(Translated by https://www.hiragana.jp/)
背広 - Wikipedia コンテンツにスキップ

背広せびろ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
3つのボタンのうちなかだけをめた、背広せびろこなし。
背広せびろぞろ

背広せびろ(せびろ)は男性だんせい衣服いふく一種いっしゅ

なお、日本語にほんごの「背広せびろ」は衰退すいたい傾向けいこうにあり、2015ねん平成へいせい27ねん)の文化庁ぶんかちょうの『国語こくごかんする世論せろん調査ちょうさ』ではすでに「背広せびろ」をおも使つかうというひとは19.8%にとどまり、「スーツ」をおも使つかうというひとが68.2%であった。死語しごになりつつあると指摘してきされている[4]

概説がいせつ

[編集へんしゅう]
名称めいしょう使つか

単品たんぴん上着うわぎでもスーツの上着うわぎでも、たん背広せびろジャケットばれる。現在げんざいでは様々さまざまなジャケットがあるため、テーラードジャケットやスポーツジャケットばれることもある。単品たんぴん上着うわぎのうち、金属きんぞくボタンなどの特徴とくちょうつものはブレザーともばれる。乗馬じょうばようのハッキングジャケットや、狩猟しゅりょうようのシューティングジャケットなど、用途ようとおうじたつくりとのものもある。また背広せびろ源流げんりゅうの1つとしてノーフォークジャケットげられる。

上下じょうげぞろいあるいはぞろいなどいちくみあるいは一連いちれんふくぞろいは、ラウンジスーツやサックスーツとばれたが、現在げんざいではたんにスーツとばれる[1][5][6][7]本来ほんらいは、とくおな生地きじ上下じょうげ(ジャケットとスラックス)を仕立したてたものをスーツとしょうした[8]

日本語にほんごの「背広せびろ」の語源ごげん

[編集へんしゅう]

背広せびろ」の語源ごげんについては諸説しょせつある。

1967年刊ねんかん日本にっぽん国語こくごだい辞典じてんでは、漢字かんじの「背広せびろ」は外国がいこくおとあらわすためのであるというせつと、意味いみ由来ゆらいする命名めいめいとするせつがあるが、前者ぜんしゃせつ有力ゆうりょくである[9]、と説明せつめいされた。幕末ばくまつから明治めいじ初期しょきにかけて「セビロ」というカタカナ表記ひょうきられるようになり、一般いっぱんには明治めいじ20ねん1887ねんごろからもちいられたとされる[9]

語源ごげんについては

  1. 英国えいこくロンドン高級こうきゅう紳士しんしふくてんがいサヴィル・ロウ」(セビルロー)から変化へんかしたとするせつ[10][8][11][12][13]
  2. 市民しみんふく意味いみする「civil clothes」から変化へんかしたとするせつ[8][11][12]
  3. 市民しみんふく意味いみする「civil wear」から変化へんかしたとするせつ[14]
  4. 背部はいぶぬのパーツ)がひろふく」の[8][11][14]。(紳士しんしふく裁断さいだんされたぬのパーツぐんなか背中せなか部分ぶぶん面積めんせきおおきさによるけだ、とするせつについてはしたふしつづきを説明せつめい。)
  5. 背筋せすじがない[15]ところから「背広せびろ」とばれた』と主張しゅちょうするせつ[12]
  6. 「sack coat」の訳語やくごで「ゆったりした上衣うわぎ」の
  7. 紳士しんしふくもちいられる良質りょうしつ羊毛ようもう服地ふくじ意味いみする「シェビオット(Cheviot)」から変化へんかしたとするせつ
  8. ぞうていはなえい通語つうご』に「ベスト(上着うわぎ)」ので「しん」、「new waistcoat」として「しんしん」など、紳士しんしふく訳語やくごに「」の使用しようされる(ただし、sack coatのわけにはみえない)ことに注目ちゅうもくし、中国ちゅうごく由来ゆらいするとのせつ[16][17][18]

