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タバコ(煙草)(たばこ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

タバコ(煙草たばこみ)たばこ英語えいご表記ひょうき)tabaco ポルトガル

日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ) 「タバコ(煙草たばこ)」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

タバコ(煙草たばこ
たばこ / 煙草たばこ
tabaco ポルトガル
[がく] Nicotiana tabacum L.

ナス(APG分類ぶんるい:ナス)タバコぞくNicotiana多年草たねんそう栽培さいばいじょういちねんそうとしてあつかわれる。喫煙きつえんようとして世界せかいひろ栽培さいばいされる。

田中たなか正武まさたけ

タバコ

形態けいたい

くきたかさ2メートルになり、ながやく60センチメートルの互生ごせいする。かたちちょう紡錘形ぼうすいけいちょう心臓しんぞうがたなど品種ひんしゅによりことなるが、1ほんくきに30まいほどつき、くき中部ちゅうぶから上部じょうぶじゅうすうまいないし20まい収穫しゅうかくされ、利用りようされる。また、基部きぶ発達はったつせず葉柄ようへいがあるようにみえる品種ひんしゅぐんと、基部きぶ発達はったつしてにみえる品種ひんしゅぐんとがある。はなつつじょう合弁ごうべんはなで、花色はないろ白色はくしょく桃色ももいろあかちか桃色ももいろなどがある。しべ5ほんしべ1ほん花冠かかん先端せんたんは5きれする。種子しゅし長径ちょうけい0.7~0.8ミリメートル、たんみち0.5~0.6ミリメートルとちいさく、赤褐色せきかっしょくないし黒褐色こっかっしょくのややひらたいたまごがたで、表面ひょうめん波状はじょう凹凸おうとつがある。乾燥かんそうさせ、紙巻かみまきたばこや葉巻はまきたばこ、パイプやキセルようきざみたばこなどをつくる。

田中たなか正武まさたけ

分類ぶんるい

タバコぞく植物しょくぶつはいくつかの栽培さいばいしゅのほか、野生やせいしゅられている。ほんしゅ以外いがい栽培さいばいしゅとしては、しゅとしてニコチン採取さいしゅようとするマルバタバコN. rustica L.のほか、観賞かんしょうようとするオオタバコN. tomentosa Ruiz et Pav.やハナタバコニコチアナN. × sanderae W.Watson、キダチタバコN. glauca Grahamなどがある。マルバタバコは黄色おうしょくみをびて、にはなが葉柄ようへいがあり、先端せんたんのごとく、タバコにくらべてまるく、とがらない。品質ひんしつはタバコにおとるが、早熟そうじゅくせいなので、かつてメキシコを中心ちゅうしんとしてみなみアメリカの高地こうち寒冷かんれい、およびドイツ、スイスなどで栽培さいばいされたが、現在げんざい喫煙きつえんようとしての利用りようはほとんどない。のニコチン含量がタバコにくらべてたかく、ニコチン採取さいしゅようとして栽培さいばいされる。オオタバコやハナタバコははなうつくしい種類しゅるいで、欧米おうべいでは品種ひんしゅ改良かいりょうおこなわれて花壇かだんなどに利用りようされている。またキダチタバコは観葉かんよう植物しょくぶつとして利用りようされる。

 なお、観賞かんしょうよう品種ひんしゅ栽培さいばい自由じゆうであるが、喫煙きつえんようのものは日本にっぽんでは「たばこ事業じぎょうほう」(昭和しょうわ59ねん法律ほうりつ68ごう)によって、日本にほんたばこ産業さんぎょう株式会社かぶしきがいしゃ契約けいやくしたものだけが栽培さいばいすることができる。

田中たなか正武まさたけ

起源きげん伝播でんぱ

タバコぞく野生やせいしゅにはばいしゅよんばいしゅほか、異数いすうせいふくやく60しゅがある。シルベストリスしゅN. sylvestris Speg. et Comes.、トメントーサぐん(トメントーサしゅN. tomentosa Ruiz. et Pavon、トメントシフォルミスしゅN. tomentosiformis Goodsp.、オトフォラしゅN. otophora Grisebach)、パニキュラータしゅN. paniculata L.、ウンジュラータしゅN. undulata Ruiz. et Pavonはばいしゅであるが、栽培さいばいしゅのタバコやマルバタバコはよんばいしゅである。

 タバコは、シルベストリスしゅとトメントーサぐんの1しゅとの自然しぜん雑種ざっしゅがまずしょうじ、つづきおこった染色せんしょくたい倍加ばいかによって成立せいりつしたものである。シルベストリスしゅとトメントーサぐんのそれぞれとの交雑こうざつによる人為じんい合成ごうせいしゅ育成いくせいした場合ばあい種子しゅしみのりせい(ねんせい)をしめすのはオトフォラしゅのみで、しかもオトフォラしゅはシルベストリスしゅ共通きょうつうした分布ぶんぷいきをもっている。したがって、トメントーサぐんのなかでも、オトフォラしゅがもうひとつの祖先そせんしゅである可能かのうせいたかい。その起源きげんは、りょう祖先そせんしゅ共通きょうつう分布ぶんぷ地域ちいきであるアルゼンチン北部ほくぶのサルタ地域ちいきとそれにせっするボリビア南部なんぶ地域ちいきである。しかしこれの野生やせいしゅ発見はっけんされていない。もうひとつの栽培さいばいしゅマルバタバコはパニキュラータしゅとウンジュラータしゅとのばいしゅあいだ自然しぜん雑種ざっしゅしょうじ、つづきおこった染色せんしょくたい倍加ばいかによって起源きげんされたよんばいしゅである。その起源きげんは、りょう祖先そせんしゅ共通きょうつう分布ぶんぷ地域ちいき推定すいていされるので、ペルー、ボリビアの中央ちゅうおうアンデス地帯ちたい3000メートルの高原こうげん、しかも太平洋たいへいようがわ西にし斜面しゃめん推定すいていされる。これの野生やせいしゅは、エクアドル南西なんせい標高ひょうこう2300~2800メートル、ペルーとボリビアの国境こっきょう地帯ちたいのアンデスの西側にしがわ標高ひょうこう2000~3600メートルの乾燥かんそう地帯ちたい発見はっけんされている。

 このふたつの栽培さいばいしゅのうち、マルバタバコがまず成立せいりつし、北方ほっぽうのメキシコ、きたアメリカ南西なんせい東部とうぶから北東ほくとう、カナダ南部なんぶまでひろがった。その今日きょう喫煙きつえんよう栽培さいばいされるタバコが起源きげんされ、マルバタバコにとってかわった。これが南北なんぼくりょうアメリカ大陸あめりかたいりくひろがり、コロンブスによる「新大陸しんたいりく発見はっけん」(1492)当時とうじきたアメリカ北部ほくぶみなみアメリカ南端なんたんのぞく9わり以上いじょう地域ちいき栽培さいばいされ、喫煙きつえん風習ふうしゅうがあった。ヨーロッパへは1518ねんにスペインに導入どうにゅうされたのが最初さいしょである。そののヨーロッパ諸国しょこくへは16世紀せいき後半こうはん次々つぎつぎ導入どうにゅうされた。トルコへは1850ねんにエクアドル、コロンビアから導入どうにゅうされ、トルコ成立せいりつをみた。

 アジアへは1571ねんにスペインじんがキューバからフィリピンに導入どうにゅうしたのが最初さいしょである。今日きょう、フィリピンで栽培さいばいされる品種ひんしゅはマニラしょうされ、優秀ゆうしゅう品種ひんしゅひとつとなっている。中国ちゅうごく大陸たいりくへは台湾たいわん経由けいゆで1600ねん福建ふっけんはいり、その大陸たいりく南部なんぶ中部ちゅうぶつたえられ、ビルマ(ミャンマー)へと伝播でんぱ(でんぱ)した。インドへはポルトガルひとが1605ねんにブラジルから導入どうにゅうし、1610ねんセイロンとうつたえられた。日本にっぽんへは慶長けいちょう(けいちょう)年間ねんかん(1596~1614)に薩摩さつま(さつま)(鹿児島かごしまけん)の指宿いぶすき(いぶすき)みなとはいり、長崎ながさきつたえられ、さらにたかられき(ほうれき)年間ねんかん(1751~1764)に浦賀うらが(うらが)みなとはいり、全国ぜんこく栽培さいばい普及ふきゅうした。その品種ひんしゅえ、1897ねん明治めいじ30)の専売せんばいせい移行いこう当時とうじ品種ひんしゅは170しゅおよんだ。

