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福永ふくなが武彦たけひこ

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福永ふくなが 武彦たけひこふくなが たけひこ
講談社こうだんしゃ群像ぐんぞうだい20かん8がつごう(1965ねん)より
ペンネーム 加田かだ伶太ろう船田ふなだまなぶ
誕生たんじょう (1918-03-19) 1918ねん3月19にち
日本の旗 日本にっぽん福岡ふくおかけん筑紫つくしぐん二日市ふつかいちまち大字だいじにち835番地ばんち[1]
死没しぼつ (1979-08-13) 1979ねん8がつ13にち(61さいぼつ
日本の旗 日本にっぽん長野ながのけん南佐久みなみさくぐん臼田うすだまち 佐久さく総合そうごう病院びょういん[2]
墓地ぼち 雑司ヶ谷ぞうしがや霊園れいえん
職業しょくぎょう 小説しょうせつ詩人しじんフランス文学ぶんがくしゃ
言語げんご 日本語にほんご
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
教育きょういく 文学ぶんがく東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく
最終さいしゅう学歴がくれき 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく文学部ぶんがくぶ卒業そつぎょう
ジャンル 小説しょうせつ
文学ぶんがく活動かつどう マチネ・ポエティク
代表だいひょうさくくさはな』(1954ねん
はい』(1959ねん
忘却ぼうきゃくかわ』(1964ねん
うみ』(1968ねん
しま』(1971ねん
配偶はいぐうしゃ はらじょうあき(1944ねん - 1950ねん
岩松いわまつ貞子さだこ(1953ねん - )
子供こども 池澤いけざわ夏樹なつき
親族しんぞく 池澤いけざわ春菜はるなまご
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(ふくなが たけひこ、1918ねん大正たいしょう7ねん3月19にち[3] - 1979ねん昭和しょうわ54ねん8がつ13にち)は、日本にっぽん小説しょうせつ詩人しじんフランス文学ぶんがくしゃべつ名義めいぎ加田かだ 伶太ろう[ちゅう 1]船田ふなだ まなぶ[ちゅう 2]

東大とうだい仏文ふつぶんそつ加藤かとう周一しゅういち中村なかむら真一郎しんいちろうらと文学ぶんがく研究けんきゅうグループ「マチネ・ポエティク」を結成けっせい

戦時せんじ青春せいしゅんえがいた『くさはな』(1954ねん)で作家さっか地位ちい確立かくりつ本格ほんかくてきあい探求たんきゅうする作品さくひんいた。著作ちょさくに『うみ』(1968ねん)、『しま』(1971ねん)など。

生涯しょうがい

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1918ねん大正たいしょう7ねん3月19にち福岡ふくおかけん筑紫つくしぐん二日市ふつかいちまち[3]大字だいじにち835番地ばんちげん筑紫野ちくしの二日ふつか)でちち福永ふくなが末次郎すえじろう[ちゅう 3]はは・トヨ[ちゅう 4]長男ちょうなんとしてまれる。両親りょうしんとも九州きゅうしゅう出身しゅっしん遠縁とおえん関係かんけいにあり、ちち末次郎すえじろう当時とうじ東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく経済学部けいざいがくぶ学生がくせいははのトヨは日本にっぽんせい公会こうかい伝道でんどうであった[1][5]母方ははかた伯父おじは、理学りがく博士はかせ海軍かいぐん少将しょうしょう秋吉あきよし利雄としおちち末次郎すえじろう大学だいがく卒業そつぎょう三井みつい銀行ぎんこう入行にゅうこうし、横浜よこはま福岡ふくおか東京とうきょう転勤てんきんかえした。1925ねん大正たいしょう14ねん)4がつ12にちおとうと文彦ふみひこ[ちゅう 5]出産しゅっさんしたばかりのはは産褥さんじょくねつ死去しきょははうしなった経験けいけんは、福永ふくなが人生じんせいおおきな影響えいきょうあたえた[1]

