簿記 ぼき (ぼき、英語 えいご : bookkeeping )とは、企業 きぎょう などの経済 けいざい 主体 しゅたい が経済 けいざい 取引 とりひき によりもたらされる資産 しさん ・負債 ふさい ・純資産 じゅんしさん の増減 ぞうげん を管理 かんり し、併 あわ せて一定 いってい 期間 きかん 内 ない の収益 しゅうえき 及 およ び費用 ひよう を記録 きろく することである。より平易 へいい ない方 いかた をすると「お金 かね やものの出入 でい りを記録 きろく するための方法 ほうほう 」である[ 1] 。記帳 きちょう 方法 ほうほう によって単式 たんしき 簿記 ぼき と複式 ふくしき 簿記 ぼき があるが、今日 きょう では、産業 さんぎょう 革命 かくめい 以降 いこう 、企業 きぎょう の大 だい 規模 きぼ 化 か に伴 ともな い一般 いっぱん 的 てき な記帳 きちょう 方式 ほうしき である「複式 ふくしき の商業 しょうぎょう 簿記 ぼき 」を指 さ して「簿記 ぼき 」と称 しょう することもある。簿記 ぼき の種類 しゅるい には商業 しょうぎょう 簿記 ぼき 、工業 こうぎょう 簿記 ぼき 、銀行 ぎんこう 簿記 ぼき 、農業 のうぎょう 簿記 ぼき などがある[ 2] [ 1] [ 注釈 ちゅうしゃく 1] 。簿記 ぼき は、会計 かいけい 学 がく よりも会計 かいけい における実務 じつむ に近 ちか い部分 ぶぶん を担当 たんとう する。
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簿記 ぼき 関連 かんれん の
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貨幣 かへい 経済 けいざい の誕生 たんじょう ・発展 はってん の中 なか で貨幣 かへい の量 りょう の勘定 かんじょう ・記録 きろく が必要 ひつよう となり、発明 はつめい された[ 1] 。
ローマ時代 じだい の古代 こだい 彫刻 ちょうこく の中 なか に商業 しょうぎょう 帳簿 ちょうぼ が彫 ほ られていることが確認 かくにん されており、その歴史 れきし は古代 こだい へさかのぼると推察 すいさつ されている。ローマ の他 ほか 、ギリシャ ・バビロニア ・アッシリア ・エジプト などでも古代 こだい の時点 じてん で簿記 ぼき が存在 そんざい していたことが推定 すいてい されている。しかし、その頃 ころ の簿記 ぼき は、まだ単式 たんしき 簿記 ぼき であった。
その後 ご 、14世紀 せいき から15世紀 せいき にかけてのルネサンス 期 き にヴェネツィア 商人 しょうにん によって複式 ふくしき 簿記 ぼき が発明 はつめい されたと考 かんが えられている[ 3] 。
イタリア人 じん 数学 すうがく 者 しゃ ルカ・パチョーリ (Luca Pacioli) が1494年 ねん に出版 しゅっぱん した『算術 さんじゅつ 、幾何 きか 、比 ひ 及 およ び比例 ひれい 要覧 ようらん 』(通称 つうしょう 『スムマ 』、原題 げんだい : Summa de arithmetica, geometria, proportioni e proportionalità)の中 なか で複式 ふくしき 簿記 ぼき が紹介 しょうかい されており、この本 ほん は組織 そしき 的 てき に行 おこな われた複式 ふくしき 簿記 ぼき の存在 そんざい を記述 きじゅつ する最古 さいこ の文献 ぶんけん として知 し られている。なお、この本 ほん で複式 ふくしき 簿記 ぼき が紹介 しょうかい されたことが、ヨーロッパ中 ちゅう に複式 ふくしき 簿記 ぼき が広 ひろ まるきっかけとなった。
