ギリシャ ピュロス の粘土 ねんど 板 ばん 。最 もっと も初期 しょき のラビリンスの例 れい
迷宮 めいきゅう (めいきゅう、英 えい : Labyrinth , 希 まれ : Λαβύρινθος )とは、一般 いっぱん 的 てき には部屋 へや や通路 つうろ が入 い り組 く んだ迷路 めいろ のような建築 けんちく 物 もの や構造 こうぞう 物 ぶつ のことを指 さ すが、厳密 げんみつ にはクレタ型 がた 迷宮 めいきゅう に代表 だいひょう されるような、分岐 ぶんき のない秩序 ちつじょ だった一本 いっぽん 道 どう であり、迷路 めいろ とは対照 たいしょう 的 てき な特徴 とくちょう を持 も った図形 ずけい を指 さ す。
この記事 きじ ではLabyrinthの和訳 わやく としての迷宮 めいきゅう について解説 かいせつ する。
神話 しんわ ・伝説 でんせつ と迷宮 めいきゅう [ 編集 へんしゅう ]
クノッソスの迷宮 めいきゅう 図 ず (クレタ型 がた 迷宮 めいきゅう )
フランクフルト・アム・マイン・ボルンハイムの聖 せい 十字架 じゅうじか 教会 きょうかい でのリンブルク教区 きょうく のクリスチャン・メディテーションとスピリチュアリティのためのセンターで、2500の燃 も えるティーライトで作 つく られたクレタ・スタイルのアドベント・ラビリンス
ギリシア神話 しんわ ではミーノータウロス が閉 と じこめられた場所 ばしょ とされている。クレタ島 とう のクノッソス の迷宮 めいきゅう が世界 せかい 最古 さいこ のものと思 おも われる。この迷宮 めいきゅう の紋章 もんしょう である、両刃 りょうば の斧 おの (labrys )が、ラビリンス (Labyrinth)の語源 ごげん となったとする説 せつ がある。迷宮 めいきゅう の設計 せっけい 図 ず はクノッソスの貨幣 かへい の意匠 いしょう にもなったが、実 じつ は分岐 ぶんき のない極 きょく く単純 たんじゅん な迷路 めいろ であった。
古代 こだい エジプト には紀元前 きげんぜん 2000年 ねん 頃 ころ に作 つく られた「エジプトのラビリンス」と呼 よ ばれる迷宮 めいきゅう の伝説 でんせつ がある[1] 。大 だい プリニウス はエジプトのラビリンスを手本 てほん にしてクノッソスの迷宮 めいきゅう は作 つく られたと推測 すいそく し、ヘロドトス は実際 じっさい にエジプトのラビリンスに赴 おもむ いた時 とき に見 み た内部 ないぶ の状況 じょうきょう を記録 きろく している。エジプトのラビリンスはローマ軍 ぐん によって破壊 はかい され、遺跡 いせき の上 うえ に街 まち が作 つく られたとされているが、正確 せいかく な場所 ばしょ は不明 ふめい である。ファイユーム にあるアメンエムハト3世 せい のピラミッドに隣接 りんせつ する神殿 しんでん を、エジプトのラビリンスの一部 いちぶ と考 かんが える学者 がくしゃ も多 おお い。
外部 がいぶ への開口 かいこう 部 ぶ からゴールへと至 いた る小路 こうじ によって形成 けいせい される円形 えんけい もしくは矩形 くけい の幾何 きか 学 がく 図形 ずけい 群 ぐん が迷宮 めいきゅう (Labyrinth)と呼 よ ばれている。対 たい して、迷路 めいろ (maze)は途中 とちゅう に現 あらわ れる分岐 ぶんき や袋小路 ふくろこうじ を克服 こくふく してゴールに至 いた る遊戯 ゆうぎ 性 せい の強 つよ い構造 こうぞう を持 も つ図形 ずけい となっており、迷路 めいろ と迷宮 めいきゅう は曖昧 あいまい に区別 くべつ されて使 つか われているが本質 ほんしつ 的 てき に別物 べつもの である[2] 。
Hermann Kernは、古典 こてん 的 てき な迷宮 めいきゅう の特徴 とくちょう を以下 いか のように列挙 れっきょ している[2] 。
通路 つうろ は交差 こうさ しない。
一本 いっぽん 道 どう であり、道 みち の選択肢 せんたくし はない。
通路 つうろ は振 ふ り子 こ 状 じょう に方向 ほうこう 転換 てんかん をする。
迷宮 めいきゅう 内 ない には余 あま さず通路 つうろ が通 とお され、迷宮 めいきゅう を抜 ぬ けようとすればその内部 ないぶ 空間 くうかん をすべて通 とお ることになる。
