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BMWザウバー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
BMWザウバー
ドイツの旗 BMW Sauber
エントリーめい
チーム国籍こくせき ドイツの旗 ドイツ
チーム本拠地ほんきょち スイスの旗 スイス チューリッヒしゅうヒンウィル
ドイツの旗 ドイツ バイエルンしゅうミュンヘン
おもなチーム関係かんけいしゃ
おもなドライバー
以前いぜんのチーム名称めいしょう ザウバー
撤退てったい ザウバー
F1世界せかい選手権せんしゅけんにおけるチーム履歴りれき
参戦さんせん年度ねんど 2006 - 2009
出走しゅっそう回数かいすう 70
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズ
タイトル
0
優勝ゆうしょう回数かいすう 1
通算つうさん獲得かくとくポイント 308
表彰台ひょうしょうだい(3以内いない)回数かいすう 16
ポールポジション 1
ファステストラップ 2
F1デビューせん 2006ねんバーレーンGP
はつ勝利しょうり 2008ねんカナダGP
最後さいごのレース 2009ねんアブダビGP
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BMWザウバー(BMW Sauber F1 Team)は、2006ねんから2009ねんまでF1世界せかい選手権せんしゅけん参戦さんせんしていたチームである。2005ねん自動車じどうしゃ会社かいしゃBMW既存きそんのチームザウバー買収ばいしゅうして設立せつりつした。しかし2009ねんシーズンにチームはもとのザウバーの売却ばいきゃくされた[1]

ザウバーの施設しせつ継続けいぞくして使用しようするため、本拠地ほんきょちスイスにあるが、エンジン開発かいはつ本拠地ほんきょちはBMW本社ほんしゃのあるドイツミュンヘンであり、チーム国籍こくせきはドイツで登録とうろくされていた。

BMWとF1とのかかわり

[編集へんしゅう]

オープンホイールのフォーミュラカーにおけるBMWの活動かつどうは、その初期しょきにおいてF2シリーズへの参戦さんせん中心ちゅうしんとしたものである。F1には1980年代ねんだいから本格ほんかくてき参戦さんせんするようになり、おもに1980年代ねんだいと2000ねん以降いこうの2けてかんがえることができる。ここでは、その前史ぜんしであるF2時代じだいについても、簡単かんたんげる。

1940年代ねんだい - 1950年代ねんだい

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だい世界せかい大戦たいせん操業そうぎょう再開さいかいゆるされたBMWは、会社かいしゃ技術ぎじゅつてき蓄積ちくせきのため、しばしばF2に自社じしゃの「328エンジン」をんで参戦さんせんし、みずからのチームや、よりちいさいVeritas、AFM、Jiceyといったチームのために328エンジンを供給きょうきゅうした。しかしながら、1955ねんにF2シリーズが一時いちじてき消滅しょうめつし、1956ねん再開さいかいしという一連いちれんうごきがあったさい、BMWの経営けいえいじんはこれ以上いじょうオープンホイールのレースにかかわらないことをめ、しばしの期間きかんレース活動かつどうから撤退てったいすることとなる。

1950ねんはじまったF1には、1952ねんから1954ねんにかけ、AFMチームなどにエンジン供給きょうきゅうするとともに自社じしゃチームも参戦さんせんさせ、おもにドイツGPのみ、いずれもスポット参戦さんせんかたち出場しゅつじょう記録きろくしている。

1960年代ねんだい

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1967ねん、F2のレギュレーションが改正かいせいされ、排気はいきりょう1600ccのエンジンがレギュレーションでみとめられた。BMWのあたらしい経営けいえいじんきゅう経営けいえいじんくらべオープンホイールのレースに理解りかいしめしていたこともあり、このレギュレーション改正かいせいわせてレースへの復帰ふっき決断けつだんする。

1968ねんローラとのジョイントでF2に復帰ふっき1969ねんにはM12とばれる1600ccエンジンを開発かいはつし、1970年代ねんだいにかけてF2に参戦さんせんつづける。このあいだ、ローラなどに供給きょうきゅうするだけでなく、BMW自身じしん自社じしゃ開発かいはつのシャシーで参戦さんせんしてもいる。

このF2復帰ふっきさいし、F1にはやはりドイツGPのみスポット参戦さんせんかたちで、1967ねんと1968ねんにローラにエンジン供給きょうきゅうするかたち参戦さんせんしている。また、1980年代ねんだい後述こうじゅつ)のF1参戦さんせんにおいても登場とうじょうするM12/13というエンジン名称めいしょうはこの時代じだいのF2ようエンジンにはしはっする。

