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磯村いそむらみのる

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
磯村いそむら みのる
生誕せいたん 1872ねん9がつ30にち
滋賀しがけん
死没しぼつ (1961-09-12) 1961ねん9月12にち(88さいぼつ
所属しょぞく組織そしき  大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
ぐんれき 1893 - 1928
1937 - 1938
最終さいしゅう階級かいきゅう 陸軍りくぐん大将たいしょう
指揮しき 東京とうきょう警備けいび司令しれいかん
だい12師団しだんなが
広島ひろしまわん要塞ようさい司令しれいかん
戦闘せんとう だいいち世界せかい大戦たいせん
*青島ちんたおたたか
シベリア出兵しゅっぺい
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磯村いそむら みのる(いそむら とし、明治めいじ5ねん1872ねん)9がつ30にち[1][2][ちゅう 1]) - 1961ねん昭和しょうわ36ねん9月12にち[1][ちゅう 2])は、日本にっぽん陸軍りくぐん軍人ぐんじん最終さいしゅう階級かいきゅう陸軍りくぐん大将たいしょう旧姓きゅうせい平田ひらた

経歴けいれき

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滋賀しがけん士族しぞく平田ひらたしげる二男じなんとしてまれ、1885ねん明治めいじ18ねん)11月に陸軍りくぐん中佐ちゅうさ磯村いそむらおもんみあきらよう嗣子ししとなる[1][3]東京とうきょう尋常じんじょう中学ちゅうがく陸軍りくぐん幼年ようねん学校がっこうて、1893ねん明治めいじ26ねん)7がつ陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう(4卒業そつぎょう[1][2][4]翌年よくねん3がつ砲兵ほうへい少尉しょうい任官にんかん野戦やせん砲兵ほうへいだい3連隊れんたいづけとなる[1][4]1900ねん明治めいじ33ねん)12月、陸軍りくぐんだい学校がっこう(14卒業そつぎょう[1][2][4]

にち戦争せんそうとき大本営だいほんえい陸軍りくぐん参謀さんぼうとして勤務きんむし、だいいち世界せかい大戦たいせんにおける通称つうしょう青島ちんたお攻略こうりゃくせんばれるドイツ要衝ようしょう青島ちんたお独立どくりつだい18師団しだん高級こうきゅう参謀さんぼうとして出撃しゅつげき[2][4]

1918ねん大正たいしょう7ねん)、陸軍りくぐん少将しょうしょう進級しんきゅう[1][4]。1月に広島ひろしまわん要塞ようさい司令しれいかん補職ほしょく[1][2][4]。その野戦やせん砲兵ほうへい射撃しゃげき学校がっこうちょうて、1921ねん大正たいしょう10ねん)3がつ28にちシベリア出兵しゅっぺいにより、途中とちゅううらしお派遣はけんぐん参謀さんぼうちょう就任しゅうにん[1][2][4]1922ねん大正たいしょう11ねん)8がつ陸軍りくぐん中将ちゅうじょう昇進しょうしん陸軍りくぐんほうこう学校がっこうちょうとなる[1][2][4]翌年よくねん8がつだい12師団しだんちょうおやされ、1926ねん大正たいしょう15ねん)7がつ関東大震災かんとうだいしんさいによりもうけられた東京とうきょう警備けいび司令しれいかん就任しゅうにん[1][2][4]1928ねん昭和しょうわ3ねん)8がつ10日とおか陸軍りくぐん大将たいしょう進級しんきゅう同時どうじ待命たいめい同月どうげつ29にち予備よびやく編入へんにゅうとなる[1][2][4]

1937ねん昭和しょうわ12ねん)2がつ17にち二・二六事件ににろくじけんのち、ただちに召集しょうしゅうされ、参謀さんぼう本部ほんぶづけとなる[1]東京とうきょう陸軍りくぐん軍法ぐんぽう会議かいぎ真崎まさき三郎さぶろう裁判さいばんにおけるはん士長しちょう就任しゅうにん[1]1938ねん昭和しょうわ13ねん)4がつ後備こうびやく[1]

1947ねん昭和しょうわ22ねん)11月28にち公職こうしょく追放ついほうかり指定していけた[5]

栄典えいてん

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位階いかい
勲章くんしょうとう

親族しんぞく

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 新暦しんれき旧暦きゅうれきべつはわからない。『陸軍りくぐん予備よびやく将校しょうこうどう相当そうとうかん服役ふくえき停年ていねん名簿めいぼ. 昭和しょうわ9ねん4がつ1にち調ちょう』・1918ねん刊行かんこう人事じんじ興信録こうしんろくだい5はん(い132ぺーじ)でも明治めいじ5ねん9がつ30にち記載きさいされている。
  2. ^ 日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん』77ぺーじでは昭和しょうわ40ねん5がつ17にち、『陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』106ぺーじでは昭和しょうわ40ねん5がつ7にち

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 日本にっぽん陸海りくかいぐん総合そうごう事典じてんだい2はん、20ぺーじ
  2. ^ a b c d e f g h i 日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん』77ぺーじ
  3. ^ 人事じんじ興信録こうしんろくだい5はん、い132ぺーじ
  4. ^ a b c d e f g h i j 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』106ぺーじ
  5. ^ 総理そうりちょう官房かんぼう監査かんさへん公職こうしょく追放ついほうかんする覚書おぼえがき該当がいとうしゃ名簿めいぼ日比谷ひびや政経せいけいかい、1949ねん、「昭和しょうわじゅうねんじゅういちがつじゅうはちにち かり指定していしゃ」36ぺーじ
  6. ^ 官報かんぽうだい3258ごう叙任じょにん及辞れい」1894ねん5がつ12にち
  7. ^ 官報かんぽうだい7434ごう叙任じょにん及辞れい」1908ねん4がつ11にち
  8. ^ 官報かんぽうだい241ごう叙任じょにん及辞れい」1913ねん5がつ21にち
  9. ^ 官報かんぽうだい1671ごう叙任じょにん及辞れい」1918ねん3がつ1にち
  10. ^ 官報かんぽうだい3035ごう叙任じょにん及辞れい」1922ねん9がつ12にち
  11. ^ 官報かんぽうだい3684ごう叙任じょにん及辞れい」1924ねん12月2にち
  12. ^ 官報かんぽうだい343ごう叙任じょにん及辞れい」1928ねん2がつ22にち
  13. ^ 官報かんぽうだい539ごう叙任じょにん及辞れい」1928ねん10がつ10日とおか
  14. ^ 官報かんぽうだい1068ごう付録ふろく叙任じょにん及辞れい」1916ねん2がつ25にち
  15. ^ 官報かんぽうだい3347ごう授爵じゅしゃく叙任じょにん及辞れい」1923ねん10がつ18にち
  16. ^ 官報かんぽうだい151ごう叙任じょにん及辞れい」1927ねん7がつ1にち
  17. ^ 官報かんぽうだい4438ごう付録ふろく辞令じれい」1941ねん10がつ23にち

参考さんこう文献ぶんけん

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  • はたいくへん日本にっぽん陸海りくかいぐん総合そうごう事典じてんだい2はん東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、2005ねん
  • 福川ふくかわ秀樹ひでき日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、2001ねん
  • 外山とやまみさおへん陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1981ねん
  • 人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信録こうしんろくだい5はん、1918ねん