(Translated by https://www.hiragana.jp/)
董仲舒 - Wikipedia コンテンツにスキップ

ただしなか

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ただしなか舒像

ただし なか(とう ちゅうじょ、紀元前きげんぜん176ねん? - 紀元前きげんぜん104ねん?)は、前漢ぜんかん儒学じゅがくしゃ・『春秋しゅんじゅう学者がくしゃ広川ひろかわこくひと儒家じゅか思想しそう国家こっか教学きょうがくとすることを献策けんさくした人物じんぶつ。その思想しそう最大さいだい特徴とくちょうは「わざわい異説いせつ」。

生涯しょうがい

[編集へんしゅう]

春秋しゅんじゅうがく一派いっぱであるおおやけひつじがくおさめ、けいみかど博士はかせになる。たけみかどたてはじめ元年がんねんった賢良けんりょう対策たいさくなかで、儒家じゅか以外いがい諸子しょしひゃくいえ排斥はいせきして儒学じゅがく国家こっか教学きょうがくとしてえるよう献策けんさくし、嘉納かのうされる。以降いこう政治せいじてき重要じゅうよう地位ちいるためには儒学じゅがくてき教養きょうようにつけることが、必須ひっすとなる。また、ぐんこくふとしがくくことを上奏じょうそうし、結果けっか五経ごきょう博士はかせかれ、博士はかせがそれぞれの専門せんもんとする経学けいがく教授きょうじゅすることとなった、とつたえられる(ただし、五経ごきょうすべての専門せんもんがそろうのは、たけみかど以降いこう時代じだいかんがえられる)。

春秋しゅんじゅう』の内奥ないおう探求たんきゅうし、陰陽いんようせつ融合ゆうごうさせてわざわい思想しそう展開てんかいした。しかしけんもと6ねん紀元前きげんぜん136ねん)、遼東りゃおとんだかびょうである高園たかぞの便殿びんでんこったわざわいこと原因げんいん推察すいさつした未定みてい上奏じょうそうぶん草稿そうこうしゅちちによって流出りゅうしゅつし、たけみかどれる。たけみかど儒者じゅしゃを招して意見いけんもとめたさいただしなか舒の弟子でしりょ舒がぶんらずに痛烈つうれつ批判ひはんする。それによりただしなか舒はのちゆるされるもののあやうく死罪しざいしょされそうになり、以後いごわざわいこと二度にどくちにしなかったとつたえられる。また、おなじ『春秋しゅんじゅう学者がくしゃ公孫こうそんひろし讒言ざんげんで、にかわ西国さいこく左遷させんされるなど、その平生へいぜい不遇ふぐうであった。「不遇ふぐう」という現在げんざいつたわっている。晩年ばんねん官職かんしょくし、学究がっきゅう専念せんねんしてらした。

清廉せいれん潔白けっぱく人柄ひとがらで、とくたかく、ただ学問がくもん究理きゅうりにのみ人生じんせいついやした。博士はかせ時代じだい部屋へやとばりろして講義こうぎおこない、3ねんあいだにわあらわれなかったという。弟子でしかず非常ひじょうおおく、新参しんざんしゃ弟子でしは、兄弟子あにでしから講義こうぎけ、であるただしなか舒のかおらないものまでいた。司馬しばもまた、ただしなか舒からおしえをけているとされる。

著作ちょさく

[編集へんしゅう]

もっとはや記録きろくによれば、著作ちょさくとして『ただしなかひゃくじゅうさんへん』、『聞挙』『玉杯ぎょくはい』『しげる』『清明せいめい』『竹林ちくりん複数ふくすうじゅうへん、『おおやけひつじただしなか舒治ごくじゅうろくへん』がげられている。

ただしなかひゃくじゅうさんへん』は、ただしなか舒のうえ疏・教条きょうじょうまとめたものである(『漢書かんしょただしなか舒伝に収録しゅうろくされる「賢良けんりょう対策たいさく」は、おそらく『ただしなかひゃくじゅうさんへん』の一部いちぶであった)。『聞挙』『玉杯ぎょくはい』『しげる』『清明せいめい』『竹林ちくりん複数ふくすうじゅうへんは、おもに『春秋しゅんじゅう』の得失とくしつべたもの。『おおやけひつじただしなか舒治ごくじゅうろくへん』は、『おおやけひつじ春秋しゅんじゅう』の精神せいしんのっとって現実げんじつこった事件じけん断罪だんざいした、裁判さいばん記録きろくしゅうである。

ただし以上いじょうは、完全かんぜんかたちではつたわっていない。現在げんざいは『春秋しゅんじゅうしげる』という書物しょもつが、ただしなか舒の著作ちょさくとしてつたえられている。『春秋しゅんじゅうしげる』は時代じだいとともに散逸さんいつしつつあったただしなか舒の著作ちょさくを、六朝りくちょう時代じだいたりに何者なにものかがさい編集へんしゅうしたもの、とかんがえられる。そのなか、『おおやけひつじただしなか舒治ごくじゅうろくへん』だけは『春秋しゅんじゅうしげる』には収録しゅうろくされなかったらしく、現在げんざい書物しょもつ引用いんようとして、すうじょう保存ほぞんされているのみである。

逸話いつわ

[編集へんしゅう]

ただしなか舒があるにちちょうろして弟子でし講義こうぎをしていると一人ひとりきゃくたずねてきた。舒はそのきゃく普通ふつう人間にんげんではないとった。しかもきゃくが「あめになりそうだ」というので舒が「『きょふう予知よち穴居けっきょあめ予知よちする』というがさてはきみはキツネかタヌキ、さもなければハツカネズミだな」とからかった。するとそのきゃく古狸ふるだぬき姿すがたえたのであった[1]

日本語にほんご文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ たからちょ 竹田たけだあきらやくさがせかみ』(初版しょはん平凡社へいぼんしゃ、1992ねん1がつ、344ぺーじISBN 9784582763225 

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]