1926ねん大正たいしょう15ねん)6がつ以降いこうは、ちち末次郎すえじろう東京とうきょう本店ほんてん勤務きんむとなり、福永ふくなが東京とうきょう転居てんきょ1927ねん昭和しょうわ2ねん)の日本にっぽん少年しょうねんりょう入寮にゅうりょうし、1930ねん昭和しょうわ5ねん)4がつ東京とうきょう開成かいせい中学校ちゅうがっこう入学にゅうがく[3]同期どうきには生涯しょうがいともとなる中村なかむら真一郎しんいちろうがいた[3]。このころ夏目なつめ漱石そうせき芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ永井ながい荷風かふう谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうらの作品さくひんみ、将来しょうらい作家さっかとなることをこころざした[1]

1934ねん昭和しょうわ9ねん)4がつ第一高等学校だいちこうとうがっこう文科ぶんかへいるい入学にゅうがく同期どうきには澄田すみたさとし安良岡やすらおかやすしさくなどがいた[1]。ここで福永ふくなが弓術きゅうじゅつ入部にゅうぶするが、おなの1学年がくねん少年しょうねんはげしくあいし、そのあい拒否きょひされるという経験けいけんをする。この経験けいけんはのちに長編ちょうへん小説しょうせつくさはな』の題材だいざいとなった(詳細しょうさいくさはな#執筆しっぴつ背景はいけい動機どうき参照さんしょう[6]

1937ねん昭和しょうわ12ねん)3がついちだか卒業そつぎょう[7]ちちすすめで東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく法学部ほうがくぶ受験じゅけんするが失敗しっぱいさい受験じゅけんまでの1ねんは、早稲田大学わせだだいがく演劇えんげき博物館はくぶつかんかよったり、東京とうきょう外国がいこく学校がっこうロシアまなんだりしてごし、よく1938ねん昭和しょうわ13ねん)4がつ東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく文学部ぶんがくぶ仏蘭西ふらんす文学ぶんがく入学にゅうがく[3]東大とうだいでは清水しみずあきら登川のぼりかわなお直樹なおき)と『映画えいが評論ひょうろん』の同人どうじんとなり、おおくの映画えいが評論ひょうろん執筆しっぴつした[8][3]

1941ねん昭和しょうわ16ねん[9]東大とうだい卒業そつぎょう社団しゃだん法人ほうじんにち商会しょうかいて、召集しょうしゅう危険きけんからのがれるために[ちゅう 6]1942ねん昭和しょうわ17ねん)5がつ参謀さんぼう本部ほんぶじゅうはちはんでの暗号あんごう解読かいどく仕事しごと従事じゅうじするようになる。またこのころアテネ・フランセフランス語ふらんすご勉強べんきょうていた山下やましたきよしはらじょうあき)とっており、なつには彼女かのじょのほか、中村なかむら真一郎しんいちろう加藤かとう周一しゅういち白井しらい健三郎けんざぶろう窪田くぼたあきらさく中西なかにし哲吉てつきち山崎やまざきつよし太郎たろう小山こやまただしこう枝野えだの和夫かずおらと「マチネ・ポエティク」を結成けっせいし、すうへん定型ていけい押韻おういん発表はっぴょうしている[10]。12月に召集令状しょうしゅうれいじょうとどき、検査けんさけることになるが、間接かんせつ撮影さつえい胸部きょうぶ異常いじょうがあると診断しんだんされてさい検査けんさまわされ、そこで以前いぜんけた盲腸炎もうちょうえん手術しゅじゅつさい腹帯はらおび軍医ぐんいに「いたいか」とたずねられ、「いたい」とこたえたことで召集しょうしゅう解除かいじょされた。よく1943ねん昭和しょうわ18ねん)2がつには発作ほっさせいしきみゃくしょうのため参謀さんぼう本部ほんぶ仕事しごとし、退職たいしょくしたちち移住いじゅうした神戸こうべいえ拠点きょてんとして、京都きょうと奈良なら古寺ふるでらたずねたり、倉敷くらしき大原おおはら美術館びじゅつかんポール・ゴーギャン絵画かいがったりするようになる[10]

1944ねん昭和しょうわ19ねん)2がつ21にちから福永ふくなが日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい国際こくさいきょくしゅうつとはじめ、9月28にちには、23にち日本女子大学にほんじょしだいがく卒業そつぎょうしたきよし結婚けっこん。しかし1945ねん昭和しょうわ20ねん)2がつ急性きゅうせい肋膜炎ろくまくえんたおれ、出産しゅっさんのため帯広おびひろかえったつま実家じっか疎開そかい、5月12にちから7がつ7にちまでは帯広おびひろ療養りょうようしょ入院にゅういんしている。7月7にち長男ちょうなん夏樹なつきまれた[11]