など複数ふくすうある。

背広せびろ上着うわぎのボタンは、つときはじ、椅子いすすわるときはけてもよい[注釈ちゅうしゃく 1]国会こっかい審議しんぎでも答弁とうべんしゃ答弁とうべん出向でむときまえじる)。近年きんねんはシングルブレストの場合ばあいピークドラペル礼装れいそうようでビジネスではない[19]ことがおおい。1940年代ねんだい以前いぜんぎゃくにピークドラペルも日常にちじょうてきもちいられていた。また、ダブルブレストの場合ばあい礼装れいそう普段着ふだんぎわずピークドラペルでつくられることが一般いっぱんてきである。

上着うわぎがシングルブレスト2つボタンの場合ばあいは、うえのボタンのみをのボタンをけず[注釈ちゅうしゃく 2]、シングルブレストみっつボタンの場合ばあいは、なかのボタンのみをけることが推奨すいしょうされており[注釈ちゅうしゃく 3]、1ばんのボタンはめることを前提ぜんていとしていない設計せっけいのものがおおい。1930年代ねんだい以前いぜんはボタンすうによらずすべてのボタンがじることが可能かのうなように設計せっけいされており[注釈ちゅうしゃく 4]近年きんねんでも同様どうよう仕立したてをおこなうテーラーもある。

シルエットをみだすため、ポケットにはものれないことが推奨すいしょうされている(ただし、テーラーによっては実用じつよう本位ほんいとらえている場合ばあいもある。また、構造こうぞうじょうくちかんぬきめをほどこし、そこじゅういにするなど、実用じつよう可能かのう縫製ほうせいおこなわれている場合ばあいおおい)。

歴史れきし

[編集へんしゅう]

背広せびろのようなこしたけのジャケットのヨーロッパでの登場とうじょうは、1789ねんフランス革命かくめいでのサン・キュロットとされる。それまでの上着うわぎは、ジュストコルのようにひざたけのいわゆるコートであった。直接的ちょくせつてきには背広せびろは、19世紀せいき中頃なかごろ当時とうじ日常にちじょうであったフロックコート改良かいりょうしたものとされる。ひざたけのフロックコートをみじかこしたけにしくつろげるようにゆったりとしたつくりの、ラウンジジャケットやサックコートとばれる上着うわぎである。これは自宅じたく広間ひろまなどだけでなく、スポーツなどレジャーにももちいられた。また共生きょうせいズボンベストつくられ、ラウンジスーツ、サックスーツなどとばれる。

背広せびろぞろい。1900ねん撮影さつえいわかフランクリン・ルーズベルト

19世紀せいき後半こうはんになるとアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくではビジネスにももちいられるようになりヨーロッパにも波及はきゅうし、20世紀せいきまでには世界せかいてき普及ふきゅうした[2][3][5][6]

20世紀せいきまでに、背広せびろ形状けいじょうはいわば標準ひょうじゅんされ、それ以降いこう上着うわぎたけ肩幅かたはば形状けいじょう、ラペル、ズボンのふとさやたけ、ボタンのかずなどの変化へんか流行りゅうこうられる。20世紀せいき初頭しょとうかた強調きょうちょうした形状けいじょうにゆとりのあるズボン、1910年代ねんだい自然しぜん形状けいじょうかた、1920年代ねんだいすそはばひろいズボン、1930年代ねんだい直線ちょくせんてき軍服ぐんぷくをモチーフとしたかたなどである。だい2大戦たいせんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくなどでチョッキを省略しょうりゃくしたこなしが普及ふきゅうする[2]

現在げんざいでは式典しきてんなど簡略かんりゃくおこなわれ、それにともなって服装ふくそう簡略かんりゃくされ、りゃく礼装れいそう平服へいふく、informalとばれる男性だんせいであれば背広せびろがたのスーツ、とくにダークスーツで対応たいおうできることがおお[20]イギリスエリザベス2せい組閣そかく任命にんめいをする場合ばあい男性だんせい首相しゅしょう背広せびろがたスーツでバッキンガム宮殿きゅうでんおとずれる[21]

日本にっぽんでは1867ねん片山かたやま淳之介じゅんのすけの『西洋せいよう衣食住いしょくじゅう』に、フロックコートがわり羽織はおり背広せびろまる羽織はおりとして記述きじゅつされる。また、1887ねん大家だいけ松之助まつのすけの『男女だんじょ西洋せいようふく裁縫さいほう独案内ひとりあんない』では背広せびろ表記ひょうきされる。背広せびろ明治めいじすえから大正たいしょう初頭しょとうにかけて普及ふきゅうしていった[2]

