(Translated by https://www.hiragana.jp/)
文化人類学 - Wikipedia コンテンツにスキップ

文化ぶんか人類じんるいがく

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
社会しゃかい人類じんるいがくから転送てんそう

文化ぶんか人類じんるいがく(ぶんかじんるいがく、えい・Cultural anthropology)は、人間にんげん生活せいかつ様式ようしき全体ぜんたい生活せいかつ活動かつどう)の具体ぐたいてきなありかたを研究けんきゅうする人類じんるいがく[ちゅう 1]いち分野ぶんやである。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

人類じんるいがく一般いっぱんに、人類じんるい進化しんか生物せいぶつがくてき側面そくめん研究けんきゅうする「自然しぜん人類じんるいがく」と、人類じんるい社会しゃかいてき文化ぶんかてき側面そくめん研究けんきゅうする「文化ぶんか人類じんるいがく 」(Cultural Anthropology) 、「社会しゃかい人類じんるいがく」 (Social Anthropology) などに大別たいべつされる。文化ぶんかはゴードン・チャイルドの定義ていぎってわられ、文化ぶんか包括ほうかつてき用語ようごになり、文明ぶんめい特定とくてい分野ぶんや意味いみする用語ようごとなった[1]文化ぶんか人類じんるいがく名称めいしょうアメリカにおいてもちいられ、イギリスおよびおおくのヨーロッパ諸国しょこくでは「社会しゃかい人類じんるいがく」の名称めいしょうもちいられてきた。のヨーロッパ諸国しょこく日本にっぽんにおいては民族みんぞくがく英語えいごけんでの Ethnologyドイツけんでの Ethnologie)の名称めいしょうもちいられている(民族みんぞくがくいち分野ぶんやとする場合ばあいおおい)。民俗みんぞくがくFolklore)もまた隣接りんせつ分野ぶんやとして共通きょうつう研究けんきゅうテーマを共有きょうゆうすることがおおい。

自然しぜん人類じんるいがく」は、文化ぶんか人類じんるいがく言語げんご人類じんるいがく考古学こうこがく同様どうよう重要じゅうよう学問がくもんであり人類じんるい進化しんか過程かていによって形作かたちづくられてきた生物せいぶつがくてき側面そくめんからとらえる[2]。 それにたいして、「文化ぶんか人類じんるいがく」は自然しぜんたいとしての文化ぶんかから人類じんるい研究けんきゅうしようとする学問がくもん分野ぶんやである。文化ぶんかとは、進化しんか過程かてい形成けいせいされた遺伝いでんてき形質けいしつのことではなく、人類じんるい後天的こうてんてき学習がくしゅうした行動こうどうパターンや言語げんご人工じんこうぶつ総体そうたいしている。したがって文化ぶんか人類じんるいがく隣接りんせつ科学かがくには言語げんごがく考古学こうこがくがあり、アメリカの学部がくぶではこれらの学問がくもんくわえて自然しぜん人類じんるいがくをあわせて総合そうごうてき教育きょういくされている。

よりせま意味いみ文化ぶんか人類じんるいがく民族みんぞく社会しゃかいあいだ文化ぶんか社会しゃかい構造こうぞう比較ひかく研究けんきゅうとしても理解りかいされている。社会しゃかい人類じんるいがく民族みんぞくがくという名称めいしょう文化ぶんか人類じんるいがくという用語ようごとほぼ同義どうぎである。ブロニスワフ・マリノフスキによる1914ねんのパプア調査ちょうさ以後いご[ちゅう 2]、この分野ぶんやでは数ヶ月すうかげつからすうねんわたって研究けんきゅう対象たいしょうとなる社会しゃかい滞在たいざいし、その集団しゅうだん構成こうせいいん一員いちいんとして生活せいかつする参与さんよ観察かんさつ手法しゅほうもちいることが一般いっぱんてきとなった。ライモン・パニッカーは、文化ぶんか成長せいちょう発展はってん革新かくしんそのほか多数たすう分類ぶんるいしている[3]

  • 文化ぶんか定義ていぎ
  1. 古典こてんてき日常にちじょうてき文化ぶんか産業さんぎょう文明ぶんめいたいして、人間にんげん精神せいしんめんでの向上こうじょうなどによち定義ていぎづけられた文化ぶんか[4]
  2. 人類じんるいがくてき文化ぶんか人間にんげんと、自然しぜん動物どうぶつとの差異さいから成立せいりつした文化ぶんか
  3. 社会しゃかいがくてき文化ぶんか複数ふくすう社会しゃかいや、その成員せいいんとのかかわりで成立せいりつした文化ぶんか