1946ねん昭和しょうわ21ねん)1がつ25にち福永ふくなが東京とうきょうから一時いちじ帯広おびひろかえり、4がつ日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい辞職じしょくして、北海道庁ほっかいどうちょうりつ帯広おびひろ中学校ちゅうがっこう英語えいごおしはじめる。しかし福永ふくなが肺結核はいけっかく罹患りかんしていることが判明はんめいすると、きよしは「(福永ふくながとの)約束やくそくはすべてす」「自殺じさつする」と主張しゅちょうはじめ、家庭かてい崩壊ほうかい危機ききおちい[12]1947ねん昭和しょうわ22ねん)10がつには胸郭きょうかく成形せいけい手術しゅじゅつけるため上京じょうきょうし、東京とうきょう北多摩きたたまぐん清瀬きよせむら国立こくりつ東京とうきょう療養りょうようしょ入所にゅうしょ。このとし中村なかむら真一郎しんいちろう加藤かとう周一しゅういちとの共著きょうちょ『1946 文学ぶんがくてき考察こうさつ』のほか、『ボオドレエルの世界せかい』を刊行かんこう[3]ひだり胸部きょうぶ整形せいけいじゅつけた翌年よくねんにははつたん編集へんしゅうとう』、詩集ししゅう『ある青春せいしゅん』を刊行かんこうし、戦後せんご文学ぶんがくしゃとして出発しゅっぱつした[13]一方いっぽう1949ねん昭和しょうわ24ねん)7がつ睾丸こうがん結核けっかく発覚はっかくちょう結核けっかくおよび咽頭いんとう結核けっかく併発へいはつ判明はんめい一時いちじはよりをもど提案ていあんをしていたきよし力尽ちからつき、よく1950ねん昭和しょうわ25ねん)12月に協議きょうぎ離婚りこんした[14]1953ねん昭和しょうわ28ねん)3がつ退院たいいんすると、福永ふくなが療養りょうようしゃ仲間なかまであった岩松いわまつ貞子さだこ再婚さいこんした[15]

1954ねん昭和しょうわ29ねん)の長編ちょうへん小説しょうせつくさはな』で作家さっかとしての地位ちい確立かくりつ[3][16]人間にんげん心理しんり深奥しんおうさぐおおくの長編ちょうへん小説しょうせつ発表はっぴょうした。また、中村なかむら真一郎しんいちろうともほり辰雄たつお薫陶くんとうけ、『ほり辰雄たつお全集ぜんしゅう』の編纂へんさんにもかかわった。1961ねん昭和しょうわ36ねん)、学習院大学がくしゅういんだいがく文学部ぶんがくぶ教授きょうじゅ。フランス文学ぶんがく中心ちゅうしんにヨーロッパの文学ぶんがく動向どうこうろんじた。ボードレールなどの翻訳ほんやく芸術げいじゅつ主題しゅだいにしたエッセイ、古典こてん現代げんだいやく(『日本書紀にほんしょき』、『古事記こじき』、『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』)もある。

また、中村なかむら真一郎しんいちろうほり田善でんぜんまもるともにSF映画えいがモスラ』の原作げんさく小説しょうせつ発光はっこう妖精ようせいとモスラ』を執筆しっぴつ[17]中村なかむら真一郎しんいちろう丸谷まるや才一さいいちんで、西洋せいよう推理すいり小説しょうせつめぐるエッセイ『深夜しんや散歩さんぽ』を刊行かんこうし、さらに加田かだ伶太ろう名前なまえ推理すいり小説しょうせついた[3]

1979ねん昭和しょうわ54ねん)4がつ20日はつかから5がつ12にちまで北里きたさと病院びょういん東洋とうよう医学いがく入院にゅういん。8月6にち胃潰瘍いかいよう悪化あっかし、長野ながのけん南佐久みなみさくぐん臼田うすだまちげん佐久さく)の佐久さく総合そうごう病院びょういん入院にゅういんし、8にち手術しゅじゅつける。しかし12にち容態ようだい急変きゅうへん、13にち午前ごぜん522ふん死去しきょ(61さいぼつ[2][18]朝顔あさがお教会きょうかい教会きょうかいそういとなまれた[19]

