陸上りくじょう競技きょうぎ

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陸上りくじょう競技きょうぎ
統括とうかつ団体だんたい ワールドアスレティックス(WA)
特徴とくちょう
男女だんじょ混合こんごう あり
カテゴリ 屋内おくないおよび屋外おくがい
実施じっしじょうきょう
オリンピック だい1かい夏期かき1896ねんアテネオリンピック以来いらい
パラリンピック だい1かい夏期かき1960ねんローマパラリンピック以来いらい
テンプレートを表示ひょうじ
屋外おくがい陸上りくじょう競技きょうぎじょうにおける競技きょうぎ模様もよう女子じょし400mハードル
陸上りくじょう競技きょうぎじょうれい敷島しきしま公園こうえん陸上りくじょう競技きょうぎじょう群馬ぐんまけん前橋まえばし

陸上りくじょう競技きょうぎりくじょうきょうぎは、おも野外やがい競技きょうぎじょうトラックフィールドあるいは道路どうろおこなわれる、はしげるの3基本きほんわざ中心ちゅうしんとする競技きょうぎ総称そうしょう[1]たん陸上りくじょうりくじょうぶこともおおい。

概要がいよう[編集へんしゅう]

陸上りくじょう競技きょうぎとは、おも屋外おくがい屋外おくがい競技きょうぎじょうフィールドトラック、あるいは道路どうろなど)でおこなわれる、はしる、ぶ、げる、という3しゅ基本きほんわざ中心ちゅうしんとする競技きょうぎ総称そうしょうである[1]世界せかい室内しつない陸上りくじょう競技きょうぎ選手権せんしゅけん大会たいかいのように室内しつないおこな陸上りくじょう競技きょうぎ大会たいかいもあり、60mはしなど室内しつないのみ正式せいしき種目しゅもくとなっている種目しゅもくもある。

その歴史れきし紀元前きげんぜん776ねんだい1かい古代こだいオリンピックまでさかのぼる。→#歴史れきし

陸上りくじょう競技きょうぎ大分おおいたるいとしては、はし種目しゅもく主体しゅたいとし競技きょうぎじょうのトラックで実施じっしされるトラック競技きょうぎ跳躍ちょうやく走幅跳はしりはばとびなど)や投擲とうてきハンマーとうなど)を主体しゅたいとしトラック内側うちがわのフィールドで実施じっしされるフィールド競技きょうぎ、さらにマラソン競歩きょうほなど競技きょうぎ場外じょうがい道路どうろじょう設定せっていされたコースをはしロードレースがある。ただし、競技きょうぎじょうによってはフィールド競技きょうぎとく跳躍ちょうやく)の競技きょうぎ場所ばしょがトラック外側そとがわ設置せっちされていることがある。トラック競技きょうぎおよびフィールド競技きょうぎは、陸上りくじょう競技きょうぎじょううちおこなわれる競技きょうぎとしてトラック&フィールド競技きょうぎ一括いっかつしてあつかわれることがある。

歴史れきし[編集へんしゅう]

陸上りくじょう競技きょうぎ紀元前きげんぜん776ねんだい1かい古代こだいオリンピック[2]さかのぼ歴史れきしのある競技きょうぎである。このときだいいちかい)にはスタジアムのながぶんはし種目しゅもくスタディオンはし現代げんだいうところの短距離たんきょりはし)のみがおこなわれ、その種目しゅもくえた。古代こだいギリシアの中期ちゅうきオリンピックでは、スタディオンはし短距離たんきょりはし)にくわえ、ディアウロスはし中距離ちゅうきょりはし)、ドリコスはし長距離ちょうきょりはし)、しゅ競技きょうぎ円盤えんばんとうやりとうはし高跳たかとおこなわれた[3][ちゅう 1]。なお、ギリシアではこのほかにもネメアー大祭たいさいイストミア大祭たいさいピューティア大祭たいさいといっただい競技きょうぎ大会たいかい開催かいさいされていた[4]