中心 ちゅうしん のそばを繰 く り返 かえ し通 とお る。
必然 ひつぜん 的 てき に中心 ちゅうしん に至 いた る。
中心 ちゅうしん から脱出 だっしゅつ する際 さい 、行 い きと同 おな じ道 どう を再 ふたた び通 とお らなければならない。
このように本来 ほんらい の迷宮 めいきゅう の構造 こうぞう は秩序 ちつじょ だったものであり、古典 こてん 的 てき な迷宮 めいきゅう 図像 ずぞう には迷 まよ う要素 ようそ は無 な い[2] 。
ロ ろ ーマ帝国 まていこく 時代 じだい から迷宮 めいきゅう と迷路 めいろ を混同 こんどう するような文献 ぶんけん が数多 かずおお く見 み られ、紀元前 きげんぜん 1世紀 せいき から1世紀 せいき ごろに迷宮 めいきゅう が迷路 めいろ 的 てき なイメージとして定着 ていちゃく されたと考 かんが えられている[要 よう ページ番号 ばんごう ] 。
新 しん 石器 せっき 時代 じだい から世界 せかい の各地 かくち で迷宮 めいきゅう 図形 ずけい は描 えが かれており、クレタ型 がた 迷宮 めいきゅう は古典 こてん 的 てき 迷宮 めいきゅう の特徴 とくちょう を兼 か ね揃 ぞろ えた代表 だいひょう 的 てき なものである。
『迷路 めいろ 研究 けんきゅう 』を著 あらわ したカール・ケレイニーによれば、迷宮 めいきゅう 図形 ずけい は螺旋 らせん 模様 もよう が発展 はってん したものであり、螺旋 らせん や迷宮 めいきゅう 図形 ずけい は地下 ちか 世界 せかい の地図 ちず であり、死 し の象徴 しょうちょう であるといい、古代 こだい 人 じん にとって、迷宮 めいきゅう に入 はい ることは死 し を意味 いみ し、迷宮 めいきゅう から出 で ることは転生 てんせい を意味 いみ するという。
古代 こだい から現代 げんだい に至 いた るまで、迷宮 めいきゅう は様々 さまざま な場面 ばめん で実用 じつよう 的 てき に用 もち いられた。古代 こだい エジプトなどの防御 ぼうぎょ 施設 しせつ では、中央 ちゅうおう 部 ぶ に接近 せっきん するためには一本 いっぽん 道 どう の小路 こうじ を折 お り返 かえ して辿 たど らなければならない構造 こうぞう が施 ほどこ されているものがあり、防衛 ぼうえい 用途 ようと としての迷宮 めいきゅう 構造 こうぞう と考 かんが えられている。また、イギリスでは墓所 はかしょ やグラストンベリー・トー のような巡礼 じゅんれい 地 ち の入口 いりくち の前 まえ に迷宮 めいきゅう を設 もう け、入場 にゅうじょう 希望 きぼう 者 しゃ に小路 こうじ を辿 たど らせることで入場 にゅうじょう 者 しゃ 数 すう を制限 せいげん していた。迷宮 めいきゅう は魔除 まよけ け にも利用 りよう されていた。古代 こだい の中国 ちゅうごく では悪魔 あくま は直線 ちょくせん にしか飛 と べないと考 かんが えられており、外 そと から入 はい る悪魔 あくま を妨害 ぼうがい するために住居 じゅうきょ や都市 とし の構造 こうぞう に迷宮 めいきゅう が用 もち いられた。ヨーロッパでは牛舎 ぎゅうしゃ の入 い り口 くち や指輪 ゆびわ 、紋章 もんしょう などに迷宮 めいきゅう 図形 ずけい そのものを魔除 まよけ けとして施 ほどこ していた。
紀元前 きげんぜん 400年 ねん の迷宮 めいきゅう の描 えが かれたクノッソスの銀貨 ぎんか
ラビリンスはクレタ島 とう のクノッソス宮殿 きゅうでん に関連 かんれん する前 ぜん ギリシャ文明 ぶんめい (ミノア文明 ぶんめい )起源 きげん の言葉 ことば である。この語 かたり はリュディア語 ご のlabrys(ラブリュス )と深 ふか く関連 かんれん しており[6] [7] 、クノッソス遺跡 いせき では両刃 りょうば 斧 おの のモチーフが見 み られる事 こと から、元 もと のラビリンスはクレタ島 とう のロイヤルミノア宮殿 きゅうでん であると指摘 してき されている。しかし、クレタ島 とう の他 ほか の宮殿 きゅうでん でも同 おな じシンボルが発見 はっけん されたため、この指摘 してき はクノッソス遺跡 いせき だけに留 と まらない可能 かのう 性 せい がある[8] 。