流行りゅうこうかんしては明治めいじ当初とうしょはフランスの影響えいきょうつよく、次第しだいにイギリスやアメリカの影響えいきょうつよけるようになった[22]世界せかいてき流行りゅうこうならい、明治めいじ当初とうしょよっつボタンの着丈きたけみじかいもの、明治めいじ中期ちゅうき以降いこうみっつボタンの着丈きたけながいものが流行りゅうこうしたが、大正たいしょうわりころからは日本人にっぽんじん西洋せいようじん体格たいかく意識いしきするようになり、着丈きたけみじかい2つボタンスーツが普及ふきゅうする[23][24][25]など独自どくじ路線ろせん辿たどった。また、夏季かきかんしては世界せかい先駆さきがけてチョッキをはぶいていることが当時とうじ写真しゃしん百貨店ひゃっかてんのカタログなどからうかがえる[注釈ちゅうしゃく 5]。ただし、裁断さいだん細部さいぶ処理しょりなどはその世界せかいてき流行りゅうこうさかんにれており、えりがたおよびバストやショルダーの設計せっけいなどはどう時期じき欧米おうべいれいちがわない[注釈ちゅうしゃく 6]。また、ズボンにかんしては大正たいしょう以前いぜんはウエストがひろくとられた、調節ちょうせつ尾錠びじょうおこなう「窮屈きゅうくつぶくろ」とばれる[26]サスペンダーをもちいて固定こていおこなうものが一般いっぱんてきであったが、このころから現在げんざい様子ようすちかいベルト固定こていしきのものとなる[注釈ちゅうしゃく 7]

大正たいしょう時代じだいごろの背広せびろいちれい生地きじ裏返うらがえして仕立したなおしており、左右さゆうぎゃくになっている。生地きじ高価こうかだった当時とうじはこうした処理しょりがよくおこなわれた。
昭和しょうわ10ねんごろの背広せびろいちれい当時とうじ設計せっけいじょうふたつともボタンをめることが可能かのうであった。うでけやポケットの位置いち現代げんだいおおきくことなる。
昭和しょうわ初期しょきごろのズボン。どう時期じき海外かいがいではこうのフチにベルトループのえられたはらくタイプのものがおおいのにたいして、日本にっぽんでは現在げんざい一般いっぱんてきなズボンの位置いちちか腰骨こしぼねのあたりにベルトループがえられたものがおおい。

だい世界せかい大戦たいせんはじまると、日本にっぽんでは1942ねん2がつ1にちから衣類いるい配給はいきゅうせい点数てんすう切符きっぷせい)が導入どうにゅうされ、背広せびろ自由じゆう購入こうにゅうすることができなくなった。都市とし住民じゅうみんれいでは1人ひとり年間ねんかん100てんあたえられ、点数てんすうされた衣料いりょうひん購入こうにゅうできる仕組しくみとされたが、背広せびろ一式いっしき31てん比較的ひかくてきたか点数てんすう設定せっていされており[27]きむがあったとしても贅沢ぜいたくひんであるとして購入こうにゅうはばかられる状況じょうきょうとなった。

戦後せんご昭和しょうわ20年代ねんだいにはアメリカの影響えいきょうつよけ、肩幅かたはばむねまわりのおおきな、着丈きたけながいものが流行りゅうこうした[28]昭和しょうわ30年代ねんだいにはふたたいたかたとなり、急速きゅうそくにナローラペルがひろまった。このころ世界せかいてきにはみっつボタンが流行りゅうこうしたが、日本にっぽんではふたつボタンが相変あいかわらず愛用あいようされていた。昭和しょうわ40年代ねんだい昭和しょうわ50年代ねんだいごろにはてんじてワイドラペルとなり、ブレストとウエストの強弱きょうじゃくはげしいものとなる。また、この時期じき以前いぜん裁断さいだんぜん身頃みごろ後身こうしんごろのみからるものが一般いっぱんてきであったが、このころから海外かいがい同様どうようわきダーツの延長線えんちょうせんじょうこしポケットを貫通かんつうするかたちでサイバラ(わき部分ぶぶん)を独立どくりつさせるものが普及ふきゅうはじめる[注釈ちゅうしゃく 8]。(なお、前項ぜんこう言及げんきゅうした「達磨だるま」でもちいられたサイバラはこしポケットを貫通かんつうしない背中せなかりにとられたものであり、この時期じきから普及ふきゅうしたサイバラとは設計せっけいことなる。)昭和しょうわ60年代ねんだいごろから平成へいせい初期しょきにかけては肩幅かたはば強調きょうちょうこししぼりをおさえた着丈きたけながかた流行りゅうこうし、ダブルのかたひろ着用ちゃくようされた[注釈ちゅうしゃく 9]。そのは3つボタンの流行りゅうこうなどもありつつ漸次ぜんじタイトなスタイルとなり、平成へいせい末期まっき以降いこう着丈きたけみじかい、全体ぜんたい身体しんたい密着みっちゃくしたかたく。えりがたとしてははばせまいものが一般いっぱんてきとなり、ゴージラインは平成へいせい年間ねんかんつうじて上昇じょうしょう傾向けいこうにある。