声優せいゆう池澤いけざわ春菜はるなまごたるが、ギリシャでまれてから福永ふくなが存命ぞんめいちゅう帰国きこくすることはなかったため、いち対面たいめんしていない[4]

著作ちょさく

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  • 『ある青春せいしゅん 詩集ししゅう北海ほっかい文學ぶんがくしゃ 1948
  • とう 福永ふくなが武彦たけひこ小説しょうせつしゅう眞善美しんぜんびしゃ 1948、のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ河出かわで文庫ぶんこ
  • 風土ふうど新潮社しんちょうしゃ 1952、決定けっていばん 東京とうきょうそうもとしゃ 1957、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ小学館しょうがくかん
  • くさはな新潮社しんちょうしゃ 1954、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ改版かいはん
  • 冥府めいふ およ短篇たんぺんよんしゅだい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ 1954
    • 夢見ゆめみ少年しょうねんひるよる」1954、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ 1972、小学しょうがくかん新編しんぺん
    • よる時間じかん」1955
    • 冥府めいふ深淵しんえん講談社こうだんしゃミリオンブックス 1956
      • 以上いじょう作品さくひんあわせ『よるさんさく講談社こうだんしゃ 1969、のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ小学館しょうがくかん
  • あいこころみ』河出かわで書房しょぼう 1956、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ改版かいはん
  • しんなかながれるかわ人文書院じんぶんしょいん 1958
  • 世界せかいおわり』人文書院じんぶんしょいん 1959
  • はい新潮社しんちょうしゃ 1960、のち新潮しんちょう文庫ぶんこはいおとこ」、小学しょうがくかん新編しんぺん
  • 告別こくべつ講談社こうだんしゃ 1962、のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
  • 忘却ぼうきゃくかわ新潮社しんちょうしゃ 1964、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ改版かいはん
  • 幼年ようねん』プレスビブリオーマーヌ 1967、のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ河出かわで文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ新編しんぺん
  • うみ新潮社しんちょうしゃ 1968、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ小学館しょうがくかん
  • ふうのかたみ新潮社しんちょうしゃ 1968、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ河出かわで文庫ぶんこ
  • 福永ふくなが武彦たけひこ詩集ししゅうむぎ書房しょぼう 1970
  • しま』(上下じょうげ)、河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 1971、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
  • うみからのこええんじゅ書房しょぼう 1974
  • 独身どくしんしゃえんじゅ書房しょぼう 1975、のち中公ちゅうこう文庫ぶんこ
  • ゆめひゃくしゅ ざつひゃくしゅ中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1977 - 文集ぶんしゅう
  • 『玩草ていひゃくはな 福永ふくなが武彦たけひこ文集ぶんしゅう』(ぜん3かん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1981、中公ちゅうこう文庫ぶんこ 1993
  • 福永ふくなが武彦たけひこ詩集ししゅう岩波書店いわなみしょてん 1984

評論ひょうろん日記にっき

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  • 『ボオドレエルの世界せかい海外かいがい文学ぶんがく新選しんせん矢代やしろ書店しょてん 1947
  • ゴーギャン世界せかい新潮社しんちょうしゃ 1961、講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ 1993
  • 芸術げいじゅつなぐさめ』講談社こうだんしゃ 1965
  • 福永ふくなが武彦たけひこ作品さくひん 批評ひひょう〈A・B〉』文治ぶんじどう書店しょてん 1966-68
  • わかれのうた 随筆ずいひつしゅう新潮社しんちょうしゃ 1969
  • とおくのこだま 随筆ずいひつしゅう新潮社しんちょうしゃ 1970
  • 枕頭ちんとうしょ 随筆ずいひつしゅう新潮社しんちょうしゃ 1971
  • 意中いちゅう画家がかたち』人文書院じんぶんしょいん 1973
  • 意中いちゅう文士ぶんしたち』(上下じょうげ人文書院じんぶんしょいん 1973、講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ 1994
  • ゆめのように 随筆ずいひつしゅう新潮社しんちょうしゃ 1974
  • 書物しょもつしん 随筆ずいひつしゅう新潮社しんちょうしゃ 1975
  • 秋風あきかぜ日記にっき 随筆ずいひつしゅう新潮社しんちょうしゃ 1978
  • 内的ないてき独白どくはく ほり辰雄たつおちち、その河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 1978、のち河出かわで文庫ぶんこ
  • 異邦いほうかおり』新潮社しんちょうしゃ 1979
  • 彼方かなた中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1980
  • じゅう世紀せいき小説しょうせつろん岩波書店いわなみしょてん 1984
  • やまい中日ちゅうにちろく鈴木すずき和子かずこ濱崎はまざき昌弘まさひろ星野ほしの久美子くみこへん かなえ書房しょぼう 2010
  • 福永ふくなが武彦たけひこ戦後せんご日記にっき新潮社しんちょうしゃ 2011。池澤いけざわ夏樹なつき解説かいせつ
  • 福永ふくなが武彦たけひこ新生しんせい日記にっき新潮社しんちょうしゃ 2012。池澤いけざわ夏樹なつき鈴木すずき和子かずこ田口たぐち耕平こうへい解説かいせつ

