(Translated by https://www.hiragana.jp/)
菅原洋一 - Wikipedia コンテンツにスキップ

菅原すがわら洋一よういち

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
菅原すがわら 洋一よういち
生誕せいたん (1933-08-21) 1933ねん8がつ21にち(91さい
出身しゅっしん 日本の旗 日本にっぽん兵庫ひょうごけん加古川かこがわ
ジャンル 歌謡かようきょく
職業しょくぎょう 歌手かしゅ
担当たんとう楽器がっき うた
活動かつどう期間きかん 1958ねん[1] -
レーベル ユニバーサルミュージック
事務所じむしょ ミュージック・オフィス合田あいだ
公式こうしきサイト 菅原すがわら洋一よういち

菅原すがわら 洋一よういち(すがわら よういち、1933ねん昭和しょうわ8ねん8がつ21にち - )は、日本にっぽん男性だんせい歌手かしゅ兵庫ひょうごけん加古川かこがわ出身しゅっしん[2]兵庫ひょうご県立けんりつ加古川かこがわひがし高等こうとう学校がっこう卒業そつぎょう国立音楽大学くにたちおんがくだいがく大学院だいがくいん修了しゅうりょう徳間とくまジャパンコミュニケーションズ所属しょぞく所属しょぞく事務所じむしょミュージック・オフィス合田あいだ個人こじん事務所じむしょはスガワラ企画きかく。 2016ねん時点じてんで、株式会社かぶしきがいしゃハイブリッジと業務ぎょうむ提携ていけいしていた[3]

経歴けいれき

[編集へんしゅう]
  • 国立音楽大学くにたちおんがくだいがく卒業そつぎょう1958ねんにタンゴバンド「早川はやかわ真平まっぴらとオルケスタ・ティピカ東京とうきょう」に参加さんかし、歌手かしゅデビューをする[3]
  • 1962ねんポリドールよりレコードデビュー[1]するが、しばらくのあいだはヒットさくめぐまれない不遇ふぐうあじわった[2]
  • 1965ねん小澤おざわ音楽おんがく事務所じむしょ参画さんかくメンバーとなり、所属しょぞくしていた(のち独立どくりつ)。同年どうねん発売はつばいした「りたくないの」(元々もともとは「恋心こいごころ」のBめんきょくだった)が、2ねん1967ねんはいってからヒット。80まんまいえる売上うりあげ記録きろく[4]したことで、一躍いちやく人気にんき歌手かしゅ仲間入なかまいりをたし、同年どうねんNHK紅白こうはく歌合戦うたがっせんにもはつ出場しゅつじょうたす(以降いこう1988ねんまで通算つうさん22かい連続れんぞく紅白こうはく出場しゅつじょう)。このとし、ファースト・リサイタルも開催かいさい[5]
  • 1968ねんに「だれもいない」でだい10かい日本にっぽんレコード大賞たいしょう歌唱かしょうしょう1970ねんには「今日きょうでおわか」のだいヒットによりだい12かい日本にっぽんレコード大賞たいしょう受賞じゅしょうし、実力じつりょくシンガーとして確固かっこたる地位ちい確立かくりつ
  • さらに「あいのフィナーレ」(1970ねん)、「わすれなぐさをあなたに」(1971ねん)、「あいあらし」(1974ねん)などのきょくがヒットした[5]
  • 1969~1970ねんにかけてタンゴの王様おうさま“アルフレッド・ハウゼ楽団がくだん”、カンツォーネの女王じょおう“ミルバ”とレコーディングやステージとう共演きょうえん[1]
  • 人気にんき音楽おんがく番組ばんぐみよるのヒットスタジオ」の司会しかいしゃ前田まえだ武彦たけひこから、菅原すがわら愛嬌あいきょうのあるわらじわ特徴とくちょうてき小判こばんがたまるがおちなんで「3にちまえハンバーグ」という珍妙ちんみょうなニックネームをけられ、以降いこうハンバーグ」という愛称あいしょうかれ代名詞だいめいしてきフレーズとなった。
  • 1970年代ねんだいはいってからは料理りょうり番組ばんぐみ「キッチンパパ」(TBS)の司会しかい担当たんとうするなど、歌手かしゅ以外いがい活動かつどうにも重点じゅうてんくようになった。
  • 1982ねんおな事務所じむしょ所属しょぞくする(当時とうじ)シルヴィアうたった「アマン」がよく1983ねんにかけてヒットし、デュエット・ソングの定番ていばんの1きょくとなった[6]
  • 1985~1989ねんにかけてアルゼンチンを代表だいひょうするタンゴオルケスタ“レオポルド・フェデリコ楽団がくだん”や“ホセ・コランジェロ楽団がくだんとう共演きょうえん絶賛ぜっさんびる[1]
  • 1988ねん歌手かしゅ生活せいかつ30周年しゅうねん記念きねんリサイタルを国内こくない6都市としとロサンゼルスで開催かいさい[1]。ソウルオリンピック前夜祭ぜんやさい日本にっぽん代表だいひょうとして出演しゅつえん[1]
  • 2000年代ねんだいごろからはライフワークともなった最小限さいしょうげんおとかざりで「なま歌声うたごえ生音なまおと演奏えんそう」が中心ちゅうしんの「ニュークラシカルコンサート」を全国ぜんこくクラシックホールを中心ちゅうしん展開てんかいしている[3]
  • 2001ねん5がつに「アルゼンチン建国けんこく記念きねん」をいわい、「タンゴフェスタ2001」を開催かいさい[3]
  • 2006ねんペギぺぎ葉山はやま菅原すがわら洋一よういちコンサート「いい時代じだい いいうた50ねん」を全国ぜんこく開催かいさい[1]
  • 2008ねん歌手かしゅ生活せいかつ50周年しゅうねん記念きねんリサイタルを渋谷しぶやオーチャードホールにて開催かいさい[1]同年どうねん、(しゃ)日本にっぽん歌手かしゅ協会きょうかい常任じょうにん理事りじ就任しゅうにん[5]
  • 2010ねん喜寿きじゅむかえ、「77さい77きょくコンサート」を開催かいさい[5]。また、上記じょうき日本にっぽん歌手かしゅ協会きょうかいレーベルだい1ごう歌手かしゅとして「ビューティフルメモリー」を発売はつばい[1]
  • 2012ねん歌手かしゅ生活せいかつ55ねん記念きねんとして全曲ぜんきょくしん録音ろくおんのベストアルバム「ビューティフルメモリー しんうた~80さいわたしからあなたへ~」発売はつばい以降いこう毎年まいとし「〇〇さいわたしからあなたへ」シリーズのアルバムを発売はつばい[1]
  • 2019ねん文化庁ぶんかちょう長官ちょうかん表彰ひょうしょう[7]
  • 米寿べいじゅぎ、90さいぎても精力せいりょくてき活動かつどうしCDを発表はっぴょう。2ヶ月かげつに1のペースで東京とうきょう上野うえののライブハウスでうたい、地方ちほうでのコンサートも開催かいさいただいち無二むに存在そんざい魅惑みわくされた新規しんきわかいファンもえている。テレビのうた番組ばんぐみへも出演しゅつえんしている[2]

