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自然しぜん哲学てつがく

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
自然しぜんがくから転送てんそう
ニュートン主著しゅちょ自然しぜん哲学てつがく数学すうがくてきしょ原理げんり通称つうしょう「プリンキピア」
アタナシウス・キルヒャー磁石じしゃくあるいは磁気じきじゅつについて』(1641ねん口絵くちえ知識ちしきかく分野ぶんやかみ人間にんげん自然しぜん相互そうごむすびつきが表現ひょうげんされている。そとえん神学しんがく頂点ちょうてんにしたかく分野ぶんやうちえんは「ほしかい」(つきよりとおくにあるすべてのもの)、「月下げっかかい」(地球ちきゅうとのその大気たいき)、「ミクロコスモス」(人間にんげん)で、中心ちゅうしんにあるのはかみ精神せいしんたる「原型げんけい世界せかい」(mundus archetypus)[1]

自然しぜん哲学てつがく(しぜんてつがく、philosophia naturalis)とは、自然しぜん事象じしょう生起せいきについての体系たいけいてき理解りかいおよび理論りろんてき考察こうさつ総称そうしょうであり、自然しぜん総合そうごうてき統一とういつてき解釈かいしゃく説明せつめいしようとする形而上学けいじじょうがくである[2]自然しぜんがくphysica)とばれた[2]自然しぜん、すなわちありとあらゆるものごとのnature(本性ほんしょう自然しぜん えいふつ: natureどく: Natur[3]かんする哲学てつがくである。しかし同時どうじ人間にんげん本性ほんしょう分析ぶんせきふくむこともあり、神学しんがく形而上学けいじじょうがく心理しんりがく道徳どうとく哲学てつがくをもふく[4]自然しぜん哲学てつがくいちめんとして、自然しぜん魔術まじゅつmagia naturalis[ちゅう 1]がある。自然しぜん哲学てつがくは、学問がくもんかく分野ぶんやあいだにおいても宇宙うちゅう様々さまざま局面きょくめんあいだでも、事物じぶつ相互そうごむすばれているという感覚かんかく特徴とくちょうとする[1]

現在げんざいでは、「自然しぜん科学かがく」とほぼ同義語どうぎごとして限定げんていされた意味いみもちいられることもあるが、その範囲はんい意図いとはもっと広大こうだいである[1]。「自然しぜん哲学てつがく」は、おもルネサンス以降いこう近代きんだい自然しぜん科学かがく確立かくりつから19世紀せいき初頭しょとうまでのあいだしょ考察こうさつすといったほうがいだろう。自然しぜん哲学てつがくてき観点かんてんが、より専門せんもん細分さいぶんされたせまい「科学かがくてきな」観点かんてん徐々じょじょってわられるのは、19世紀せいきになってからである[1]

自然しぜん哲学てつがく探求たんきゅうしゃおおくは宗教しゅうきょうてき人間にんげんであり、抑圧よくあつてき宗教しゅうきょうしゃ科学かがくしゃたたかいという図式ずしきではなかった[ちゅう 2]世界せかいは「自然しぜんという書物しょもつ」であり、かみのメッセージだとかんがえられていたのである[1]。ヨーロッパでは近代きんだいまで、ほとんどすべての科学かがく思想家しそうかキリスト教きりすときょうしん実践じっせんしており、神学しんがくてき真実しんじつ科学かがくてき真実しんじつあいだ相互そうご連結れんけつうたがいはなかった[1]ジョンズ・ホプキンス大学だいがく教授きょうじゅローレンス・M・プリンチペ英語えいごばんは、科学かがく探求たんきゅうかみろんてき視点してん必要ひつようであるというかんがかたは、20世紀せいきつくられた神話しんわにすぎないと指摘してきしている[1]

起源きげん

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その由来ゆらい西洋せいよう哲学てつがく起源きげんであるタレスミレトス学派がくはイオニア学派がくはの「アルケー根源こんげん始原しげん)のい」にもとめることができ、以後いごすぐれた観察かんさつ分析ぶんせきおこなわれる。

