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近代きんだい将棋しょうぎ

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近代きんだい将棋しょうぎ』(きんだいしょうぎ)は、将棋しょうぎせんもん月刊げっかんナイタイ出版しゅっぱん発行はっこう。2008ねん6がつごう休刊きゅうかん

りゃく

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  • 1950ねんもと奨励しょうれいかいいんでアマチュア強豪きょうごう永井ながい英明ひであき編集へんしゅうちょうとして創刊そうかん。「近代きんだい将棋しょうぎしゃ」から刊行かんこう
  • 1994ねん雑誌ざっし将棋しょうぎジャーナル」の廃刊はいかんけて、一部いちぶのコーナーを吸収きゅうしゅうし、アマチュア将棋しょうぎ情報じょうほう充実じゅうじつさせる。
  • 1997ねん経営けいえい危機ききとなり、執筆しっぴつしゃだんおにろく紹介しょうかいで、ナイタイ・グループの圓山まるやま政則まさのりがスポンサーに。
  • 2008ねん雑誌ざっし慢性まんせい赤字あかじうえ執筆しっぴつしゃへの原稿げんこうりょうはらおくれが問題もんだいとなる。「原稿げんこうりょうなしでもいてもらえる執筆しっぴつしゃのみの雑誌ざっし」で継続けいぞく検討けんとうしていたが、従来じゅうらい印刷所いんさつしょからの印刷いんさつ拒否きょひもあり、5がつごうからは発売はつばい変更へんこう延期えんきされた。つづく6がつごう誌上しじょうで「休刊きゅうかん」が宣言せんげんされた。
  • 2009ねん8がつ4にち、ナイタイ出版しゅっぱん破産はさん負債ふさいがくは2008ねん5がつ期末きまつ時点じてんやく20おく9100まんえん[1]

紙面しめん

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初心者しょしんしゃからきゅうしゃおも購読こうどくターゲットとしており、プロ棋戦きせん情報じょうほうだけでなく、戦術せんじゅつ解説かいせつ講座こうざ棋士きしへのインタビュー、将棋しょうぎ関係かんけいのコラムなども多数たすう連載れんさいしていた。

また、廃刊はいかんとなった日本にっぽんアマチュア将棋しょうぎ連盟れんめい機関きかん将棋しょうぎジャーナル」を吸収きゅうしゅうしたこともあり、アマチュア将棋しょうぎ紹介しょうかいさかんにおこなわれていた。

詰将棋つめしょうぎきゅうしゃけの簡単かんたんなもの(講座こうざてき要素ようそつよい、解答かいとうはそのごう掲載けいさい)と、詰将棋つめしょうぎファンけの難解なんかいなもの(芸術げいじゅつてき要素ようそつよい、解答かいとう翌月よくげつごう掲載けいさい)のそれぞれのコーナーをっており、とくに後者こうしゃは「塚田つかだしょう」の選考せんこうねていた。

インターネット対局たいきょくサイト「近代きんだい将棋しょうぎ道場どうじょう」でおこなわれるきんしょうカップや本気ほんき一番いちばん勝負しょうぶなどの棋戦きせん情報じょうほう掲載けいさいされた。

近代きんだい将棋しょうぎ道場どうじょう

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近代きんだい将棋しょうぎ道場どうじょう(きんだいしょうぎどうじょう)は、かつてインターネットうえネットワーク対戦たいせんにより将棋しょうぎおこなえるサイトだった。2009ねん8がつ31にち休止きゅうし[2]

特徴とくちょうとしてレーティング利用りようしただんきゅう認定にんていとアマチュアプロ不問ふもんどういち土俵どひょうでの対戦たいせんおこなわれていた。 類似るいじ企画きかくである将棋しょうぎ倶楽部くらぶ24根本こんぽんてきなシステムを同一どういつにしているが、以下いかのような相違そういてんがあった。