ほかにもケルトじんチュートンじんマ帝国まていこくたおしたゴートじんといった民族みんぞく陸上りくじょう競技きょうぎ大会たいかいひらき、人気にんきあつめていたようである。しかし、これらの民族みんぞくでは陸上りくじょう競技きょうぎ軍事ぐんじ鍛錬たんれん関連かんれんしたものであるのが一般いっぱんてきで、それほどおおきく組織立そしきだったものとはならなかった。中世ちゅうせいには、貴族きぞく子息しそくたちが乗馬じょうば馬上もうえやり剣術けんじゅつなどの鍛錬たんれんくわえ、ランニング、跳躍ちょうやく、レスリングなどの鍛錬たんれんおこなっていたようである。競争きょうそう相手あいてのライバルや友人ゆうじんたちとのあいだ競技きょうぎかい開催かいさいすることも公式こうしき非公式ひこうしきわず、ひろおこなわれていた。

時代じだいわくえて、ヨーロッパ全土ぜんどおおくの陸上りくじょう競技きょうぎスポーツがしたしまれていた様子ようす確認かくにんされている。陸上りくじょう競技きょうぎは、ルネサンス以降いこう近代きんだいスポーツとして発展はってんし、1896ねん開催かいさいされただい1かいアテネオリンピックをきっかけとして、世界せかい各国かっこくへと普及ふきゅうした。陸上りくじょう種目しゅもくおおくはその起源きげん古代こだいにまでさかのぼるものがおおく、古代こだいギリシアですでにその競技きょうぎ種目しゅもくとしての形式けいしき確立かくりつされていた。陸上りくじょう競技きょうぎは、1896ねんだい1かい近代きんだいオリンピック大会たいかいでも実施じっしされ[5]つね実施じっし競技きょうぎとしてありつづけるとともに、おなじくだい1かい大会たいかいからつね実施じっしされていてオリンピック前半ぜんはん花形はながた競技きょうぎとされる競泳きょうえいならんで、オリンピック後半こうはん花形はながた競技きょうぎとされる。陸上りくじょう競技きょうぎ水泳すいえいについては、オリンピック以外いがいでも総合そうごうてきなスポーツ大会たいかい競技きょうぎナンバーが1ばんと2ばんになることがおおく、陸上りくじょう競技きょうぎ棒高跳ぼうたかとびやとうてきを例外れいがいとしても、基本きほんてきには道具どうぐ対戦たいせん相手あいて必要ひつようとせず、おのれ身体しんたいのみで人類じんるい限界げんかいいどむと普遍ふへんてきなスポーツであることからその存在そんざい価値かち重視じゅうしされている。格闘技かくとうぎ球技きゅうぎとう、プロとしておかねかせぐことを目的もくてきとする商業しょうぎょうスポーツとくらべて、その存在そんざい意義いぎことなる。ただし20世紀せいき前半ぜんはんには国際こくさい競技きょうぎ大会たいかい出場しゅつじょうする選手せんしゅはアマチュアでなくてはならないという厳格げんかく規定きてい存在そんざいしたが、20世紀せいき後半こうはんはいると東側ひがしがわ諸国しょこくにおいても西側にしがわ諸国しょこくにおいても徐々じょじょ有名ゆうめい無実むじつしていき、1990年代ねんだい初頭しょとうにはこうした規定きてい存在そんざいしなくなった[6]。19世紀せいきには陸上りくじょう競技きょうぎ男性だんせいのものであり、オリンピックにおいても男性だんせいのみ参加さんかとなっていたが、1921ねん国際こくさい女子じょしスポーツ連盟れんめい創設そうせつされると女子じょし陸上りくじょう競技きょうぎ大会たいかい開催かいさいされるようになり、1928ねんアムステルダムオリンピックにおいて女子じょし陸上りくじょうがオリンピックの種目しゅもくとなった[7]

