかくし、1970ねん昭和しょうわ45ねん入学にゅうがく語学ごがくまなぶために語学ごがく専門せんもん学校がっこうアテネ・フランセにちふつ学院がくいんにもとおった。入学にゅうがく当時とうじ全国ぜんこくてきにも学生がくせい運動うんどうらによるうちゲバ事件じけん多発たはつしていたことで、学生がくせい運動うんどう自体じたい下火したびになっていた時期じきであったものの、高校こうこう時代じだいから関心かんしんがあった全共闘ぜんきょうとう参加さんかしたことについて、まよいはかったとかたっている。田中たなか成田空港なりたくうこう反対はんたい運動うんどうのあった三里塚さんりづかにもおこなって、三里塚さんりづか闘争とうそうにも参加さんかした。日本にっぽん共産党きょうさんとう組織そしき民青みんせいセクトを、だれいてもおな意見いけんべる教条きょうじょうてきで「自分じぶん善良ぜんりょうさをアピール」しているようにえたと批判ひはんする一方いっぽうで、ノンセクト(党派とうはぞくさないしん左翼さよくは、個々人ここじん自分じぶん言葉ことばっていたと評価ひょうかしている[2]

小田切おだぎり秀雄ひでおゼミで石川いしかわあつしはじめ、その小説しょうせつ評論ひょうろんにより、江戸えど文学ぶんがくにある「やつし」「見立みたて」をとおして江戸えど文化ぶんか学習がくしゅうした。大学院だいがくいんすす廣末ひろすえたもつもとまなび、江戸えど文学ぶんがくとく上田うえだ秋成あきなりについて研究けんきゅう博士はかせ課程かてい在学ざいがくちゅう大学院だいがくいん先輩せんぱい結婚けっこんし、休学きゅうがくしておっと留学りゅうがくさきであるニューヨーク生活せいかつする。帰国きこく専任せんにん講師こうしとなって多忙たぼうとなり、3ねん離婚りこん

離婚りこん以後いご

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1980ねん昭和しょうわ55ねん)に法政大学ほうせいだいがく大学院だいがくいん人文じんぶん科学かがく研究けんきゅう博士はかせ課程かてい単位たんい取得しゅとく満期まんき退学たいがくし、法政大学ほうせいだいがくだいいち教養きょうよう専任せんにん講師こうしとなる。 1983ねん昭和しょうわ58ねん)に法政大学ほうせいだいがくだいいち教養きょうよう助教授じょきょうじゅへと昇進しょうしんし、『平凡へいぼんパンチ』『流行りゅうこう通信つうしん』でエッセイの連載れんさいはじめる。筑摩書房ちくましょぼう編集へんしゅうしゃ江戸えど文化ぶんかほん執筆しっぴつすすめられ、平賀ひらが源内げんない上田うえだ秋成あきなり中心ちゅうしんに、『江戸えど想像そうぞうりょく』を執筆しっぴつ。その、1986ねん昭和しょうわ61ねん北京ぺきん大学だいがく交換こうかん研究けんきゅういんとして中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく赴任ふにんし、中国ちゅうごく文学ぶんがくまなぶとともに、中国ちゅうごく各地かくち旅行りょこうしてまわる。『江戸えど想像そうぞうりょく』により、芸術げいじゅつ選奨せんしょう文部もんぶ大臣だいじん新人しんじんしょう受賞じゅしょう