当時 とうじ のイタリア では、前期 ぜんき 的 てき 商業 しょうぎょう 資本 しほん の台頭 たいとう に伴 ともな い、商品 しょうひん 生産 せいさん ・商品 しょうひん 取引 とりひき が発展 はってん しつつあった。そのような経済 けいざい 状況 じょうきょう の中 なか で、それまで普及 ふきゅう していた債権 さいけん ・債務 さいむ の記帳 きちょう 法 ほう (擬人 ぎじん 法 ほう )は継承 けいしょう しながら、商品 しょうひん 勘定 かんじょう (口 くち 別 べつ 商品 しょうひん 勘定 かんじょう )などの物的 ぶってき 勘定 かんじょう 、資本 しほん 勘定 かんじょう 及 およ び名目 めいもく 勘定 かんじょう (損益 そんえき 勘定 かんじょう )を導入 どうにゅう して、組織 そしき 的 てき 簿記 ぼき が完成 かんせい された。
現在 げんざい では、単 たん に「簿記 ぼき 」という場合 ばあい 、「複式 ふくしき 簿記 ぼき 」を指 さ すのが一般 いっぱん 的 てき である[ 1] 。複式 ふくしき 簿記 ぼき においては、たとえば財貨 ざいか で物品 ぶっぴん を購入 こうにゅう した場合 ばあい 、物品 ぶっぴん を得 え たという事実 じじつ と財貨 ざいか を失 うしな ったという、取引 とりひき における2側面 そくめん を遺漏 いろう なく記録 きろく しようとする[ 3] 。神 かみ 聖 きよし ロ ろ ーマ帝国 まていこく (現在 げんざい のドイツ )の文豪 ぶんごう ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ は、「簿記 ぼき こそ、人間 にんげん の精神 せいしん が生 う んだ最 もっと も美 うつく しいものの1つである。」と述 の べている[ 3] 。
日本 にっぽん では、1873年 ねん (明治 めいじ 6年 ねん )6月 がつ に福沢 ふくさわ 諭吉 ゆきち が日本 にっぽん 初 はつ の簿記 ぼき 書 しょ である『帳合 ちょうあい の法 ほう 』初 はつ 編 へん を出版 しゅっぱん したのに続 つづ き、10月には加藤 かとう 斌 あきら の『商家 しょうか 必用 ひつよう 』、12月に大蔵省 おおくらしょう の『銀行 ぎんこう 簿記 ぼき 精 せい 法 ほう 』と、西洋 せいよう 式 しき 簿記 ぼき 書 しょ が相次 あいつ いで刊行 かんこう され、洋式 ようしき 簿記 ぼき の導入 どうにゅう が始 はじ まっている[ 4] 。1879年 ねん (明治 めいじ 12年 ねん )には福澤 ふくさわ 諭吉 ゆきち が創設 そうせつ した簿記 ぼき 講習 こうしゅう 所 しょ において簿記 ぼき 教育 きょういく が始 はじ まった。詳細 しょうさい は日本 にっぽん 会計 かいけい 史 し 学会 がっかい 長 ちょう 工藤 くどう 栄一郎 えいいちろう 「明治 めいじ 初期 しょき における簿記 ぼき 知識 ちしき の社会 しゃかい 普及 ふきゅう と『帳合 ちょうあい 之 の 法 ほう 』および慶應義塾 けいおうぎじゅく の貢献 こうけん 」(福澤 ふくさわ 諭吉 ゆきち 年鑑 ねんかん 50号 ごう pp.23-38 2023年 ねん 12月 がつ )に譲 ゆず る。当時 とうじ はまだ「簿記 ぼき 」の訳語 やくご はあてられていなかったが、その経緯 けいい の詳細 しょうさい は別 べつ 節 ぶし 「和訳 わやく の由来 ゆらい 」で説明 せつめい する。