ラブリュスはおそらくアナトリア半島 はんとう から来 き た宗教 しゅうきょう 用語 ようご で、両刃 りょうば 斧 おの のシンボルは新 しん 石器 せっき 時代 じだい のチャタル・ヒュユク 遺跡 いせき で発見 はっけん されている[9] 。トルコ のカリア にあるラブラウンダ (英語 えいご 版 ばん ) 聖域 せいいき では、両刃 りょうば 斧 おの は嵐 あらし 神 しん Zeus Labraundos(Ζ ぜーた ε いぷしろん ὺς Λαβρανδεύς )に関連付 かんれんづ けされている[10] 。
しかし、ラブリュスはミノア語 ご ではなくリュディア語 ご から来 き ており、ラビリンスとラブリュスとの関連 かんれん は推測 すいそく のままである[11] 。
また、クレタ以外 いがい の場所 ばしょ で迷宮 めいきゅう ではない石造 せきぞう 建築 けんちく をLabyrinthosと称 しょう した用例 ようれい が見 み つかっており、ラビリンスの語源 ごげん をラブリュスに求 もと める説 せつ は学術 がくじゅつ 的 てき には疑問 ぎもん 視 し されている[2] 。
紀元前 きげんぜん 5世紀 せいき から3世紀 せいき にかけてクノッソスの貨幣 かへい にラビリンスのシンボルが刻 きざ まれた。この期間 きかん の主 おも なラビリンスの形式 けいしき は、「7つの同心円 どうしんえん (seven-circuit)」と呼 よ ばれる単純 たんじゅん な形式 けいしき であり、時間 じかん の経過 けいか とともに円形 えんけい か四角形 しかっけい かにかかわらず、独特 どくとく な迷路 めいろ にラビリンスという語 かたり が使 つか われるようになった。
ノートルダム大 だい 聖堂 せいどう (ランス) の迷宮 めいきゅう 図 ず (13世紀 せいき )
シャルトル大 だい 聖堂 せいどう の床 ゆか
迷宮 めいきゅう がキリスト教 きりすときょう に受容 じゅよう された最古 さいこ の例 れい として、アルジェリア のエル・アスナムにある4世紀 せいき に作 つく られたレパラトゥス教会 きょうかい のバシリカ の床 ゆか に描 えが かれたクレタ型 がた 迷宮 めいきゅう が挙 あ げられる[2] 。キリスト教 きょう 教会 きょうかい の迷宮 めいきゅう は時代 じだい を下 くだ るにつれてクレタ型 がた が廃 すた れ、よりキリスト教 きりすときょう 的 てき シンボリズムや宇宙 うちゅう 観 かん に調和 ちょうわ した迷宮 めいきゅう が現 あらわ れるようになる。
12世紀 せいき から14世紀 せいき にかけて、フランス北部 ほくぶ のシャルトル大 だい 聖堂 せいどう 、ノートルダム大 だい 聖堂 せいどう (ランス) 、ノートルダム大 だい 聖堂 せいどう (アミアン) などのゴシック建築 けんちく 式 しき の教会 きょうかい の床 ゆか に、大型 おおがた の迷宮 めいきゅう が描 えが かれるようになった。ゴシック期 き には迷宮 めいきゅう の持 も つ聖 ひじり 性 せい は失 うしな われ始 はじ め、分岐 ぶんき や袋小路 ふくろこうじ といった迷路 めいろ の性格 せいかく を持 も った迷宮 めいきゅう も現 あらわ れるようになった[2] 。
18世紀 せいき 後期 こうき 以降 いこう の書物 しょもつ ではエルサレムへの道 みち (chemin de Jerusalem)を示 しめ すなどと紹介 しょうかい されているが、現在 げんざい に至 いた っては、初期 しょき のキリスト教徒 きりすときょうと が何 なん の目的 もくてき で床 ゆか に迷宮 めいきゅう を描 えが いたのかは不明 ふめい である[13] [14] 。
北欧 ほくおう ・イギリスの迷宮 めいきゅう [ 編集 へんしゅう ]
イギリスにおいては、大 だい 聖堂 せいどう には芝生 しばふ 迷路 めいろ が作 つく られ、アルクバラ (英語 えいご 版 ばん ) やサフラン・ウェルデン (英語 えいご 版 ばん ) などに見 み られる。これらは啓示 けいじ を受 う けるためであると考 かんが えられている。
ウェールズ やスカンジナビア の沿岸 えんがん 部 ぶ では500を超 こ える教会 きょうかい とは関係 かんけい ない迷宮 めいきゅう が作成 さくせい された。これらの資材 しざい は芝生 しばふ や海岸 かいがん の岩 いわ で作 つく られており、シンプルな構造 こうぞう で作 つく られている。英語 えいご では、これらの迷宮 めいきゅう をトロイタウン (英語 えいご 版 ばん ) と呼 よ ぶ。漁業 ぎょぎょう 関係 かんけい 者 しゃ が作 つく ったものと考 かんが えられるが、作成 さくせい 理由 りゆう が分 わ からないものも多 おお い。