エピソード

[編集へんしゅう]

[編集へんしゅう]

生家せいかは、加古川かこがわ市内しない寺家じけいまち商店しょうてんがいにあったわか松屋まつやという商家しょうかで、乾物かんぶつから棺桶かんおけまであつかっていた。実母じつぼうた上手じょうずひとだったが、菅原すがわらんであいだもないころくなり、物心ぶっしんがつくまえ父親ちちおや再婚さいこん継母けいぼらしはじめた。菅原すがわら子供こどもころ、ラジオからながれる流行りゅうこうおぼえて、従業じゅうぎょういんやす時間じかんいえなかうたっていた。まわりの大人おとなたちに歌声うたごえめられたが、このころとくにプロの歌手かしゅになりたいとはおもっていなかった[2]

じつ小学生しょうがくせいころまで継母けいぼ実母じつぼおもってらしており、中学ちゅうがく1年生ねんせいのある親戚しんせき女性じょせいからまれてすぐに実母じつぼくなった事実じじつらされた[注釈ちゅうしゃく 1]。しかし、ちち義母ぎぼもそんなことを微塵みじんかんじさせずにそだててくれたことから、両親りょうしんにはそれまでとおりの態度たいどせっつづけた[注釈ちゅうしゃく 2]。このころ、ラジオからながれてきた「黄昏たそがれ」というきょくいてしんふるえ、これが菅原すがわらにとってタンゴとの運命うんめいてき出会であいとなった[2]

中学生ちゅうがくせいころからだよわかったこともあり風邪かぜをこじらせて、一時いちじ心臓しんぞう腎臓じんぞうわるくした[2]。しばらく学校がっこう欠席けっせきした影響えいきょう数学すうがく成績せいせきわるくなり、以前いぜんから音楽おんがく興味きょうみがあったこともあいまって、数学すうがくとは無縁むえん音楽おんがくけい大学だいがくへの進学しんがく目指めざすようになる。本人ほんにんによると、田舎町いなかまちだったこともあり音大おんだい受験じゅけんのための学校がっこうがなく、高校こうこう進学しんがく独学どくがく音楽おんがく勉強べんきょうした[2]

志望校しぼうこう国立音楽大学くにたちおんがくだいがくめ、課題かだいである声楽せいがく(『マルタ』というオペラのアリア)と、ピアノきょく乙女おとめいの』を練習れんしゅうした。入試にゅうし当日とうじつ、ピアノ演奏えんそう途中とちゅうまってしまいあきらめかけたが、おもいがけず合格ごうかくした。のち本人ほんにんいたはなしによると、試験しけんかん先生せんせいなかに「声質せいしつはいいし、面白おもしろそうだかられてやろうよ」との意見いけんたことで合格ごうかくになったとのこと[2]

歌手かしゅデビューへ

[編集へんしゅう]