1980年代ねんだい

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ブラバムBMW BT54 1985ねん

1980ねん、BMWはブラバムF1チームに、ターボチャージャー搭載とうさいエンジンを供給きょうきゅうすることを発表はっぴょうする。

1982ねんにはどうチームとともにはつのレースにいどむ。BMWがF1のために開発かいはつしたM12/13エンジンはF1の歴史れきしてきてもめずらしい直列ちょくれつ4気筒きとうのエンジンで、このとしはまだ信頼しんらいせい確立かくりつされていなかったこともあり、ブラバムチームは既存きそんコスワースDFVエンジン併用へいようしたが、カナダGPにおいてBMWエンジン搭載とうさいしゃネルソン・ピケによりF1はつ優勝ゆうしょうげる。

よく1983ねん前年ぜんねんからつづ供給きょうきゅうしていたブラバムのネルソン・ピケがBT52/BT52Bり、3しょうをあげドライバーズチャンピオンにかがやいた。また、このとしからBMWはATSチームにも供給きょうきゅうはじめる。

1984ねん、このとしからアロウズにも供給きょうきゅう開始かいし。2しょうをあげる。1985ねん、このとしはわずか1しょうわる。

1986ねん、このとしベネトンにも供給きょうきゅうし、ゲルハルト・ベルガーにより1しょうをあげる(BMWにとって80年代ねんだい最後さいご優勝ゆうしょうとなる)。一方いっぽうでブラバムは低迷ていめいいろくし、リカルド・パトレーゼデレック・ワーウィックともにほとんど成果せいかをあげられずじまいとなる。シーズン終盤しゅうばん翌年よくねんかぎりで撤退てったいすることを発表はっぴょう

1987ねん、ブラバムにのみ供給きょうきゅうし、発表はっぴょうしたとおりシーズンまつ撤退てったいした。

BMWのM12/13エンジンはバッジネームをえた派生はせいがた存在そんざいする。1986ねんかぎりで契約けいやくうしなったアロウズが1987ねんにもBMWエンジンをつづ使つかうことをほっしたため、メガトロンしゃがエンジン供給きょうきゅう権利けんりい、アロウズとリジェにメガトロンエンジンとして前年ぜんねんがたM12/13エンジンの改良かいりょうがたをカスタマー供給きょうきゅうした。これはBMW本体ほんたい撤退てったいしたのち1988ねんまでつづく。

BMWのM12/13ターボエンジンは、F1のレースセッションにおいて1000馬力ばりき出力しゅつりょくした最初さいしょのエンジンとしてよくられている。予選よせんではブーストあつ設定せってい変更へんこうすることで、最大さいだいすくなくとも1400馬力ばりきまで出力しゅつりょく向上こうじょうさせることができたとわれている。

1990年代ねんだい前半ぜんはん

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BMWはマクラーレン関係かんけいふかめ、BMWモータースポーツしゃせいのエンジンを市販しはんしゃマクラーレン・F1供給きょうきゅうした。このこともあり、1992ねんどうF1チームがホンダエンジンをうしなったさい、その後継こうけいとして、マクラーレンにV12エンジンを供給きょうきゅうするなどと復帰ふっきうわさ一時期いちじきえなかったが、結局けっきょく実現じつげんにはいたっていない。

2000年代ねんだい: ウィリアムズ時代じだい

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BMWウィリアムズFW26(2004ねん) フロントのアクセントは市販しはんしゃにもいているキドニーグリル意識いしきしている。このアクセントはBMWザウバーにも継承けいしょうされている。

F1復帰ふっき決断けつだんしたBMWは1997ねんウィリアムズ契約けいやくし、2000ねん復帰ふっきけ、アドバイザーとしてかつてのドライバー、ゲルハルト・ベルガーをむかえるなど準備じゅんびをはじめた。手始てはじめにウィリアムズせいのテストシャシーに自社じしゃ開発かいはつのV12エンジンをせて初期しょき開発かいはつおこなったBMWは、実戦じっせんテストという思惑おもわくもあって、このエンジンを搭載とうさいしたBMW V12 LMRを1999ねんル・マン24あいだレース参戦さんせんさせ、優勝ゆうしょうというこのうえないかたち成果せいか結実けつじつさせた。

