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山口やまぐち英夫ひでお (棋士きし)

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 山口やまぐち英夫ひでお はちだん
名前なまえ 山口やまぐち英夫ひでお
生年月日せいねんがっぴ (1941-09-08) 1941ねん9月8にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (2018-05-20) 2018ねん5がつ20日はつか(76さいぼつ
プロ年月日ねんがっぴ 1964ねん4がつ1にち(22さい
引退いんたい年月日ねんがっぴ 2002ねん3がつ31にち(60さい
棋士きし番号ばんごう 89
出身しゅっしん 広島ひろしまけんくれ
所属しょぞく 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい関東かんとう
師匠ししょう 原田はらだ泰夫やすおきゅうだん
段位だんい はちだん
棋士きしDB 山口やまぐち英夫ひでお
戦績せんせき
一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう回数かいすう 1かい
通算つうさん成績せいせき 390しょう581はい(0.4012)
2018ねん5がつ26にち現在げんざい
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山口やまぐち 英夫ひでお(やまぐち ひでお、1941ねん9月8にち - 2018ねん5がつ20日はつか)は、将棋しょうぎ棋士きし棋士きし番号ばんごう89。広島ひろしまけんくれ出身しゅっしん原田はらだ泰夫やすおきゅうだん門下もんか

1957ねん、5きゅう原田はらだ泰夫やすお九段くだん門下もんかとなり奨励しょうれいかいはいり。1964ねんよんだん。1985ねんななだん。2002ねん3がつまつ引退いんたい。2006ねんはちだん

1970年度ねんどだい1かい新人しんじんおうせん優勝ゆうしょう兄弟きょうだい弟子でしには佐藤さとう庄平しょうへい桜井さくらいのぼる近藤こんどう正和まさかずらがいる。

山口やまぐちと、大内おおうちのべかい高島たかしま弘光ひろみつ西村にしむら一義かずよしとの4めい同年どうねんまれで若手わかて時代じだいから活躍かつやくして「はな昭和しょうわ16ねんぐみ」とばれた[1]

2018ねん5がつ20日はつか死去しきょ。76さいぼつ[2]

棋風きふう

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5すじかない「すぐるちゃんりゅうちゅう飛車ひしゃ」の創案そうあんしゃ弟弟子おとうとでし近藤こんどう正和まさかずゴキゲンちゅう飛車ひしゃ創案そうあんしたこととあわせて、原田はらだ門下もんかなか飛車ひしゃ戦法せんぽうへの貢献こうけんおおきい。

すぐるちゃんりゅうちゅう飛車ひしゃ

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ごま なし
987654321 
こうかつら   きむ かつらこういち
  ぎんきむぎんおうかく 
      さん
    よん
        
    ろく
 かくぎん  なな
     ぎんたま はち
こうかつら きむ きむ かつらこうきゅう

すぐるちゃんりゅうちゅう飛車ひしゃ」とは、山口やまぐちしていたなか飛車ひしゃについた名前なまえで、その骨格こっかくちゅう飛車ひしゃなのに5すじかないことにあった。完全かんぜんに5すじかないですすめるわけではなく、相手あいて様子ようす場合ばあいによっては▲5ろくぎんから6はちなどの活用かつようふくみにしている。山口やまぐちすぐるちゃんりゅうについて「5すじ保留ほりゅうするのが工夫くふう当時とうじ流行りゅうこうしていたたまあたま位取くらいど対抗たいこうするためにかんがえたもの。たとえばで△3は、▲4ななぎんから3はちまわって3目標もくひょうにする。5すじいていないぶんにかけて逆襲ぎゃくしゅうできる」と以下いかのように說明せつめいしていた。またから後手ごて△6よんからの仕掛しかけの場合ばあい▲5ろくぎんや▲4ななぎんとしておいて、以下いか△6に▲どう△7ななかくしげるどうかつら△8ろく▲6よんかく△8ななしげる▲8かくしげる△7ななとに▲5ろくぎん用意よういしている。公式こうしきせんえいちゃんりゅうとして、から△5さんぎんひだり▲7はちきん△4きんじょう▲3ろく△6よん▲4ななぎん△7さんぎん▲3はち△4よん▲3どうどうなど、そで飛車ひしゃ進行しんこうしたれいもある。