田中たなか正武まさたけ

品種ひんしゅ

タバコは品種ひんしゅによってかおりと喫煙きつえんあじこう喫味という)、弾性だんせい燃焼ねんしょうせいなどがちがい、これにおうじて用途ようとことなる。また種類しゅるいによって栽培さいばい適地てきちがほぼまっており、栽培さいばいから収穫しゅうかくしたあとの処理しょりいたるまで、それぞれちがった栽培さいばいほう調製ちょうせいほうおこなわれる。品種ひんしゅ黄色おうしょくしゅバーレーしゅ在来ざいらいしゅ、それに日本にっぽんでの栽培さいばいはないが葉巻はまきしゅオリエントしゅ大別たいべつされる。

〔1〕黄色おうしょくしゅは、収穫しゅうかくした乾燥かんそうしつないつるし(つ)って乾燥かんそうさせ、鮮明せんめいだいだい(だいだい)いろないしあわ黄色きいろ仕上しあげる品種ひんしゅである。きたアメリカ原産げんさんで、世界せかいてきにもっともひろ栽培さいばいされる。日本にっぽんへは明治めいじ以降いこう導入どうにゅうされ、昭和しょうわはいってから本格ほんかくてき栽培さいばいおこなわれ、関東かんとう地方ちほう以西いせい沖縄おきなわまでひろ栽培さいばいされる。日本にっぽん黄色おうしょくしゅ品種ひんしゅは、だい1黄色おうしょくしゅからだい4黄色おうしょくしゅに4大別たいべつされ、現在げんざいだい1、だい2、だい3、だい4黄色おうしょくしゅ栽培さいばいされている。だい1黄色おうしょくしゅ紙巻かみまきたばこのじゅん香味料こうみりょう品種ひんしゅこう喫味の主役しゅやくではないが、それにじゅんずる品種ひんしゅ)である。瀬戸内せとうち九州きゅうしゅう地方ちほう中心ちゅうしん栽培さいばいされる。だい2黄色おうしょくしゅていニコチン品種ひんしゅで、紙巻かみまきたばこの緩和かんわりょう品種ひんしゅ緩和かんわ補充ほじゅうりょうともよばれ、製品せいひんもちをよくし、製品せいひんりをあたえるもので、それ自身じしんあじかおりは淡泊たんぱくで、くせのない品種ひんしゅ)である。北陸ほくりく地方ちほう中国ちゅうごく四国しこく地方ちほう鹿児島かごしまけん沖縄おきなわけん栽培さいばいされる。だい3黄色おうしょくしゅはかつての標準ひょうじゅん品種ひんしゅで、紙巻かみまきたばこの香味料こうみりょう品種ひんしゅこう喫味がすぐれ、またそれがかなり濃厚のうこう品種ひんしゅ)である。九州きゅうしゅう地方ちほう栽培さいばいされる。だい4黄色おうしょくしゅ関東かんとう栽培さいばいされる。

〔2〕バーレーしゅ元来がんらいアメリカの在来ざいらいしゅから突然変異とつぜんへんいしょうじたもので、葉緑素ようりょくそすくない品種ひんしゅである。こう喫味がすぐれ、特有とくゆうあじをもち、いわゆるアメリカタイプの紙巻かみまきたばこの香味料こうみりょう品種ひんしゅである。日本にっぽん本格ほんかくてき栽培さいばいはじまったのは1938ねん昭和しょうわ13)からで、東北とうほく地方ちほう栽培さいばい中心ちゅうしんである。

〔3〕在来ざいらいしゅは、明治めいじ以前いぜんから日本にっぽん各地かくち栽培さいばいされていた品種ひんしゅ、およびそれらをもとに改良かいりょうされた品種ひんしゅ総称そうしょうである。江戸えど時代じだいから栽培さいばいされ、おおくの品種ひんしゅがあり、だい1在来ざいらいしゅからだい5在来ざいらいしゅの5ぐんけられる。そのうちだい2、だい3およびだい5在来ざいらいしゅ経済けいざい栽培さいばいされているが、だい1在来ざいらいしゅだい4在来ざいらいしゅ現在げんざい栽培さいばいされていない。だい2在来ざいらいしゅ品種ひんしゅ松川まつかわ(まつかわ)は、紙巻かみまきたばこの緩和かんわりょう品種ひんしゅで、在来ざいらいしゅのうち栽培さいばい面積めんせきがもっともおおい。しゅ産地さんち福島ふくしまけんである。だい3在来ざいらいしゅには、栃木とちぎけんしゅ産地さんちのだるま、徳島とくしまけんしゅ産地さんち阿波あわ(あわ)、静岡しずおかけんしゅ産地さんちとおしゅう(えんしゅう)の3品種ひんしゅふくまれる。いずれも紙巻かみまきたばこの緩和かんわりょう品種ひんしゅである。だい5在来ざいらいしゅ品種ひんしゅしろとおしゅうは、バーレーしゅ在来ざいらいしゅとの交雑こうざつによって育成いくせいされたもので、くさ姿すがた栽培さいばい調製ちょうせいほうはバーレーしゅとほぼおなじで、在来ざいらいしゅこう喫味をもったおさむせい品種ひんしゅである。紙巻かみまきたばこの緩和かんわりょう品種ひんしゅで、各地かくち栽培さいばいされる。なお、だい1在来ざいらいしゅには水府すいふ(すいふ)や国分こくぶ(こくぶ)などの品種ひんしゅがあり、こう喫味がとくにゆたかなのできざみたばこにもちいられたが、きざみたばこの需要じゅよう減少げんしょうともなって栽培さいばいがなくなった。だい4在来ざいらいしゅ品種ひんしゅ南部なんぶ(なんぶ)があり、葉巻はまきようとされ、岩手いわてけんしゅ産地さんちであったが、現在げんざい栽培さいばいされていない。

〔4〕葉巻はまきしゅ葉巻はまきたばこよう品種ひんしゅで、原料げんりょうつよ発酵はっこうさせることが特徴とくちょうである。葉巻はまき需要じゅようはヨーロッパを中心ちゅうしんとしておおく、しゅ産地さんちカリブ海かりぶかい地域ちいきのキューバ、ドミニカからアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくのフロリダしゅうなどのほか、ウィスコンシンしゅう、それにスマトラ島すまとらとう、フィリピンなどである。

〔5〕オリエントしゅはギリシア、トルコなど地中海ちちゅうかいせい気候きこう生育せいいくする品種ひんしゅで、独特どくとく芳香ほうこうをもつ。日本にっぽんのような多湿たしつ地帯ちたいでは栽培さいばいはむずかしい。

星川ほしかわ清親きよちか

栽培さいばい

タバコの種子しゅしはきわめてこまかいので、みず播(みずまき)ほうといってみずかべた種子しゅし如露じょろみずとともに苗床なえどこ散布さんぷする。タバコの種子しゅしこうひかりせいなので、覆土ふくどをせず種子しゅしがわずかにかくれる程度ていど堆肥たいひ(たいひ)こなをかける。播種はしゅ(はしゅ)は2~3がつ苗床なえどこ温度おんどは20~25℃にたもつ。播種はしゅ5~7にち発芽はつがする。ほん3、4まいのときにべつ苗床なえどこかりえする。なえが8、9ようまでそだった4がつころ、ビニルフィルムで土壌どじょうめんおおったほんはたけ定植ていしょくする。7月ころまでには草丈くさたけが2メートルほどにそだち、くきいただきはなをつけはじめる。開花かいか初期しょきないし中期ちゅうきくきしん(しん)をる(摘芯という)。摘芯の深浅しんせんによってニコチンやそのない成分せいぶん蓄積ちくせきりょう左右さゆうされるので、タバコ栽培さいばいじょう重要じゅうよう作業さぎょうである。すなわち、あさくするとのニコチンがすくなくなり、ふかくするとおおくなる。また、ぶんえだびるとしんめの効果こうかがなくなるので、からぶんえだもすべてのぞく。このさないようにマレインさんヒドラジドなど成長せいちょう調節ちょうせつ物質ぶっしつ利用りようされる。摘芯のんだ直後ちょくご普通ふつうは7がつ中旬ちゅうじゅんから収穫しゅうかく開始かいしされ、1かいに2まい程度ていどずつ、5~7にちきにしもから順次じゅんじ収穫しゅうかくする。中位ちゅういまで収穫しゅうかくすすむと、それより上位じょういはほぼ同時どうじ成熟せいじゅくするので、黄色おうしょくしゅでは5、6ないし7、8まい一時いちじ収穫しゅうかくできる。またバーレーしゅ在来ざいらいしゅでは、それより上位じょうい7、8ないし10~15まいくきごとる。