同時どうじに、同年どうねんにはウィリアムズのF1シャシーを使用しようし、いよいよ翌年よくねんのF1参戦さんせんようのV10エンジンのテストを開始かいしする。

2000ねんラルフ・シューマッハとこのとしデビューとなるジェンソン・バトンようしてむかえる。開幕かいまくまえ時点じてんではテストのタイムがあまりにもおそかったため「BMWはエンジン開発かいはつ失敗しっぱいした」ともっぱらの評判ひょうばんであったが、復帰ふっきせんとなったオーストラリアGP下馬評げばひょうくつがえこうはしせ、見事みごと復帰ふっきせん表彰台ひょうしょうだいかざり、シーズン自体じたい年間ねんかんとおして復帰ふっき初年度しょねんどとしては上々じょうじょう出来できえる。

つづ2001ねん復帰ふっき2ねんながらもこのころになるとBMWエンジンはきわめてたか評価ひょうかており、とくにエンジンパワーのめんでは優位ゆういせい確立かくりつしていた。このとしはラルフ・シューマッハが3しょうをあげ、CARTチャンピオンの新人しんじんファン・パブロ・モントーヤはつ優勝ゆうしょう記録きろくしている。

2002ねんはモントーヤがポールポジション7かい獲得かくとくしながらも、結果けっかにつなげることができず、ラルフが1しょうするにとどまったが、コンストラクターズ2浮上ふじょう2003ねんはラルフ、モントーヤともに2しょうずつあげ、モントーヤはシーズン終盤しゅうばんまでドライバーズタイトル、チームとしても最終さいしゅうせんまでコンストラクターズタイトルをあらそうがあといちのところでりょうタイトルをのがしたが、前年ぜんねんおなじく、コンストラクターズ2獲得かくとく。2003ねんはBMWにとってはだい成功せいこうといえるシーズンとなった。これ以降いこうもさらなる躍進やくしん期待きたいされたが、レギュレーションの影響えいきょうやマシン開発かいはつをめぐってBMWとウィリアムズは衝突しょうとつし、成績せいせきめん下降かこうせんくだはじめることとなる。

2004ねんはエンジン規定きてい変更へんこうやマシン開発かいはつ失敗しっぱい影響えいきょうで1しょう(このとしはモントーヤが最終さいしゅうせん記録きろく)でわったうえ、コンストラクターズ4転落てんらく。このせいでウィリアムズのシャシー部門ぶもんとBMWがわとのあいだには徐々じょじょ摩擦まさつしょうじ、これらの状況じょうきょう解消かいしょうをはかったBMWがわはウィリアムズチームの買収ばいしゅう検討けんとうするが、これにはどうチーム代表だいひょうであるフランク・ウイリアムズパトリック・ヘッドかたくなに拒否きょひ。BMWとウィリアムズのあいだには不協和音ふきょうわおんしょうじつつあった。 2005ねん、ドライバーのラインナップが一新いっしんされ、マーク・ウェバーニック・ハイドフェルドというともわかさと一定いってい経験けいけんそなえたコンビとなる。ドライバーたちは健闘けんとうしたといえるが、チームは低迷ていめいし、トップからはおおきくはなされたランキング5でシーズンをえる。BMWがこのとしけて開発かいはつしていたP85エンジンは、唐突とうとつ発表はっぴょうされた2レース1エンジン規定きてい対応たいおうできなかったので(1レース1エンジン前提ぜんてい開発かいはつをしていたため)、このとし前年ぜんねんがた手直てなおししたのみのP84/5エンジンでたたかっていた。そのこともひびき、シーズンちゅうはチームないでシャーシ部門ぶもんとエンジン部門ぶもんあいだ責任せきにんいとなり、いよいよウィリアムズとの亀裂きれつ決定的けっていてきとなる。

BMWウィリアムズチームとしての6年間ねんかんだが、最初さいしょの2年間ねんかんでエンジンはこう評価ひょうかることに成功せいこうし、その集大成しゅうたいせいが2003ねん結実けつじつすることとなった。だが、かくシーズンをドライバーのミスでチャンスをかしれなかったことやその信頼しんらいせいかされることもすくなく順風じゅんぷうまんとはえなかった。そのうえ、2003ねんシーズン以外いがいはタイトルあらそいは無理むりでも優勝ゆうしょうかさねるチャンスはあったもののそれをかしれずにえてしまった。それでも、2003ねんまではレース成績せいせきとしては十分じゅうぶん成功せいこうおさめたとってよいシーズンをおくっていたのだが、2000ねんから2004ねんあいだフェラーリがF1シリーズを席巻せっけんしていた影響えいきょうによって、その結果けっかかげかくれてしまっためんもあった。