文化ぶんか社会しゃかい

[編集へんしゅう]

背広せびろは、ポストモダン提唱ていしょうされる現代げんだいからすれば、過去かこモダニズムもとづき、かつつづけている。しん古典こてん主義しゅぎによる自然しぜんそのものの人体じんたいをなぞるようにフィットした形状けいじょうからだ束縛そくばくせずうごきに追随ついずいする合理ごうりせいレースフリルなどの表面ひょうめんじょう装飾そうしょくはいして毛織物けおりものそのものの重厚じゅうこうさとパターンや仕立したてのみょう重視じゅうしすること、抑制よくせいされた色調しきちょう形状けいじょう制限せいげんによるダンディズムジェントルマン表現ひょうげん首筋くびすじめたうす色調しきちょうシャツ色調しきちょう上着うわぎひらいた胸元むなもとのくつろぎかんのバランス、あざやかな色彩しきさいえかつ男性だんせい暗示あんじするネクタイ、などである。

モダニズムに代表だいひょうされる西洋せいよう価値かちかん世界せかいてきひろまり、今日きょう各国かっこく首脳しゅのうあつまる国際こくさい会議かいぎなどでは、背広せびろひとだい多数たすうめ、伝統でんとうてき民族みんぞく衣装いしょうなどをひとすくない[29][30]

世界せかいてき普及ふきゅうすることで、地域ちいき独特どくとく文化ぶんかをもしてもいる。ひとつはながフランスベルギーなどの植民しょくみんとなりまた戦争せんそう経験けいけんしている、コンゴ民主みんしゅ共和きょうわこくコンゴ共和きょうわこくなどにおけるサプールばれるひとたちである。おおくはゆたかではない労働ろうどうしゃ日常にちじょう作業さぎょうなどで仕事しごとをしているが、水道すいどう普及ふきゅうしていない環境かんきょうでもからだふく清潔せいけつたもち、収入しゅうにゅうおおくを高価こうか背広せびろついやし、ハレのなどにははだかみひとみいろたがいにたてあざやかな色調しきちょうこなしであらわれ、平和へいわ自由じゆう尊重そんちょうして人生じんせいたのしみ、尊敬そんけいされるひとたちである[31][30]

日本にっぽんでは明治維新めいじいしんともなって背広せびろふく洋服ようふくれたが、冠婚葬祭かんこんそうさいなどにおける礼装れいそうや、仕事しごと外交がいこうにおけるなか制服せいふくとして、ファッションではなくマナーとどまっていて、これは現在げんざいつづいているとするひょうもある。冠婚葬祭かんこんそうさいでのブラックスーツ就職しゅうしょく活動かつどうでのリクルートスーツ会社かいしゃいん公務員こうむいんではくらいろ背広せびろしろいシャツと地味じみなネクタイ、暴力団ぼうりょくだんなどのはん社会しゃかいてき勢力せいりょくではけばけばしい派手はで背広せびろとシャツとネクタイの組合くみあわせなど、ステレオタイプ画一かくいつてき服装ふくそうをしていて、背広せびろふくめた服装ふくそう社会しゃかい規律きりつ意味いみする度合どあいが、日本にっぽんでは非常ひじょうたかいとされる。環境省かんきょうしょうなど行政ぎょうせい提案ていあんしているクール・ビズでは、具体ぐたいてき服装ふくそう規定きていもうけて、背広せびろ上着うわぎないいわゆる「ノージャケット」について「だが徹底てっていされていない」などの表現ひょうげんにみられるように、ルールされている。また「体形たいけいったスーツえらびを。いろはダークなこんくろ無難ぶなん。」や「スーツにわせる定番ていばんアイテムのルール」のように規則きそくとして表現ひょうげんしている書籍しょせきもある[30][32][33][34][35]