 収穫しゅうかくしたは、乾燥かんそう過程かてい流通りゅうつう過程かていにのせられる。乾燥かんそうあいだに、ちゅうタンパク質たんぱくしつやデンプンなどの高分子こうぶんし化合かごうぶつ分解ぶんかいがおこり、たばこのこう喫味成分せいぶん生成せいせいがおこるので、たばこの乾燥かんそうたんかわかすということ以上いじょう意味いみをもった加工かこう過程かていといえる。タバコの種類しゅるいによってそれにてきした乾燥かんそう方法ほうほうがあり、大別たいべつしてふたつの方式ほうしきおこなわれる。黄色おうしょくしゅ乾燥かんそうには、もっぱらバルク乾燥かんそうほうおこなわれる。これは、るした乾燥かんそうしつに、灯油とうゆやプロパンガスによる熱風ねっぷう強制きょうせい循環じゅんかんさせる方法ほうほうで、はじめは36~38℃から最終さいしゅうは70℃を上限じょうげんとし、段階だんかいてき温度おんどげながらぜん工程こうてい120あいだ程度ていど乾燥かんそうさせる。バーレーしゅ在来ざいらいしゅでは空気くうき乾燥かんそうほう自然しぜん乾燥かんそうほうともよばれる)がおこなわれ、自然しぜん温度おんど湿度しつど通風つうふうで3~4週間しゅうかんかけてゆっくり乾燥かんそうさせる。

 タバコの病害びょうがいには立枯たちがれびょうやタバコモザイク病もざいくびょうがある。立枯たちがれびょうはとくに黄色おうしょくしゅ主要しゅよう病害びょうがいとなっているが、抵抗ていこうせい品種ひんしゅ栽培さいばいクロルピクリンによる土壌どじょう消毒しょうどくによって防除ぼうじょする。また、タバコモザイク病もざいくびょうタバコモザイクウイルスによるもので、かつておおきな被害ひがいあたえたが、ウイルス抵抗ていこうせいがあるきんえんしゅN. glutinosa L.とのたねあいだ交雑こうざつによって、日本にっぽん栽培さいばいされるバーレー21やしろとおしゅうなど、現在げんざい品種ひんしゅでは被害ひがいをみないようになった。

星川ほしかわ清親きよちか

生産せいさんじょうきょう

日本にっぽんでの生産せいさんじょうきょう(1984)をみると、そう作付さくづけ面積めんせき5まん3400ヘクタール、収穫しゅうかくりょう13まん5500トンである。しゅ産地さんち福島ふくしまけんが6420ヘクタールでもっともおおい。岩手いわてけん4680ヘクタール、熊本くまもとけん3930ヘクタール、茨城いばらきけん3810ヘクタール、鹿児島かごしまけん3600ヘクタール、宮崎みやざきけん2720ヘクタール、青森あおもりけん2610ヘクタール、新潟にいがたけん2200ヘクタールなどである。品種ひんしゅでは黄色おうしょくしゅ全体ぜんたいの60%をめている。

 国内こくない生産せいさんのほかに輸入ゆにゅうもあるが、1984年度ねんど輸入ゆにゅうやく7まんトン、980おくえんである。また紙巻かみまきたばこの輸入ゆにゅうは70おく2400まんほん、305おくえんである。

 世界せかい生産せいさんじょうきょう(1984)は、作付さくづけ面積めんせき415まん5000ヘクタール、収穫しゅうかくりょう620まん5000トンである。くにべつでは中国ちゅうごくが77まん9000ヘクタール、152まん6000トン、アメリカが32まん3000ヘクタール、79まん1000トン、インドが44まんヘクタール、49まん7000トン、以下いかブラジル28まん5000ヘクタール、41まん5000トン、きゅうソ連それん18まんヘクタール、35まんトンとなっている。日本にっぽんはトルコに世界せかいだい7栽培さいばいこくとなっている。

星川ほしかわ清親きよちか

 2000年代ねんだいはいってから、健康けんこう意識いしきたかまりや喫煙きつえんしゃ高齢こうれいなどにより、タバコの需要じゅよう減少げんしょうしている状況じょうきょうおうじて、2004ねんと2012ねんタバコの生産せいさん調整ちょうせいおこなわれた。また、耕作こうさくしゃ高齢こうれいおよび後継こうけいしゃ不足ふそくによるはいさくえた。そのため耕作こうさく面積めんせき生産せいさんりょういちじるしく減少げんしょうしている。JT(日本にほんたばこ産業さんぎょう株式会社かぶしきがいしゃ)への販売はんばい実績じっせきからみる2018ねん耕作こうさく面積めんせきは7065ヘクタール、生産せいさんりょうは1まん6998トンである。しゅ産地さんちは、熊本くまもとけん1034ヘクタール、青森あおもりけん821ヘクタール、岩手いわてけん768ヘクタール、福島ふくしまけん262ヘクタール、秋田あきたけん240ヘクタールである。品種ひんしゅでは黄色おうしょくしゅ全体ぜんたいの69%をめている。東北とうほく地方ちほうではバーレーしゅ西日本にしにほんでは黄色おうしょく品種ひんしゅ関東かんとう北越ほくえつではりょう品種ひんしゅ栽培さいばいされている。在来ざいらいしゅは2015ねん以降いこう生産せいさんされていない。

 2017年度ねんどのタバコ全体ぜんたい輸入ゆにゅうやく12まん5887トン、5297おくえんで、そのうち製造せいぞうたばこは4980おくえんである。製造せいぞうたばこのうち、紙巻かみまきたばこは597おくほん、2930おくえんめ、のこりはたばこの使用しようした加熱かねつしきたばこがめており、その割合わりあい増加ぞうか傾向けいこうにある。

 世界せかい生産せいさんじょうきょう(2017)は、作付さくづけ面積めんせき352まん8500ヘクタール、収穫しゅうかくりょう650まん1600トンである。くにべつでは中国ちゅうごく108まん1400ヘクタール、239まん2100トン、インドが46まん7600ヘクタール、80まんトン、ブラジルが39まん8000ヘクタール、88まんトン、インドネシアが18まん5700ヘクタール、15まん2300トン、ジンバブエが15まんヘクタール、18まん1600トン、アメリカが13まんヘクタール、32まん2100トンとなっている。日本にっぽんは7600ヘクタール、1まん9000トンである。

編集へんしゅう

喫煙きつえん歴史れきし

香煙こうえん利用りよう

人間にんげんけむりうようになったのは利用りようしてからのことで、草木くさきのなかにはやすと心地ここちよいかおりをただよわせるものもあり、このかおりのよいけむり人間にんげん清新せいしん活力かつりょく気力きりょくをもたらすばかりか、かみ精霊せいれい宿やどるとしんじられた。この信仰しんこう世界せかい各国かっこく共通きょうつうしてみられ、宗教しゅうきょうてき行事ぎょうじこうを焚(た)くことは重要じゅうよう儀礼ぎれいであるとともに、幻想げんそうてき精神せいしん作用さようをおこすことから呪術じゅじゅつ(じゅじゅつ)にも必要ひつようとされた。さらに病気びょうき治療ちりょう薬用やくようにも使つかわれてきた。紀元前きげんぜん3000ねんのエジプトでは、神殿しんでんこうくとそのけむりてんかみたっし、おうねがいがかなえられるとしんじられた。またぜん700ねんごろのギリシアでは、アポロ神殿しんでん巫女ふじょ(みこ)が大量たいりょう香煙こうえんをくゆらせてみ、やがてうしなってったうわごとがかみのことばとしんじられた。このようにけむり神殿しんでんちこめて神秘しんぴてき雰囲気ふんいきかもすことは、信仰しんこうたかめるために効果こうかがあった。ギリシアの医学いがくしゃヒポクラテス(ぜん460ころ―ぜん375ころ)は、婦人病ふじんびょう治療ちりょう香煙こうえん吸入きゅうにゅうすると効果こうかがあるとし、哲学てつがくしゃプルタルコス(46ころ―120ころ)も、大麻たいまいたそのけむりを嗅(か)いで歓喜かんき状態じょうたいおちいったという。ローマ時代じだい自然しぜん科学かがくしゃプリニウス(23ころ―79ころ)は、乾燥かんそうさせたヒイラギをいぶしたけむり喘息ぜんそく(ぜんそく)の治療ちりょうやくだつとし、すでに吸煙きゅうえんようのパイプについてべていた。またぜん4世紀せいきごろにちゅうおう西欧せいおう勢力せいりょくるっていたケルトじんは、青銅せいどう鋳鉄ちゅうてつなどで携帯けいたいようパイプをつくり、芳香ほうこうせいのある香煙こうえんった。ヨーロッパでは、たばこの吸煙きゅうえん以前いぜん草木くさきをくゆらせて吸煙きゅうえんする風習ふうしゅうがあったのである。