  • 実名じつめいでの対局たいきょく基本きほんとしていること
  • (ただし新宿しんじゅく道場どうじょうのぞく/近代きんだい将棋しょうぎ大会たいかい会場かいじょうのI-D)
  • (コンピューターソフトウェア-のボナンザをのぞく)
  • 将棋しょうぎ雑誌ざっしである近代きんだい将棋しょうぎをバックにしていること
  • 将棋しょうぎソフト使用しよう厳禁げんきん使つかった場合ばあいアクセス禁止きんしとなる)

システム

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対局たいきょく方法ほうほう、レーティングシステム、棋力きりょくについてのかんがかたなどすべて将棋しょうぎ倶楽部くらぶ24にじゅんずる。匿名とくめいでないというところがあるためプレイヤーのかず将棋しょうぎ倶楽部くらぶ24よりはすくなめ。会員かいいんすうやく25000にんだった。

2007ねん6がつ点数てんすう上方かみがた修正しゅうせいされた。 それまで問題もんだいとならなかった2600てん問題もんだい発生はっせい。 2600てん以上いじょうは400てん以上いじょうひく相手あいてとの対局たいきょく数字すうじにならない。 そのため近代きんだい将棋しょうぎ全国ぜんこく順位じゅんい掲載けいさいされない強豪きょうごうもいた。

イベント・タイトル

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きんしょうカップ

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近代きんだい将棋しょうぎ道場どうじょうのページないおこなわれたプロアマこん合戦かっせん参加さんか選手せんしゅろくだん以下いかのプロ棋士きし女流じょりゅう棋士きし奨励しょうれいかいさんだん、アマチュアタイトルホルダー、きんしょう順位じゅんいせん上位じょうい選手せんしゅ多岐たきにわたる。時間じかん30ふんれたら1ふんおこなわれるトーナメントせん

2003ねんから3かいおこなわれ、2005ねん終了しゅうりょうした。各回かくかい決勝けっしょうせん結果けっか以下いかとおり(ひだり勝者しょうしゃとし決勝けっしょう時点じてん)。

  1. 2003ねん渡辺わたなべあきら - 北浜きたはま健介けんすけ
  2. 2004ねん渡辺わたなべあきら - 杉本すぎもと昌隆まさたか
  3. 2005ねん宮田みやた敦史あつし - 野月のづきひろしたか

優勝ゆうしょうしゃには現金げんきん100まんえんおくられ、次回じかい名人めいじんせんへのタイトル挑戦ちょうせんけんられる。

きんしょう順位じゅんいせん

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棋力きりょく(レーティング)ごとに割付わりつけされたメンバーがリーグせんおこなう。さい上位じょういリーグである1くみ上位じょうい5めいにはきんしょうカップへの出場しゅつじょうけんあたえられた。

本気ほんき一番いちばん勝負しょうぶ

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プロ、女流じょりゅう棋士きし将棋しょうぎ関係かんけい著名ちょめいアマ(小滝こたきもとやすし名人めいじん中野なかの隆義たかよし近代きんだい将棋しょうぎ編集へんしゅうちょう弦巻つるまきまさるカメラマン、湯川ゆかわ恵子けいこ観戦かんせん記者きしゃとうとう挑戦ちょうせんしゃける企画きかく

本気ほんき一番いちばん勝負しょうぶ対戦たいせん相手あいてスケジュール、およびもうけんはインターネットでのもうみではなく近代きんだい将棋しょうぎ掲載けいさいされる、もうけん近代きんだい将棋しょうぎ道場どうじょうだんきゅう、および希望きぼう手合てあいを往復おうふくはがきにて送信そうしんすることによって対局たいきょく実現じつげんした。

名人めいじんせん

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1951ねんからつづくアマチュア棋戦きせんであり、近代きんだい将棋しょうぎしゃ主催しゅさいしていた。

連載れんさいなど

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脚注きゃくちゅう

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外部がいぶリンク

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