令 れい 和 わ の現在 げんざい 、日本 にっぽん では、福沢 ふくさわ 諭吉 ゆきち の簿記 ぼき 講習 こうしゅう 所 しょ に由来 ゆらい する簿記 ぼき 教育 きょういく の伝統 でんとう を専門 せんもん 高校 こうこう である商業 しょうぎょう 高等 こうとう 学校 がっこう (商業 しょうぎょう に関 かん する科目 かもく 設置 せっち 校 こう )において文部 もんぶ 科学 かがく 省 しょう 高等 こうとう 学校 がっこう 学習 がくしゅう 指導 しどう 要領 ようりょう (平成 へいせい 30 年 ねん 告示 こくじ )に基 もと づき、高大 こうだい 連携 れんけい を含 ふく む大学 だいがく 商学部 しょうがくぶ 水準 すいじゅん の簿記 ぼき 教育 きょういく (放送大学 ほうそうだいがく 選科 せんか 履修 りしゅう 生 せい ・科目 かもく 履修 りしゅう 生 せい 含 ふく む)を教授 きょうじゅ している。日商 にっしょう 簿記 ぼき 検定 けんてい 1級 きゅう を取得 しゅとく し、税理士 ぜいりし 試験 しけん や公認 こうにん 会計士 かいけいし 試験 しけん 受験 じゅけん する等 ひとし の簿記 ぼき 教育 きょういく の広 ひろ がりを見 み せている。日本 にっぽん 各地 かくち の名門 めいもん 商業 しょうぎょう 高等 こうとう 学校 がっこう の卒業 そつぎょう 後 ご の進路 しんろ として、簿記 ぼき 教育 きょういく の素養 そよう を生 い かし税務大学校 ぜいむだいがっこう 普通 ふつう 科 か を経 へ て税務 ぜいむ 職員 しょくいん として活躍 かつやく している。
簿記 ぼき の表記 ひょうき 方法 ほうほう (記帳 きちょう 法 ほう )には、単式 たんしき 簿記 ぼき と複式 ふくしき 簿記 ぼき の2種類 しゅるい がある。詳 くわ しくは各 かく 項目 こうもく を参照 さんしょう されたい。
正確 せいかく かつ公正 こうせい に記述 きじゅつ できる方法 ほうほう が確立 かくりつ している複式 ふくしき 簿記 ぼき は、企業 きぎょう 会計 かいけい や公益 こうえき 法人 ほうじん 会計 かいけい ・独立 どくりつ 行政 ぎょうせい 法人 ほうじん 会計 かいけい などに広 ひろ く用 もち いられている。簿記 ぼき といえば、多 おお くの場合 ばあい は複式 ふくしき 簿記 ぼき を前提 ぜんてい とする。以下 いか 、特 とく に注釈 ちゅうしゃく がない場合 ばあい 、複式 ふくしき 簿記 ぼき を指 さ すものとして論 ろん じる。職業 しょくぎょう としては税理士 ぜいりし がいる。税理士 ぜいりし 試験 しけん (国税 こくぜい 審議 しんぎ 会 かい が行 おこな う国家 こっか 試験 しけん )では会計 かいけい 学 がく に関連 かんれん する出題 しゅつだい 科目 かもく は、簿記 ぼき 論 ろん と財務諸表 ざいむしょひょう 論 ろん である。
経済 けいざい 主体 しゅたい (企業 きぎょう ・政府 せいふ など)の経済 けいざい 活動 かつどう に応 おう じた簿記 ぼき の方法 ほうほう 論 ろん がある。代表 だいひょう 的 てき なものに商業 しょうぎょう 簿記 ぼき と工業 こうぎょう 簿記 ぼき がある。
完成 かんせい している商品 しょうひん を仕入 しい れて販売 はんばい する会社 かいしゃ の財務 ざいむ 状態 じょうたい を管理 かんり するための記帳 きちょう 方式 ほうしき 。最 もっと も基本 きほん 的 てき な簿記 ぼき である。ただし、どの会社 かいしゃ にも共通 きょうつう する決算 けっさん に関 かん する会計 かいけい 処理 しょり や、固定 こてい 資産 しさん の償却 しょうきゃく 処理 しょり なども「商業 しょうぎょう 簿記 ぼき 」として取 と り扱 あつか うことがある。