国際こくさい競技きょうぎ統括とうかつ団体だんたいワールドアスレティックス1912ねん創設そうせつされ、1983ねんからは、オリンピックとはべつ陸上りくじょう競技きょうぎのみの大会たいかいとして、世界せかい陸上りくじょう競技きょうぎ選手権せんしゅけん大会たいかい開催かいさいするようになった[8]世界せかい陸上りくじょう世界せかい有数ゆうすうのスポーツイベントの1つで、2009ねんベルリン大会たいかいではやく3300まんにんがイベントを視聴しちょうしたとされる[9]世界せかい室内しつない陸上りくじょう競技きょうぎ選手権せんしゅけん大会たいかいヨーロッパ陸上りくじょう競技きょうぎ選手権せんしゅけん大会たいかいなども開催かいさいされている。また、アジア競技きょうぎ大会たいかいなど大陸たいりくべつ競技きょうぎ大会たいかいにおいても陸上りくじょう競技きょうぎかなら開催かいさいされ、花形はながた競技きょうぎの1つとなっている。とくにオリンピックをはじめ、主要しゅよう陸上りくじょう競技きょうぎ大会たいかい期間きかんちゅうたか注目ちゅうもくあつめるものの、スポーツ全般ぜんぱんからるとおおくのくに一般いっぱんからの関心かんしん度合どあいはややひくくなりがちである。

トラック&フィールド競技きょうぎでは、世界せかい各地かくち競技きょうぎかい転戦てんせんして総合そうごう成績せいせききそうサーキット大会たいかいIAAFグランプリが1985ねん創設そうせつされた。IAAFグランプリはIAAFゴールデンリーグIAAFスーパーグランプリて、2010ねんから両者りょうしゃ統合とうごうされIAAFダイヤモンドリーグとなり[10]IAAFワールドチャレンジ(2020ねんよりワールドアスレティックスコンチネンタルツアー)とともに毎年まいとしはるからなつにかけて開催かいさいされている[6]一方いっぽうマラソン競技きょうぎにおいては世界せかい各地かくちだい規模きぼなマラソン大会たいかいおこなわれており、なかでも2006ねんよりボストンマラソンロンドンマラソンベルリンマラソンシカゴマラソンニューヨークシティマラソンの5大会たいかいとオリンピック・世界せかい陸上りくじょうけい7大会たいかいワールドマラソンメジャーズ開催かいさいされるようになった[11]。さらに2013ねん大会たいかいより、東京とうきょうマラソンがワールドマラソンメジャーズに加入かにゅうし、けい8大会たいかいとなった[12]

イギリス[編集へんしゅう]

イギリスでは13世紀せいきから16世紀せいきにかけてスポーツをたのしむことに国家こっかてき制限せいげんしていた。これはアーチェリー鍛錬たんれん支障ししょうないようにするためであった[13]。この制約せいやくが17世紀せいきになってのぞかれたのち、イギリスではスポーツがふたたさかんになった。陸上りくじょう競技きょうぎ組織そしき活動かつどうは19世紀せいきになっておこなわれるようになった。これには学校がっこうにおいてスポーツ体育たいいく実施じっしされるようになった影響えいきょうもある。正規せいき学校がっこうにおける陸上りくじょう競技きょうぎれられた初出しょしゅつとしてイギリスのサンドハースト王立おうりつ陸軍りくぐん士官しかん学校がっこうにおいて1812ねん1825ねんおこなわれたとのせつもあるが、これを補強ほきょうする証拠しょうこいまのところない。記録きろくのこっている最古さいこ会合かいごう同国どうこくシュロップシャーしゅうシュルーズベリー1940ねん王立おうりつシュルーズベリーこう開催かいさいしたもので、当時とうじ1838ねんから1841ねんまで生徒せいととして在籍ざいせきしていたCTロビンソンが60ねん複数ふくすう手紙てがみ当時とうじ詳細しょうさいについてのこしている。

1868ねん刊行かんこうされた『最新さいしん陸上りくじょう競技きょうぎ』によれば、当時とうじ陸上りくじょう競技きょうぎのほとんどの競技きょうぎはハンディキャップ・レースだったという[14]陸上りくじょう競技きょうぎギャンブル対象たいしょうであり、観客かんきゃく記録きろくよりもけとレースの過程かてい公正こうせいさを重視じゅうしした。そのため、資格しかくったハンディキャッパーが競技きょうぎしゃ実績じっせきによってスタート位置いち調整ちょうせいするなどのハンディキャップをけ、白熱はくねつしたレースを演出えんしゅつしていた。一方いっぽう、プロフェッショナルランナーを排除はいじょし、紳士しんしのスポーツによる人格じんかく形成けいせい目的もくてきとしたアマチュア陸上りくじょうクラブが1866ねんにロンドンで組織そしきされ、常設じょうせつ陸上りくじょう競技きょうぎじょうによる競技きょうぎおこなわれた[14]陸上りくじょう競技きょうぎのハンディキャップ・レースはオリンピックなどの公式こうしきレースでも20世紀せいき前半ぜんはんまでおこなわれたが、スポーツがきおいおどけからアマチュア・ルールによる近代きんだいスポーツへと変化へんかする過程かてい消滅しょうめつした。