作品さくひんしゅう

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  • 福永ふくなが武彦たけひこぜん小説しょうせつ』(ぜん11かん新潮社しんちょうしゃ 1973-74
  • 福永ふくなが武彦たけひこ全集ぜんしゅう』(ぜん20かん新潮社しんちょうしゃ 1986-88
  • 刊行かんこう著作ちょさくしゅう 19 福永ふくなが武彦たけひこ日高ひだか昭二しょうじ和田わだのうたく共編きょうへん 白地しろじしゃ 2002

推理すいり小説しょうせつ

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いずれも「加田かだれい太郎たろう名義めいぎ探偵たんていやく西洋せいよう古典こてん文学ぶんがく伊丹いたみ英典ひでのり助教授じょきょうじゅ[ちゅう 7]

  • 完全かんぜん犯罪はんざい」 1956
  • 幽霊ゆうれい事件じけん」 1956
  • 温室おんしつ事件じけん」 1956
  • 失踪しっそう事件じけん」 1957
  • 電話でんわ事件じけん」 1957
    • 完全かんぜん犯罪はんざい講談社こうだんしゃ 1957 - 加田かだ伶太ろう名義めいぎ
  • ねむりの誘惑ゆうわく」 1958
  • 湖畔こはん事件じけん」 1961
  • あかくつ」 1962
SF小説しょうせつ

