絶望ぜつぼう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

絶望ぜつぼう(ぜつぼう)とは、希望きぼうのない様子ようすす。英語えいごではディスペアえい: Despair)。

概要がいよう[編集へんしゅう]

社会しゃかいてき地位ちい喪失そうしつ信頼しんらいすべき相手あいて家族かぞく親友しんゆう恋人こいびとなど)の喪失そうしつ裏切うらぎまたは死去しきょなどに遭遇そうぐうし、未来みらいへの希望きぼううしなったとき、ひと絶望ぜつぼうおちいる。

戦争せんそうなどの極限きょくげん状態じょうたいでは絶望ぜつぼうこりやすい。平時へいじでも、強姦ごうかん児童じどう虐待ぎゃくたいリストラいじめなどつら経験けいけん遭遇そうぐうし、絶望ぜつぼうすることがある。

また、幼少ようしょう児童じどう虐待ぎゃくたい育児いくじ放棄ほうきひとしによって、成人せいじん精神せいしん疾患しっかん境界きょうかいせいパーソナリティ障害しょうがいにより絶望ぜつぼう増強ぞうきょうすることがある(ひどいケースでは解離かいりせい同一どういつせい障害しょうがい発症はっしょうする、治療ちりょう困難こんなんきわめる)。

絶望ぜつぼうしているさいは、ひどい孤独こどくかん世界せかいから孤立こりつ社会しゃかいてき見捨みすてられたような感覚かんかくおそわれ、場合ばあいによっては自殺じさつかんがえるにいたる。

自殺じさついたらなくても「きているのがつらい」というのも絶望ぜつぼう末期まっきかんがえられる。

絶望ぜつぼうおちいりやすいパーソナリティがあるというせつがある。完璧かんぺき主義しゅぎてきひとは、自分じぶんではえられないかべにぶつかると絶望ぜつぼうしやすい。自尊心じそんしんひくすぎるひと絶望ぜつぼうしやすいともされる。

実存じつぞん主義しゅぎ哲学てつがくしゃセーレン・キェルケゴールは、著書ちょしょいたやまい』において、絶望ぜつぼう根底こんていには自己じこ意識いしきがあり、絶望ぜつぼうとはいたやまいなのだとべたうえで、絶望ぜつぼう対極たいきょくかみによるつみゆるげている。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]