(Translated by https://www.hiragana.jp/)
白夜 - Wikipedia コンテンツにスキップ

白夜はくや

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ノルウェー、ノールカップ白夜はくや
(2003ねん6がつ6にち午前ごぜん044ふん撮影さつえい)。

白夜はくや(びゃくや、英語えいご・Midnight Sun)とは、真夜中まよなかになっても薄明はくめいになっているか、または太陽たいようしずんでもくらくならない現象げんしょうのこと。 おもに、北極圏ほっきょくけん付近ふきんでは夏至げし前後ぜんご南極なんきょくけん付近ふきんでは冬至とうじ前後ぜんごられる現象げんしょう。つまり北極圏ほっきょくけん付近ふきんでは6がつ下旬げじゅん前後ぜんこう南極なんきょくけん付近ふきんでは12月下旬げじゅん前後ぜんこうということになる。北半球きたはんきゅうでは北欧ほくおう諸国しょこくグリーンランドロシア北部ほくぶカナダ北部ほくぶアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくアラスカしゅう南半球みなみはんきゅうでは南極大陸なんきょくたいりくだい部分ぶぶん観測かんそくできる。深夜しんやでもまちちゅう散策さんさくする人々ひとびとられる。対義語たいぎごごくよる

詳細しょうさい

[編集へんしゅう]

地球ちきゅう公転こうてんめん垂線すいせんたいして地軸ちじくやく23.4かたむいているため、なついちにちちゅう太陽たいようほうくことになる地域ちいきがある。そういった地域ちいきなつは、よるになっても太陽たいようがほとんどしずまない。

白夜はくやきるのはおおむ緯度いどが66.6(90-23.4以上いじょう地方ちほうであり、北緯ほくい66.6以北いほく地方ちほう北極圏ほっきょくけん南緯なんい66.6以南いなん地方ちほう南極なんきょくけんという。ただしそれよりてい緯度いどの6034ふん以上いじょう地域ちいきでも太陽たいよう完全かんぜんしずむものの、くらにならない薄明はくめいのままあさになることがあるのでこれも白夜はくやということがある。

白夜はくやきる時期じき北極圏ほっきょくけんでは6がつ下旬げじゅん夏至げし前後ぜんご南極なんきょくけんでは12月下旬げじゅん冬至とうじ前後ぜんごとなる。また、白夜はくやきる期間きかんながさは緯度いどによりことなり、高緯度こういどになるにつれてその期間きかんながくなる。

白夜はくや」という表現ひょうげんかた

[編集へんしゅう]

表現ひょうげん由来ゆらい

[編集へんしゅう]

白夜はくや」という日本語にほんご表現ひょうげんは、ロシアБелые ночи (ベーラヤ・ノーチ、直訳ちょくやくすれば「しろよる」)からたとかんがえられる[1]原題げんだい«Бе́лые но́чи» というドストエフスキーの小説しょうせつは「白夜はくや」とやくされている[1]

「はくや」と「びゃくや」

[編集へんしゅう]

白夜はくや」のみは本来ほんらい「はくや」であったが、昭和しょうわ40年代ねんだいに『知床しれとこ旅情りょじょう』(森繁もりしげ久彌ひさや作詞さくし作曲さっきょく)が流行りゅうこうしたことによって歌詞かし[注釈ちゅうしゃく 1]にある「びゃくや」というかた世間せけん一般いっぱんひろまり、「びゃくや」のほう一般いっぱんてきかたとして定着ていちゃくしたと推測すいそくされている[1][2]。なお、『知床しれとこ旅情りょじょう』の発表はっぴょう以前いぜんに「びゃくや」というみがまったくなかったわけではなく、1958ねん昭和しょうわ33ねん)の映画えいが広告こうこくで“白夜はくや”に「びゃくや」というみがふられているれい存在そんざいする[1]。『知床しれとこ旅情りょじょう』は1960ねん昭和しょうわ35ねん)に森繁もりしげ久彌ひさやみずかうたって発表はっぴょうしたきょくであるが、このときにはおおきなヒットとはならなかった。その1970ねん昭和しょうわ45ねん)に加藤かとう登紀子ときこがリリースしてヒットした。