男性だんせいりゃく礼装れいそうには昼夜ちゅうやわず背広せびろがたのスーツがもちいられる。とくあらたまったではダークスーツがふさわしいとされる。ダークスーツはくら灰色はいいろ紺色こんいろ無地むじやそれにじゅんじる生地きじもちいた背広せびろがたのスーツである。こなしはシャツネクタイまりがないが、白色はくしょくのシャツに結婚式けっこんしきなどでははなやかないろ銀色ぎんいろのネクタイ、葬儀そうぎなどでは地味じみいろのネクタイをもちいるのがすすめられている。黒色こくしょく背広せびろがたスーツ(ブラックスーツ)をもちいるのは日本にっぽん独特どくとく風習ふうしゅうであり、ブラックスーツはダークスーツに該当がいとうしない[5][6][20][36]

もともと注文ちゅうもんふくとしてまれた自宅じたくでくつろぐための背広せびろは、既製きせいふくされ「るしの背広せびろ」として普及ふきゅうすることによりりゃく礼装れいそうにももちいられるふく昇格しょうかくする。背広せびろ世界せかいてき普及ふきゅうは、欧米おうべい科学かがく技術ぎじゅつ経済けいざい文化ぶんか優越ゆうえつかんや、帝国ていこく主義しゅぎによるグローバリゼーションによるもので、中国ちゅうごくにおける人民じんみんふくや、みなみアフリカ共和きょうわこくネルソン・マンデラろうけつのシャツ、あるいは糸車いとぐるままわマハトマ・ガンディーインド木綿こわた肩掛かたかけや腰布こしぬのなど、一様いちようではなく社会しゃかいてきにも複雑ふくざつ問題もんだいをはらんでいる。また、かつて若者わかもの反抗はんこうのシンボルとされたジーンズTてぃーシャツ背広せびろをあわせるようなこなしもある。このように受容じゅようあるいは拒否きょひされた背広せびろは、ポストモダンが提唱ていしょうされる現代げんだいでは「退屈たいくつ代物しろもの」などとひょうされる一方いっぽうで、今後こんごもしばらくびるとされている[29][30]

販売はんばい価格かかく

[編集へんしゅう]

日本にっぽんられている背広せびろは1まんえん以下いかのものからすうじゅうまんえんのものまで価格かかくはばひろい。

男性だんせいよう背広せびろふく販路はんろべつすじ価格かかくたい[37]
商品しょうひんライン 販路はんろ 価格かかく(えん)
プレステージ 直営店ちょくえいてん 144636
ベター 百貨店ひゃっかてん 96281
モデレート セレクトショップ 64188
ポピュラー 総合そうごうスーパー 42792
バジェット ホームセンター 28670

日本にっぽんでは、家計かけい消費しょうひじょうきょう調査ちょうさ品目ひんもくとして背広せびろ調査ちょうさされている。2017ねんでの背広せびろ平均へいきんは53500えんであった[38]

家計かけい消費しょうひじょうきょう調査ちょうさ年報ねんぽう 2017ねん 背広せびろ[38]
年間ねんかん収入しゅうにゅう(まんえん) 平均へいきん(ひゃくえん)
-200 83
200-300 181
300-400 295
400-500 296
500-600 683
600-700 779
700-800 942
800-900 1178
900-1000 1117
1000-1250 1667
1250-1500 1895
1500-2000 2377
2000- 6224

参考さんこう資料しりょう

[編集へんしゅう]
  • つじもとよしふみ、つじもと玲子れいこ 『スーツ=軍服ぐんぷく!?―スーツ・ファッションはミリタリー・ファッションの末裔まつえいだった!!』 いろどりりゅうしゃ、2008ねん3がつISBN 978-4-7791-1305-5
  • ハーディ・エイミス 『ハーディ・エイミスのイギリスの紳士しんしふくもり秀樹ひできやく大修館書店たいしゅうかんしょてん、1997ねん3がつISBN 978-4-469-24399-4

