出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
釜瀬 富太(かませ とみた、1884年(明治17年)3月 - 没年不詳)は、日本の内務官僚、朝鮮総督府官僚。教育者。
福岡県出身。第五高等学校を経て、1911年(明治44年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業した。1912年(大正元年)、高等文官試験に合格。佐賀県属、同警視、同理事官、神埼郡長、宮城県理事官、朝鮮総督府事務官、同税関長、咸鏡北道内務部長などを歴任した。
1928年(昭和3年)に退官し、1932年(昭和7年)に門司市助役に就任。その後、学校法人九州学園理事長、九州女子高等学校・中学校校長を務めた[3]。
- ^ 『昭和30年度 学校法人一覧』、私立学校振興会、1955年。p.178
- 人事興信所編『人事興信録 第10版(上)』人事興信所、1934年。
- 校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1934年。