歴史れきし

[編集へんしゅう]

ヨーロッパに文化ぶんか人類じんるいがく学説がくせつにおいては、ブロニスワフ・マリノフスキの『西太平洋にしたいへいよう遠洋えんよう航海こうかいしゃ』、アルフレッド・ラドクリフ=ブラウンの『アンダマン島民とうみん』のりょうしょ出版しゅっぱんされた1922ねんさかいにして近代きんだいてき人類じんるいがくはじまったとされる。なお、これ以前いぜん人類じんるい学者がくしゃとしては歴史れきし主義しゅぎ(すべての社会しゃかい未開みかい状態じょうたいから段階だんかい進歩しんぽしていくとするかんがえで、西欧せいおう近代きんだいをその頂点ちょうてんとした)や伝播でんぱ主義しゅぎ類似るいじする社会しゃかい習慣しゅうかんがある場合ばあい一方いっぽうから他方たほうにそれが伝播でんぱしたとするかんがえ)を特徴とくちょうとするルイス・ヘンリー・モーガンジェームズ・フレイザーロバート・ローウィらがあげられる[5]

この時期じき、マリノフスキが確立かくりつしたフィールドワークの手法しゅほうによってデータの体系たいけいてき収集しゅうしゅう可能かのうになり、さらにラドクリフ=ブラウンによってフランス社会しゃかい学者がくしゃデュルケーム社会しゃかい理論りろんもとづいた構造こうぞう機能きのう主義しゅぎ理論りろん確立かくりつされ、社会しゃかい科学かがくとしてのその基礎きそきずかれた[6]

マリノフスキとラドクリフ=ブラウンは、ともにヨーロッパのイギリス中心ちゅうしん活動かつどうしたため(もっとも両者りょうしゃはともにアメリカで教鞭きょうべんをとっている)、だい世界せかい大戦たいせんかれらののちけたイギリス社会しゃかい人類じんるいがく伝統でんとう人類じんるいがく本流ほんりゅうとして認識にんしきされるようになった。しかし、各国かっこく人類じんるいがくにはこれとはことなる伝統でんとう存在そんざいしており、そのなかでもアメリカとフランスの伝統でんとうはしばしばつよ影響えいきょうりょくった。ローナ・ローズによれば、人類じんるい学者がくしゃは、植民しょくみん主義しゅぎへのプロセスにより、直接ちょくせつ間接かんせつ原始げんしてき他者たしゃせっすることになった[7]

アメリカにおいては、フランツ・ボアズ中心ちゅうしんとした独特どくとく学派がくはがれてきた。この学派がくは社会しゃかい人類じんるいがくよりもより包括ほうかつてきなアプローチをり、人間にんげん慣習かんしゅう社会しゃかい制度せいど心理しんりてき傾向けいこうせい言語げんご物質ぶっしつ文化ぶんかった多様たよう要素ようそからなる広義こうぎ文化ぶんか焦点しょうてんてた。ボアズは1887ねん文明ぶんめい絶対ぜったいてきなものではなく、相対そうたいてきなものであり、我々われわれ文明ぶんめい進化しんかするかぎ真実しんじつであるとかたった[8]


ボアズの学派がくはは、幅広はばひろ文化ぶんか概念がいねんもちいてかく民族みんぞく具体ぐたいてきには北米ほくべい原住民げんじゅうみん)の固有こゆう文化ぶんか記述きじゅつすることに専念せんねんし、社会しゃかい人類じんるいがくのような理論りろんたいしては批判ひはんてきであった。この学派がくは姿勢しせいとぼしい資料しりょうもと自民じみんぞく中心ちゅうしん主義しゅぎてき理論りろんおこなった進化しんか主義しゅぎへの反発はんぱつからているとわれ、ボアズらはこのような進化しんか主義しゅぎてき立場たちばこうして、それぞれの文化ぶんかは、それぞれの価値かちにおいて記述きじゅつ評価ひょうかされるべきであると文化ぶんか相対そうたい主義しゅぎ主張しゅちょうした[9]。21世紀せいきまでには、文化ぶんか相対そうたい主義しゅぎ立場たちばは、文化ぶんか人類じんるい学者がくしゃにとって自明じめいのものとして認知にんちされている。また、一方いっぽう社会しゃかい関係かんけいにこだわらない包括ほうかつてき立場たちばり、言語げんご心理しんり過程かてい地理ちりてき範疇はんちゅう生態せいたいけいにも焦点しょうてんてたために、のち心理しんり人類じんるいがく文化ぶんかとパーソナリティろん)、生態せいたい人類じんるいがくしん進化しんか主義しゅぎ)、といったすうおおくの下位かい分野ぶんやすことになった。