船田ふなだまなぶ名義めいぎ

  • 地球ちきゅうとおはなれて」 1958

共著きょうちょ

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翻訳ほんやく

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  • アンリ・トロワイヤ蜘蛛くも新潮しんちょう文庫ぶんこ 1951
  • モーリス・ブデル『北緯ほくいろくじゅうこいいま日出海ひでみともやく新潮社しんちょうしゃ 1951
  • ジュリアン・グリーンまぼろしついじん窪田くぼたあきらさくともやくはじめもとしゃ 1951、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ単独たんどく改訳かいやく
  • ロジェ・マルタン・デュ・ガールアンドレ・ジイド 1913-1951』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1953
  • ジュリアン・グリーン『運命うんめい(モイラ)』新潮社しんちょうしゃ 1953、のち「全集ぜんしゅう 4」人文書院じんぶんしょいん
  • A・E・W・メースン『いえ東京とうきょうそうもとしゃ 1956、のちつくもと推理すいり文庫ぶんこ改版かいはん
  • 古事記こじき日本書紀にほんしょき 日本にっぽん国民こくみん文学ぶんがく全集ぜんしゅう河出かわで書房しょぼう 1956、のち河出かわで文庫ぶんこ(2分冊ぶんさつ
  • 古事記こじき物語ものがたり岩波いわなみ少年しょうねん文庫ぶんこ 1957、のち改版かいはん
  • ボードレール『パリの憂愁ゆうしゅう岩波いわなみ文庫ぶんこ 1957、のち改版かいはんに「全集ぜんしゅう 1」人文書院じんぶんしょいん
  • パスカル・ピア『ボードレール 永遠えいえん作家さっか叢書そうしょ人文書院じんぶんしょいん 1957、のち新版しんぱん
  • 今昔こんじゃく物語ものがたり 日本にっぽん国民こくみん文学ぶんがく全集ぜんしゅう河出かわで書房しょぼう 1958 / ちくま文庫ぶんこ 1991
  • フレイドン・ホヴェイダ『推理すいり小説しょうせつ歴史れきし東京とうきょうそうもとしゃ 1960
  • 『ボードレール あくはな 世界せかいめい詩集ししゅう13』[20]平凡社へいぼんしゃ 1968
  • 象牙ぞうげしゅう 福永ふくなが武彦たけひこやく詩集ししゅう垂水たるみ書房しょぼう 1965、人文書院じんぶんしょいん 1979。前者ぜんしゃ限定げんていほん
  • 『おおくにぬしのぼうけん』片岡かたおかたま 岩崎いわさき書店しょてん・ものがたり絵本えほん 1968
  • エクトル・マロいえなき大久保おおくぼあきらしんともやく少年しょうねん少女しょうじょ世界せかい文学ぶんがく河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 1968、のち河出かわで文庫ぶんこ
  • 『おとぎ草紙ぞうしともやく 筑摩書房ちくましょぼう 1977/ちくま文庫ぶんこ 1991。ぜん13へん
以下いか共編きょうへんやく編集へんしゅう委員いいん
  • 『ボードレール全集ぜんしゅう人文書院じんぶんしょいん 1963-64。ぜん4かん 編集へんしゅう委員いいん
  • 『ポオ全集ぜんしゅうぜん3かん 東京とうきょうそう元新もとしんしゃ 1963、のちつくもと推理すいり文庫ぶんこぜん5かん)。佐伯さえき彰一しょういち吉田よしだ健一けんいちほか共編きょうへん
  • 世界せかいめい詩集ししゅう14 マラルメ』平凡社へいぼんしゃ 1969
  • 世界せかい詩人しじん全集ぜんしゅう6 ポー』入沢いりさわ康夫やすおともやく新潮社しんちょうしゃ 1968。新版しんぱん世界せかい詩人しじんせん06 ポー詩集ししゅう小沢おざわ書店しょてん 1996

おも作家さっかろん

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  • 福永ふくなが武彦たけひこ 新潮しんちょう日本にっぽん文学ぶんがくアルバム50』小久保こくぼみのる へん新潮社しんちょうしゃ 1994
  • 和田わだのうたく福永ふくなが武彦たけひころん教育きょういく出版しゅっぱんセンター 1994
  • 首藤しゅどうはじめきよし福永ふくなが武彦たけひこたましい音楽おんがく』おうふう 1996
  • 形見かたみ福永ふくなが武彦たけひこ研究けんきゅう論集ろんしゅう和田わだのうたくへん白地しろじしゃ 2005
  • 渡邊わたなべ一民かずたみ福永ふくなが武彦たけひことその時代じだいみすず書房しょぼう 2014
  • 田口たぐち耕平こうへい『「くさはな」の成立せいりつ 福永ふくなが武彦たけひこ履歴りれき翰林かんりん書房しょぼう 2015
  • 福永ふくなが武彦たけひこかたる』近藤こんどう圭一けいいち岩津いわつわたる西岡にしおか亜紀あき山田やまだけんへん澪標みおつくし 2012
  • 岩津いわつわたるしまからのたび 福永ふくなが武彦たけひこ神話しんわ芸術げいじゅつ文学ぶんがく世界せかい思想しそうしゃ 2012
  • 山田やまだけん福永ふくなが武彦たけひこ詩学しがく水声すいせいしゃ 2019
  • 西岡にしおか亜紀あき福永ふくなが武彦たけひころん純粋じゅんすい記憶きおく」の生成せいせいとボードレール』あずましんどう 2008