日本にっぽん[編集へんしゅう]

日本にっぽんでは1873ねん明治めいじ6ねん3月21にちに、東京とうきょう築地つきじにあった海軍かいぐんへい学寮がくりょうのイギリスじん教師きょうしひらいた「きおいたたかえ遊戯ゆうぎ」が最初さいしょ陸上りくじょう競技きょうぎ大会たいかいである[15]きおいたたかえ遊戯ゆうぎathletic sports訳語やくごで、すずめひな(すずめのすだち、150ヤードはし)、つばめがく(つばめのとびならい、300ヤードはし)、だいぼら跋扈ばっこ(ぼらのあみごえ、走高跳はしりたかとび)などの種目しゅもくがあった[15]。また同年どうねん10がつ開成かいせい学校がっこう東京大学とうきょうだいがく源流げんりゅう)にて明治天皇めいじてんのう隣席りんせきしたおこなわれた「体操たいそう御覧ごらん」の1種目しゅもくくだり」が競走きょうそうであった可能かのうせいがある[16]本格ほんかくてき陸上りくじょう競技きょうぎ日本人にっぽんじんあいだおこなわれるようになるのは、1875ねん明治めいじ8ねん)に東京とうきょう英語えいご学校がっこう東京大学とうきょうだいがく)に着任ちゃくにんしたフレデリック・ウィリアム・ストレンジによる普及ふきゅう活動かつどう以降いこうである[17]。ストレンジはイートン・カレッジ出身しゅっしんで、陸上りくじょう競技きょうぎボート競技きょうぎ得意とくいとし、余暇よかにこれらを実践じっせんして学生がくせい関心かんしんき、普及ふきゅうさせた[17]1883ねん明治めいじ16ねん)には東京大学とうきょうだいがくの3学部がくぶ予備よびもん合同ごうどう陸上りくじょう運動会うんどうかいひらかれ、以降いこう東大とうだい名物めいぶつとなった[18]。この運動会うんどうかいではのち藤井ふじいみのるが100mと棒高跳ぼうたかとび世界せかい記録きろく樹立じゅりつした[19]

明治めいじ30年代ねんだい1897ねん - 1906ねん)になると、東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく第一高等学校だいちこうとうがっこう中心ちゅうしんに、学習がくしゅういん高等こうとう商業しょうぎょう学校がっこう一橋大学ひとつばしだいがく)でも陸上りくじょう競技きょうぎさかんとなり、明治めいじ40年代ねんだい1907ねん - 1912ねん)にはスパイクシューズ使用しようされはじめ、早稲田大学わせだだいがく慶応義塾大学けいおうぎじゅくだいがくしん勢力せいりょくとして台頭たいとうした[20]東京とうきょう高等こうとう師範しはん学校がっこう筑波大学つくばだいがく)では嘉納かのう治五郎じごろう校長こうちょうした校内こうない長距離ちょうきょりはしひらかれていたが、陸上りくじょう競技きょうぎかいではまだ弱小じゃくしょうであった[21]大正たいしょう時代じだい初期しょきまで「陸上りくじょう競技きょうぎ」という日本語にほんご存在そんざいせず、このころ創部そうぶした陸上りくじょう競技きょうぎは、東京とうきょう高等こうとう師範しはん学校がっこうでは「徒歩とほ」(のち筑波大学つくばだいがく陸上りくじょう競技きょうぎ改称かいしょう)、早稲田大学わせだだいがく明治大学めいじだいがくでは「競走きょうそう」を名乗なのっている。