田中たなか冨吉とみきち

マヤじんとたばこ

たばこは紀元前きげんぜんからみなみアメリカ、中央ちゅうおうアメリカの南部なんぶ西にしインド諸島しょとう喫煙きつえんによい優良ゆうりょうしゅ学名がくめいニコチアナ・タバカム(Nicotiana tabacum L.)たねが、またがたちいさく喫煙きつえんには刺激しげきつよ学名がくめいニコチアナ・ルスチカ(N. rustica L.)たね前記ぜんき以外いがいきたアメリカのミシシッピがわ流域りゅういきにまでたっつちかえされていた。マヤじんは、紀元前きげんぜんからさかえて紀元きげん500~600ねんごろまで最盛さいせいむかえていたが、天文てんもんこよみ象形しょうけい文字もじなどの特殊とくしゅ文化ぶんか発達はったつした知的ちてき民族みんぞくで、太陽たいよう農耕のうこうしん崇拝すうはいする宗教しゅうきょうてき信仰しんこうをもち、独自どくじ様式ようしきによるいしりをおもとした神殿しんでん遺跡いせき素焼すやき食器しょっき、またかれらの生活せいかつ指針ししんとなる「コデックス」(文書ぶんしょ)をのこしている。そしてそれらには、人間にんげん姿すがた象徴しょうちょうされるかみ々がたばこを喫煙きつえんしている絵画かいがいしりがのこされている。マヤじん喫煙きつえんられる香気こうき陶酔とうすいから、たばこのにはかみ精霊せいれい宿やどるとしんじ、宗教しゅうきょうてき行事ぎょうじにたばこの神聖しんせいなものとして使用しようし、神殿しんでんにその香煙こうえんそなえた。喫煙きつえん神官しんかん特権とっけんとなり、大量たいりょう喫煙きつえんによる昏睡こんすい(こんすい)状態じょうたいでいううわごとはかみ予言よげんしんじられ、神官しんかんけむり精霊せいれいちからによって人間にんげんから悪魔あくまはらい、病気びょうき治癒ちゆするとしんじた。この風習ふうしゅうはやがて呪術じゅじゅつ方法ほうほうとなり、また成分せいぶん薬用やくよう使用しようされた。マヤの文化ぶんかは1520ねん以後いご、つまりスペインがこの地域ちいき制圧せいあつしてからしだいにあきらかにされたが、制圧せいあつ当時とうじマヤはすでにおとろえており、かわって北方ほっぽうのトルテカが、つづいてアステカが主権しゅけんにぎっていた。

 儀式ぎしき方法ほうほう民族みんぞくによりことなるが、かく民族みんぞくともたばこはかみへの重要じゅうようそなものであり、たたかいがはじまればたばこを神殿しんでんそなえててきのろい(のろ)い、たたかいがわれば手柄てがらをたてた勇士ゆうしにたばこがあたえられて、公共こうきょうでたばこを栄誉えいよた。てき捕虜ほりょにもたばこはあたえられ、捕虜ほりょかみ生贄いけにえ(いけにえ)にされるときも同様どうようあたえられた。女性じょせい妊娠にんしんするといわいのうたげ来会らいかいしゃにたばこをおくり、父母ちちはは胎児たいじ無事ぶじいのってたばこをからだ(は)る。貴人きじんくなるとたばこのけむりわかれをげ、葬儀そうぎわるとうたげもよおしてたばこをってたのしむなど生死せいしさいのほか、神殿しんでん建築けんちく土木どぼく工事こうじ完成かんせいのときにもたばこがもちいられていた。また、貴人きじん戦士せんし武装ぶそう商人しょうにん公式こうしき旅行りょこうをするときも出発しゅっぱつ帰還きかんには、送迎そうげい人々ひとびとにたばこがくばられた。しかしたばこの喫煙きつえんには一般いっぱん制限せいげんがあり、貴人きじん戦士せんし老人ろうじん特例とくれいがあるほか、祝宴しゅくえん行事ぎょうじゆるされる以外いがい嗜好しこう(しこう)よう喫煙きつえん自由じゆうはなかった。薬用やくようとしては外傷がいしょう腫瘍しゅよう(しゅよう)、潰瘍かいよう(かいよう)、梅毒ばいどくせき(せき)、感冒かんぼう扁桃腺へんとうせんえん(へんとうせんえん)、喘息ぜんそく頭痛ずつう歯痛しつう、リウマチ、胃病いびょう消化しょうか不良ふりょう、そのほか子宮しきゅう脾臓ひぞう(ひぞう)のしゅ(は)れなどには粉末ふんまつせんじ(せん)じやく、ゆでたのしぼりじる軟膏なんこう(なんこう)、膏薬こうやく使つかわれ、坐薬ざやく(ざやく)ようにはほかのものをぜたり、アルコールぶん添加てんかしてもちいていた。また(か)、ノミの駆除くじょよう毒蛇どくへび毒虫どくむし、サソリなどの咬傷こうしょう(こうしょう)と予防よぼうようにももちいられていた。

田中たなか冨吉とみきち

ヨーロッパへ

1492ねん8がつ2にち、スペイン王室おうしつ援助えんじょたコロンブスは黄金おうごん香料こうりょうもとめて大西洋たいせいよう西にしかって航海こうかいし、10月12にちバハマ諸島しょとうのサン・サルバドルとう上陸じょうりくした。島民とうみんへの友好ゆうこうのしるしにガラスだまなどをおくると、その返礼へんれいとしてしま物産ぶっさんけた。そのなかに乾燥かんそうしたおおきなすうようあり、数日すうじつサンタ・マリアとうでもおなをもらった。部下ぶか報告ほうこくでは、キューバとう島民とうみんのついたぼう葉巻はまきたばこ)と薫香くんこう(くんこう)に使つかくさたばこ)をにしていたとあり、これはヨーロッパじんがたばこを最初さいしょのできごとであった。コロンブスのだい2かい探検たんけんたいやその探検たんけんたいくわわった修道しゅうどう技術ぎじゅつしゃ医者いしゃなどの調査ちょうさにより、西にしインド諸島しょとう住民じゅうみん風習ふうしゅうやたばこの医薬いやくとしての効果こうかなどその実態じったいがしだいにあきらかにされた。さらにスペインは1513ねんアメリカ大陸あめりかたいりくのフロリダに植民しょくみんをつくり、先住民せんじゅうみんのパイプ喫煙きつえん発見はっけんしたが、1519ねんには中央ちゅうおうアメリカのユカタン半島はんとうたっし、1521ねんにアステカをほろぼした。首都しゅとでは国王こくおう銀製ぎんせいのパイプで優雅ゆうが喫煙きつえんする姿すがたを、商店しょうてんがいではたばこと彩色さいしきした土製どせいのパイプ、たばこよう香料こうりょうっている姿すがたた。またスペインの植民しょくみん拡大かくだい政策せいさくすすむとともに、その地域ちいきによってたばこの呼称こしょうちがうことがわかり、キューバではタバコtobacco、ハイチではコハバkohaba、メキシコではイェトルyetl、ブラジルではペツムpetumといわれていたという。タバコの栽培さいばいは1535ねんにキューバとう開始かいしされ、1550年代ねんだいには本国ほんごく海沿うみぞいのまち公園こうえん観賞かんしょうよう植物しょくぶつとして栽培さいばいされた。植民しょくみんでは葉巻はまき喫煙きつえん地帯ちたいおおいことから、スペインでは原始げんしてき葉巻はまき喫煙きつえん風習ふうしゅうとなったが、他国たこくへはこの風習ふうしゅうをあまりつたえていない。

 ポルトガルは、当時とうじもっとも繁栄はんえいしただい航海こうかい時代じだいで、1499ねんもちほう迂回うかい(うかい)してインドにいた航路こうろ発見はっけんするなど、ヨーロッパでは通商つうしょう東洋とうようにまでおよ貿易ぼうえきこくであった。1500ねん西にしインド諸島しょとう方面ほうめんかった船団せんだんは、途中とちゅう暴風ぼうふうおそわれてブラジル沿岸えんがん漂着ひょうちゃくし、その地方ちほう一帯いったい植民しょくみんとした。そのおり、先住民せんじゅうみん風習ふうしゅうについて、呪術じゅじゅつヒョウタンでつくった奇妙きみょうなパイプで喫煙きつえんし、呪術じゅじゅつおこなっていたとの報告ほうこくがある。1540年代ねんだいにはどう地方ちほう植民しょくみんしゃくに交易こうえきしていたが、そのなかにたばこがふくまれていたとつたえている。ポルトガルとたばこの出会であいはスペインほど華々はなばなしくはないが、フランス、イタリア、東洋とうよう方面ほうめんにたばこをつたえている。