1991ねん平成へいせい3ねん)に法政大学ほうせいだいがくだいいち教養きょうよう教授きょうじゅ昇進しょうしん。 1993ねんオックスフォおっくすふぉド大学どだいがく在外ざいがい研究けんきゅういんとして1年間ねんかん赴任ふにんおもに16-19世紀せいき織物おりもの生産せいさん流通りゅうつう研究けんきゅうし、これはガンジーインド独立どくりつ運動うんどうにおいてインド国内こくない木綿もめん生産せいさん復活ふっかつびかけたことに触発しょくはつされていた。その日本にっぽん各地かくちぬの研究けんきゅうつづけ、自身じしんおも祖母そぼ着物きものはじまって和服わふくるようになり、江戸えど文化ぶんか講演こうえんなどでも着用ちゃくようした。イギリスではだいえい博物館はくぶつかん春画しゅんがのワークショップにも参加さんかして関心かんしんち、1995ねんにはアメリカ春画しゅんが学会がっかいで「エロティックなぬの」とだいした発表はっぴょうおこなった。2001ねん、49さいとき悪性あくせいリンパ腫りんぱしゅうたがいで入院にゅういん半年はんとし休学きゅうがくするが、アレルギー疾患しっかんとわかり復帰ふっき

復帰ふっき

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教養きょうよう改組かいそともない、2003ねん平成へいせい15ねん)からどう大学だいがく社会学部しゃかいがくぶ移籍いせき。2009ねんから『週刊しゅうかん金曜日きんようび』の編集へんしゅう委員いいんとなる。2012ねん平成へいせい24ねん同学どうがく部長ぶちょう就任しゅうにん。2014ねん平成へいせい26ねんどう大学だいがく総長そうちょう東京とうきょうろく大学だいがくでははつ女性じょせい総長そうちょう)となる。2021ねんれい3ねん退任たいにんし、同大どうだい名誉めいよ教授きょうじゅとなる。

主張しゅちょう

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  • 選択せんたくてき夫婦ふうふ別姓べっせい制度せいど賛成さんせい。「選択せんたくてき夫婦ふうふ別姓べっせいあんへの反対はんたい意見いけんには、『だれもがえらべる、自分じぶんえらべる』という視点してんちている」「もし選択せんたくすることじたいが困難こんなんで『決断けつだん』ができず、めんどうだからなんでも政府せいふかためてくれたほういとおもひと大半たいはんなのであれば、日本にっぽん未来みらいはない」とべる[3]。また、「日本人にっぽんじん夫婦ふうふ同姓どうせいになったのは1898(明治めいじ31)ねん。それまでは夫婦ふうふ別姓べっせいだったので、このとき日本にっぽん伝統でんとうわない、と反対はんたいがあった。このように『伝統でんとうわない』という言葉ことばは『わたし意見いけんちがう』という意味いみ使つかわれる」ともべている[4]