材料 ざいりょう を仕入 しい れ、製造 せいぞう し、製品 せいひん を販売 はんばい する会社 かいしゃ の財務 ざいむ 状態 じょうたい を記録 きろく ・計算 けいさん ・報告 ほうこく するための記帳 きちょう 方式 ほうしき 。その製品 せいひん を作 つく るために必要 ひつよう な経費 けいひ を材料 ざいりょう 費 ひ や製造 せいぞう 作業 さぎょう 員 いん の賃金 ちんぎん 、製造 せいぞう 機器 きき のランニングコスト などから算出 さんしゅつ するには複雑 ふくざつ な計算 けいさん 手続 てつづ きを必要 ひつよう とするため原価 げんか 計算 けいさん の理論 りろん を主 おも に用 もち いる。簡便 かんべん 法 ほう としての商 しょう 的 てき 工業 こうぎょう 簿記 ぼき も存在 そんざい する。
基本 きほん 的 てき な簿記 ぼき である商業 しょうぎょう 簿記 ぼき に対 たい して、それ以外 いがい の簿記 ぼき のことを応用 おうよう 簿記 ぼき と称 しょう する。
農業 のうぎょう 簿記 ぼき :工業 こうぎょう 簿記 ぼき のように原価 げんか 計算 けいさん を伴 ともな う。個人 こじん 事業 じぎょう 主 ぬし の多 おお い日本 にっぽん の農業 のうぎょう では、家計 かけい との区別 くべつ をつける意味合 いみあ いも持 も つ。
林業 りんぎょう 簿記 ぼき : 農業 のうぎょう 簿記 ぼき と同様 どうよう に、第 だい 一 いち 次 じ 産業 さんぎょう である林業 りんぎょう における簿記 ぼき 。
漁業 ぎょぎょう 簿記 ぼき : 漁場 ぎょじょう 料 りょう や餌 えさ 代 だい といった経費 けいひ を特徴 とくちょう とする漁業 ぎょぎょう における簿記 ぼき 。
建設 けんせつ 業 ぎょう 簿記 ぼき : 大 だい 規模 きぼ な資金 しきん と労働 ろうどう 力 りょく 、そして長期間 ちょうきかん 掛 か かる建設 けんせつ 業 ぎょう のための簿記 ぼき である。
銀行 ぎんこう 簿記 ぼき : 貨幣 かへい を商品 しょうひん とする企業 きぎょう と考 かんが えることができる。
官 かん 用 よう 簿記 ぼき : 収入 しゅうにゅう は税金 ぜいきん であり、財務 ざいむ 状況 じょうきょう (収支 しゅうし )をみるために主 おも に使 つか われる。単式 たんしき 簿記 ぼき が主流 しゅりゅう 。
組合 くみあい 簿記 ぼき : 非 ひ 営利 えいり 団体 だんたい であり、収支 しゅうし 均衡 きんこう に着眼 ちゃくがん 点 てん がある。
農協 のうきょう 簿記 ぼき : 農業 のうぎょう 協同 きょうどう 組合 くみあい で使 つか われる。農協 のうきょう で使 つか う様々 さまざま な業種 ぎょうしゅ をカバーする。
家計 かけい 簿記 ぼき : いわゆる家計 かけい 簿 ぼ 。貯金 ちょきん 以外 いがい の現金 げんきん の収支 しゅうし を記 しる した単式 たんしき 簿記 ぼき が多 おお い。
社会 しゃかい 福祉 ふくし 会計 かいけい 簿記 ぼき :社会 しゃかい 福祉 ふくし 法人 ほうじん で使用 しよう する、特殊 とくしゅ な処理 しょり などがある「社会 しゃかい 福祉 ふくし 法人 ほうじん 会計 かいけい 基準 きじゅん 」をもとにした簿記 ぼき 。
日本 にっぽん における洋式 ようしき 簿記 ぼき の導入 どうにゅう は、1873年 ねん (明治 めいじ 6年 ねん )の福澤 ふくさわ 諭吉 ゆきち ・加藤 かとう 斌 あきら ・大蔵省 おおくらしょう による洋式 ようしき 簿記 ぼき 書 しょ の刊行 かんこう を嚆矢 こうし とするが、1874年 ねん (明治 めいじ 7年 ねん )以前 いぜん の英語 えいご 辞書 じしょ では Bookkeeping の訳 わけ は多 おお くの場合 ばあい 「帳面 ちょうめん 算用 さんよう を主 おも ること」とされ、「簿記 ぼき 」の訳語 やくご はまだ使用 しよう されていなかった[ 5] 。