しろ」を「びゃく」とむのは呉音ごおんで、「はく」とむのは(呉音ごおんよりもあたらしくつたわった)漢音かんおんである。呉音ごおん「びゃく」はふるくから日本語にほんごはいったかたり仏教ぶっきょう用語ようご(「黒白くろしろ」(こくびゃく)や、「白衣はくい観音かんのん」の「びゃくえ」など)に使つかわれるのにたいして、よりあたらしいかたりには漢音かんおん「はく」が使つかわれる[2]。このため、あたらしいかたりである「白夜はくや」は「はくや」が「本来ほんらいかた」とかんがえられる[1][2]国語こくご辞典じてんでは、『広辞苑こうじえん だい6はん』(岩波書店いわなみしょてん[注釈ちゅうしゃく 2]、『日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん だい2はん』(小学館しょうがくかん)で「はくや」を標準ひょうじゅん見出みだとしている[1]

2000ねん時点じてんで、NHKは「白夜はくや」というかたりについて「びゃくや」を標準ひょうじゅんみとし、場合ばあいによって「はくや」とんでもよい、という基準きじゅんしめしている[2]。1980ねん昭和しょうわ55ねん)にNHKがおこなった有識者ゆうしきしゃアンケートにおいて、9わり以上いじょう回答かいとうしゃが「白夜はくや」のかたを「びゃくや」とこたえたため、それまで「はくや」しかみとめていなかったNHKは「びゃくや」を認容にんようすることとなった[2](その、さらに標準ひょうじゅんみをあらためた[2])。NHK放送ほうそう文化ぶんか研究所けんきゅうじょは、「白夜はくや」の「本来ほんらいかた」は「はくや」であるが、「あたらしいかた」である「びゃくや」が断然だんぜん優勢ゆうせいとなり「ことばとしての市民しみんけん」をたとしている[2]

国文学こくぶんがくしゃ池田いけだ彌三郎やさぶろうは、『知床しれとこ旅情りょじょう』が発表はっぴょうされたころもりしげるに「白夜はくや」は「はくや」であると直接ちょくせつ苦言くげんていして応酬おうしゅうになったといい、のちにエッセイで「うた流行りゅうこうにつれて、とうとう、『白夜はくや』をビャクヤなどと発声はっせいしたいやなことばが全国ぜんこくてきになった。あれはハクヤである。ビャクという呉音ごおんに、文学ぶんがくあじ芸術げいじゅつあじかんじ、ただしいいいかた犠牲ぎせいにしてしまったのである」と批判ひはんてきべている[注釈ちゅうしゃく 3][1]。また、大正たいしょう時代じだい鉱山こうざん技師ぎしとしてシベリアに滞在たいざいしてこの現象げんしょう体験たいけんした俳人はいじん山口やまぐち青邨せいそんは1975ねんのエッセイで「わたし最初さいしょからはくやとってた」「はくでよいのをびゃくとみ、高級こうきゅうになるがしたのであろう」としるしている。[注釈ちゅうしゃく 4][1]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ 知床半島しれとこはんとう北緯ほくい44位置いちしており、実際じっさいには白夜はくやになることはない。
  2. ^ 広辞苑こうじえん』の見出みだしは、1955ねん昭和しょうわ30ねん発行はっこう初版しょはんでは「はくや」のみであったが、1976ねん昭和しょうわ51ねん発行はっこうの「だい2はんていばん」で「びゃくや」がくわわった[1]
  3. ^ 池田いけだ弥三郎やさぶろうらしのなか日本語にほんご』(そうつぶせしゃ)p.221。出典しゅってん[1]よりさい引用いんよう
  4. ^ 山口やまぐち青邨せいそんさんそうこう書屋しょおく雑筆ざっぴつ」『朝日新聞あさひしんぶん』1975ねん7がつ13にち朝刊ちょうかん16めん出典しゅってん[1]よりさい引用いんよう

出典しゅってん

[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]