BMWザウバーF1

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F1.06

BMWは、2005ねん6がつ22にちにプライベーターチームのザウバーの買収ばいしゅう発表はっぴょうした。しんチームはスイスにあるザウバーのファクトリーと風洞ふうどう施設しせつつづ使用しようしてシャシー開発かいはつをし、ミュンヘンのBMWファクトリーでエンジンの開発かいはつをするという体制たいせいことになった。ザウバーがっていたスポンサーについて、タイトルスポンサーだったペトロナスクレディ・スイスともにしんチームに残留ざんりゅうした。このほか、テクニカルパートナーとしてあらたにインテル契約けいやくした。

名称めいしょう

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2005ねん6がつ22にち、BMWがザウバーの買収ばいしゅう発表はっぴょうした当初とうしょ、その名前なまえは「BMW F1」などになるものとかんがえられていたため、同年どうねん11がつ14にちしんチームめい発表はっぴょうされたさい、「ザウバー」ののこされていたことは若干じゃっかんおどろきをもってむかえられた。

これについて、BMWはザウバーの創設そうせつしゃであるペーター・ザウバーならびに、つづきチームのために尽力じんりょくすることになるスイスのきゅうザウバースタッフに敬意けいいあらわしてのものだと説明せつめいしているが、一方いっぽうで、かりにチームが不調ふちょうわったときに、BMW単独たんどくめいでの参戦さんせん場合ばあい本社ほんしゃのブランドイメージにきずけるおそれがあり、それをきらったためだ、ともわれている。しかし、参戦さんせん初年度しょねんどから、不振ふしんあえ老舗しにせウィリアムズやマシンがまらないトヨタらを尻目しりめ着実ちゃくじつにポイントをかさね、コンストラクターズ5上々じょうじょう成績せいせきおさめたことから、BMW本社ほんしゃ心配しんぱいはひとまず杞憂きゆうわった。

記録きろくあつか

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参戦さんせんすうなど、BMWザウバーチームの記録きろくあつかいについてはいくつかの混乱こんらんられるが、2006ねん参戦さんせん開始かいしにおいては、F1の主催しゅさいしゃであるFIAによる2つの公式こうしきサイトじょうのどちらでも、BMWザウバーの記録きろくらんはザウバーのそれをかたちとなっており[2]、BMWザウバーとザウバーは同一どういつのチームとされている。

コンストラクター登録とうろくは「Sauber」(2006ねん)「BMW」(2007ねん)「BMW Sauber」(2008-2009ねん)と変化へんかしているが、現在げんざいのF1においては参戦さんせんチーム=コンストラクターであるため、チームの記録きろくとコンストラクターの記録きろくけてかんがえることはあやまりである。同様どうようれいとして、レッドブル・レーシングがとしによって「Redbull」「RBR」と登録とうろくめいわっているが、これらがべつのコンストラクターとして理解りかいされることはない。

BMWは1952ねんと1953ねんドイツGPの2せんだけ、自社じしゃ名義めいぎ単独たんどく参戦さんせんしており、1952ねんには決勝けっしょう12、1953ねんには14と15でそれぞれ完走かんそう記録きろくしている。この2せんあつかいについては「BMW」と「BMWザウバー」として別記べっきろくとしてあつかうことが一般いっぱんてきである。

2006ねん

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2006ねん新生しんせいBMWザウバーF1チームは、このころめずらしくなかったかたちのマシンでたたかから新車しんしゃ導入どうにゅうするのではなく、開幕かいまくせんから新車しんしゃBMWザウバー・F1.06投入とうにゅう。BMWウイリアムズ時代じだいはたらきをせ、またぜんオーナーのペーター・ザウバーのおりでもあったニック・ハイドフェルドをファーストドライバーにむかえ、ザウバーとのあいだわした契約けいやく依然いぜん有効ゆうこうだった1997ねんのチャンピオン、ジャック・ヴィルヌーヴとのコンビネーションでシーズンにのぞんだ。ひかえのサードドライバーは、WSBRのチャンピオンである、ポーランドひとロバート・クビサであった。