どう大学だいがく声楽せいがく専攻せんこう入学にゅうがくは、せき種子たね[注釈ちゅうしゃく 3]師事しじ[2]本心ほんしんではタンゴをならいたかったが、どう大学だいがくでは当時とうじ軽音楽けいおんがくるい[注釈ちゅうしゃく 4]勉強べんきょうするのが禁止きんしだったため、ひそかにタンゴのレコードをいたり、タンゴ喫茶きっさあししげかようことで欲求よっきゅう不満ふまん解消かいしょうした。また、スペイン(タンゴで有名ゆうめいアルゼンチン言語げんご)とイタリアていることからこれをかくみのに、せきに「イタリア音楽おんがく勉強べんきょうしたい」とげ、イタリア歌曲かきょくやカンツォーネをうたうことでタンゴの下地したじつくった[2]

大学だいがく4年生ねんせいになったころ、まだまだ音楽おんがく勉強べんきょうしたいとのおもいから、国立音楽大学くにたちおんがくだいがく大学院だいがくいん声楽せいがく専攻せんこう進学しんがく[2]。このころからタンゴ喫茶きっさのステージでうたわせてもらったり、後日ごじつせき紹介しょうかいった服部はっとり良一りょういちのコンサートにも出始ではじめる。正式せいしき服部はっとり弟子でしとなったのち、いくつかのレコード会社かいしゃ口利くちききをしてもらうが、なか所属しょぞくさきまらない日々ひびごす[2]

先述せんじゅつのタンゴバンド「早川はやかわ真平まっぴらとオルケスタ・ティピカ東京とうきょう」での歌手かしゅデビューをて、ポリドールからソロ歌手かしゅとしてレコードデビュー[2]。『りたくないの』の発売はつばい札幌さっぽろのダンスホールや銀座ぎんざのクラブホステスのあいだ徐々じょじょ人気にんきはじめ、そのだいヒットにつながった[2]菅原すがわらのちいたはなしでは、所属しょぞくさきから「れない歌手かしゅきみを、このレコードを最後さいごにクビにするつもりだった」とけられ、どうきょくがヒットしたことで契約けいやくられずにんだとのこと[2]

私生活しせいかつ

[編集へんしゅう]

家族かぞくつま菅原すがわら明美あけみ旧姓きゅうせい平井ひらい明美あけみ1962ねん11月17にち東京とうきょう銀座ぎんざ東京とうきょう中小ちゅうしょう企業きぎょう会館かいかんにて菅原すがわら洋一よういち挙式きょしき。)、長女ちょうじょ菅原すがわら歌織かおり[注釈ちゅうしゃく 5]長男ちょうなんのピアニストである菅原すがわら英介えいすけ[注釈ちゅうしゃく 6]

歌織かおりは、成蹊中学校せいけいちゅうがっこう高等こうとう学校がっこうて、成蹊大学せいけいだいがく文学部ぶんがくぶえいべい文学ぶんがく卒業そつぎょう成蹊大学せいけいだいがく在学ざいがくちゅう学生がくせい時代じだいには、フジテレビオールスター家族かぞく対抗たいこう歌合戦うたがっせん」のアシスタント(1984ねん7がつ~1986ねん3がつ)をつとめた。成蹊大学せいけいだいがく卒業そつぎょうソニー入社にゅうしゃ。1993ねん結婚けっこんにソニーを退職たいしょく高瀬たかせせいとなる。

英介えいすけは、おさなころから菅原すがわら影響えいきょうけて音楽おんがく興味きょうみち、高校こうこう卒業そつぎょう単身たんしん渡米とべい現在げんざい(2016ねんごろ)は作業さぎょう療法りょうほうとしてはたらきながら作曲さっきょく演奏えんそう活動かつどうおこなっている[3]ほかにも菅原すがわら演奏えんそうかい共演きょうえんしたり、デュエット・アルバム(アルバムのらん参照さんしょう)を発表はっぴょうしている。

菅原すがわらつまとの出会であいは菅原すがわら歌手かしゅデビューまえにタンゴ喫茶きっさのステージでうたっていたころ、たまたまひとって来店らいてんしたつま(当時とうじ女子大じょしだいせい)としたしくなりその結婚けっこん。ただし菅原すがわられない歌手かしゅだったことから、両家りょうけおやから反対はんたいされたため同然どうぜん結婚けっこんし、しばらくはろくじょういちあいだ部屋へや夫婦ふうふ貧乏びんぼう生活せいかつおくった[2]

ちなみに菅原すがわらせいについて菅原すがわらは、「むかしぼく家族かぞく(父親ちちおやなど)からかされたはなし」として以下いかのように証言しょうげんしている。「菅原すがわらせいは、大昔おおむかし政争せいそうやぶれた菅原すがわら道真みちざね京都きょうとから太宰府だざいふ下向げこうするさい、たまたまうちの先祖せんぞ自宅じたく(現在げんざい加古川かこがわ)で長期間ちょうきかん宿やど提供ていきょうした。旅立たびだまえ道真みちざねおおやけから大変たいへん感謝かんしゃされた先祖せんぞ菅原すがわらせい拝領はいりょうし、それから菅原すがわらせい名乗なのるようになったそうです。本当ほんとうはなしかはからないですけど、とりあえずぼくしんじています」[2]

その

[編集へんしゅう]

生涯しょうがい現役げんえき」をモットーにしている。よわいにより普段ふだんはなごえはかすれることもあるが、本人ほんにんは「うたときは、こえかたちがうため大丈夫だいじょうぶ」としている[2]