日本にっぽんはじめて近代きんだいオリンピック参加さんかしたのは、1912ねん明治めいじ45ねん)のだい5かいストックホルム大会たいかいであり、短距離たんきょりはし三島みしま弥彦やひこ長距離ちょうきょりはしきむぐりよんさん参加さんかした[22]日本にっぽんはじめて組織立そしきだって(学校がっこう以外いがい組織そしき主催しゅさいして)ひらかれた陸上りくじょう競技きょうぎ大会たいかいは、この日本にっぽん代表だいひょう選抜せんばつするための大会たいかい国際こくさいオリムピック大会たいかい選手せんしゅ予選よせんかい」(だい日本にっぽん体育たいいく協会きょうかい主催しゅさい)であった[23]きむぐりはオリンピックののち生涯しょうがいをマラソンの普及ふきゅうささげ、東京とうきょう箱根はこねあいだ大学だいがく駅伝えきでん競走きょうそう創設そうせつした[24]

米国べいこく[編集へんしゅう]

全米ぜんべいアマチュア競技きょうぎ連盟れんめい米国べいこくにおける統括とうかつ団体だんたいであったが、1970年代ねんだいプロフェッショナルスポーツとしての促進そくしんすすむと、その管轄かんかつはずれた。あらたな統括とうかつ団体だんたいとして、TAC (The Athletics Congress) とばれる団体だんたい結成けっせいされ、のち全米ぜんべい陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい (USA Track and Field; USATF; USA T&F) と改名かいめいした。さらによりゆるやかな組織そしきとして、ロードレースの普及ふきゅう促進そくしんはか団体だんたいとして全米ぜんべいロードランナークラブ(RRCA)がある。りょう団体だんたいとも、以前いぜんにせアマチュアリズムとされた、レース出場しゅつじょうつうじて金銭きんせん行為こうい禁止きんししていない。

種目しゅもく[編集へんしゅう]

下記かき種目しゅもく世界せかい記録きろくとして公認こうにんされる。日本にっぽん記録きろく準拠じゅんきょする。ハーフマラソンや駅伝えきでん競走きょうそうはオリンピックや世界せかい陸上りくじょう競技きょうぎ選手権せんしゅけん大会たいかいには採用さいようされていない。これはマラソン同様どうよう陸上りくじょう競技きょうぎじょうそと、つまり公道こうどうをコースとせざるをなく、さら男女だんじょべつける必要ひつようもあることから、公道こうどうでの交通こうつう規制きせいえすぎてしまい、警備けいびへの負担ふたん増加ぞうか規制きせいによる市民しみん生活せいかつへの影響えいきょうなどがおおきいためともかんがえられる[よう出典しゅってん]女子じょし場合ばあい長距離ちょうきょりはし競歩きょうほ、また跳躍ちょうやく競技きょうぎ投擲とうてき競技きょうぎなどの大半たいはん日本にっぽん陸連りくれんから日本にっぽん記録きろく公認こうにんがい種目しゅもくとしてはじまったものがおおい。だい部分ぶぶん1930ねんまでに公認こうにんされたが、長距離ちょうきょりはし競歩きょうほ1980ねん三段跳さんだんとび1986ねん棒高跳ぼうたかとび、ハンマーとう1993ねんになって公認こうにんされるようになった。

世界せかい記録きろく[編集へんしゅう]

以下いか種目しゅもく世界せかい記録きろくとしてワールドアスレティックスにより公認こうにんされる。

各国かっこく国内こくない記録きろく[編集へんしゅう]

日本にっぽん[編集へんしゅう]

つぎ種目しゅもく日本にっぽん陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめいにより日本にっぽん記録きろくとして公認こうにんされる。

U20世界せかい記録きろく[編集へんしゅう]

以下いか種目しゅもくがU20世界せかい記録きろくとして公認こうにんされる。

室内しつない世界せかい記録きろく[編集へんしゅう]

以下いか種目しゅもく室内しつない世界せかい記録きろくとして公認こうにんされる。

その[編集へんしゅう]

以下いか種目しゅもく世界せかい記録きろくとして公認こうにんされていない。あるいはかつて公認こうにんされており、夏季かきオリンピックでも実施じっしされていた屋外おくがい種目しゅもく

世界せかい記録きろく[編集へんしゅう]

競技きょうぎ規則きそく[編集へんしゅう]

計測けいそく単位たんいについて[編集へんしゅう]