 フランスは、1533ねんからにわたって黄金おうごん獲得かくとく目的もくてきに、カナダのセント・ローレンスわんモントリオール山岳さんがく地帯ちたい探検たんけんしたが、その記録きろく先住民せんじゅうみんのパイプ喫煙きつえんがあった。その、1559ねんにフランスのちゅうポルトガル大使たいしジャン・ニコJean Nicotが、あたらしい医薬いやくとしてタバコの種子しゅしたばこを本国ほんごく王室おうしつ献上けんじょうし、カトリーヌ女王じょおうがこれを頭痛ずつうもちいたことから注目ちゅうもくされはじめた。フランスで喫煙きつえんはじまった時期じきあきらかではないが、16世紀せいきわりごろにはパイプ喫煙きつえん普及ふきゅうしていた。ルイ13せい在位ざいい1610~1643)が王位おういにつくと、貴族きぞく高官こうかんはなからけむりくのは見苦みぐるしいといいだしたので、上流じょうりゅう社会しゃかいではもっぱら嗅(か)ぎたばこがもちいられ、貴婦人きふじん優雅ゆうがつきでこれを使用しようするのが上品じょうひんとされた。一方いっぽう庶民しょみんはパイプを愛用あいようし、スモーキング・タバン(スモーキング・クラブ)がまちのあちこちにあって自由じゆう喫煙きつえんできた。1624ねん政府せいふ喫煙きつえん流行りゅうこうたい高額こうがく課税かぜい政策せいさくすすめて王室おうしつ財政ざいせいゆたかにしたが、薬品やくひん以外いがいのたばこ販売はんばい禁止きんししたためくに税収ぜいしゅうおおきく影響えいきょうおよぼし、やがてこの禁止きんし条項じょうこう撤廃てっぱいした。長年ながねんにわたるたかいたばこぜい不満ふまんをもっていた国民こくみんは、1789ねんのフランス革命かくめいによりたばこぜいから解放かいほうされるが、政情せいじょう不安ふあんによる供給きょうきゅう不安定ふあんていからかえって価格かかく高騰こうとうし、国民こくみん議会ぎかい国家こっか収入しゅうにゅう減少げんしょうしてなやんでいた。1810ねんナポレオンは大陸たいりく作戦さくせん戦費せんぴ調達ちょうたつ必要ひつようから、ふたたびたばこの専売せんばいせい採用さいようし、これが現在げんざいにまでいたっている。

 イギリスの海外かいがい進出しんしゅつおくれ、1560年代ねんだいにホーキンズ提督ていとくひきいる艦隊かんたいが、西にしアフリカのポルトガルりょうおそって奴隷どれい商人しょうにんから黒人こくじん奴隷どれい略奪りゃくだつし、これをアメリカ大陸あめりかたいりくのスペイン植民しょくみんしゃわた行動こうどうからはじまった。つぎにフロリダ沿岸えんがんのフランス植民しょくみんおそい、そこで先住民せんじゅうみんのパイプ喫煙きつえんり、たばことその種子しゅしたずさえてきた。ドレーク提督ていとくは1570年代ねんだい航行こうこうちゅうのスペインせんをしばしばおそって略奪りゃくだつしていたが、そのなかにたばこもふくまれており、当時とうじすでに喫煙きつえんられていた。1580年代ねんだいにサー・ウォーター・ローリーはきたアメリカ南東なんとう植民しょくみんをつくる命令めいれい船長せんちょうたちにくだし、バージニア地方ちほう占領せんりょうした。船長せんちょう現地げんちじんともなって帰還きかんしたが、かれらが持参じさんしたたばこでローリーに喫煙きつえんつたえ、ローリーはたばこが商品しょうひんとして将来しょうらい有望ゆうぼうであることをはやくもった。かれのパイプ喫煙きつえんにより、ロンドン社交しゃこうかいではダンス、乗馬じょうば狩猟しゅりょう、かるたとともに、優雅ゆうがにパイプをくゆらすのが紳士しんし条件じょうけんとされ、その姿すがた挿画そうがなどに風刺ふうしてきげられていた。イギリスはパイプ喫煙きつえん地域ちいき植民しょくみんたため、喫煙きつえんといえばパイプにかぎられていた。やがてクレー・パイプの製造せいぞうはじまり、銀製ぎんせい木彫きぼりからクルミのから利用りようしたものまであらわれ、ぎんのパイプでのあさ一服いっぷく頭痛ずつう歯痛しつうをいやして感冒かんぼう悪化あっかふせぐといわれた。また労働ろうどうしゃでも酒場さかばはいってすぐ「さけ」というやぼなひとはなく、まず「たばこ」と注文ちゅうもんしたという。スモーキング・クラブが繁盛はんじょうし、会員かいいんは1かい着席ちゃくせきにクレー・パイプで3ほん以上いじょう喫煙きつえんすること、また他人たにんけむりきかけないなどのきびしい会則かいそくもうけられていたという。たばこは最初さいしょスペインから輸入ゆにゅうしていたので、その代金だいきん支払しはらいが高額こうがくとなると、政府せいふ喫煙きつえん反対はんたいし、国王こくおうジェームス1せい有名ゆうめいな『たばこ排撃はいげきろん』(1604)をいた。しかしバージニアの植民しょくみんからたばこを直接ちょくせつ輸入ゆにゅうするようになると、この輸入ゆにゅうぜい国庫こっこゆたかになった。一方いっぽうバージニアの植民しょくみんは、たばこの生産せいさん輸出ゆしゅつによって経済けいざいじょう独立どくりつ可能かのうにし、アメリカ建国けんこく基礎きそきずいた。

 イタリアは、1561ねんマ法王まほうおうちょう使節しせつがリスボンでタバコの種子しゅし、これを法王ほうおう献上けんじょうしてバチカンの庭園ていえんえたことからはじまる。このほか、トスカナしゅう州都しゅうとサン・セポルクロの司教しきょうがパリ駐在ちゅうざいちゅうにたばこの医療いりょうてき効果こうかり、本国ほんごく報告ほうこくとともに種子しゅしおくったのがはじまりで、1610ねんにクレシェンチナ大僧正だいそうじょうがイギリスでおぼえた喫煙きつえん貴族きぞく教会きょうかい牧師ぼくしたちにつたえた。以来いらい上流じょうりゅう階級かいきゅう牧師ぼくしあいだには喫煙きつえんぎたばこがひろまり、神聖しんせい教会きょうかいはたばこのけむりがらよごされた。また、ミサを司祭しさいちゅう牧師ぼくし聖餐せいさん(せいさん)ぎたばこをもちいたら、突然とつぜんくしゃみが聖餐せいさんき、せいだんけがすなどの不祥事ふしょうじこって、たばこの乱用らんよう憤慨ふんがいする会衆かいしゅうおおくなった。そこで法王ほうおうはたばこを禁止きんしし、教会きょうかいでたばこを使用しようするもの破門はもんするという教書きょうしょはっした。しかし禁煙きんえんれい教会きょうかい内部ないぶだけで庶民しょみんにはおよばなかった。それのみならず、1627ねんにはたばこに課税かぜいしてくに収入しゅうにゅうぞう計画けいかくした。その方法ほうほうは、個人こじん契約けいやくきんおさめさせて1年間ねんかんたばこの一手いって販売はんばい許可きょかするという独占どくせん販売はんばいほうで、1659ねんにはベネチア共和きょうわこくが、たばこの輸入ゆにゅう製造せいぞうふく販売はんばい独占どくせんけん個人こじんあたえるという「たばこ契約けいやく」によって専売せんばいせい方式ほうしきをとった。