^ "エジプト政府 せいふ がひた隠 かく す、地下 ちか 迷宮 めいきゅう の謎 なぞ …スフィンクスの地下 ちか にも秘密 ひみつ 都市 とし が存在 そんざい ?" - Business Journal 2018.04.29 2021年 ねん 7月 がつ 6日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b c d e f 中島 なかじま 和歌子 わかこ 「「迷宮 めいきゅう (Labyrinth)」図像 ずぞう 群 ぐん に関 かん する一 いち 考察 こうさつ : 迷宮 めいきゅう 史 し 概略 がいりゃく ,および現代 げんだい アメリカにおける迷宮 めいきゅう 図像 ずぞう 活用 かつよう について」『東京大学 とうきょうだいがく 宗教 しゅうきょう 学 がく 年報 ねんぽう 』(29) 東京大学 とうきょうだいがく 文学部 ぶんがくぶ 宗教 しゅうきょう 学 がく 研究 けんきゅう 室 しつ doi :10.15083/00030437 2011 pp.105-126.
^ (Λ らむだ υ うぷしろん δ でるた ο おみくろん ὶ γάρ ‘λάβρυν’ τ たう ὸν にゅー πέλεκυν ὀνομάζουσι ). Plutarch, Greek Questions , 45 2.302a.
^ F. Schachermeyer (1990), Die Minoische Kultur des alten Kreta , pp. 161, 237, 238
^ Rouse, W. H. D. (1901). "The Double Axe and the Labyrinth". Journal of Hellenic Studies. 21: 268–274. Rouse criticised the association, noting the reappearance of the same inscribed symbols at the newly discovered palace at Phaistos (p. 273).
^ F.Schachermeyer (1964) Die Minoische Kultur des alten Kreta . W.Kohlhammer Stuttgart p. 161, Abb.85
^ 「ラブランダのようなカリア人 じん の聖域 せいいき の名前 なまえ を、聖 せい なるlabrysの場所 ばしょ として文字通 もじどお りの意味 いみ で解釈 かいしゃく するのは極 ごく 当然 とうぜん のようである。」p.109「カリア人 じん のコインには、宗教 しゅうきょう 的 てき な両刃 りょうば 斧 おの の意匠 いしょう がみられる」アーサー・エヴァンズ , "Mycenaean tree and pillar cult and its Mediterranean relations," Journal of Hellenic Studies XXI, pp 108, 109.
^ Beekes, Robert S. P. (2010). Etymological Dictionary of Greek. Leiden, Boston: Brill Academic Publishers.
^ Wright, Craig M. (2001). The maze and the warrior: symbols in architecture, theology, and music. Harvard University Press. p. 210. ISBN 978-0-674-00503-7 .
^ Russell, W. M. S.; Claire Russell (1991). “English Turf Mazes, Troy, and the Labyrinth”. Folklore (Taylor and Francis) 102 (1): 77–88. doi :10.1080/0015587x.1991.9715807 . JSTOR 1260358 .
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