ハイドフェルドはだい3せんオーストラリアGPの4最高さいこうにしてコンスタントにポイントを獲得かくとくしたが、ヴィルヌーヴは不調ふちょうつづき、だい12せんドイツGP最後さいごにチームを離脱りだつした。つづハンガリーGPからサードドライバーのクビサがデビューし、いきなり7入賞にゅうしょう才能さいのう片鱗へんりんけたがレース終了しゅうりょう車検しゃけん規定きてい重量じゅうりょう違反いはん発覚はっかくしポイントを剥奪はくだつされた。しかしクビサはだい15せんイタリアGPでは3入賞にゅうしょうして参戦さんせん3せんにして表彰台ひょうしょうだいかざった。ハイドフェルドもだい13せんハンガリーGPでチームはつ表彰台ひょうしょうだいとなる3獲得かくとくするなどの活躍かつやくせ、このとしチームは36ポイントを獲得かくとくしコンストラクターランキングは5であった。

フランスGPでは、コックピット前方ぜんぽう左右さゆう一対いっつい垂直すいちょくウイングを装着そうちゃくして出走しゅっそうしたが、前方ぜんぽう視界しかいさまたげるとの理由りゆうつぎせんから禁止きんしになってしまった。このウイングはジャーナリストたちから、ペトロナスの本社ほんしゃビルとけて「ペトロナスツインタワー」とばれた。

2007ねん

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2007ねんも、前年ぜんねんからのドイツじんニック・ハイドフェルドとポーランドじんロバート・クビサのコンビで参戦さんせんした。

ハイドフェルドは、カナダGPで2、ハンガリーGPで3として表彰台ひょうしょうだいがり、バーレーンGPと富士ふじでは、フェルナンド・アロンソくという活発かっぱつてき積極せっきょくてき姿すがたしめせた。

クビサも序盤じょばんからコンスタントにポイントを獲得かくとくしていたが、カナダGPでトヨタヤルノ・トゥルーリ接触せっしょく派手はでにクラッシュした。この事故じこはBMWザウバー発足ほっそく以来いらいもっと重大じゅうだいなアクシデントであり、一昔ひとむかしまえであれば確実かくじつにドライバーは死亡しぼうしているような事故じこであったが、HANS着用ちゃくようしていたこと、そしてF1.07がクラッシュテストで想定そうていされたとおり「きちんとこわれた」ことからドライバーへのダメージを吸収きゅうしゅうしたため、奇跡きせきてきなことにクビサ自身じしんあし捻挫ねんざしただけでんだ。ただしFIAの医師いしだんこもめにしたがいクビサはつぎせんアメリカGPを欠場けつじょうすることになった。

アメリカGPではクビサの代役だいやくでドイツじんセバスチャン・ベッテル出走しゅっそうすることになった。ベッテルはこのレースで完走かんそう8入賞にゅうしょうして1ポイントを獲得かくとくした。新人しんじんドライバーがいきなり出走しゅっそうしてポイントを獲得かくとくできたのはベッテルの才能さいのうもさることながら、F1.07のポテンシャルのたかさをしめしたともいえる。

クビサはフランスGPからは元気げんき姿すがたでカムバックし、そのもコンスタントにポイントを獲得かくとくした。結果けっかてきにこのとしはほとんどのレースで2人ふたりとも入賞にゅうしょうでき、マクラーレンとフェラーリにだい3の立場たちばきずくことに成功せいこうした。マクラーレンのポイント剥奪はくだつにより、コンストラクターズ2というこう結果けっかでシーズンをめくくった(また、かりにこれがなくても成績せいせきめんでも自身じしんよりしたのチームと大差たいさをつけたシーズンとなっている)。

2008ねん

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2008ねんも、つづきハイドフェルドとクビサのコンビで参戦さんせん

オフシーズンのテストでは、2人ふたりとも新車しんしゃF1.08こずっていたが、シーズンが開幕かいまくすると、フェラーリ、マクラーレンにもおとらないペースをせた。

だい3せんバーレーンGPでは、クビサがチームはつのポールポジションを獲得かくとくし(結果けっかは3)、だい7せんカナダGPでは、クビサが自身じしん、そしてチームにとってはじめての優勝ゆうしょうたした。2にはハイドフェルドがはいり、はつ優勝ゆうしょうをワン・ツー・フィニッシュでかざ最高さいこうのものとなった。