 中央ちゅうおうヨーロッパ方面ほうめんへたばこをつたえたのは1618~1648ねんさんじゅうねん戦争せんそうである。中央ちゅうおうヨーロッパが主戦しゅせんじょうとなったが、そのときえいふつぐん進駐しんちゅうしたむら々に喫煙きつえん習慣しゅうかんのこしてり、そのはいってきたプロイセンぐんがそれをならう、さらにプロイセンぐんやぶってはいってきたデンマーク、スウェーデン、ノルウェーぐんがまたそこで喫煙きつえん見習みならうというように、30ねんあいだぜんヨーロッパに喫煙きつえん普及ふきゅうした。プロイセンのむら々のむすめたちは、いき(いき)なスタイルでパイプをくゆらすえいふつぐん兵士へいし好意こういせ、やぼなプロイセンぐんもパイプをにせざるをえなくなり、かくてたばこはプロシアからしだいにオーストリア、ハンガリーへとつたわった。医者いしゃセンセーションこし、賛成さんせいがわ病気びょうき治療ちりょう効果こうかみとめて万能ばんのう霊薬れいやく賛辞さんじおくれば、反対はんたいがわのう有害ゆうがい薬剤やくざいてき効果こうか期待きたいできないと批判ひはんした。また宗教しゅうきょうは、かみをないがしろにするとはげしく反対はんたいした。世論せろんたかまりにたいし、ちいさなほうこく分立ぶんりつしていたプロイセンでは、最高さいこう諸侯しょこうであるケルンこう喫煙きつえん事情じじょう調査ちょうさして、この悪習あくしゅう禁止きんしするとともにこれをおかもの厳罰げんばつしょすとのみことのりれいはっした。しかし禁煙きんえんれいまもられず、諸侯しょこうをはじめ庶民しょみんはたばこをはなさなかった。1701ねんプロイセンおうになったフリードリヒ1せいは、重臣じゅうしん会議かいぎパイプたばこ使用しようする、いわゆる「たばこ会議かいぎ」をもよおした。つぎおうウィルヘルム1せいは、かたくるしい会議かいぎではなくクラブ形式けいしきをとり、宮殿きゅうでん庭園ていえん、ときには離宮りきゅう将軍しょうぐん参謀さんぼう、のちには学者がくしゃ他国たこく大使たいしあそ友達ともだち道化どうけ役者やくしゃまでよんで自由じゆう公式こうしきうたげにした。卓上たくじょうにはワインや食事しょくじとともにたばこをこめ(かご)にり、クレー・パイプをえ、火皿ひざらえた泥炭でいたんき、パイプの点火てんかようにした。おうはたばこの販売はんばい課税かぜいしていたが、1719ねん各国かっこくれいならってたばこの製造せいぞうけん商人しょうにんゆずり、毎年まいとし権利けんりきん徴収ちょうしゅうしては軍事ぐんじにあてていた。

田中たなか冨吉とみきち

世界せかい国々くにぐに

たばこは海路かいろ陸路りくろ世界せかい各国かっこくつたわったが、その経路けいろはポルトガルがアフリカ、アラビア、インドを東洋とうよう日本にっぽんつたえ、イギリスはオランダ、北海ほっかいからバルト海ばるとかい沿岸えんがん地中海ちちゅうかいてトルコへ、また太平洋たいへいよう方面ほうめんではオーストラリアとニュージーランドへ、プロイセンとポーランドは北部ほくぶロシア、トルコは南部なんぶロシアヘ、ロシアはシベリアへ、中国ちゅうごく広大こうだい内陸ないりくとシベリアへと伝播でんぱ(でんぱ)した。ここで海路かいろ陸路りくろのたばこがひとつになり、シベリアからうみえて極北きょくほくのエスキモーへ、また一部いちぶはカナダ方面ほうめんから極北きょくほくへもたらされて、たばこは1世紀せいきあいだ世界せかい一周いっしゅうした。朝鮮ちょうせんへは日本にっぽんつたえたが、喫煙きつえん地理ちりてき関係かんけい中国ちゅうごく影響えいきょうおおけている。

 たばこがつたえられたくにでは、主権しゅけんしゃ国民こくみん喫煙きつえん反対はんたいして刑罰けいばつくにもあった。たとえばトルコでは、コーランの教義きょうぎはんするとして、はな両方りょうほうあなへパイプをし、ロバにせて市中しちゅうまわした。喫煙きつえんしゃ死刑しけい同時どうじぜん財産ざいさん没収ぼっしゅうされるが、この処刑しょけいはやがて王室おうしつ財産ざいさん増加ぞうか目的もくてきおこなわれるようになった。刑罰けいばつ国民こくみんかぎらず、他国たこく大使館たいしかんいんにまでおよび、絞殺こうさつまたははなくちびるをそぎ、傷口きずぐちおくじょうくぎ(くぎ)でって、国外こくがい追放ついほうするという暴挙ぼうきょおこなった。兵士へいし喫煙きつえん場合ばあいには、そのくびをはねて胴体どうたいよっりの蛮行ばんこうをした。ペルシアでは、禁煙きんえんれい違反いはんしゃらえると、溶解ようかいしたなまりをのどのなかみ、ロシアでははなあなたてきにしてむち(むち)けいにした。それでも改心かいしんしないものは、シベリアへ追放ついほうしてぜん財産ざいさん没収ぼっしゅうした。なお、ロシアの喫煙きつえんをやめない原因げんいんには厳冬げんとうがあり、これは喫煙きつえんによる身体しんたいのぬくもりと陶酔とうすい作用さよう安眠あんみんうながすためである。

 中国ちゅうごくへたばこをつたえたのは、東洋とうよう進出しんしゅつしたポルトガルではなかった。ポルトガルは1557ねんにマカオに居住きょじゅうけん基地きちとしたが、中国人ちゅうごくじん排斥はいせきされてたばこをつたえるにはいたらず、1565ねんスペインがフィリピン群島ぐんとう占領せんりょうして同島どうとうにたばこを栽培さいばいしたのを、中国ちゅうごく福建ふっけんしょうじん本国ほんごく紹介しょうかいしたとつたえている。中国ちゅうごくでも喫煙きつえん初期しょきには禁煙きんえんれいて、違反いはんしゃ処罰しょばつされ、所持しょじしていたたばこは没収ぼっしゅうされた。禁煙きんえんれい軍隊ぐんたいにもおよんだが、没収ぼっしゅうされたたばこは国境こっきょう守備しゅびぐん悪疫あくえき予防よぼうようまわされていた。喫煙きつえん奥地おくちにまでひろがり、たばこの輸送ゆそうとともにほかのしょう取引とりひき活発かっぱつになって、いつしか禁煙きんえんれい効力こうりょくせた。「ひとついにさけちゃ終日しゅうじつ喫煙きつえんするもきず」と文人ぶんじんたちもたばこを礼賛らいさんした。薬用やくようからかえしたましいそう(はんごんそう)、喫味をしょうして相思そうしそう(そうしそう)などと、たばこの異名いみょうすうじゅうしゅもあり、とくに中国ちゅうごくではたばこにたいする美辞麗句びじれいくおおく、いかに愛用あいようされていたかがわかる。

田中たなか冨吉とみきち

パイプたばこからぎたばこへ

かおりのよいぎたばこはフランスの上流じょうりゅう階級かいきゅうもちいられていたが、やがて各国かっこくにもつたわり、ロンドンのカフェではこれ以外いがいのたばこがきらわれて、パイプでたばこをうと軽蔑けいべつ(けいべつ)の(め)をけられるようになった。流行りゅうこう青年せいねんは、ぎたばこを自製じせいするためのおろしがねなど10しゅぐらいの道具どうぐあるき、どったポーズで使つかっていた。ローマ教皇きょうこうぎたばこをもちいたが、プロイセンのフリードリヒ大王だいおう在位ざいい1740~1786)のかお衣服いふくはいつもぎたばこでよごれていたという。またぎたばこのうつくしい容器ようき携帯けいたいしたり、おくものにする習慣しゅうかんさかんで、当時とうじ贈賄ぞうわい常識じょうしきとなっていた官界かんかいでは、おくぎたばこ容器ようきかずによって官吏かんりかくづけ相場そうばがつけられていた。豪華ごうかぎん容器ようき自分じぶん肖像しょうぞう彫刻ちょうこくしたり、ダイヤモンドでイニシアルをちりばめるのがならわしとなり、王侯おうこう貴族きぞくはその収集しゅうしゅう熱心ねっしんであった。ぎたばこは当時とうじのファッションとなり、賤(きせん)貧富ひんぷ男女だんじょなく流行りゅうこうした。フランスのナポレオン1せい在位ざいい1804~1815)は喫煙きつえんしなかったが、ぎたばこをこのみ、遠征えんせい陣中じんちゅうにまで愛妻あいさいジョゼフィーヌの肖像しょうぞう容器ようき携帯けいたいしていたという。