日本にっぽんでは、おか茂雄しげお戦前せんぜんに、民族みんぞくがく民俗みんぞくがくおよ考古学こうこがくせんもん書店しょてんおか書院しょいん」をひらき、おおくのほん出版しゅっぱんした。また、歴史れきし学者がくしゃ考古こうこ学者がくしゃ西村にしむらしん1938ねん早稲田大学わせだだいがく文学部ぶんがくぶない文化ぶんか人類じんるい学会がっかい設置せっちして初代しょだい会長かいちょう就任しゅうにん人類じんるいがく教科書きょうかしょを3さつ上梓じょうしするなど、文化ぶんか人類じんるいがく認知にんち貢献こうけんした[10]戦後せんごは、イギリスに留学りゅうがくして社会しゃかい人類じんるいがくおさめた中根なかね千枝ちえまねいた東京大学とうきょうだいがくにおいてイギリスりゅう社会しゃかい人類じんるいがく受容じゅようされた[ちゅう 3]一方いっぽう関西かんさいでは生態せいたいがくもの今西いまにし錦司きんじ弟子でしである梅棹うめさお忠夫ただお中心ちゅうしんとした京都大学きょうとだいがく人文じんぶん科学かがく研究所けんきゅうじょがアジア・アフリカ各地かくち探検たんけんたい派遣はけんしておおくの研究けんきゅうおこなった。また、国立こくりつ民族みんぞくがく博物館はくぶつかん設立せつりつされて、日本にっぽんにおける文化ぶんか人類じんるいがく研究けんきゅう拠点きょてんとなった。生態せいたい学者がくしゃ今西いまにし錦司きんじ影響えいきょう発展はってんした京都きょうと人類じんるいがく霊長れいちょうるいがくとの協力きょうりょくさかんで自然しぜん科学かがく出身しゅっしん人材じんざいおおく、環境かんきょう利用りよう生業せいぎょう技術ぎじゅつ進化しんかなど人類じんるい社会しゃかい生態せいたいがくてき側面そくめん焦点しょうてんてた研究けんきゅうすすめられた。また、梅棹うめさお忠夫ただおが1950年代ねんだいあらわした『文明ぶんめい生態せいたい史観しかん』は、当時とうじ日本にっぽん論壇ろんだんとくに唯物ゆいぶつ史観しかん支配しはいてきだった当時とうじ社会しゃかい科学かがく全般ぜんぱん衝撃しょうげきあたえた。

文化ぶんか人類じんるいがく様々さまざまくにでそのくに独自どくじ事情じじょう反映はんえいして多様たよう発展はってんしてきたが、交流こうりゅう活発かっぱつともなってかつてのようなこくごとの個性こせいはそれぞれのフィールドごとに再編さいへんされつつあり、くにによるちがいは徐々じょじょになくなりつつある。構造こうぞう主義しゅぎ普及ふきゅうさせたクロード・レヴィ=ストロースは、従来じゅうらい欧米おうべい人文じんぶん科学かがくにおける人間にんげん文化ぶんか生活せいかつたいするとらかた疑問ぎもんげかけ、哲学てつがく部門ぶもん中心ちゅうしんとした人文じんぶん科学かがく全体ぜんたい学問がくもんかたかんする議論ぎろん活発かっぱつになっている。また1970年代ねんだい以降いこう文化ぶんか人類じんるいがくがおもな対象たいしょうとしてきた発展はってん途上とじょうこく社会しゃかい急激きゅうげき開発かいはつすすみ(ポストコロニアル)、あらたな社会しゃかい問題もんだい発生はっせいするようになるにともなって学問がくもん性格せいかく徐々じょじょ変化へんかしてきた。とくに1980年代ねんだい以降いこうは、開発かいはつ医療いりょうエイズ環境かんきょう問題もんだい教育きょういく観光かんこうなどの社会しゃかい問題もんだいあつか応用おうよう人類じんるいがく分野ぶんやきゅう成長せいちょうし、急激きゅうげき多様たようすすみつつある。さらに、ポストモダン相対そうたい主義しゅぎてき潮流ちょうりゅうのなかでポストコロニアル理論りろんてたエドワード・サイードの『オリエンタリズム』や人類じんるい学者がくしゃジェイムズ・クリフォードの『文化ぶんかく』などの批判ひはん関連かんれんして、文化ぶんか人類じんるい学者がくしゃ文化ぶんかを「く」とはどういうことなのか、という学問がくもん根幹こんかんかかわる問題もんだい提起ていきされた。同様どうよう人類じんるいがくてき行為こうい政治せいじせい方法ほうほうろん理念りねん文化ぶんか相対そうたい主義しゅぎ社会しゃかい構築こうちく主義しゅぎなど)についての議論ぎろんさかんにおこなわれている。

