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けいひがし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

けい ひがし(キン トン、なま没年ぼつねんしょう)は、朝鮮ちょうせん医師いしぶんろくやくにおいて長宗我部ちょうそかべ元親もとちかいきおいとらえられ、土佐とさこくわたった。

生涯しょうがい

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土佐とさ物語ものがたりまきだい17「山内やまうち七郎しちろう兵衛ひょうえ妻女さいじょこと」には、ぶんろく3ねん1594ねん)、もとおやぜいった朝鮮ちょうせんじんは380余人よにんとあり、土佐とさ帰国きこくするとともに、もとおやかれらを不憫ふびんおもい、唐人とうじんまちげん高知こうち唐人とうじんはたけ、のちに唐人とうじんまちほう移住いじゅう)を形成けいせいさせたとある。

けいひがし生涯しょうがいは、どうまきけいひがしこと」においてかたられる。朝鮮ちょうせん名医めいいとしてられ、末期まっきやまいからだかたまっててないひとこすなど、くにたから認知にんちされていた。しかし日本にっぽんて1ねんほどは、まった現地げんちじんやまいなおせず、上下じょうげ男女だんじょに、「異国いこくにもかかるめくらもありけるよ」とわらわれ、これにおおきくじてごもり、周囲しゅうい心配しんぱいさせたが、あるとき朝鮮ちょうせん日本にっぽん土地とちちがい、ひともまたことなるということをさとり、その薬剤やくざいあやまることもなく、土佐とさ名声めいせいることに成功せいこうした。

これに嫉妬しっとした国内こくないだい京都きょうと伏見ふしみ饗応きょうおうをもうけ、鴆毒りの料理りょうりすすめた。これをくえしたけいひがしは、「このどく解毒げどくするのは容易たやすいが、いまななかったとしても、かたななんがある」とさとり、懐中かいちゅうよりよんすん四方しほうばかりのしょし、「これ万民ばんみんすくしょなりといえども日本人にっぽんじんつたえるのは遺恨いこんなり」といって、火中かちゅう医書いしょげ、ててしまった。しばらくして当人とうにんんだ。

逸話いつわ

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土佐とさ物語ものがたり』にしるされた逸話いつわ内容ないようとして、以下いかのものがある。

  • あるにんみゃくをはかり、「男子だんしで3さいときにライやましむが、いまよりくすりふくせば、わずらいはまぬがられる」と主張しゅちょうした。このはなしいたおっとほうはらてた。むかしひらたかささぎ渟于古代こだい中国ちゅうごく名医めいい)といった神仙しんせんでさえ、こんなれいはないといかり、無視むしした。ところが予言よげんどおりになり、ふたたけいひがしせたが、やまいになったのちではくすりかないとして、ってしまう。しばらくして、そのくなった。
  • あるひとむすめ、5、6さいとき左足ひだりあしかかとにかゆみをおぼえ、つめててかくと皮膚ひふよりちいさいしろいして、これにおどろいた両親りょうしんけいひがし診断しんだんしてもらうと、「このいしは、あとひとてくる」とい、て、予言よげんどおてきた。けいひがしによれば、「このいしうちにあってかたしたるとき不治ふじやまいとなるが、いしそとれば、長命ちょうめいそうとなる。90さいまではやまいはない」と説明せつめいし、見立みたどおり、むすめ一生いっしょう無病むびょうで90さいにてんだ。

同書どうしょはこれらの逸話いつわ紹介しょうかいしたうえで、「よこしままなねたみで天下てんかたからうしなった」と、けいひがし暗殺あんさつしむ一文いちぶんかれ伝記でんきくくっている。

備考びこう

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  • 土佐とさ物語ものがたり』の記述きじゅつじょう来日らいにち1ねんほど生存せいぞんしていたことから、すくなくともぶんろく4ねん1595ねん)まで存命ぞんめいとわかる。また、記事きじであるまきだい19「もとおや卒去そっきょ ゆき蹊寺のこと」において、長宗我部ちょうそかべ元親もとちか名医めいい良薬りょうやくかず、慶長けいちょう4ねん1599ねん)5がつ19にちに61さい卒去そっきょしたとしるされていることから、けいひがし暗殺あんさつはこれ以前いぜんのこととわかる。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 土佐とさ物語ものがたり