フィニッシュタイムの計測けいそくについて(トラック競技きょうぎ
  • トルソー(ここではあたまくびうでおよあしふくまない部分ぶぶんしめす)のいずれかがフィニッシュラインのスタートラインにちかはしふく垂直すいちょくめん到達とうたつした時点じてん走者そうしゃのフィニッシュとされる[30]。なお、トルソーとくび境界きょうかい胸部きょうぶ上部じょうぶの凹部とだい7頸椎の突起とっきむすんだせんでありうでとの境界きょうかい肩胛骨けんこうこつそとはしである[30]
  • 写真しゃしん判定はんてい装置そうちもちいる場合ばあい、10000メートル以下いか競技きょうぎでは、1000ぶんの1びょう以下いかを100ぶんの1びょうげる。10000メートルよりもなが競技きょうぎでは、100ぶんの1びょう以下いかを10ぶんの1びょうげる。また、一部いちぶでも競技きょうぎ場外じょうがいおこなわれるレースにおいては、10ぶんの1びょう以下いかびょうげる。
  • 手動しゅどう計時けいじ場合ばあいは、トラック種目しゅもく場合ばあいは100ぶんの1びょう以下いかを10ぶんの1びょうげ、一部いちぶでも競技きょうぎ場外じょうがいおこなわれるレースにおいては、10ぶんの1びょう以下いかびょうげる。また、3時計とけいのうち2一致いっちする場合ばあいはそのタイムが記録きろくとなり、すべことなる場合ばあいなかのタイムが記録きろくとなる。なお時計とけいが2つのときはおそいほうのタイムを記録きろくとする。そのため、おなじゅん計時けいじ複数ふくすうめい担当たんとうする。
距離きょり単位たんいについて(トラック競技きょうぎ
  • 基本きほんてき競技きょうぎじょうないおこなわれる競技きょうぎはメートル、公道こうどう競技きょうぎはキロメートルであらわされる。
距離きょり計測けいそくについて(フィールド競技きょうぎ
  • センチメートルまんて、メートル単位たんい記録きろくする。

風速ふうそく測定そくていについて[編集へんしゅう]

風速ふうそくは、かく種目しゅもく下記かきびょうすう計測けいそくし、100ぶんの1メートル以下いかを10ぶんの1メートルにげる。

  • 60メートル スタートから5秒間びょうかん
  • 100メートル スタートから10秒間びょうかん
  • 200メートル 先頭せんとう選手せんしゅ直線ちょくせんはいってから10秒間びょうかん
  • 100メートルハードル スタートから13秒間びょうかん
  • 110メートルハードル スタートから13秒間びょうかん
  • 走幅跳はしりはばとび ばんから40メートルはなれ、助走じょそうのそばにあるマーク通過つうかから5秒間びょうかんで、競技きょうぎしゃ助走じょそうが40メートル未満みまんなら助走じょそう開始かいしから5秒間びょうかん
  • 三段跳さんだんとび ばんから35メートルはなれ、助走じょそうのそばにあるマーク通過つうかから5秒間びょうかんで、競技きょうぎしゃ助走じょそうが35メートル未満みまんなら助走じょそう開始かいしから5秒間びょうかん

測定そくていはトラック競技きょうぎ場合ばあいは1レーンがわのトラックから2メートル以内いないのフィニッシュラインから50メートルところに設置せっちし、フィールド競技きょうぎ場合ばあいばんから20メートルのところで、助走じょそうから2メートル以内いないのところに設置せっちする。またたかさは、トラック、フィールドどもに1.22メートルのところで測定そくていする。

競技きょうぎ服装ふくそうについて[編集へんしゅう]