だが、だい7せんカナダGPの優勝ゆうしょうでクビサがポイントリーダーになったにもかかわらず、同年どうねん7がつ合同ごうどうテストから翌年よくねん新車しんしゃ開発かいはつ比重ひじゅううつしてしまった。だが、この直近ちょっきんにあたるだい10せんドイツGPの結果けっか時点じてんではまだクビサのタイトル獲得かくとく可能かのうせい十分じゅうぶんのこっており、このチーム方針ほうしんたいこうそうしていたクビサは不満ふまんていしたように、この影響えいきょうでF1.08の開発かいはつペースがおくれたことでタイトルあらそいから脱落だつらくする遠因えんいんとなり、マシンとしてもルノーやトヨタとのめられることとなった。ただ、これは2009ねんからKERSの導入どうにゅうやマシン設計せっけい大幅おおはば変更へんこうもとめるレギュレーション変更へんこうがあり、それにそなえためんもあった。それでもシーズン全体ぜんたいれば、マシンの信頼しんらいせい十分じゅうぶんあり、安定あんていしてポイントをかせいだ。クビサは終盤しゅうばんまでタイトル獲得かくとく可能かのうせいのこはしりをみせ、最終さいしゅうてきにはドライバーズランキングで2007ねんチャンピオンのキミ・ライコネンどうポイントの4獲得かくとく。コンストラクターズポイントも前年ぜんねんからさらにばしだい躍進やくしんの1ねんとなった。また、マシントラブルによるリタイヤはいちく、クビサのリタイヤは開幕かいまくせんでの中嶋なかじま一貴かずたかとの接触せっしょくによるものとイギリスグランプリのスピンによるものだけであり、ハイドフェルドは、ぜんせん完走かんそうたし、連続れんぞく完走かんそう記録きろくミハエル・シューマッハ記録きろくくこととなった。

2009ねん

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2008ねんからつづき、ハイドフェルドとクビサのコンビで参戦さんせんするとのチームからの発表はっぴょうがあった。2009ねんようのマシン「F1.09」はスペインバレンシアにあるリカルド・トルモサーキットで2009ねん1がつ20日はつか発表はっぴょうされた[3]だい2せんマレーシアでは、あめ中断ちゅうだんとなっただいれのレースでハイドフェルドが2獲得かくとくしたものの、クビサは開幕かいまくから6せん連続れんぞくでノーポイントとくるしみ、両者りょうしゃとも予選よせんQ1で敗退はいたいすることもおおく、不振ふしんつづけた。

このとしKERS導入どうにゅうしたが実践じっせんにおいては目立めだった効果こうかく、だい8せんイギリスGPで開発かいはつ中止ちゅうしをした。結果けっかとして、マシン全体ぜんたい開発かいはつ停滞ていたいした。

7がつ29にち緊急きんきゅう記者きしゃ会見かいけんおこなわれ、2009ねんシーズンいっぱいでF1から撤退てったいすることを発表はっぴょうした。BMW本社ほんしゃは、リソースをあらたなドライブテクノロジーや持続じぞくせいおよび環境かんきょう適合てきごうせいのプロジェクトに集中しゅうちゅうしていくとした。F1以外いがいのモータースポーツには今後こんご参戦さんせんつづけていく方針ほうしんとした。

9月15にちには、BMWがF1チームをスイスの投資とうし会社かいしゃであるカドバック・インベストメントに売却ばいきゃくしたことが発表はっぴょうされた[4]。この時点じてんでBMWザウバーはあたらしいコンコルド協定きょうていにサインしておらず、そのうえ、BMWザウバーの撤退てったい前提ぜんていとして新規しんき参戦さんせんチームの追加ついか募集ぼしゅうおこない、あらたにロータス・レーシング参戦さんせんけんていた。このため国際こくさい自動車じどうしゃ連盟れんめい(FIA)ではBMWザウバーを「14番目ばんめのチーム」として2010ねんのエントリーリストに掲載けいさいし、すでにエントリーみの13チームのなかから撤退てったいするチームがあらわれた場合ばあい補欠ほけつとすることを表明ひょうめい[5]。その11がつ4にちにはトヨタF1同年どうねんかぎりでF1から撤退てったいすることが発表はっぴょうされたため[6]、BMWザウバーが参戦さんせんけんることができた[7]

11月27にち、BMWは、チームを当初とうしょ発表はっぴょうしたカドバックではなく、創始そうししゃであるペーター・ザウバーに売却ばいきゃくすることで合意ごういしたと発表はっぴょうした[8]