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ 仕立したての背広せびろは、ボタンをじたまますわるとえり胴回どうまわりに余分よぶんなシワがしょうじる。
  2. ^ 1950年代ねんだいまでには、シルエットじょう理由りゆうしたのボタンをけないことが一般いっぱんてきになる。 参考さんこうしみあきひろし男子だんしふく独習どくしゅうしょ主婦しゅふともしゃ p.91
  3. ^ ちゅう1つけ。うえなかけるうえ2つけもある。
  4. ^ どう時期じき背広せびろ詰襟つめえり製図せいず比較ひかくした場合ばあいわせの設計せっけいにはがみられない。
  5. ^ 具体ぐたいれい枚挙まいきょにいとまがないが、たとえば『読売新聞よみうりしんぶん』1932ねん7がつ3にち夕刊ゆうかんにおいては「既製きせいなつ洋服ようふく」の値段ねだんひょうでは背広せびろさんそろい背広せびろ上下じょうげ区別くべつされており、ツーピース販売はんばいされていたことがうかがえる。
  6. ^ たとえば、東亜とうあ洋服ようふく裁断さいだん協会きょうかい本部ほんぶ裁断さいだん芸術げいじゅつ だい1へん』1930ねんでは、べいえい製図せいず日本にっぽんのものと比較ひかくしながら紹介しょうかいされている。また、当時とうじ洋装ようそう研究けんきゅうしゃ『テイラー』などではべいえいふつどくまらず北欧ほくおうれいなども紹介しょうかいされている。
  7. ^ 過渡かとにあってはサスペンダーようのボタンおよび尾錠びじょうとベルトループの両方りょうほうがつけられたものがおおい。参考さんこう遠藤えんどう政次郎まさじろう文化ぶんか洋裁ようさい講座こうざ だいよんかん』1935ねん p.320
  8. ^ こうした処理しょり自体じたい欧米おうべいにおいてはふるくからおこなわれており、日本にっぽんでも戦前せんぜんからごくまれおこなわれることはあった。また、しみあきひろし男子だんしふく独習どくしゅうしょ』1951ねんp.219のれいにうかがえるように戦後せんご生地きじ不足ふそく時代じだいにも例外れいがいてきおこなわれることがあった。
  9. ^ これらの流行りゅうこう変遷へんせんはスタイルしゃの『男子だんしせん』、洋装ようそう研究けんきゅうしゃの『テイラー』や洋装ようそうしゃの『洋装ようそう』などをつうじて把握はあくすることができる。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b 広辞苑こうじえん だい5はん
  2. ^ a b c d 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ
  3. ^ a b 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん
  4. ^ 背広せびろ」は死語しご? 20だいわりらない」、「せびれ?」のちん回答かいとうも…クールビズで消費しょうひ縮小しゅくしょう 産経新聞さんけいしんぶん 2018ねん8がつ26にち閲覧えつらん
  5. ^ a b c 田中たなか千代ちよしん田中たなか千代ちよ服飾ふくしょく辞典じてんどう文書ぶんしょいん 1991ねん ISBN 4-8103-0022-6
  6. ^ a b c 『ファッション辞典じてん文化出版局ぶんかしゅっぱんきょく 2000ねん
  7. ^ リーダーズ英和えいわ辞典じてんだい2はん
  8. ^ a b c d 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)『背広せびろ』 - コトバンク - 執筆しっぴつ石山いしやまあきら
  9. ^ a b 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてんだい12かん(せさーたくん)、p.66、1976ねん4がつ15にち発行はっこうだい1はんだい2さつ小学館しょうがくかん
  10. ^ 広辞苑こうじえんだいろくはん
  11. ^ a b c デジタル大辞泉だいじせん背広せびろ』 - コトバンク
  12. ^ a b c 精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん背広せびろ』 - コトバンク
  13. ^ 英国えいこく紳士しんしどう うつろうかたち わらぬ矜持きょうじ規律きりつそだてる審美しんび」『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん朝刊ちょうかん2018ねん12月2にち(10めん、NIKKEI The STYLE)