  • フィールドワーク

フイールドワークとは、文化ぶんか人類じんるいがく医療いりょう人類じんるいがく生物せいぶつ人類じんるいがくその人類じんるいがく目的もくてきとして、現地げんち調査ちょうさおこな行為こういである[11]数カ月すうかげつからすうねんわたって研究けんきゅう対象たいしょうとなる社会しゃかい滞在たいざいし、その集団しゅうだん構成こうせいいん一員いちいんとして生活せいかつする参与さんよ観察かんさつは、《実地じっち調査ちょうさ》(現地げんち調査ちょうさ)の1手法しゅほうである。フィールドワークには、観察かんさつ参与さんよ観察かんさつ面接めんせつインタビュー》、心理しんりテストなどの手法しゅほうがある。

フィールドワークにおいてどんな調査ちょうさ結果けっかられるかについて、調査ちょうさするもの価値かちかん調査ちょうさ対象たいしょうきかきらいか、調査ちょうさしゃ調査ちょうさ対象たいしょうあいだまれた関係かんけいラポール、rapport)、などが関係かんけいするところが、文化ぶんか人類じんるいがく課題かだいである。日本にっぽんにおいて、複数ふくすうをフィールドワークすることが学問がくもんてきのぞましいが、おおくの人類じんるい学者がくしゃ大学院生だいがくいんせいったフィールドワークの対象たいしょう社会しゃかい生涯しょうがいにわたって研究けんきゅうすることがおおく、それは社会しゃかいてき制約せいやく大学だいがく講義こうぎとう)により複数ふくすう社会しゃかい対象たいしょうとすることが困難こんなんであるためである。

  • 倫理りんりてき問題もんだい

1970年代ねんだいころから、調査ちょうさされるがわ迷惑めいわく調査ちょうさするがわ倫理りんり、が課題かだいとしてげられている。アメリカ人類じんるい学会がっかいには倫理りんり委員いいんかい (Committee on Ethics) がもうけられ、1975ねん綱領こうりょう職業しょくぎょうてき責任せきにん原理げんり」が、1984ねんに「倫理りんりコード」が作成さくせいされた。日本にっぽんでは1988ねんだい25かい日本にっぽん民族みんぞく学会がっかい研究けんきゅう大会たいかいにてシンポジウム民族みんぞくがく少数しょうすう民族みんぞく-調査ちょうさするがわ調査ちょうさされるがわ」がもよおされ、これをきっかけに研究けんきゅう倫理りんり委員いいんかい設置せっちされた。日本にっぽん文化ぶんか人類じんるい学会がっかいは、遺骨いこつあつかいなどについて、過去かこ研究けんきゅう至上しじょう主義しゅぎをアイヌ民族みんぞくたいして謝罪しゃざいしている[12]

文化ぶんか人類じんるいがくしょ分野ぶんや

[編集へんしゅう]

文化ぶんか人類じんるいがく学問がくもん対象たいしょうおよび資料しりょう以下いかとおりである[13]

  1. フィールドワーク実地じっち調査ちょうさ)などの方法ほうほうろん学説がくせつ
  2. 民族みんぞく(エスノヒストリー)
  3. 言語げんご
  4. 自然しぜん環境かんきょう生業せいぎょう狩猟しゅりょうりょう牧畜ぼくちく農業のうぎょう)、衣食住いしょくじゅうみん技術ぎじゅつ芸術げいじゅつなど
  5. 婚姻こんいん制度せいど家族かぞく親族しんぞく構造こうぞう社会しゃかい政治せいじ経済けいざい仕組しくみ、人間にんげん関係かんけい、さまざまな集団しゅうだんち、伝統でんとう習慣しゅうかん制度せいどなど
  6. 宗教しゅうきょう信仰しんこう呪術じゅじゅつ儀礼ぎれい祭礼さいれいなど
  7. 神話しんわ伝説でんせつ民話みんわなど
  8. 民謡みんよう音楽おんがく舞踏ぶとうげきなど
  9. 都市としにおけるしょ問題もんだい都市とし文化ぶんか文明ぶんめい影響えいきょうによる変化へんかなど
  10. しつけ教育きょういく仕方しかた人格じんかく形成けいせい民族みんぞく国民こくみんせい特色とくしょく文化ぶんか変化へんか心理しんりてき適用てきよう精神せいしん衛生えいせいなど
  11. その映像えいぞう人類じんるいがく民族みんぞく映画えいががく認識にんしき人類じんるいがく医療いりょう人類じんるいがく