趣味しゅみは、写真しゃしん、ドライブ。普通ふつう自動車じどうしゃだい一種いっしゅ免許めんきょと4きゅう小型こがた船舶せんぱく免許めんきょ所有しょゆうしている[3]

ニュークラシカルコンサート

[編集へんしゅう]

ニュークラシカルコンサートとは、円熟味えんじゅくみした菅原すがわらの「歌声うたごえをいかにおたのしみいただくか」にかかわり、えてクラシックスタイルにったコンサート。 最小限さいしょうげんおとかざりで「なま歌声うたごえ生音なまおと演奏えんそう」が中心ちゅうしん菅原すがわら自身じしんもライフワークとかたるこのあたらしいコンサートスタイルを全国ぜんこくクラシックホールを中心ちゅうしん展開てんかいしている。このコンサートのスタジオ録音ろくおんばんというべきアルバムもリリースしている。

  • 菅原すがわら洋一よういち New Classical Concert 〜日本にっぽんうた〜(2005ねん ユニバーサルミュージック)
  • 菅原すがわら洋一よういち New Classical Concert Vol.2 〜世界せかいうた〜(2006ねん ユニバーサルミュージック)
  • 菅原すがわら洋一よういち New Classical Concert Vol.3 〜ちちうた〜(2007ねん ユニバーサルミュージック)

受賞じゅしょう

[編集へんしゅう]
  • 1968ねん - 「だれもいない」で日本にっぽんレコード大賞たいしょう歌唱かしょうしょう受賞じゅしょう
  • 1970ねん - 「今日きょうでおわかれ」で日本にっぽんレコード大賞たいしょう受賞じゅしょう
  • 1975ねん - 「乳母車うばぐるま」で東京とうきょう音楽おんがくさい歌唱かしょうしょう受賞じゅしょう[1]
  • 1977ねん - 「だい11かいリサイタル」で芸術げいじゅつさい参加さんかし、優秀ゆうしゅうしょう受賞じゅしょう[3]
  • 1978ねん - 「歌手かしゅ生活せいかつ20周年しゅうねん記念きねんアルバム」で日本にっぽんレコード大賞たいしょう・20周年しゅうねん記念きねん顕彰けんしょう受賞じゅしょう[1]
  • 1982ねん - アルバム「ホテル~それぞれの人生じんせい」で日本にっぽんレコード大賞たいしょう企画きかくしょう受賞じゅしょう[1]
  • 1992ねん - だい1かい加古川かこがわ市民しみん文化ぶんかしょう受賞じゅしょう[1]
  • 2008ねん - 日本にっぽんレコード大賞たいしょう功労賞こうろうしょう受賞じゅしょう[1]
  • 2018ねん - アルバム「〜うたつづけて60ねん〜 ふりかえればビューティフルメモリー -85さいわたしからあなたへ-」でだい60かい日本にっぽんレコード大賞たいしょう企画きかくしょう受賞じゅしょう[1]
  • 2019ねん - 文化庁ぶんかちょう長官ちょうかん表彰ひょうしょう受賞じゅしょう

おもなヒットきょく・レパートリー

[編集へんしゅう]