人物じんぶつ

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昇段しょうだん履歴りれき

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  • 1957ねん 5きゅう
  • 1960ねん 初段しょだん
  • 1964ねん4がつ1にち よんだんきゅうさんだんリーグがり)=プロ
  • 1967ねん4がつ1にち だん順位じゅんいせんCきゅう1くみ昇級しょうきゅう
  • 1973ねん11月3にち ろくだんおくろくだん
  • 1986ねん2がつ12にち ななだんかちすう規定きてい
  • 2002ねん3がつ31にち 引退いんたいフリークラス規定きてい
  • 2006ねん4がつ1にち はちだん引退いんたい棋士きし規定きてい

おも成績せいせき

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棋戦きせん優勝ゆうしょう

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在籍ざいせきクラス

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順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん在籍ざいせきクラスの年別ねんべつ一覧いちらん
開始かいし
年度ねんど
(出典しゅってん)順位じゅんいせん
出典しゅってん[3]
(出典しゅってん)竜王りゅうおうせん
出典しゅってん[4]
名人めいじん Aきゅう Bきゅう Cきゅう 0 竜王りゅうおう 1くみ 2くみ 3くみ 4くみ 5くみ 6くみ 決勝けっしょう
T
1くみ 2くみ 1くみ 2くみ
1964 19 C212
1965 20 C205
1966 21 C203
1967 22 C112
1968 23 C107
1969 24 C107
1970 25 C109
1971 26 C106
1972 27 C105
1973 28 C107
1974 29 C108
1975 30 B217
1976 主催しゅさいしゃ移行いこう問題もんだいにより中止ちゅうし
1977 36 B211
1978 37 B208
1979 38 B208
1980 39 B218
1981 40 C101
1982 41 C107
1983 42 C114
1984 43 C115
1985 44 C115
1986 45 C115
1987 46 C118 1 4くみ --
1988 47 C122 2 5くみ --
1989 48 C203 3 5くみ --
1990 49 C245 4 5くみ --
1991 50 C248 5 5くみ --
1992 51 C231 6 5くみ --
1993 52 C236 7 6くみ --
1994 53 Fへん 8 6くみ --
1995 54 Fへん 9 6くみ --
1996 55 Fへん 10 6くみ --
1997 56 Fへん 11 6くみ --
1998 57 Fへん 12 6くみ --
1999 58 Fへん 13 6くみ --
2000 59 Fへん 14 6くみ --
2001 60 Fへん 15 6くみ --
順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん わく表記ひょうき 挑戦ちょうせんしゃみぎらん数字すうじかち-はい(ばん勝負しょうぶ/POふくまず)。
順位じゅんいせんみぎ数字すうじはクラスない順位じゅんい ( x当期とうきくだきゅうてん / *累積るいせきくだきゅうてん / +くだきゅうてん消去しょうきょ )
順位じゅんいせんの「Fへん」はフリークラス編入へんにゅう /「Fせん」は宣言せんげんによるフリークラス転出てんしゅつ
竜王りゅうおうせん 太字ふとじ はランキングせん優勝ゆうしょう竜王りゅうおうせんくみ(添字そえじ)棋士きし以外いがいわくでの出場しゅつじょう

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 田丸たまるのぼる運命うんめいいちちゃく』(毎日まいにちコミュニケーションズ)P.75
  2. ^ 訃報ふほう 山口やまぐち英夫ひでおはちだん”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい (2018ねん5がつ25にち). 2018ねん5がつ25にち閲覧えつらん
  3. ^ 名人めいじんせん順位じゅんいせん」『日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい』。
  4. ^ 竜王りゅうおうせん」『日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい』。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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