  • まった歴史れきしてき根拠こんきょい「伝統でんとう創造そうぞう」にあたるとの批判ひはんのある江戸えどしぐさ[5][6]について、過去かこ江戸えどしぐさを肯定こうていする内容ないよう講演こうえんおこなったことがある[7]が、2015ねん平成へいせい27ねん)6がつ25にち放送ほうそうTBSテレビNEWS23』において、江戸えどしぐさを「空想くうそうである」と否定ひていした[8]
  • 江戸えど想像そうぞうりょく』では、それまでおもに「くら陰惨いんさん時代じだい」とされていた江戸えど時代じだいをもっとあかるい時代じだいかんがえる「江戸えどブーム」の一翼いちよくになったが、本人ほんにんは、「あかるい」という言葉ことば使つかったことはない、とっている[9]
  • 近世きんせいアジア漂流ひょうりゅう』は、江戸えど時代じだい日本にっぽんから当時とうじのアジアがどうえていたか、アジアから江戸えどがどうえていたかをとおし、国際こくさい都市としとしての江戸えどえがそうとしており、五木いつき寛之ひろゆきは、「江戸えどというものを遠近えんきんほうようとせずに、遠近えんきんほう無視むししたかたちで、江戸えどどう時代じだいとしてとらえている」「コロンブスのたまご」としょうした[10]
  • 江戸えどひゃくゆめ』については、丸谷まるや才一さいいちが「世界せかいなか江戸えど文化ぶんかといふ関心かんしん全巻ぜんかんにみなぎつてゐる」(「国際こくさいてき把握はあく」)「ほんきょ宣長のりながとはまたたがえ角度かくどからのにちちゅう文化ぶんか比較ひかくろんで、やまとごころを宣揚せんようしてゐる」「特筆とくひつあたいするのは文章ぶんしょうがいいこと」(たとえば、事物じぶつの「列挙れっきょ」)とひょうした[11]
  • 江戸えど時代じだい社会しゃかい文化ぶんかなどの紹介しょうかいおこなっている。ただし、田中たなか優子ゆうこ自身じしんは、江戸えど時代じだい文学ぶんがく文化ぶんか専門せんもんとする研究けんきゅうしゃつど日本にっぽん近世きんせい文学ぶんがくかい日本にっぽん学術がくじゅつ会議かいぎ協力きょうりょく学術がくじゅつ研究けんきゅう団体だんたい)において、口頭こうとうでの発表はっぴょう査読さどく論文ろんぶん掲載けいさいされた経験けいけんたない[12][13]廣末ひろすえたもつ日本にっぽん文学ぶんがく協会きょうかい活動かつどうしていたために、そちらで発表はっぴょう掲載けいさいをしていたからであった。日本にっぽん文学ぶんがく協会きょうかい文学ぶんがく研究けんきゅう時代じだい区分くぶんんでいなかったことが理由りゆうである。