シングル

[編集へんしゅう]
  • わか日本にっぽん (1963.7.1臨発:DJ-1370)国民こくみんうた作成さくせい委員いいんかい選定せんてい 国民こくみんうた
    作詞さくし橋本はしもとちくしげる補作ほさく西条さいじょう八十やそ作曲さっきょく飯田いいだ三郎さぶろう編曲へんきょく飯田いいだ三郎さぶろう
  • わかいのちよいつまでも (1963.11月新譜しんぷ:DJ-1400)
    作詞さくし駿河するがあきら/作曲さっきょく早川はやかわ博二ひろじ編曲へんきょく早川はやかわ博二ひろじ
  • むらさきいろひと (1964.3月新譜しんぷ:DJ-1423)
    作詞さくし椿つばき庄二しょうじ作曲さっきょく下村しもむら耕史こうじ編曲へんきょく藤原ふじわら秀行ひでゆき
  • すずかかあめ (1964.5月新譜しんぷ:DJ-1446)
    作詞さくし水木みずきかおる作曲さっきょく藤原ふじわら秀行ひでゆき編曲へんきょく藤原ふじわら秀行ひでゆき
  • あお小径しょうけい (1964.7がつ新譜しんぷ:SDR-1004)
    作詞さくし:/作曲さっきょく:/編曲へんきょく
  • 赤坂あかさかひと (1964.10月新譜しんぷ:SDR-1032)
    作詞さくし高階たかしな茂正しげまさ作曲さっきょく岩崎いわさきひろしやすし編曲へんきょく岩崎いわさきひろしやすし
  • ふたつのハンカチ (1964.11月新譜しんぷ:SDR-1041)−−Bめんきょくで、Aめん丘野おかの美子よしこの「奥様おくさま奥様おくさま奥様おくさま
    作詞さくし:はかままんいとぐち作曲さっきょく早川はやかわ博二ひろじ編曲へんきょく早川はやかわ博二ひろじ
  • 恋心こいごころ (1965.10.5:SDR-1149)
    訳詞やくしなかにしあや作曲さっきょく:エンリコ・マシアス/編曲へんきょく伊部いべ晴美はるみ
  • りたくないの 上記じょうき恋心こいごころ」のBめん
    訳詞やくし:なかにしあや作詞さくし:Howard Barnes/作曲さっきょく:Don Robertson/編曲へんきょく早川はやかわ博二ひろじ
    「I Really Don't Want to Know(たそがれのワルツ)」の日本語にほんごカバー
  • 今日きょうでおわか (1967.3月新譜しんぷ:SDR-1252)
    作詞さくし:なかにしあや作曲さっきょく宇井ういあきら/編曲へんきょく早川はやかわ博二ひろじ
  • 芽生めばえてそして (1967.6.5:SDR-1276)
    作詞さくしえい六輔ろくすけ作曲さっきょく中村なかむら八大やひろ編曲へんきょく早川はやかわ博二ひろじ
  • むらさきいろひと (1967.9.5:SDR-1300)
    作詞さくし椿つばき庄二しょうじ作曲さっきょく下村しもむら耕史こうじ編曲へんきょく早川はやかわ博二ひろじ
  • かないで (1968.1.5:SDR-1320)
    作詞さくし:なかにしあや作曲さっきょく:あべさとし/編曲へんきょく早川はやかわ博二ひろじ
  • だれもいない (1968.4.5:SDR-1338)
    作詞さくし:なかにしあや作曲さっきょくだいろくもと編曲へんきょく早川はやかわ博二ひろじ
  • はなかたらない (1968.9.5:SDR-1374)
    作詞さくし川内かわうち康範やすのり作曲さっきょく曽根そねさいわいあきら編曲へんきょく早川はやかわ博二ひろじ
  • あいのブルース (1968.11.15:SDR-1396)
    作詞さくし:なかにしあや作曲さっきょく鈴木すずき邦彦くにひこ編曲へんきょく森岡もりおか賢一郎けんいちろう
  • みずながして (1968.11.15:SDR-1396)
    作詞さくし水木みずきかおる作曲さっきょく下村しもむら耕史こうじ編曲へんきょく川上かわかみ義彦よしひこ
  • サヨナラ (1969.6.5:SDR-1434)
    作詞さくし水木みずきかおる/作曲さっきょく下村しもむら耕史こうじ編曲へんきょく川上かわかみ義彦よしひこ
  • 潮風しおかぜなか (1969)やなさや:作詞さくし岩谷いわたに時子ときこ作曲さっきょくアルフレッド・ハウゼ編曲へんきょく:アルフレッド・ハウゼ
    アルフレッド・ハウゼ楽団がくだん演奏えんそう
  • 今日きょうでおわか (1969.12.25)−−1967ねんばんとはべつのアレンジ
    作詞さくし:なかにしあや作曲さっきょく宇井ういあきら/編曲へんきょく森岡もりおか賢一郎けんいちろう
  • あいのフィナーレ (1970.8.1)
    作詞さくし:なかにしあや作曲さっきょく宮川みやがわやすし編曲へんきょく小野崎おのざき孝輔こうすけ
  • 希望きぼうをあたえて (1971.9.1)
    作詞さくし:なかにしあや作曲さっきょく:なかにしあや編曲へんきょく
  • わすれなぐさをあなたに (1971.11.10)
    作詞さくし木下きのした龍太郎りゅうたろう作曲さっきょく江口えぐち浩司こうじ編曲へんきょく森岡もりおか賢一郎けんいちろう
  • いのちてるまで (1972)
    作詞さくしかぜこう作曲さっきょく小室こむろひとし編曲へんきょく東海林しょうじおさむ
  • しあわせのかたみ (1973)
    作詞さくし岩谷いわたに時子ときこ作曲さっきょく東海林しょうじおさむ編曲へんきょく東海林しょうじおさむ
  • こいわかみち (1973)
    作詞さくし:なかにしあや作曲さっきょく中島なかじまあんさとし編曲へんきょく
  • あいあらし (1974.12.21)
    作詞さくし岩谷いわたに時子ときこ作曲さっきょく東海林しょうじおさむ編曲へんきょく東海林しょうじおさむ
  • 乳母車うばぐるま (1975)
    作詞さくし阿久あくゆう作曲さっきょく森田もりた公一こういち編曲へんきょく早川はやかわ博二ひろじ
  • むらさきあめ (1977.6)
    作詞さくし岩谷いわたに時子ときこ作曲さっきょく東海林しょうじおさむ編曲へんきょく東海林しょうじおさむ
  • ありがとう さよなら (1979)※デュエットグラシェラ・スサーナ
    作詞さくし山口やまぐち洋子ようこ作曲さっきょく馬飼野まかいの康二こうじ編曲へんきょく馬飼野まかいの康二こうじ
  • 1990ねん (1980)
    訳詞やくし岡田おかだ冨美子とみこ作詞さくし吉屋よしやじゅん作曲さっきょく吉屋よしやじゅん編曲へんきょく前田まえだ憲男のりお
    吉屋よしやじゅんやそのつまだったパティ・キムほかによってうたわれたどう名曲めいきょく日本語にほんごカバーで1990ねん1がつ1にちさい発売はつばい
  • アマン (1982.11)※デュエットシルヴィア
    作詞さくしすぎ紀彦のりひこ作曲さっきょく森田もりた公一こういち編曲へんきょく竜崎りゅうざきたかし
  • よろこびの (1985.9.25)
    作詞さくし片桐かたぎり和子かずこ作曲さっきょく東海林しょうじおさむ編曲へんきょく田中たなか公平こうへい
  • はるあめ (1987.4.25)
    作詞さくし佐藤さとう三樹みきおっと作曲さっきょく佐藤さとう三樹みきおっと編曲へんきょく矢野やの立美たつみ
  • ふうぼん (1989.6.5)
    作詞さくし:なかにしあや作曲さっきょく:なかにしあや編曲へんきょくゆう昭宏あきひろ
  • こいすみれ (1990.11.21)
    作詞さくしすぎ紀彦のりひこ作曲さっきょく三木みきたかし編曲へんきょく若草わかくさめぐみ
  • 白夜はくやしょうきたのおもいで〜  (1992.10.25)
    作詞さくし阿久あくゆう作曲さっきょく森田もりた公一こういち編曲へんきょく若草わかくさめぐみ
  • うみそら(Mar Y Cielo) (1993.9.26)
    作詞さくし:José Luis Rodríguez/作曲さっきょく:José Luis Rodríguez/編曲へんきょく
  • だれくさ (1994.7.25)
    作詞さくしすぎ紀彦のりひこ作曲さっきょく四方よも章人あきひと編曲へんきょく矢野やの立美たつみ
  • ゆめいだかれて (1997.6.25)
    作詞さくし岡田おかだ冨美子とみこ作曲さっきょく井上いのうえ大輔だいすけ編曲へんきょく渡辺わたなべ俊幸としゆき
  • アマンII (2003.10.22)※デュエットえんまり
    作詞さくしすぎ紀彦のりひこ作曲さっきょく森田もりた公一こういち編曲へんきょく川口かわぐちしん
  • ありがとうごめんね (2007.2.21)
    作詞さくし山崎やまざきハコ作曲さっきょく国吉くによし良一りょういち編曲へんきょく国吉くによし良一りょういち
  • ビューティフルメモリー (2010.10.6)
    作詞さくし:なかにしあや作曲さっきょく編曲へんきょく菅原すがわら英介えいすけ[注釈ちゅうしゃく 7]
  • しあわせへの言葉ことばとつぐおまえに〜 (2012.1.25)※デュエットはま久美子くみこ
    作詞さくし:E.Macias/作曲さっきょく加藤かとうおさむしげる編曲へんきょく美野みの春樹はるき
  • うたよ…あなたがたから〜シングルバージョン[注釈ちゅうしゃく 8] (2021.8.18)
    作詞さくしよし幾三いくぞう作曲さっきょくよし幾三いくぞう編曲へんきょく大貫おおぬき祐一郎ゆういちろう