 東洋とうようへはポルトガルがつたえ、インド、中国ちゅうごく、チベットでおもにもちいられたが、とくに中国ちゅうごくさかんとなった。1715ねんフランスのイエズスかい宣教師せんきょうしきよし(しん)の皇帝こうていへの贈呈ぞうていひんのなかに、ぎたばこと容器ようきふくまれており、感冒かんぼう歯痛しつう喘息ぜんそくそのほかの病気びょうき治療ちりょう効果こうかがあるとしんじられて、全国ぜんこくてきひろまった。容器ようき金銀きんぎん玉石ぎょくせき象牙ぞうげ(ぞうげ)、磁器じきそのほか山海さんかいのあらゆる物質ぶっしつでつくられ、はなけむりつぼ(びえんこ)とづけられた。日本にっぽんへは1869ねん明治めいじ2)、イギリスの当時とうじエジンバラこう明治天皇めいじてんのうにダイヤモンドをちりばめた豪華ごうかぎたばこれを献上けんじょうしたが、日本にっぽんではついに流行りゅうこうしなかった。

田中たなか冨吉とみきち

ぎたばこから葉巻はまき

1700年代ねんだい後半こうはん、アメリカのスペインりょうから、原始げんしてき葉巻はまき改良かいりょうした新型しんがた葉巻はまきがヨーロッパへつたえられた。喫煙きつえんといえばパイプにかぎられていたが、パイプ不用ふよう葉巻はまきにはすぐなじみ、フランスはスペインにならって葉巻はまき工場こうじょうをつくった。1788ねんにはドイツでもハンブルク葉巻はまき工場こうじょうができた。1795~1814ねんナポレオン戦争せんそうのある時期じき、スペインを戦場せんじょうとしてイギリスとたたかったとき同地どうち葉巻はまき喫煙きつえん風習ふうしゅうにつけたフランスぐん兵士へいしが、あたらしい戦場せんじょう移動いどうするごとに葉巻はまき喫煙きつえんつたえ、ヨーロッパには葉巻はまき工場こうじょう各所かくしょにできた。葉巻はまき喫煙きつえんしゃ増加ぞうかし、イギリスではあたらしい喫煙きつえん方式ほうしき歓迎かんげいして国会こっかい議員ぎいんはじめ、議事堂ぎじどう喫煙きつえんしつもうけた。フランスも喫煙きつえん自由じゆうだが、葉巻はまき屋外おくがい喫煙きつえん増加ぞうかし、パリでは街路がいろてられた葉巻はまきがらあつめる市場いちば開設かいせつされ、卸売おろしうり業者ぎょうしゃわたされていた。ドイツは最後さいごまでのこった禁煙きんえんれいこくで、道路どうろでの喫煙きつえん禁止きんしし、違反いはんしゃには罰金ばっきんした。葉巻はまき喫煙きつえん自由じゆう思想しそう表現ひょうげんとする民衆みんしゅうと、取締とりしまりの警官けいかんとのこうそうえずかえされた。

田中たなか冨吉とみきち

日本にっぽんでの普及ふきゅう

たばこの日本にっぽん伝来でんらい時期じきについて、文献ぶんけんおおくはもとかめ(げんき)・天正てんしょう(てんしょう)年間ねんかん(1570~1592)、あるいは天正てんしょうまつねんぶんろく(ぶんろく)年間ねんかん(1592~1595)などとあるが、このせつうらづける資料しりょうはない。しかし、文献ぶんけんによると、たばこをつたえたのは南蛮なんばんせん(ポルトガルせん)の乗組のりくみいんで、かれらははじいてっていたが、やがて吸管を持参じさんしてうようになった。そのをきせるといって、日本にっぽんもこれにならどうてつでつくるようになった。1615ねん元和がんわ1)「キセルの中間ちゅうかんたけもちいう、このたけをラウという」とある。日本にっぽん必要ひつよう物資ぶっしと、日本にっぽんから東南とうなんアジア物資ぶっし貿易ぼうえきしていた南蛮なんばんせんは、インドのゴアを基点きてんに、マラッカ、マカオを長崎ながさき入港にゅうこうしていた。きせるがカンボジア、ラウはラオスで、たばこはマカオがフィリピンから輸入ゆにゅうしていたので、この方面ほうめんたものを日本にっぽんつたえたのであろう。種子しゅし伝来でんらい慶長けいちょう(けいちょう)初年しょねん以来いらい諸説しょせつがあるが、1601ねん慶長けいちょう6)フランシスコかい司祭しさいジェロニモが、伏見ふしみ徳川とくがわ家康いえやす面会めんかいし、フィリピンさん種子しゅし献上けんじょうしたのが確実かくじつ記録きろくである。徳川とくがわ家康いえやす東南とうなんアジア方面ほうめんとの貿易ぼうえきすすめて朱印船しゅいんせん渡航とこうさせたが、フィリピン群島ぐんとうからの帰航きこうせんのなかにはたばこを輸入ゆにゅうする荷主にぬしもあって、1605ねんには近畿きんき方面ほうめんでにわかに喫煙きつえん流行りゅうこうはじめた。取締とりしま当局とうきょくは「しょやまい平癒へいゆのためといいながらはん(かえ)って悶絶もんぜつ(もんぜつ)す」「キセルというものでけむりくが無益むえきである」などと禁煙きんえんれいをしばしばはっしたが、ついにまもられなかった。たばこははじ輸入ゆにゅうひん高価こうかであったため、喫煙きつえん武士ぶし裕福ゆうふく町人ちょうにんかぎられていた。しかし大量たいりょう輸入ゆにゅう国内こくないでタバコの栽培さいばいはじまると、まもなく庶民しょみんにまでおよんだ。

 タバコの種子しゅしは1600~1605ねん慶長けいちょう5~10)ごろ、平戸ひらど長崎ながさき指宿いぶすき(いぶすき)につたえられたというせつもあり、この地方ちほうたびをした武士ぶし町人ちょうにん修験しゅげん(しゅげん)そうなどによって慶長けいちょう寛永かんえい(かんえい)年間ねんかん(1596~1644)にかけ全国ぜんこくてきつたえられた。喫煙きつえん普及ふきゅうにより、まくはん体制たいせい基礎きそとなるみつぎ租の減少げんしょううれえた幕府ばくふは、タバコを栽培さいばいする作付さくづけ面積めんせき半減はんげんれい毎年まいとし布告ふこくしたが、8だい将軍しょうぐん吉宗よしむね(よしむね)の殖産しょくさん奨励しょうれい政策せいさくによって終止符しゅうしふつ。幕末ばくまつには農家のうか保護ほご目的もくてきたばこをはん専売せんばいにする地方ちほうもあった。きざみたばこの製造せいぞう販売はんばいは、あかりれき(めいれき)(1655~1658)ごろに旅人たびびとおお街道かいどうすじで、近在きんざいタバコを仕入しいれては店先みせさききざみながらるというちいさなみせからはじまった。都市としのたばこてんは、繁盛はんじょうするときざみを下請したうけにしたり、みせきざ職人しょくにんいたりするようになり、あるいはまち々にりをするようになった。また寛政かんせい(かんせい)(1789~1801)ごろには、木製もくせいきざができて大量たいりょう生産せいさん可能かのうになり、タバコの産地さんちでは包装ほうそうした商品しょうひん他国たこく移出いしゅつした。都市としでは、地方ちほうからあつまる風味ふうみことなるたくみにわせてそのみせ独特どくとく風味ふうみのものや、価格かかくをつけた製品せいひん製造せいぞうした。たばこは嗜好しこうひんとなり、喜怒哀楽きどあいらくおお生活せいかつのなかで人々ひとびとうるおいをあたえるとともに、人々ひとびとをもてなす接待せったいようとしても、かく家庭かていをはじめ、商店しょうてん店先みせさき旅宿りょしゅく社交しゃこうじょう遊廓ゆうかく(ゆうかく)などで必需ひつじゅひんとなっていった。