人類じんるいがく下位かい分野ぶんや

[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ 広義こうぎ人類じんるいがく自然しぜん科学かがく人文じんぶん科学かがく社会しゃかい科学かがくしょ領域りょういきにまたがる学際がくさい科学かがくといえる。しかし日本にっぽん学術がくじゅつ振興しんこうかいは、それらの学問がくもん分類ぶんるいにおいて人類じんるいがく自然しぜん科学かがくに、文化ぶんか人類じんるいがく人文じんぶん科学かがく分類ぶんるいしている。他方たほう研究けんきゅう教育きょういく現場げんばでは文化ぶんか人類じんるいがく隣接りんせつ学問がくもんとしての社会しゃかいがくとの類似るいじせい共通きょうつうてんから社会しゃかい科学かがくのひとつであると主張しゅちょうするものもいる
  2. ^ 実際じっさい人類じんるいがくてきフィールドワークの起源きげんはさらにふるケンブリッジ大学けんぶりっじだいがくでは1898ねんトレース海峡かいきょう調査ちょうさたい派遣はけんし、親族しんぞく研究けんきゅうほう基礎きそをつくったW.H.R.リヴァースらが参加さんかしている。
  3. ^ 1926-2021。著書ちょしょ「タテ社会しゃかい」の人間にんげん関係かんけい有名ゆうめい女性じょせい学者がくしゃ東京とうきょう大学だいがく名誉めいよ教授きょうじゅだった

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ Magolda, Peter M. (March 2000). “The Campus Tour: Ritual and Community in Higher Education”. Anthropology & Education Quarterly 31: 24–46. doi:10.1525/aeq.2000.31.1.24. 
  2. ^ Department of anthropology anthropology.indiana.edu 2024ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  3. ^ Panikkar, Raimon (1991). Pathil, Kuncheria. ed. Religious Pluralism: An Indian Christian Perspective. ISPCK. pp. 252–99. ISBN 978-81-7214-005-2. OCLC 25410539 
  4. ^ 太田おおた好信よしのぶ民族みんぞくてき近代きんだいへの介入かいにゅう文化ぶんかかた権利けんりだれにあるのか〔増補ぞうほばん〕』人文書院じんぶんしょいん、2009ねん 
  5. ^ Lowie, Robert Harry (1883-1957), anthropologist” (英語えいご). American National Biography (2000ねん). doi:10.1093/anb/9780198606697.article.1400373. 2022ねん3がつ4にち閲覧えつらん
  6. ^ Macionis, John (1944–2011). Sociology. Gerber, Linda Marie (7th ed.). Toronto, Canada: Pearson Prentice Hall. ISBN 9780137001613. OCLC 652430995 
  7. ^ Rhodes, Lorna A. (2001). “Toward an Anthropology of Prisons”. Annual Review of Anthropology 30: 65–83. doi:10.1146/annurev.anthro.30.1.65. 
  8. ^ Levitsky, Steven; Murillo, Maria (2009). “Variation in Institutional Strength”. Annual Review of Political Science 12: 115–33. doi:10.1146/annurev.polisci.11.091106.121756. 
  9. ^ Cultural relativism World Problems and Human Potential 2024ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  10. ^ 山路やまじ勝彦かつひこ編著へんちょ日本にっぽん人類じんるいがく 植民しょくみん主義しゅぎ文化ぶんか研究けんきゅう学術がくじゅつ調査ちょうさ歴史れきし関西学院大学かんせいがくいんだいがく出版しゅっぱんかい p.457
  11. ^ About anthropology fieldwork discoveranthropology.org.uk 2024ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  12. ^ 文化ぶんか人類じんるい学会がっかいがアイヌ民族みんぞく謝罪しゃざい 沖縄おきなわタイムズ 2024ねん4がつ3にち閲覧えつらん
  13. ^ 中公新書ちゅうこうしんしょ・1979ねん、1990ねん改訂かいていばん祖父江そふえ孝男たかお文化ぶんか人類じんるいがく入門にゅうもん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ<中公新書ちゅうこうしんしょ>(増補ぞうほ改訂かいていばん)、1990ねんISBN 4121905601

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

読書どくしょ案内あんない

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]