レパートリー

[編集へんしゅう]

アルバム

[編集へんしゅう]

オリジナル・アルバム

[編集へんしゅう]
まい 発売はつばい タイトル 備考びこう規格きかく品番ひんばん
日本にっぽんのポリドール
1st 1967ねん りたくないの SLJM-1374
2nd 1969ねん しろはなくころ SMR-3042
3rd 1970ねん あいのフィナーレ SMR-3132
4th 1970ねん かげしたいて MR-3157
5th 1971ねん9がつ1にち 希望きぼうをあたえて MR-2202
6th 1973ねん9がつ25にち 人生じんせい MR-2239
7th 1978ねん4がつ1にち あいそのなかわたしをおいて MR-3109
8th 1978ねん 青春せいしゅん抒情じょじょう MR-3137
9th 1979ねん6がつ10日とおか デュエット だいいちしゅう
10th 1979ねん デュエット だいしゅう
  • MR-3202
  • グラシェラ・スサーナとのデュエット・アルバム
11th 1981ねん あいのモノローグ 28MX-1067
12th 1983ねん3がつ16にち ホテル〜それぞれの人生じんせい
  • 28MX-1098
  • 日本にっぽんレコード大賞たいしょう企画きかくしょう受賞じゅしょう
13th 1987ねん4がつ25にち ジュ・テーム 28MX-1265
14th 1990ねん10がつ21にち はなとたはむれ POCH-1033
15th 1998ねん5がつ8にち うたたね 歌手かしゅ生活せいかつ40周年しゅうねん記念きねんアルバム(叙情じょじょうしゅう[5])
16th 2001ねん 初恋はつこい [1]
17th 2005ねん7がつ6にち ニュークラシカルコンサート日本にっぽんうた ニュークラシカルコンサートシリーズだい1だん[注釈ちゅうしゃく 10]
18th 2006ねん7がつ5にち ニュークラシカルコンサート世界せかいうた ニュークラシカルコンサートシリーズだい2だん
19th 2007ねん7がつ4にち ニュークラシカルコンサートVol.3ちちうた ニュークラシカルコンサートシリーズだい3だん[注釈ちゅうしゃく 11]
20th 2007ねん12月6にち スーパー・コレクション〜AMOR(アモール)/初恋はつこい 2まいぐみ
21st 2008ねん タンゴコラソン〜バラードのように〜 歌手かしゅ生活せいかつ50周年しゅうねん記念きねんアルバム[1]
22nd 2008ねん 独唱どくしょう(バラードしゅう [1]

