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金城きんじょう紀光のりみつ

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金城きんじょう紀光のりみつ

金城きんじょう 紀光のりみつ(かなぐすく[1] / きんじょう[2] きこう、1875ねん明治めいじ8ねん)11月4にち - 1967ねん昭和しょうわ42ねん)8がつ10日とおか[1])は、沖縄おきなわけん出身しゅっしん医師いし政治せいじ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん那覇なは市長しちょう

経歴けいれき

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とまりむらげん那覇なは)で、代々だいだい医業いぎょう従事じゅうじしたいえまれる[1][3]沖縄おきなわけん尋常じんじょう中学校ちゅうがっこうだい高等こうとう学校がっこうて、1904ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく医科いか大学だいがく卒業そつぎょう[1][2][3]。そのどう医科いか大学だいがく副手ふくしゅ東京とうきょう予備よび病院びょういん衛生えいせい勤務きんむ幇助ほうじょ東京とうきょう駒込こまごめ病院びょういん医員いいん歴任れきにん[1][2][3]

1907ねん帰郷ききょうして沖縄おきなわけん病院びょういん院長いんちょうどう内科ないか部長ぶちょうけんせい教習所きょうしゅうじょ所長しょちょうとしてむかえられた[1][ちゅう 1]1920ねん仲地なかちきのあきららと那覇なは西本にしほんまち私立しりつもとじゅん病院びょういん設立せつりつ院長いんちょう就任しゅうにん[1][ちゅう 2]1926ねん沖縄おきなわけん医師いし会長かいちょうとなった[1][2][3]

1921ねん那覇なは会議かいぎいん当選とうせんし、どう議長ぎちょうつとめた[1][2]1925ねん沖縄おきなわけん会議かいぎいん当選とうせん[1][2][3]1932ねん2がつだい18かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ沖縄おきなわけん選挙せんきょから立憲りっけん政友せいゆうかい所属しょぞく出馬しゅつばして当選とうせん衆議院しゅうぎいん議員ぎいんいちつとめた[1][2]

1935ねん8がつ12にち那覇なは市長しちょう就任しゅうにん[4]下水道げすいどう敷設ふせつ教育きょういく施設しせつ改善かいぜんなどに尽力じんりょくし、1939ねん8がつ11にち市長しちょういちつとめて退任たいにんした[1][4]

戦後せんご沖縄おきなわ医療いりょう団長だんちょう金武かなたけ保養ほよう院長いんちょう真和まさかずこころざし診療しんりょう所長しょちょうもとじゅん病院びょういん[ちゅう 3]院長いんちょうなどをつとめた[1]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 沖縄おきなわけん人事じんじろく』87ぺーじでは、1908ねん沖縄おきなわけん病院びょういん内科ないか部長ぶちょうむかえられた。
  2. ^ 沖縄おきなわけん人事じんじろく』87ぺーじでは、1921ねん
  3. ^ 和志かずし診療しんりょうしょ改組かいそ。『沖縄大おきなわだい百科ひゃっか事典じてん上巻じょうかん、737ぺーじ

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 沖縄大おきなわだい百科ひゃっか事典じてん上巻じょうかん、737ぺーじ
  2. ^ a b c d e f g 議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん』220ぺーじ
  3. ^ a b c d e 沖縄おきなわけん人事じんじろく』87ぺーじ
  4. ^ a b 日本にっぽん歴代れきだい市長しちょうだい3かん、801ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいん議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1990ねん
  • 歴代れきだい知事ちじ編纂へんさんかいへん日本にっぽん歴代れきだい市長しちょうだい3かん歴代れきだい知事ちじ編纂へんさんかい、1985ねん
  • 沖縄大おきなわだい百科ひゃっか事典じてん刊行かんこう事務じむきょくへん沖縄大おきなわだい百科ひゃっか事典じてん上巻じょうかん沖縄おきなわタイムスしゃ、1983ねん
  • 沖縄おきなわ朝日新聞社あさひしんぶんしゃへん沖縄おきなわけん人事じんじろく沖縄おきなわ朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1937ねん