学外がくがい活動かつどう政治せいじ運動うんどう

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TBSテレビサンデーモーニング』も不定期ふていきのコメンテーターとして出演しゅつえんしていたが、一時期いちじき、2014-21ねん総長そうちょう在任ざいにん期間きかん出演しゅつえんひかえていた[14]大学だいがくがいでも活動かつどうおこなっており、放送ほうそう文化ぶんか基金ききん評議ひょうぎいん(すでに退任たいにん)、サントリー美術館びじゅつかん企画きかく委員いいんサントリー芸術げいじゅつ財団ざいだん理事りじ大佛だいぶつ次郎じろうしょう選考せんこう委員いいん開高かいこうけんノンフィクションしょう審査しんさ委員いいん(2022ねんまで)、サントリー地域ちいき文化ぶんかしょう選考せんこう委員いいん(2022ねんまで)、のりこえねっと(ヘイトスピーチとレイシズムをえる国際こくさいネットワーク)共同きょうどう代表だいひょう先住民せんじゅうみんぞくアイヌ権利けんり回復かいふくもとめる署名しょめいびかけにん[15]、「平和へいわもと軍拡ぐんかくゆるさないおんなたちのかい共同きょうどう代表だいひょうなどもつとめている。

戦争せんそうをさせない1000にん委員いいんかい
2013ねん12月6にちだい安倍あべ政権せいけん特定とくてい秘密ひみつ保護ほごほう強行きょうこう採決さいけつ成立せいりつさせ、その解釈かいしゃく憲法けんぽうによる集団しゅうだんてき自衛じえいけん行使こうし容認ようにんもうとしていた。憲法けんぽう9じょうそら文化ぶんかうごきを阻止そしするべく、大江おおえ健三郎けんざぶろう田中たなから16にん発起人ほっきにんは2014ねん2がつ、「戦争せんそうをさせない1000にん委員いいんかい」をげるとの声明せいめい発表はっぴょうした。声明せいめい発表はっぴょう発起人ほっきにんのメンバーは雨宮あまみやしょ内橋うちはし克人かつと大江おおえ健三郎けんざぶろう大田おおた昌秀まさひで奥平おくだいら康弘やすひろ小山内おさない美江子みえこ落合おちあい恵子けいこ鎌田かまたとし香山かやまリカ倉本くらもとさとし高信たかのぶ瀬戸内せとうち寂聴じゃくちょう高橋たかはし哲哉てつや高良こうらてつ田中たなか優子ゆうこ山口やまぐち二郎じろう五十音ごじゅうおんじゅん)。「戦争せんそうをさせない1000にん委員いいんかい」は同年どうねん3がつ4にち、108にんびかけによって結成けっせいされた[16][17]
五輪ごりん開催かいさい反対はんたい署名しょめい活動かつどう
2021ねん7がつ2にち飯村いいむらゆたか上野うえの千鶴子ちづこ中心ちゅうしんとなって、ウェブサイト「Change.org」にて、東京とうきょうオリンピック・パラリンピック反対はんたいもとめるオンライン署名しょめい活動かつどう開始かいしされた[18][19][20]びかけにんは、浅倉あさくらむつ飯村いいむらゆたか上野うえの千鶴子ちづこ内田うちだいつき大沢おおさわ真理まり落合おちあい恵子けいこ三枝さえぐさ成彰しげあき佐藤さとうまなぶ澤地さわじ久枝くし田中たなか優子ゆうこ津田つだ大介だいすけ春名はるな幹男みきお樋口ひぐち恵子けいこ深野ふかの紀之のりゆきけい14にん五十音ごじゅうおんじゅん)。賛同さんどうしゃは、高橋たかはし源一郎げんいちろう日向ひゅうが敏文としふみ三浦みうらまり[21]同年どうねん7がつ19にち五輪ごりん中止ちゅうしもとめる要望ようぼうしょと13まん9576にんぶん署名しょめい東京とうきょう大会たいかい組織そしき委員いいんかい提出ていしゅつされた[22][23]
安倍晋三あべしんぞう国葬こくそう中止ちゅうしもとめる活動かつどう
2022ねん7がつ22にち政府せいふは、安倍晋三あべしんぞう国葬こくそうを9月27にちおこなうことを閣議かくぎ決定けっていした[24]。8月8にち発表はっぴょうのNHKの世論せろん調査ちょうさで、国葬こくそうおこなうことを「評価ひょうかしない」が50%、8がつ11にち発表はっぴょう時事通信じじつうしん世論せろん調査ちょうさでも「反対はんたい」が47.3%と、反対はんたい多数たすうめたが[25][26]政府せいふ再考さいこうする気配けはいはなかった。8月23にち田中たなからはウェブサイト「Change.org」で、中止ちゅうしもとめるオンライン署名しょめい活動かつどう開始かいしした。びかけにんは、飯島いいじましげるあきら石村いしむらおさむいね正樹まさき上野うえの千鶴子ちづこ内田うちだいつき落合おちあい恵子けいこ鎌田かまたとしだかしんじ清末きよすえあいすな五野井ごのい郁夫いくお斎藤さいとう美奈子みなこ澤地さわじ久枝くししまそのすすむ清水しみず雅彦まさひこ田中たなか優子ゆうこ中島なかじま岳志たけし永山ながやま茂樹しげきけい17にん五十音ごじゅうおんじゅん[27][28]

年表ねんぴょう

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著書ちょしょ

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たんちょ

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(『朝日あさひジャーナル連載れんさい「EARLY MODERNの図像ずぞうがく改題かいだい芸術げいじゅつ選奨せんしょう文部もんぶ科学かがく大臣だいじんしょう、サントリー学芸がくげいしょう