ベスト・アルバム

[編集へんしゅう]
発売はつばい タイトル 備考びこう規格きかく品番ひんばん
2003ねん10がつ15にち 歌人かじん(うたびと)〜Singer〜 歌手かしゅ生活せいかつ45周年しゅうねん記念きねんベストアルバム
2009ねん1がつ28にち ひとひらのゆき 歌手かしゅ生活せいかつ50周年しゅうねん記念きねんベストアルバム
2019ねん10がつ2にち[注釈ちゅうしゃく 12] 文化庁ぶんかちょう長官ちょうかん表彰ひょうしょう受賞じゅしょう記念きねん究極きゅうきょくベスト

80さいわたしからあなたへシリーズ

[編集へんしゅう]
  • ビューティフルメモリー〜しんうた〜 -80さいわたしからあなたへ-(2012.9.5)(歌手かしゅ生活せいかつ55周年しゅうねん記念きねんベストアルバム)[注釈ちゅうしゃく 13]
  • タンゴの世界せかい〜ビューティフル・メモリー〜 -80さいわたしからあなたへ 2-(2014.3.5)[注釈ちゅうしゃく 14]
  • ピアノとうたあい(うた) -81さいわたしからあなたへ-(2015.4.8)[注釈ちゅうしゃく 15]
  • わたしのこころにのこうた -82さいわたしからあなたへ-(2016.5.18)
  • 息子むすこうたおもうた -83さいわたしからあなたへ-(2017.7.26)[注釈ちゅうしゃく 16]
  • 童謡どうよう誕生たんじょう100ねん大人おとなのための子守こもりうた -84さいわたしからあなたへ-(2018.4.4)(歌手かしゅ生活せいかつ60周年しゅうねん記念きねんアルバム)
  • うたつづけて60ねん〜 ふりかえればビューティフルメモリー -85さいわたしからあなたへ-(2018.10.3)[注釈ちゅうしゃく 17]
  • なごみ -86さいわたしからあなたへ-(2019.10.2)[注釈ちゅうしゃく 18]
  • なごみⅡ -87さいわたしからあなたへ-(2020.9.2)

NHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん出場しゅつじょうれき

[編集へんしゅう]

菅原すがわらは1988ねんだい39かいまで、連続れんぞく22かい出場しゅつじょう。そのとしにヒット、または話題わだいになった洋楽ようがくなどを披露ひろうすることがおおくあった。

年度ねんど/放送ほうそうかい かい 曲目きょくもく 出演しゅつえんじゅん 対戦たいせん相手あいて 備考びこう
1967ねん昭和しょうわ42ねん)/だい18かい はつ りたくないの 10/23 伊東いとうゆかり(1)
1968ねん昭和しょうわ43ねん)/だい19かい 2 奥様おくさまをどうぞ 10/23 九重ここのえたすく三子みつご
1969ねん昭和しょうわ44ねん)/だい20かい 3 潮風しおかぜなか 09/23 伊東いとうゆかり(2)
1970ねん昭和しょうわ45ねん)/だい21かい 4 今日きょうでおわか 22/24 伊東いとうゆかり(3)
1971ねん昭和しょうわ46ねん)/だい22かい 5 わすれなぐさをあなたに 12/25 由紀ゆきさおり
1972ねん昭和しょうわ47ねん)/だい23かい 6 りたくないの(2かい 13/23 森山もりやま良子りょうこ
1973ねん昭和しょうわ48ねん)/だい24かい 7 今日きょうでおわかれ(2かい 08/22 八代やしろ亜紀あき
1974ねん昭和しょうわ49ねん)/だい25かい 8 ケ・サラ 09/25 もり昌子まさこ
1975ねん昭和しょうわ50ねん)/だい26かい 9 あいあらし 13/24 伊東いとうゆかり(4)
1976ねん昭和しょうわ51ねん)/だい27かい 10 よるのタンゴ 10/24 あずさみちよ
1977ねん昭和しょうわ52ねん)/だい28かい 11 奥様おくさまをどうぞ(2かい 09/24 佐良さら直美なおみ(1)
1978ねん昭和しょうわ53ねん)/だい29かい 12 恋歌こいうた 16/24 西川にしかわ峰子みねこ
1979ねん昭和しょうわ54ねん)/だい30かい 13 りたくないの(3かい 16/23 佐良さら直美なおみ(2)
1980ねん昭和しょうわ55ねん)/だい31かい 14 ラ・クンパルシータ 16/23 金沢かなざわ明子あきこ
1981ねん昭和しょうわ56ねん)/だい32かい 15 慕情ぼじょう 08/22 小柳こやなぎルミ子るみこ(1)
1982ねん昭和しょうわ57ねん)/だい33かい 16 あい讃歌さんか 08/22 けんナオコ(1)
1983ねん昭和しょうわ58ねん)/だい34かい 17 アマン(シルヴィアとのデュエット) 18/21 けんナオコ(2)
1984ねん昭和しょうわ59ねん)/だい35かい 18 わすれなぐさをあなたに(2かい 15/20 岩崎いわさき宏美ひろみ
1985ねん昭和しょうわ60ねん)/だい36かい 19 よろこびの 11/20 早見はやみゆう
1986ねん昭和しょうわ61ねん)/だい37かい 20 小雨こさめみち 12/20 和田わだアキ子あきこ
1987ねん昭和しょうわ62ねん)/だい38かい 21 ラ・バンバ 15/20 小柳こやなぎルミ子るみこ(2)
1988ねん昭和しょうわ63ねん)/だい39かい 22 ラ・クンパルシータ(2かい 17/21 小柳こやなぎルミ子るみこ(3)
(注意ちゅういてん)
  • 対戦たいせん相手あいて歌手かしゅめいの( )ない数字すうじは、その歌手かしゅとの対戦たいせん回数かいすう備考びこうのトリとうつぎにある( )はトリとうつとめた回数かいすうあらわす。
  • 曲名きょくめいのちの(○かい)は、紅白こうはく披露ひろうされた回数かいすうあらわす。
  • 出演しゅつえんじゅんは「(出演しゅつえんじゅん) / (出場しゅつじょうしゃすう)」であらわす。

