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鉄舟寺てつしゅうじ

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鉄舟寺てつしゅうじ
所在地しょざいち 静岡しずおかけん静岡しずおか清水しみず村松むらまつ2188
位置いち 北緯ほくい3459ふん33.6びょう 東経とうけい13828ふん59.0びょう / 北緯ほくい34.992667 東経とうけい138.483056 / 34.992667; 138.483056座標ざひょう: 北緯ほくい3459ふん33.6びょう 東経とうけい13828ふん59.0びょう / 北緯ほくい34.992667 東経とうけい138.483056 / 34.992667; 138.483056
山号さんごう 補陀落ふだらくやま
宗旨しゅうし 臨済宗りんざいしゅう
宗派しゅうは 妙心寺みょうしんじ
本尊ほんぞん 千手観音せんじゅかんのん菩薩ぼさつ
文化財ぶんかざい 法華経ほけきょう 19かん国宝こくほう
錫杖しゃくじょう重要じゅうよう文化財ぶんかざい)ほか
法人ほうじん番号ばんごう 5080005003457 ウィキデータを編集
鉄舟寺の位置(静岡県内)
鉄舟寺
鉄舟寺てつしゅうじ
鉄舟寺てつしゅうじ (静岡しずおかけん)
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鉄舟寺てつしゅうじ(てっしゅうじ)は、静岡しずおかけん静岡しずおか清水しみずにある臨済宗りんざいしゅう妙心寺みょうしんじ寺院じいん山号さんごう補陀落ふだらくやま本尊ほんぞん千手観音せんじゅかんのん菩薩ぼさつ

歴史れきし

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推古天皇すいこてんのう御代みよはた出身しゅっしんである久能くのう忠仁ただひと現在げんざい久能山くのうざん東照宮とうしょうぐう付近ふきん建立こんりゅうしたどうはじまり、その奈良なら時代じだいそう行基ぎょうき来山らいざんして久能寺くのうじごうしたという(『久能寺くのうじ縁起えんぎ』)。平安へいあん時代じだいはいって天台宗てんだいしゅうあらためられ、建穂たきょうてら駿河するが二分にぶんするいきおいでさかえた。1570ねんえいろく13ねん武田たけだ信玄しんげん久能山くのうざんしろつくる(久能くのうしろ)ため現在地げんざいちうつされ、宗旨しゅうしわりしん真言宗しんごんしゅう真言宗しんごんしゅう根来ねごろ)にぞくすることになる。

江戸えど時代じだいには朱印しゅいん寺領じりょうとして200いしあまりをあたえられ、おおくのささえぼうゆうしたが、江戸えど時代じだい後期こうきあたりから衰退すいたいし、明治めいじはいると無住むじゅう住職じゅうしょくがいないこと)になっててら荒廃こうはいしてしまった。

そのきゅう幕臣ばくしん明治めいじ以降いこう静岡しずおかはんけんだい参事さんじつとめたこともある山岡やまおか鉄舟てっしゅうが、臨済寺りんさいじから今川いまがわさだやままねいて復興ふっこうし、寺号じごう鉄舟寺てつしゅうじあらためられた。そのため鉄舟てっしゅう書跡しょせき遺品いひんおおい。