共著きょうちょ

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翻訳ほんやく

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編集へんしゅう監修かんしゅう

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出演しゅつえん

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脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ 青春せいしゅんスクロール 母校ぼこう群像ぐんぞう 清泉きよいずみ女学院じょがくいん 1 自由じゆうまなび、ぜいたくな時間じかん」『朝日新聞あさひしんぶん神奈川かながわばん 2018ねん1がつ11にち 28ぺーじ
  2. ^ 朝日新聞あさひしんぶん2021ねん7がつ3にちかたる-人生じんせいおくもの-コーナー」「「勉強べんきょうって面白おもしろい」自身じしん変化へんか田中たなか優子ゆうこ(ききて:藤生とうにゅう京子きょうこ)
  3. ^ 「『選択せんたく能力のうりょくけている?」毎日新聞まいにちしんぶん、2016ねん1がつ13にち
  4. ^ 伝統でんとう」といういいわけ毎日新聞まいにちしんぶん、2017ねん12月13にち
  5. ^ ぞく江戸えどしぐさの正体しょうたい
  6. ^ 「それホンモノ? 『伝統でんとう』の正体しょうたい毎日新聞まいにちしんぶん、2016ねん1がつ25にち 東京とうきょう夕刊ゆうかん
  7. ^ 法政大学ほうせいだいがく 社会学部しゃかいがくぶメディア社会しゃかい学科がっか教授きょうじゅ 田中たなか優子ゆうこ 講演こうえん(2013.6.12)”. 麗澤大学れいたくだいがく. 2015ねん6がつ26にち閲覧えつらん
  8. ^ だい13かい田中たなか優子ゆうこ法政大学ほうせいだいがく総長そうちょう方向ほうこう転換てんかん 『NEWS23』における「江戸えどしぐさ」報道ほうどうによせて”. ジセダイ/ほしうみしゃ. 2016ねん1がつ25にち閲覧えつらん
  9. ^ 小谷野こやのあつしとの対談たいだん江戸えど幻想げんそう批判ひはん 改訂かいてい新版しんぱん』(しん曜社)におさめられた。
  10. ^ 五木いつき寛之ひろゆき対談たいだんしゅういのちよみがえなまかんがえる』角川かどかわ文庫ぶんこ、1998ねん(「人間にんげんのいるはら風景ふうけい」)
  11. ^ 丸谷まるや才一さいいち快楽かいらくとしての読書どくしょ 日本にっぽんへんちくま文庫ぶんこ、2012ねん(「せま江戸えどにはきた」 田中たなか優子ゆうこ江戸えどひゃくゆめ』)。もとはんは、丸谷まるや才一さいいち蝶々ちょうちょうだれからの手紙てがみマガジンハウス 2008ねん、225-226ぺーじ
  12. ^ 日本にっぽん近世きんせい文学ぶんがくかい大会たいかい研究けんきゅう発表はっぴょう一覧いちらん”. www.kinseibungakukai.com. 2019ねん8がつ11にち閲覧えつらん
  13. ^ 近世きんせい文藝ぶんげいそう目次もくじ”. www.kinseibungakukai.com. 2019ねん8がつ11にち閲覧えつらん
  14. ^ 人生じんせいおくもの 田中たなか優子ゆうこ
  15. ^ 先住民せんじゅうみんぞくアイヌの権利けんり回復かいふくもとめる団体だんたい個人こじん署名しょめい要請ようせい
  16. ^ 今週こんしゅう一言いちげん戦争せんそうをさせない1000にん委員いいんかい発足ほっそく”. 法学ほうがくかん憲法けんぽう研究所けんきゅうじょ (2014ねん4がつ28にち). 2022ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  17. ^ 戦争せんそうをさせない1000にん委員いいんかいとは”. 戦争せんそうをさせない1000にん委員いいんかい. 2022ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  18. ^ 片田かただたか也 (2021ねん7がつ2にち). 五輪ごりん中止ちゅうしもと署名しょめい開始かいし 上野うえの千鶴子ちづこさんら「いのちまもるため」”. 朝日新聞あさひしんぶん. https://www.asahi.com/articles/ASP7252FRP72ULEI00F.html 2021ねん7がつ14にち閲覧えつらん 
  19. ^ 川口かわぐちみのる (2021ねん7がつ13にち). 上野うえの千鶴子ちづこ×飯村いいむらゆたか五輪ごりん中止ちゅうし対談たいだん なぜ「強行きょうこう開催かいさい」はまらないのか?”. AERA. https://dot.asahi.com/articles/-/69981 2021ねん7がつ14にち閲覧えつらん 