西洋 せいよう 式 しき 簿記 ぼき 導入 どうにゅう 以前 いぜん の日本 にっぽん 固有 こゆう の帳簿 ちょうぼ 記入 きにゅう は「帳合 ちょうあい (ちょうあい) 」と称 しょう されており、福澤 ふくさわ 諭吉 ゆきち はこれを踏 ふ まえて訳語 やくご に「帳合 ちょうあい 」を充 あ て、 "Bryant & Stratton's Common School Book-keeping" を翻訳 ほんやく し『帳合 ちょうあい の法 ほう 』を著 あらわ したが、後 のち に福澤 ふくさわ 全集 ぜんしゅう 緒言 しょげん において「ブックキーピングを帳合 ちょうあい と訳 やく して、簿記 ぼき の字 じ を用 もちい ひざりしは、余 あま り俗 ぞく に過 す ぎたる故 ゆえ か、今日 きょう 世 よ に行 くだり はるるを見 み ず[ 6] 」と述 の べている[ 7] 。
一方 いっぽう 、『商家 しょうか 必用 ひつよう 』は「記 き 簿 ぼ 法 ほう 」という語 かたり を簿記 ぼき 書 しょ として最初 さいしょ に使用 しよう したものであるが、記 き 簿 ぼ 法 ほう という語 かたり 自体 じたい は明治 めいじ 5年 ねん 8月 がつ の文部省 もんぶしょう 学制 がくせい において既 すで に使用 しよう されていた[ 8] 。また文部省 もんぶしょう は小・中学校 しょうちゅうがっこう の教科書 きょうかしょ として1875年 ねん (明治 めいじ 8年 ねん )に日本 にっぽん 初 はつ の学校 がっこう 用 よう 簿記 ぼき 教科書 きょうかしょ 『馬 うま 耳 みみ 蘇 そ 氏 し 記 き 簿 ぼ 法 ほう 』を、1876年 ねん (明治 めいじ 9年 ねん )に『馬 うま 耳 みみ 蘇 そ 氏 し 複式 ふくしき 記 き 簿 ぼ 法 ほう 』を刊行 かんこう するなど、「記 き 簿 ぼ 法 ほう 」の語 かたり は文部省 もんぶしょう を中心 ちゅうしん に広 ひろ く用 もち いられた[ 9] [ 10] 。
『銀行 ぎんこう 簿記 ぼき 精 せい 法 ほう 』は大蔵省 おおくらしょう に招 まね かれたスコットランド人 じん アラン・シャンド (Alexander Allan Shand) の原著 げんちょ を大蔵省 おおくらしょう が翻訳 ほんやく ・校正 こうせい した日本 にっぽん 初 はつ の複式 ふくしき 簿記 ぼき 書 しょ で[ 11] 、1872年 ねん (明治 めいじ 5年 ねん )8月 がつ に公布 こうふ ・11月に施行 しこう された国立 こくりつ 銀行 ぎんこう 条例 じょうれい に基 もとづ いて設立 せつりつ された国立 こくりつ 第 だい 一 いち 銀行 ぎんこう など150行 ぎょう ほどの銀行 ぎんこう が、統一 とういつ 的 てき な銀行 ぎんこう 簿記 ぼき を行 おこな わせる目的 もくてき で編集 へんしゅう されたものである[ 12] 。同 どう 条例 じょうれい 第 だい 24条 じょう には「銀行 ぎんこう 簿記 ぼき 」とあり、これが書名 しょめい 『銀行 ぎんこう 簿記 ぼき 精 せい 法 ほう 』に採 と り入 い れられた[ 13] 。明治 めいじ 初期 しょき 、諸 しょ 官庁 かんちょう では「帳簿 ちょうぼ に書 か きしるす」という広 ひろ い意味 いみ で「簿記 ぼき 」の語 かたり が既 すで に常用 じょうよう 語 ご として使 つか われていた。これは、1869年 ねん (明治 めいじ 2年 ねん )の集 しゅう 議院 ぎいん 建白 けんぱく 取扱 とりあつかい 規則 きそく に「…姓名 せいめい 月日 つきひ を簿記 ぼき すべきこと」とあるのが最初 さいしょ の用例 ようれい とされる[ 14] 。