文化財ぶんかざいとう

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国宝こくほう

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久能寺くのうじけい(19かんのうちくすりおうひん
現存げんそん最古さいこ一品いっぴんけい法華経ほけきょうじゅうはちひんいちかんごと書写しょしゃしたもの)。現在げんざい東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかん寄託きたく永治えいじ2ねん1142ねんまちけんもんいん出家しゅっけさいして、鳥羽とば法皇ほうおう美福門院びふくもんいんをはじめ、近臣きんしん女房にょうぼうらがくわわった、逆修ぎゃくしゅ供養くようのために結縁けちえん書写しょしゃされた。もと法華経ほけきょうじゅうはちひんひらけきょうゆいけいくわえたさんじゅうかんか、あるいはさらに『阿弥陀あみだけい』『般若心経はんにゃしんぎょう』をくわえたさんじゅうかんほんだったと想定そうていされる。鉄舟寺てつしゅうじにはそのうち17かんぶんつたわっており、五島ごしま美術館びじゅつかんに2かん重文じゅうぶん)、東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんに3かん重文じゅうぶん)、個人こじんに4かん国宝こくほう[1])のけい26かん現存げんそんしている。鉄舟寺てつしゅうじ所蔵しょぞうひん員数いんずうは19かんだが、そのうち陀羅尼だらにひんだいじゅうろく普賢菩薩ふげんぼさつすすむはつひんだいじゅうはちの2かん配本はいほんなされる。
なぜこのように立派りっぱ経典きょうてんからとおはなれたおさめられたのか、は不明ふめいである。諸説しょせつとして、きょう戦乱せんらんけるため東国とうごく武士ぶしによってうつされた、鳥羽とば法皇ほうおう離宮りきゅうであった安楽寿院あんらくじゅいん上皇じょうこうがしばしばもうでた熊野くまの三山さんざん久能寺くのうじとの関係かんけいせい、などがげられている。
譬喩ひゆひん」はまちけんもんいんみずからの結縁けちえんによるもので、その写経しゃきょう筆者ひっしゃ近侍きんじ女房にょうぼう中納言ちゅうなごんおとうとで、当代とうだい屈指くっし能書のうがきられた藤原ふじわら定信さだのぶ。また、書写しょしゃめい不明ふめいだが「安楽あんらくぎょうひん」のしょおだやかで優美ゆうび行書ぎょうしょ気味きみ書風しょふうで、当時とうじ能書のうがきなかでもとくすぐれた人物じんぶつになる。

重要じゅうよう文化財ぶんかざいくに指定してい

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1142ねんさく錫杖しゃくじょう重要じゅうよう文化財ぶんかざい)。
  • 錫杖しゃくじょう めい康治こうじ元年がんねんきゅうがつはちにち久能寺くのうじねんそら」あり、1142ねんさく

けん指定してい文化財ぶんかざい

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  • 木造もくぞう千手観音せんじゅかんのんぞう観音堂かんのんどう
  • 木造もくぞうらんりょうおう仮面かめん でんあかづる(しゃくつる)さく

指定してい文化財ぶんかざい

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  • 薄墨うすずみふえ
源義経みなもとのよしつねうしわかまるばれていたころから愛用あいようしていたとされるりゅうふえ平安へいあん時代じだい末期まっき義経よしつねにより鉄舟寺てつしゅうじ前身ぜんしんである久能寺くのうじ寄進きしんされた。昭和しょうわ52ねん静岡しずおか指定してい文化財ぶんかざい指定していされている。
通常つうじょうふえ公開こうかいされていないが、清水しみずふえ音色ねいろせられた人々ひとびとによる基金ききんによって1998ねんに「平成へいせい補修ほしゅう」とばれる補修ほしゅうがなされたのち義経よしつね供養くよう楽器がっきとしてのふえ保全ほぜんなどを目的もくてきとして、鉄舟寺てつしゅうじ各地かくち演奏えんそうかい開催かいさいされている。毎回まいかい演奏えんそう日本にっぽん代表だいひょうするふえ奏者そうしゃ赤尾あかお三千子みちこたくされている。

その

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学生がくせいりょう

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  • 1943ねん東海大学とうかいだいがく前身ぜんしんである航空こうくう科学かがく専門せんもん学校がっこう清水しみず三保さんぼう開校かいこうしたさい物理ぶつり学生がくせいりょうとして一部いちぶ提供ていきょうした[2]。それ以来いらい東海大学とうかいだいがくとはえんふか関係かんけいにある。また、東海大学とうかいだいがくかくキャンパスで開催かいさいされるけんがくさいさいともす「けんがく」が、かくキャンパスにシンボルとしてはこばれている[3]

所在地しょざいち・アクセス

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周辺しゅうへん

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参考さんこう資料しりょう

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  • フェルケール博物館はくぶつかん清水しみず教育きょういく委員いいんかいへん特別とくべつ企画きかく 鉄舟寺てつしゅうじてんきゅう久能寺くのうじ宝物ほうもつてん)』清水しみず港湾こうわん博物館はくぶつかん、2001ねん
  • 良知りょうち文苑ぶんえん国宝こくほう 久能寺くのうじけい歳月さいげつ駿しゅんしゅうしょう─』和泉いずみ書院しょいん、2008ねん ISBN 978-4-7576-0483-4

脚注きゃくちゅう

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外部がいぶリンク

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