映画えいが作品さくひん

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 「だれだろうか」のアナグラム[4]
  2. ^ 「ふくながだ」のアナグラム[4]
  3. ^ ちち福永ふくなが末次郎すえじろう1893ねん明治めいじ26ねんまれ。福岡ふくおかけんせきぐんせき田村たむら大字だいじ平尾ひらおせき儀三郎ぎさぶろう長男ちょうなんで、1さい御笠みかさぐんだい野村のむら大字だいじ下大利しもおおり183番地ばんち福永ふくなが菊次郎きくじろう養子ようしとなる。おさむ猷館中学校ちゅうがっこう第一高等学校だいちこうとうがっこう1916ねん大正たいしょう5ねん)に東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく法科ほうか大学だいがく入学にゅうがく武彦たけひこ出生しゅっしょう翌年よくねん1919ねん大正たいしょう8ねん)7がつ経済学部けいざいがくぶだいいちかい卒業生そつぎょうせいとなる[1]
  4. ^ はは・トヨは1895ねん明治めいじ28ねんまれ。長崎ながさきけん佐世保させぼ本島もとしままち63番地ばんち井上いのうえ岩吉いわきちさんじょで、大阪おおさか大阪おおさか西にし川口かわぐち外国がいこくじん居留きょりゅう所在しょざいした英国えいこくせい公会こうかい宣教せんきょう協会きょうかいプール女学校じょがっこう本科ほんか兵庫ひょうごけん芦屋あしや公光きんみつまちせい使つかい女学院じょがくいん卒業そつぎょう日本にっぽんせい公会こうかい伝道でんどうとなった[1]
  5. ^ おとうと文彦ふみひこ1925ねん大正たいしょう14ねん)3がつ27にちまれ[1]
  6. ^ 当時とうじ福永ふくなが重度じゅうど不安ふあん神経症しんけいしょう発作ほっさせいしきみゃくしょう)になやまされており、そのために極度きょくど召集しょうしゅうおそれていた[10]
  7. ^ 2007ねん4がつ学校がっこう教育きょういくほう改正かいせいにより、2024ねん現在げんざいじゅん教授きょうじゅ

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g h 川西かわにし政明まさあき 2012, p. 211-212.
  2. ^ a b 田口たぐち耕平こうへい 2015, p. 223.
  3. ^ a b c d e f g h i 東宝とうほう特撮とくさつ映画えいがぜん 1983, p. 540, 「特撮とくさつ映画えいがスタッフ名鑑めいかん
  4. ^ a b c 池澤いけざわ春菜はるな祖父そふわたしとモスラとあらそえぬ」『別冊べっさつ映画えいが秘宝ひほう モスラ映画えいが大全たいぜんよういずみしゃよういずみしゃMOOK〉、2011ねん8がつ11にち、29ぺーじISBN 978-4-86248-761-2 
  5. ^ 帝国ていこく大学だいがく出身しゅっしんろく - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021ねん5がつ6にち閲覧えつらん
  6. ^ 川西かわにし政明まさあき 2012, p. 213.
  7. ^ 第一高等学校だいちこうとうがっこう一覧いちらん 昭和しょうわ12ねんいたり昭和しょうわ13ねん第一高等学校だいちこうとうがっこう、1937ねん、180ぺーじ 
  8. ^ 田口たぐち耕平こうへい 2015, p. 209.
  9. ^ 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく へん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく一覧いちらん 昭和しょうわ16ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく、1941ねん、615ぺーじ 
  10. ^ a b c 川西かわにし政明まさあき 2012, p. 230-231.
  11. ^ 川西かわにし政明まさあき 2012, p. 233.
  12. ^ 川西かわにし政明まさあき 2012, p. 235.
  13. ^ 川西かわにし政明まさあき 2012, p. 237-238.
  14. ^ 川西かわにし政明まさあき 2012, p. 240.
  15. ^ 川西かわにし政明まさあき 2012, p. 243.
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  17. ^ 小説しょうせつ発光はっこう妖精ようせいとモスラ』梗概こうがい」『モスラ/モスラたいゴジラ』東宝とうほう出版しゅっぱん事業じぎょうしつ東宝とうほうSF特撮とくさつ映画えいがシリーズVOL.2〉、1985ねん1がつ1にち、87-88ぺーじISBN 4-924609-04-8 
  18. ^ 読売新聞よみうりしんぶん』1979ねん8がつ13にち夕刊ゆうかん11ぺーじあい孤独こどく作家さっか 福永ふくなが武彦たけひこ死去しきょ
  19. ^ 清水しみず氾「日本にっぽん文学ぶんがくとキリストきょう」『しんキリスト教きりすときょう辞典じてん』いのちのことばしゃ、1991ねん、996ぺーじ
  20. ^ 旧版きゅうばんは「世界せかいめい詩集ししゅう大成たいせい 3 フランス」平凡社へいぼんしゃ 1959。に「全集ぜんしゅう1」人文書院じんぶんしょいん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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