  14. ^ a b 文化出版局ぶんかしゅっぱんきょく文化ぶんかファッション講座こうざ 男子だんしふく』1984ねん p.92
  15. ^ 現代げんだいのスーツの背筋せすじはある。だが戦前せんぜんおおくの洋装ようそうかんする書籍しょせきしるした木村きむらけいの1932ねん書物しょもつでは、「ふる時代じだい仕立したてでは背中せなか中央ちゅうおうがない」と指摘してきし、「背広せびろふく語源ごげんモーニングほそせまきにはん背広せびろふくはばひろき 以つて此名をしたることかなり」木村きむらけい英和えいわ洋装ようそう辞典じてん」1932ねんけいぶんしゃ、p.245と主張しゅちょうした。
  16. ^ 精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん電子でんしばん)、2006ねん
  17. ^ かぞかた単位たんい辞典じてん 「せびろ」のこう
  18. ^ ぞうていはなえい通語つうご くびかざりるい p.51(原本げんぽんではp.20)
  19. ^ 講談社こうだんしゃ発行はっこう安積あさか陽子ようこちょ「NYとワシントンのアメリカじんがクスリとわら日本人にっぽんじん洋服ようふく仕草しぐさ」106ページ、131ページ
  20. ^ a b 寺西てらにし千代子ちよこ世界せかい通用つうようする公式こうしきマナー プロトコールとはなにか』 文春ぶんしゅん新書しんしょ
  21. ^ 2019ねん7がつ27にち中日新聞ちゅうにちしんぶん朝刊ちょうかん5めん
  22. ^ 読売新聞よみうりしんぶん』1924ねん2がつ15にち朝刊ちょうかん p.4
  23. ^ つじきよし洋服ようふくてん経営けいえいとらまき』1925ねん p.187~196
  24. ^ 読売新聞よみうりしんぶん』1916ねん11月8にち朝刊ちょうかん p.5
  25. ^ 読売新聞よみうりしんぶん』1918ねん2がつ23にち朝刊ちょうかん p.5
  26. ^ 柴田しばた和子かずこ銀座ぎんざべい田屋たや洋服ようふくてん』1992ねん p.47
  27. ^ 衣料いりょうひん点数てんすう切符きっぷせい一家いっかねんひゃくてん昭和しょうわ17ねん1がつ20にち 大阪毎日新聞おおさかまいにちしんぶん)『昭和しょうわニュース辞典じてんだい8かん 昭和しょうわ17ねん/昭和しょうわ20ねん』p124 毎日まいにちコミュニケーションズかん 1994ねん
  28. ^ 読売新聞よみうりしんぶん』1950ねん9がつ9にち朝刊ちょうかん p.4
  29. ^ a b アン・ホランダーちょ 中野なかの香織かおりわけせいとスーツ 現代げんだい衣服いふくかたちづくられるまで』白水しろみずしゃ
  30. ^ a b c d ロバート・ロスちょ 半田はんだ雅博まさひろやく洋服ようふく近代きんだい 帝国ていこく思惑おもわく民族みんぞく選択せんたく法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんかい
  31. ^ 『WATS IS SAPEUR? まずしくとも世界一せかいいちエレガントなコンゴのおとこたち』祥伝社しょうでんしゃ
  32. ^ 高橋たかはし晴子はるこ近代きんだい日本にっぽんそう文化ぶんか身体しんたいよそおい」の文化ぶんか変容へんようさんげんしゃ
  33. ^ 環境省かんきょうしょうにおけるクールビズ服装ふくそう可否かひ』(PDF)(プレスリリース)環境省かんきょうしょう、2012ねん5がつ25にちhttps://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=20032&hou_id=15269 
  34. ^ 金森かなもりたかこちょ 西出にしで博子ひろこ監修かんしゅう入社にゅうしゃ1ねんビジネスマナーの教科書きょうかしょプレジデントしゃ
  35. ^ 男性だんせいファッションの「そもそもどうしたらいいのか?」がわかる 今日きょうから使つかえる 大人おとなのオシャレじゅく主婦しゅふ友社ともしゃ
  36. ^ 外務省がいむしょう 国際こくさい儀礼ぎれい基本きほん講座こうざ (PDF)
  37. ^ だい1しょう ブランディング計画けいかく p.38/48 - 沖縄おきなわけん (PDF)
  38. ^ a b 統計とうけいきょく

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]