また、アリストテレスとするペリパトス逍遥しょうよう学派がくは)においては、自然しぜん哲学てつがく自然しぜんがく)は、だいいち哲学てつがく形而上学けいじじょうがく)とともに「テオーリア(観照かんしょう理論りろん)」部門ぶもん形成けいせいし、倫理りんりがく政治せいじがくからる「プラクシス(実践じっせん)」部門ぶもんなら哲学てつがく部門ぶもんの1つとしてあつかわれるようになった(ここにさらに、哲学てつがくのための「オルガノン道具どうぐ)」としての論理ろんりがくと、「ポイエーシス(制作せいさくがく制作せいさくじゅつ)」としての弁論べんろんじゅつ詩学しがくくわわる)。

中世ちゅうせい - 近代きんだい

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中世ちゅうせい古代こだいギリシャの『自然しぜんがくてき自然しぜんかんアルベルトゥス・マグヌス検証けんしょう紹介しょうかい以降いこうにほぼドグマしたスコラがくしたでは、自然しぜん哲学てつがく停滞ていたいするが、ルネサンスて、ベーコンデカルトらによって近代きんだい科学かがくてき方法ほうほう確立かくりつされると、哲学てつがくてきしょ問題もんだいたいする自然しぜん哲学てつがく重要じゅうようせいはさらにした。一方いっぽうで、それは自然しぜん哲学てつがく自然しぜん科学かがくとが分離ぶんりする前触まえぶれでもあった。ドイツ観念論かんねんろんにおける自然しぜん哲学てつがく分離ぶんりしつつあった両者りょうしゃ哲学てつがくてき原理げんりから統合とうごうしようとするこころみとしてとらえることができる。

生物せいぶつがく

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生物せいぶつがくにおいて、この時期じきさかんであった比較ひかく解剖かいぼうがくが、おおくこのながれをけている。ゲーテもこの分野ぶんやおおくの影響えいきょうあたえた。かれ植物しょくぶつにおいて花弁はなびらがくがいずれも変形へんけいであることを見出みいだし、このような変形へんけい変態へんたいんで、生物せいぶつ構造こうぞう発展はってん重要じゅうようなものとかんがえた。さらに研究けんきゅうしゃはこのような観点かんてんから、多様たよう生物せいぶつ形態けいたいにはその基本きほんとなる『かた』が存在そんざいするとかんがえた。このようなかんがえはたとえばあいどう器官きかん相似そうじ器官きかんといった概念がいねんし、あるいはどういち構造こうぞうかえ構造こうぞう(からだぶしなど)をみとめることで動物どうぶつ体制たいせい理解りかいなどをすすめた。しかしそれは往々おうおうにして恣意しいてき想像そうぞうひろげることとなり、たとえばサン・ティレール節足動物せっそくどうぶつ付属ふぞく脊椎動物せきついどうぶつ肋骨あばらぼねあいどうとするろんべた。これには実証じっしょう主義しゅぎかかげて比較ひかく解剖かいぼうがく刷新さっしんしたキュビエつよ反対はんたいし、だい論争ろんそうすえにキュビエがったのは有名ゆうめいである。

他方たほう、キュビエは実証じっしょう主義しゅぎにこだわって思想しそうせいうしなった結果けっか天変地異てんぺんちいせつとなえてラマルク進化しんかろん反対はんたいするひとし大局たいきょくてきにはおおきくあやまったといえる。むしろ自然しぜん哲学てつがくながれのさい後尾こうびぞくするラマルク(かれ当時とうじから『最後さいご哲学てつがくしゃ』といわれた。これには揶揄やゆめられていた)が内容ないようあやまっていたが進化しんかろん創造そうぞうしたてん重要じゅうようであると八杉やすぎ竜一りゅういちべている[5]