競技きょうぎ服装ふくそうれい
  • 服装ふくそうれてもけないもの。
  • まえうしろにナンバーカード(きゅう呼称こしょうゼッケン)をつける[ちゅう 2]
    • 普通ふつう数字すうじで1けたから4けた。ロードレースでは5けたも。
    • 小規模しょうきぼ開催かいさいでは選手せんしゅがわ用意よういする。
    • ある程度ていど大会たいかい予選よせんかい標準ひょうじゅん記録きろくがあり参加さんかしゃかぎられるもの)では開催かいさいめいやスポンサーめいはいったナンバーカードがくばられることがある。
    • 最近さいきん競技きょうぎかい種目しゅもくによって(セパレートレーンの短距離たんきょりはしやフィールド種目しゅもくなどで)はナンバーカードをつけないことがある。
  • トラック競技きょうぎ写真しゃしん判定はんていのためにレーンナンバーをしめこしナンバーカードをつける(リレー種目しゅもくアンカーのみのことがおおい)。
    • ちなみに、最近さいきんこしナンバーカードはぐにはずしできるよう(レーンがまるのはレース直前ちょくぜんであるから)シールじょうになっていることがおおい。このシールはとくにスパッツの生地きじにはまった馴染なじまないため競技きょうぎ開始かいし直後ちょくごがれることがおおく、オリンピックや世界せかい選手権せんしゅけん決勝けっしょうレースにおいてもスタートと同時どうじ選手せんしゅしろいナンバーカードを「とす」光景こうけいられる。そのため、みずほりあしれることでよりシールががれやすくなってしまう3000メートル障害しょうがいではふとももなどの地肌じはだ直接ちょくせつナンバーシールを選手せんしゅもいる。

おも失格しっかくについて[編集へんしゅう]

  • トラック競技きょうぎで、いちでも不正ふせいスタート責任せきにんゆうする競技きょうぎしゃ。ただし混成こんせい競技きょうぎ国内こくないルールでは道路どうろ競走きょうそう駅伝えきでん競走きょうそうくわえる)では、1かい不正ふせいスタートののち、2かい以降いこう不正ふせいスタートをした競技きょうぎしゃ
  • 走者そうしゃ進路しんろ故意こいふさひとし競技きょうぎしゃ妨害ぼうがいをすること。
  • オープンレーンのトラック競技きょうぎにおいて、走者そうしゃ競技きょうぎちゅう走者そうしゃ以外いがいもの接触せっしょくすること(部外ぶがいしゃ手助てだすけをけたとみなされるため。競技きょうぎちゅう走者そうしゃ同士どうしであれば手助てだすけをしてもかまわない)。
  • オープンレーンのトラック競技きょうぎにおいて、指定していのレーンよりも内側うちがわ侵入しんにゅうすること。
  • セパレートレーンのトラック競技きょうぎにおいて、競技きょうぎちゅう自身じしんのレーンを逸脱いつだつすること。
  • リレーはしりで、バトンのわたしをテークオーバーゾーンがいおこなうこと。
  • リレーはしりで、バトンパスを成立せいりつさせていないとき(走者そうしゃれるまえとしたバトンをける走者そうしゃひろう、わたひとし)。
  • ハードルはしりで、ハードルをはみしてひく位置いちんだり、ハードルを故意こいたおすなど。
  • 指定してい時刻じこくまでに招集しょうしゅう競技きょうぎ開始かいしまえ点呼てんこ)におうじないとき。
  • 禁止きんしされた薬物やくぶつとう使用しようすること。
  • 性別せいべついつわって競技きょうぎ出場しゅつじょうすること。
  • そのさだめられた失格しっかく行為こういいたること。

国際こくさい競技きょうぎかいにおけるはし種目しゅもくのスタート合図あいずについて[編集へんしゅう]

  • スターターは英語えいごフランス語ふらんすご開催かいさい言語げんごのいずれかで合図あいずおこなう。
    • 400m以下いか場合ばあい、スターターはまず「位置いちについて(On your marks)」とって選手せんしゅをスタート位置いちにつかせる。その、スターターは「用意ようい(Set)」とって選手せんしゅクラウチングスタート姿勢しせいらせ、スターターピストルつ。
    • 400mをえる場合ばあい、スターターは「位置いちについて(On your marks)」とって選手せんしゅをスタート位置いちにつかせ、選手せんしゅスタンディングスタート姿勢しせいになっているのを確認かくにんしてからスターターピストルをつ。
  • 2006年度ねんど競技きょうぎ規則きそく改正かいせいにより、下記かき競技きょうぎかいにおいてはスターターによる合図あいず英語えいご統一とういつすることになった。

公認こうにん種目しゅもく公認こうにん記録きろくあつか[編集へんしゅう]

