鉄舟寺
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5080005003457 | |
歴史
[その
文化財 等
[国宝
[法華経 (久能寺 経 )19巻
現存 最古 の一品 経 (法華経 二 十 八 品 を一 巻 毎 に書写 したもの)。現在 は東京 国立 博物館 に寄託 。永治 2年 (1142年 )待 賢 門 院 の出家 に際 して、鳥羽 法皇 や美福門院 をはじめ、近臣 や女房 らが加 わった、逆修 供養 のために結縁 書写 された。元 は法華経 二 十 八 品 に開 教 と結 経 を加 えた三 十 巻 か、或 いは更 に『阿弥陀 経 』『般若心経 』を加 えた三 十 二 巻 本 だったと想定 される。鉄舟寺 にはそのうち17巻 分 伝 わっており、他 に五島 美術館 に2巻 (重文 )、東京 国立 博物館 に3巻 (重文 )、個人 に4巻 (国宝 [1])の計 26巻 が現存 している。鉄舟寺 所蔵 品 の員数 は19巻 だが、そのうち陀羅尼 品 第 二 十 六 と普賢菩薩 勧 発 品 第 二 十 八 の2巻 は補 配本 と見 なされる。- なぜこのように
立派 な経典 が都 から遠 く離 れた地 に納 められたのか、は不明 である。諸説 として、京 の戦乱 を避 けるため東国 武士 によって移 された、鳥羽 法皇 の離宮 であった安楽寿院 や上皇 がしばしば詣 でた熊野 三山 と久能寺 との関係 性 、などが挙 げられている。 - 「
譬喩 品 」は待 賢 門 院 自 らの結縁 によるもので、その写経 の筆者 は近侍 の女房 中納言 の弟 で、当代 屈指 の能書 で知 られた藤原 定信 。また、書写 名 は不明 だが「安楽 行 品 」の書 は穏 やかで優美 な行書 気味 の書風 で、当時 の能書 の中 でも特 に優 れた人物 の手 になる。
重要 文化財 (国 指定 )
[錫杖 銘 「康治 元年 九 月 八 日 久能寺 念 空 」あり、1142年 の作 。
県 指定 文化財
[木造 千手観音 像 (観音堂 )木造 蘭 陵 王 仮面 伝 赤 鶴 (しゃくつる)作
市 指定 文化財
[薄墨 の笛
源義経 が牛 若 丸 と呼 ばれていた頃 から愛用 していたとされる龍 笛 。平安 時代 末期 に義経 により鉄舟寺 の前身 である久能寺 に寄進 された。昭和 52年 に静岡 市 指定 文化財 に指定 されている。通常 笛 は公開 されていないが、清水 市 や笛 の音色 に魅 せられた人々 による基金 によって1998年 に「平成 の補修 」と呼 ばれる補修 がなされた後 、義経 の供養 、楽器 としての笛 の保全 などを目的 として、鉄舟寺 他 、各地 で演奏 会 が開催 されている。毎回 演奏 は日本 を代表 する笛 奏者 ・赤尾 三千子 に託 されている。
その他
[高塚 竹 堂 銅像
学生 寮
[- 1943
年 、東海大学 の前身 である航空 科学 専門 学校 が清水 区 三保 に開校 した際 、物理 科 の学生 寮 として一部 を提供 した[2]。それ以来 、東海大学 とは縁 が深 い関係 にある。また、東海大学 の各 キャンパスで開催 される建 学 祭 の際 に灯 す「建 学 の火 」が、各 キャンパスにシンボルとして運 ばれている[3]。
所在地 ・アクセス
[周辺
[参考 資料
[- フェルケール
博物館 ・清水 市 教育 委員 会 編 『特別 企画 鉄舟寺 展 (旧 久能寺 宝物 展 )』清水 港湾 博物館 、2001年 良知 文苑 『国宝 久能寺 経 の歳月 ─駿 州 秘 抄 ─』和泉 書院 、2008年 ISBN 978-4-7576-0483-4
脚注
[外部 リンク
[元 久能寺 、鉄舟寺 (静岡 見 て歩 き) - ウェイバックマシン(2012年 1月 24日 アーカイブ分 )横笛 赤尾 三千子 の世界 (薄墨 の笛 ・演奏 者 )