なお、比較ひかく解剖かいぼうがく思想しそうてきながれは19世紀せいき発生はっせいがくがれる。発生はっせいがくなか比較ひかく発生はっせいがくというながれがこり、この分野ぶんや比較ひかく解剖かいぼうがくんだあい同性どうせいなどのかんがかた裏付うらづけをつくはじめる。同時どうじにこれらの分野ぶんやんだ進化しんかろんおもて舞台ぶたいると、比較ひかく発生はっせいがくはそれを裏付うらづけると同時どうじに、それを適用てきようすることで系統けいとうろんした。その方向ほうこう頂点ちょうてんヘッケルはこの視点してん徹底てっていすることでぜん動物どうぶつぐん系統けいとうろんじることを可能かのうにしたが、その過程かてい事実じじつ様々さまざま歪曲わいきょくおこなっている。これがこう世代せだいから批判ひはんされることとなったのは、観念論かんねんろんてき解剖かいぼうがくがキュビエの餌食えじきになったののまいえんじているようにえる。ちなみにヘッケルが生物せいぶつがく歴史れきしろんじているもののなかで、かれ観念論かんねんろんてき解剖かいぼうがくたか評価ひょうかするとともにキュビエの立場たちばをつまらない、低級ていきゅうなものとこきろしている。

近代きんだい - 現代げんだい

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19世紀せいき以降いこう近代きんだい科学かがく発展はってん細分さいぶんなどにともない、これまで区別くべつ曖昧あいまいであった自然しぜん科学かがく自然しぜん哲学てつがく両者りょうしゃ完全かんぜん分離ぶんりしてかんがえられるようになった。現在げんざいでは自然しぜん科学かがくしょ分野ぶんや知識ちしき包括ほうかつてき全体ぜんたいてきとらえた考察こうさつたいして限定げんていてきもちいられることがあるが、「自然しぜん哲学てつがく」を標榜ひょうぼうする哲学てつがくしゃきわめてすくない。

しかし、これは「自然しぜん哲学てつがく」の消滅しょうめつ、もしくは、哲学てつがく自然しぜん科学かがくとが相反あいはんするものであることをしめすものではない。現在げんざいにおいても自然しぜん科学かがく成果せいかまえるかたちでの哲学てつがくてき考察こうさつおおくの哲学てつがくしゃによっておこなわれており、現在げんざいにおいても両者りょうしゃ親和しんわせいたかい。くわえて、現代げんだい哲学てつがくは、過去かこ哲学てつがく否定ひていするものではない。こうした意味いみでも、現在げんざいでも自然しぜん哲学てつがくきているとかんがえられる。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ファンタジーにえがかれる「魔法まほう」とはことなる。「魔術まじゅつ」は、世界せかいなかまれたむすびつきをまなび、制御せいぎょし、実践じっせんてき目的もくてきのために制御せいぎょすることを目指めざしていた。みぎのキルヒャーの口絵くちえでは、「算術さんじゅつ」と「医学いがく」のあいだかれ、「太陽たいよううヒマワリ」であらわされている。
  2. ^ この図式ずしきは、19世紀せいき後半こうはん考案こうあんされて普及ふきゅうした神話しんわである。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g ローレンス・M・プリンチペ ちょ科学かがく革命かくめい菅谷すがやあきら山田やまだ俊弘としひろ やく丸善まるぜん出版しゅっぱん、2014ねん
  2. ^ a b 自然しぜん哲学てつがく physica; philosophia naturalis」『ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん
  3. ^ Droz, Layna; Chen, Hsun-Mei; Chu, Hung-Tao; Fajrini, Rika; Imbong, Jerry; Jannel, Romaric; Komatsubara, Orika; Lagasca-Hiloma, Concordia Marie A. et al. (2022-05-31). “Exploring the diversity of conceptualizations of nature in East and South-East Asia” (英語えいご). Humanities and Social Sciences Communications 9 (1): 1–12. doi:10.1057/s41599-022-01186-5. ISSN 2662-9992. https://www.nature.com/articles/s41599-022-01186-5. 
  4. ^ 岩波いわなみ哲学てつがく思想しそう 辞典じてん
  5. ^ 八杉やすぎ竜一りゅういち、『進化しんかがく序論じょろん』、(1965)、岩波書店いわなみしょてん、p.29

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 八杉やすぎ竜一りゅういち ちょ進化しんかがく序論じょろん』、岩波書店いわなみしょてん、1965ねん
  • 八杉やすぎ竜一りゅういち ちょ進化しんかろん歴史れきし』、岩波いわなみ新書しんしょ、1969ねん
  • ローレンス・M・プリンチペ ちょ科学かがく革命かくめい菅谷すがやあきら山田やまだ俊弘としひろ やく丸善まるぜん出版しゅっぱん、2014ねん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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