戦績せんせき

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とし シャーシ エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 ポイント ランキング
2006 F1.06 BMWP86(V8) M BHR
バーレーンの旗
MAL
マラヤ連邦の旗
AUS
オーストラリアの旗
SMR
サンマリノの旗
EUR
欧州連合の旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
GBR
イギリスの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
FRA
フランスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
TUR
トルコの旗
ITA
イタリアの旗
CHN
中華人民共和国の旗
JPN
日本の旗
BRA
ブラジルの旗
36 5th
ニック・ハイドフェルド 12 Ret 4 13 10 8 7 7 7 Ret 8 Ret 3 14 8 7 8 Ret
ジャック・ヴィルヌーヴ Ret 7 6 12 8 12 14 8 Ret Ret 11 Ret
ロバート・クビサ TD TD TD TD TD TD TD TD TD TD TD TD DSQ 12 3 13 9 9
2007 F1.07 BMWP86/7(V8) B AUS
オーストラリアの旗
MAL
マラヤ連邦の旗
BHR
バーレーンの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
EUR
欧州連合の旗
HUN
ハンガリーの旗
TUR
トルコの旗
ITA
イタリアの旗
BEL
ベルギーの旗
JPN
日本の旗
CHN
中華人民共和国の旗
BRA
ブラジルの旗
101 2nd
ニック・ハイドフェルド 4 4 4 Ret 6 2 Ret 5 6 6 3 4 4 5 14 7 6
ロバート・クビサ Ret 18 6 4 5 Ret Inj 4 4 7 5 8 5 9 7 Ret 5
セバスチャン・ベッテル TD TD 8
2008 F1.08 BMWP86/8(V8) B AUS
オーストラリアの旗
MAL
マラヤ連邦の旗
BHR
バーレーンの旗
ESP
スペインの旗
TUR
トルコの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
EUR
欧州連合の旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
SIN
シンガポールの旗
JPN
日本の旗
CHN
中華人民共和国の旗
BRA
ブラジルの旗
135 3rd
ニック・ハイドフェルド 2 6 4 9 5 14 2 13 2 4 10 9 2 5 6 9 5 10
ロバート・クビサ Ret 2 3 4 4 2 1 5 Ret 7 8 3 6 3 11 2 6 11
2009 F1.09 BMWP86/9(V8) B AUS
オーストラリアの旗
MAL
マラヤ連邦の旗
CHN
中華人民共和国の旗
BHR
バーレーンの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
TUR
トルコの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
EUR
欧州連合の旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
SIN
シンガポールの旗
JPN
日本の旗
BRA
ブラジルの旗
ABU
アラブ首長国連邦の旗
36 6th
ロバート・クビサ 14 Ret 13 18 11 Ret 7 13 14 13 8 4 Ret 8 9 2 10
ニック・ハイドフェルド 10 2† 12 19 7 11 11 15 10 11 11 5 7 Ret 6 Ret 5

†は規定きてい周回しゅうかいすうの75%を消化しょうかせずレース終了しゅうりょう通常つうじょう半分はんぶんのポイントを加算かさん

車両しゃりょうギャラリー

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  • ワークス(2006ねん - 2009ねん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 2010ねんのF1世界せかい選手権せんしゅけん参戦さんせんした「BMWザウバー」については、2009ねん成績せいせきによる分配ぶんぱいきん確実かくじつるためのものであり、実態じったいは「ザウバーの参戦さんせん復帰ふっき」としてあつかわれることがほとんどである。
  2. ^ FIA公式こうしきサイトF1公式こうしきサイト
  3. ^ http://www.topnews.jp/f1/7992.html
  4. ^ “BMW、F1チームをQadbakに売却ばいきゃく. F1-Gate.com. (2009ねん9がつ15にち). http://f1-gate.com/bmw/f1_4866.html 2009ねん9がつ15にち閲覧えつらん 
  5. ^ 2010 FIA Formula One World Championship - New Entries - FIA・2009ねん9がつ15にち
  6. ^ トヨタ、F1からの撤退てったい発表はっぴょう - トヨタ自動車とよたじどうしゃ・2009ねん11月4にち
  7. ^ FIA 'concerned' by Toyota's exit - autosport.com 2009ねん11月4にち
  8. ^ “BMW sells F1 team back to Peter Sauber”. autosport.com. (2009ねん11月27にち). http://www.autosport.com/news/report.php/id/80350 2009ねん11月27にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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