  • 公認こうにん種目しゅもくはWAとう公認こうにんした種目しゅもくで、その種目しゅもくにおいて世界せかい最高さいこう記録きろくると、WAによって世界せかい記録きろくとしてみとめられる。この認定にんていけんはIAAFが保持ほじしている[33]。また、公認こうにん種目しゅもく以外いがい種目しゅもくでは「世界せかい最高さいこう記録きろく」としてあつかわれる。公認こうにん種目しゅもくでは、公認こうにん記録きろく世界せかい記録きろく各国かっこく記録きろく各種かくしゅ大会たいかい記録きろく)として100メートル、200メートル、100メートルハードル、110メートルハードルと走幅跳はしりはばとび三段跳さんだんとび場合ばあいかぜ2.0m以内いないであれば公認こうにん記録きろくとなる。かぜ2.0mをえると各種かくしゅ大会たいかい順位じゅんいけの記録きろくくが、公認こうにん記録きろくとしてはみとめられず「かぜ参考さんこう記録きろく」にとどめられる[31]
  • 混成こんせい競技きょうぎでは、風速ふうそく計測けいそくする種目しゅもく平均へいきん風速ふうそくかぜ2.0m以内いないであれば混成こんせい競技きょうぎ記録きろくとして公認こうにんされ、そうでなければ「かぜ参考さんこう記録きろく」となる(2010ルール改正かいせい)。
  • WAの競技きょうぎ規則きそく沿った競技きょうぎかいでの記録きろくでないと、公認こうにん記録きろくとならない[34]

国際こくさい競技きょうぎ連盟れんめい[編集へんしゅう]

1912ねん創設そうせつ以来いらいワールドアスレティックス(WA)が陸上りくじょう競技きょうぎ国際こくさい競技きょうぎ連盟れんめいとなっている。創設そうせつ当初とうしょは「国際こくさいアマチュア陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい」(IAAF、International Amateur Athletic Federation)という名称めいしょうであったが[35]、1970年代ねんだい後半こうはんにスポーツがアマチュアリズムからプロフェッショナリズムへと移行いこうしたことを反映はんえいして[6]、2001ねんにはアマチュアの名称めいしょう削除さくじょし、「国際こくさい陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい」(International Association of Athletics Federations、略称りゃくしょうおなじくIAAF)に変更へんこうされた[36]。さらに2019ねん11月に再度さいど名称めいしょう変更へんこうし、げん名称めいしょうとなった[37]

WAには215の加盟かめいこく地域ちいきがあり、ろく大州おおずそれぞれに統括とうかつする競技きょうぎ連盟れんめい存在そんざいする[38]。6つの大陸たいりく連盟れんめいは、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、オセアニア、きたアメリカ、なんアメリカである。WAの本部ほんぶは1993ねん以降いこうモナコにおかれている[36]

WAにぞくするろく大陸たいりく陸上りくじょう競技きょうぎ連盟れんめい管轄かんかつ区域くいき

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ なお、現代げんだいの「陸上りくじょう」とは分類ぶんるいことなるが、当時とうじは(屋外おくがいで)ほかにも戦車せんしゃ競走きょうそう、レスリング、ボクシング(拳闘けんとう)、パンクラティオンおこなわれた。
  2. ^ はし高跳たかとびおよ棒高跳ぼうたかとびまえうしへんかただけでよい。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 大辞泉だいじせん
  2. ^ 「スポーツの文化ぶんか 古代こだいオリンピックから21世紀せいきまで」p29 ヴォルフガング・べーリンガー 髙木葉子ようこやく 法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく 2019ねん3がつ25にち初版しょはんだい1さつ
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  4. ^ 「スポーツの文化ぶんか 古代こだいオリンピックから21世紀せいきまで」p41-42 ヴォルフガング・べーリンガー 髙木葉子ようこやく 法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく 2019ねん3がつ25にち初版しょはんだい1さつ
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関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 長谷川はせがわ孝道たかみちはしじゅうまんキロ マラソンのちち きんぐりよんさんつて 復刻ふっこくばん熊本日日新聞社くまもとにちにちしんぶんしゃ熊本くまもと陸上りくじょう競技きょうぎ協会きょうかい、2013ねん8がつ20日はつか、347ぺーじISBN 978-4-87755-467-5 
  • 東京教育大学とうきょうきょういくだいがく体育たいいく研究けんきゅうしつへん図説ずせつ 世界せかい体育たいいくしん思潮しちょうしゃ 1964ねん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]