以降 いこう 、次第 しだい に今日 きょう の簿記 ぼき の意味 いみ に限定 げんてい されて大蔵省 おおくらしょう の組織 そしき 名 めい (例 れい : 簿記 ぼき 課 か )や通則 つうそく などで使用 しよう されるようになり、前述 ぜんじゅつ の国立 こくりつ 銀行 ぎんこう 条例 じょうれい でも用 もち いられることとなった。『銀行 ぎんこう 簿記 ぼき 精 せい 法 ほう 』は銀行 ぎんこう 簿記 ぼき のバイブル的 てき 存在 そんざい として国立 こくりつ 銀行 ぎんこう のみならず普通 ふつう 銀行 ぎんこう にまで幅広 はばひろ く適用 てきよう され、その後 ご 刊行 かんこう された『銀行 ぎんこう 簿記 ぼき 例題 れいだい 』『銀行 ぎんこう 簿記 ぼき 用法 ようほう 』などと共 とも に実業 じつぎょう 界 かい にも広 ひろ く普及 ふきゅう した[ 11] [ 12] 。
このように Bookkeeping の訳語 やくご としては、初 はじ め明治 めいじ 6年 ねん に「帳合 ちょうあい 」「記 き 簿 ぼ 」「簿記 ぼき 」などが充 あ てられた簿記 ぼき 書 しょ が刊行 かんこう されたが、「帳合 ちょうあい 」は1879年 ねん (明治 めいじ 12年 ねん )・1880年 ねん (明治 めいじ 13年 ねん )ごろ、「記 き 簿 ぼ 」は1882年 ねん (明治 めいじ 15年 ねん )・1883年 ねん (明治 めいじ 16年 ねん )以後 いご 標題 ひょうだい には見 み られなくなり、明治 めいじ 20年 ねん には簿記 ぼき 書 しょ の標題 ひょうだい に「簿記 ぼき 」の語 かたり を使用 しよう することが一般 いっぱん 的 てき となっていった[ 15] 。
なお、Bookkeeping(ブックキーピング)を「ブッキー」や「ボッキー」と略 りゃく し、それが「ブキ」「ボキ」となり、漢字 かんじ を充 あ て「簿記 ぼき 」の語源 ごげん となったとする説 せつ について、簿記 ぼき 史 し 研究 けんきゅう 者 しゃ ・日大 にちだい 商学部 しょうがくぶ 教授 きょうじゅ の西川 にしかわ 孝治 こうじ 郎 ろう は論文 ろんぶん 『簿記 ぼき の語源 ごげん について』(慶應義塾大学 けいおうぎじゅくだいがく 『三田 みた 商学 しょうがく 研究 けんきゅう 』第 だい 7巻 かん 第 だい 2号 ごう 、1964年 ねん )の中 なか で「茶話 ちゃばなし に過 す ぎないことは明 あき らかである」と述 の べ、退 しりぞ けている[ 14] 。
簿記 ぼき に関 かん する基礎 きそ 知識 ちしき 、実務 じつむ 、計算 けいさん の能力 のうりょく を判定 はんてい するための検定 けんてい 試験 しけん として各種 かくしゅ の簿記 ぼき 検定 けんてい があり、日本 にっぽん では日本 にっぽん 商工 しょうこう 会議 かいぎ 所 しょ をはじめ複数 ふくすう の団体 だんたい により実施 じっし されている。
公益社 こうえきしゃ 団 だん 法人 ほうじん 全国 ぜんこく 経理 けいり 教育 きょういく 協会 きょうかい が制定 せいてい 。日付 ひづけ は簿記 ぼき の原点 げんてん である福沢 ふくさわ 諭吉 ゆきち の訳本 やくほん 「帳合 ちょうあい 之 の 法 ほう 」が1873年 ねん (明治 めいじ 6年 ねん )の2月 がつ 10日 とおか に慶応義塾 けいおうぎじゅく 出版 しゅっぱん 局 きょく から発行 はっこう されたことによる。
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