おも出演しゅつえん歌手かしゅとしての出演しゅつえんのぞく)

[編集へんしゅう]

番組ばんぐみ

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ 本人ほんにん後年こうねん、「あたまなかしろになるほど衝撃しょうげきで、“いままで一緒いっしょらしてきたおかあさんは継母けいぼだったのか”とりショックだった」と回想かいそうしている。
  2. ^ 「そのちち義母ぎぼは、ぼく事実じじつったことにづいてなかったとおもいます」とかたっている[2]
  3. ^ 菅原すがわらによると、せきせんもんはドイツ歌曲かきょくだがポピュラー音楽おんがくうたっており、わかころにレコード『あめはな』を発表はっぴょうしている。
  4. ^ 菅原すがわらによると、どう大学だいがくではクラシック音楽おんがく以外いがいのポピュラー全般ぜんぱん軽音楽けいおんがくあつかいされていたという。
  5. ^ (すがわら かおり、本名ほんみょう香織かおり本名ほんみょう高瀬たかせ香織かおり旧姓きゅうせい菅原すがわら)。1964ねん7がつ7にち - )
  6. ^ (すがわら えいすけ、1970ねん5月17にち - )
  7. ^ 菅原すがわら実子じっし
  8. ^ 米寿べいじゅ記念きねんシングル
  9. ^ アルバム「歌人かじん〜Singer〜」収録しゅうろくきょく
  10. ^ ニュークラシカルコンサートの内容ないようをそのままスタジオ録音ろくおんしたアルバム。
  11. ^ 息子むすこ菅原すがわら英介えいすけをゲストピアニストにむかえたアルバム[5]
  12. ^ 下記かきアルバム「なごみ」と同時どうじ発売はつばい[1]
  13. ^ 全曲ぜんきょくしん録音ろくおんによる[5]
  14. ^ 菅原すがわらみずからがセレクトしたベストアルバム[1]
  15. ^ 全編ぜんぺんピアノのみの演奏えんそうで、うた同時どうじ録音ろくおんした[1]
  16. ^ 息子むすこ菅原すがわら英介えいすけとのデュエット・アルバム。
  17. ^ だい60かい かがやく!日本にっぽんレコード大賞たいしょう企画きかくしょう受賞じゅしょう
  18. ^ 上記じょうきアルバム「~文化庁ぶんかちょう長官ちょうかん表彰ひょうしょう受賞じゅしょう記念きねん究極きゅうきょくベスト」と同時どうじ発売はつばい[1]

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 菅原すがわら洋一よういちプロフィール”. 徳間とくまジャパンコミュニケーションズのウェブサイト. 2022ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 週刊文春しゅうかんぶんしゅん2022ねん3がつ24にちごう阿川あがわ佐和子さわこの「このひといたい」だい1386かい菅原すがわら洋一よういちp114-119
  3. ^ a b c d e f g 業務ぎょうむ提携ていけいアーティスト・菅原すがわら洋一よういちプロフィール”. 株式会社かぶしきがいしゃハイブリッジのウェブサイト. 2022ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  4. ^ 読売新聞社よみうりしんぶんしゃ文化ぶんか『このうたこの歌手かしゅうえ運命うんめいのドラマ120』社会しゃかい思想しそうしゃ、1997ねん、140ぺーじISBN 4390116010
  5. ^ a b c d e f g 本人ほんにんプロフィール”. ミュージックオフィス合田ごうたのウェブサイト. 2022ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  6. ^ 「アマン」ともにうたった菅原すがわら洋一よういち、シルヴィアさんをしの”. zakzak (2010ねん11月30にち). 2022ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  7. ^ 平成へいせい30年度ねんど文化庁ぶんかちょう長官ちょうかん表彰ひょうしょう名簿めいぼ

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]