  20. ^ 片田かただたか也 (2021ねん7がつ3にち). いまさら五輪ごりん反対はんたい署名しょめい? 上野うえの千鶴子ちづこさん「いまだからこそ」”. 朝日新聞あさひしんぶん. https://www.asahi.com/articles/ASP733629P72ULEI00S.html 2021ねん7がつ14にち閲覧えつらん 
  21. ^ キャンペーン・危険きけんせいがますますあきらかになっている東京とうきょう五輪ごりん開催かいさい中止ちゅうしうったえます!”. Change.org. 2021ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  22. ^ 斎川さいかわひとみ (2021ねん7がつ19にち). やく14まんにん五輪ごりん反対はんたい署名しょめい提出ていしゅつ 上野うえの千鶴子ちづこさん「即刻そっこく中止ちゅうしを」”. 毎日新聞まいにちしんぶん. https://mainichi.jp/articles/20210719/k00/00m/050/264000c 2021ねん7がつ20日はつか閲覧えつらん 
  23. ^ 片田かただたか也 (2021ねん7がつ19にち). “14まんにん五輪ごりん反対はんたい署名しょめい提出ていしゅつ 上野うえの千鶴子ちづこ決断けつだんを」”. 朝日新聞あさひしんぶん. https://www.asahi.com/articles/ASP7M5WJ6P7MULEI008.html 2021ねん7がつ20日はつか閲覧えつらん 
  24. ^ 源馬げんまのぞみ、日下部くさかべ元美もとみ政府せいふ安倍晋三あべしんぞうもと首相しゅしょう国葬こくそう閣議かくぎ決定けってい 9月27にち日本武道館にほんぶどうかん」『毎日新聞まいにちしんぶん毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、2022ねん7がつ22にち2022ねん7がつ23にち閲覧えつらん
  25. ^ 岸田きしだ内閣ないかく支持しじ」46% 内閣ないかく発足ほっそく最低さいていに 「支持しじ」28%”. 日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい (2022ねん8がつ8にち). 2022ねん8がつ8にち閲覧えつらん
  26. ^ 安倍あべ国葬こくそう反対はんたい」47% きゅう統一とういつ教会きょうかい解明かいめい必要ひつよう」77%―時事じじ世論せろん調査ちょうさ」『時事じじドットコムニュース』2022ねん8がつ11にち2022ねん8がつ11にち閲覧えつらん
  27. ^ 国葬こくそう中止ちゅうしもとめるオンライン署名しょめいびかけ 上野うえの千鶴子ちづこ東大とうだい名誉めいよ教授きょうじゅ”. 朝日新聞あさひしんぶん (2022ねん8がつ23にち). 2022ねん8がつ23にち閲覧えつらん
  28. ^ 安倍あべもと首相しゅしょうの「国葬こくそう中止ちゅうしもとめます”. Change.org (2022ねん8がつ23にち). 2022ねん8がつ23にち閲覧えつらん
  29. ^ “(かたる 人生じんせいおくりもの)田中たなか優子ゆうこ:6 石川いしかわあつしえた「江戸えどはロック」:朝日新聞あさひしんぶんデジタル”. (2021ねん7がつ5にち). https://www.asahi.com/articles/DA3S14961613.html 
  30. ^ 平成へいせい17ねんはる褒章ほうしょう受章じゅしょうしゃ 東京とうきょう” (PDF). 内閣ないかく. p. 3 (2005ねん4がつ29にち). 2005ねん5がつ25にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2023ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  31. ^ 法政大ほうせいだい次期じき総長そうちょう田中たなか優子ゆうこ 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん 2013ねん11月22にち
  32. ^ 女性じょせい総長そうちょう退任たいにん田中たなか優子ゆうこ”. 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう (2021ねん4がつ26にち). 2021ねん6がつ20日はつか時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん6がつ20日はつか閲覧えつらん
  33. ^ [1]
  34. ^ 『カムイでん講義こうぎ』(小学館しょうがくかん)あとがき

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 朝日新聞あさひしんぶん人生じんせいおくもの 田中たなか優子ゆうこ 1-14」2021ねん6がつ28にち-7がつ16にち

外部がいぶリンク

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