 幕末ばくまつ横浜よこはまなどが開港かいこうされると、外交がいこうじょう折衝せっしょうなどで幕府ばくふ役人やくにん最初さいしょ葉巻はまきったが、維新いしん役人やくにん最初さいしょ紙巻かみまきたばこをこのんだ。1872ねん明治めいじ5)土田つちた安五郎やすごろう(つちだやすごろう)が最初さいしょ紙巻かみまきたばこを製造せいぞうし、紙巻かみまきたばこは文明開化ぶんめいかいかのシンボルとなって、時計とけい香水こうすいとともに流行りゅうこうはじめた。岩谷いわたに商会しょうかいは「天狗てんぐ煙草たばこ(てんぐたばこ)」を発売はつばいし、くち紙巻かみまきを大衆たいしゅう普及ふきゅうすれば、村井むらい兄弟きょうだい商会しょうかい両切りょうぎ紙巻かみまきの「サンライス」「ヒーロー」を発売はつばいし、両者りょうしゃ宣伝せんでん合戦かっせん明治めいじたばこ民営みんえい時代じだい代表だいひょうしていた。1876ねん政府せいふはたばこに課税かぜいしたが、脱税だつぜいおおく、1898ねんたばこを専売せんばいとし、1904ねん明治めいじ37)には、にち戦争せんそう戦費せんぴ調達ちょうたつ必要ひつようと、村井むらい兄弟きょうだい商会しょうかい外国がいこくたばこ資本しほん合同ごうどうして日本にっぽんのたばこ市場いちば独占どくせんするおそれがあったことから、たばこの製造せいぞう販売はんばい政府せいふ企業きぎょうとし、利益りえき国庫こっこ収入しゅうにゅうとする専売せんばいせい公布こうふして、煙草たばこ専売せんばいきょく創設そうせつした。1949ねん昭和しょうわ24)専売せんばいきょく公共こうきょう企業きぎょうたい日本にっぽん専売せんばい公社こうしゃ改組かいそされ、さらに1985ねん民営みんえい日本にほんたばこ産業さんぎょう株式会社かぶしきがいしゃとなった。

田中たなか冨吉とみきち

現代げんだいのたばこ製品せいひん

紙巻かみまきたばこの普及ふきゅう

現代げんだいのたばこ製品せいひんのおもな種類しゅるいには、紙巻かみまき、葉巻はまき、パイプようきざみがあり、このほかに嗅(か)ぎたばこ、噛(か)みたばこ、特殊とくしゅなもので民族みんぞくてき需要じゅようからフーカー(みずパイプ)よう、ビディ(インドでみられる、たばこを植物しょくぶつうすかわいたもの)などが少量しょうりょうある。しかし消費しょうひりょうとしては、世界せかいてきにも断然だんぜん紙巻かみまきたばこがおおい。1520ねんにスペインが現在げんざいのメキシコを占領せんりょうしたとき、アステカじんあら粒状りゅうじょうのたばこを植物しょくぶつしつうすかわ(おそらくトウモロコシ)につつんで喫煙きつえんしていたとつたえられるが、これは喫煙きつえん方法ほうほうとしては現代げんだい紙巻かみまきとおなじものである。1600年代ねんだいになると、在留ざいりゅうするスペインじんがこれを薄紙うすがみにかえて喫煙きつえんし、1765ねんにはスペインが同地どうちにたばこの専売せんばいせい施行しこうした。そのため大量たいりょう紙巻かみま用紙ようし違反いはん物件ぶっけんとして没収ぼっしゅうされた記録きろくがあるという。このころからスペイン本国ほんごくでは紙巻かみまきたばこを風習ふうしゅうがあったが、ほかのヨーロッパ諸国しょこくへは、1800年代ねんだいはじめにピレネー山脈さんみゃくえてフランスへ、また海路かいろよりイタリアとトルコ、南部なんぶロシアへつたえられた。1840年代ねんだいにはフランスとロシアで工場こうじょう生産せいさんはじまり、つづいて1850年代ねんだいにドイツとオーストリアで製造せいぞうはじめられたが、いずれも作業さぎょうであった。くちきは、さきにつくっておいたかみとうのなかへ、きざんだたばこをめた金属きんぞくかん挿入そうにゅうし、たばこだけをんで金属きんぞくかんし、さらにべつくち挿入そうにゅうする。両切りょうぎりは、木製もくせいだいうえにたばことおな寸法すんぽうながさとふとさのみぞり、そのみぞ巻紙まきがみんできざみたばこをめ、ぬのでなでてからがったかみはしのり(のり)けする。紙巻かみまきたばこが、1832ねんにエジプトとトルコのあいだこった戦争せんそう陣中じんちゅう兵士へいしがつくったのがはじまりというのはひとつのエピソードである。

 イギリスも1850年代ねんだいにたばこの製造せいぞうはじめ、それがアメリカへつたえられた。たばこ産業さんぎょうさかんなアメリカでは、1860年代ねんだいタバコ截刻(さいこくき)の機械きかいすすめられ、1880年代ねんだいにボンサックしき両切りょうぎまきうえ、1889ねんしきしょうばこ現在げんざいの「ピース」や「ホープ」のはこ)の包装ほうそう完成かんせいし、両切りょうぎ紙巻かみまきの製造せいぞう完全かんぜん機械きかい成功せいこうした。そのくち紙巻かみまきの製造せいぞう機械きかいされたが、1950年代ねんだいくちとして両切りょうぎりにフィルターを接続せつぞくしたフィルターきが発売はつばいされて以来いらい、これが紙巻かみまきたばこの主流しゅりゅうとなった。日本にっぽんでは現在げんざい97%がフィルターきになっている。西欧せいおう各国かっこくでも紙巻かみまきたばこが製造せいぞうされたが、パイプようきざみと葉巻はまきがなおおおもちいられていた。しかし喫煙きつえん便利べんりさでは紙巻かみまきがすぐれ、だいいち世界せかい大戦たいせん急速きゅうそく需要じゅようびた。日本にっぽんではきせるできざみたばこの価格かかくやすかったため、紙巻かみまきは贅沢ぜいたく(ぜいたくし)されていたが、それでもだいいち世界せかい大戦たいせん紙巻かみまきの需要じゅようえて、1923ねん大正たいしょう12)には紙巻かみまきの製造せいぞうりょうきざみをえた。さらに1930ねん昭和しょうわ5)には両切りょうぎりがくちきをえ、1970ねん昭和しょうわ45)にはフィルターきが両切りょうぎりの製造せいぞうりょうした。

 日本にっぽん紙巻かみまきたばこはくちきからはじまった。明治めいじ民営みんえい時代じだい有名ゆうめいだった「天狗てんぐ煙草たばこ(てんぐたばこ)」「牡丹ぼたん(ぼたん)煙草たばこ」などもくち製品せいひんおおく、専売せんばいせいになって、大正たいしょうぜん盛時せいじにも、くちきが10しゅぐらい発売はつばいされていた。日本にっぽんめいられる国分こくぶ(こくぶ)水府すいふ(すいふ)秦野はたの(はたの)そのほかのでつくられた「国華こっか(こっか)」「敷島しきしま(しきしま)」「朝日あさひ(あさひ)」のほか、婦人ふじんようの「やよい」などの製品せいひんがあり、紙巻かみまきたばこ独特どくとく風味ふうみ愛用あいようされていた。しかし、嗜好しこう(しこう)の変化へんかともな廃止はいしされる製品せいひんおおくなり、1976ねん昭和しょうわ51)、最後さいごの「朝日あさひ」が廃止はいしされるとぐち紙巻かみまきは市場いちばから姿すがたした。外国がいこくでは両切りょうぎりの需要じゅようおおかったため、くちきははやくからなくなり、わずかにきゅうソ連それん製造せいぞうされていたにすぎない。これは、冬期とうき手袋てぶくろをしたまま喫煙きつえんするのに、紙巻かみまきたばこにながさが必要ひつようであるためといわれている。

田中たなか冨吉とみきち

りょうかみきたばこ

種類しゅるいによって使用しようする原料げんりょうとその配合はいごうことなり、それぞれ喫味がちがう。

〔1〕バージニア・ブレンド アメリカさん黄色おうしょくおも原料げんりょうとする。この鉄管てっかん火力かりょく急速きゅうそく乾燥かんそうするため、ふくまれる糖分とうぶん分解ぶんかいせずにのこるので、したざわりにあまさがあるうえ、うまとこくもある。また、裁断さいだんしたくちあざやかな黄金おうごんしょくうつくしく、あらゆる製品せいひん配合はいごうされて喫煙きつえんたばこにかせないである。各国かっこくでこの黄色おうしょく種子しゅし栽培さいばいして製品せいひん配合はいごうしているが、これは香料こうりょう加工かこうしないのが特色とくしょくである。イギリスではタバコの栽培さいばい国内こくないおこなわず、バージニアさんでストレートきの高級こうきゅう両切りょうぎきたばこの製造せいぞうおこなっている。日本にっぽんでもかつてはこのブレンドがおおかった。

〔2〕オリエント・ブレンド オリエントはトルコをはじめとするひがしヨーロッパさん特殊とくしゅで、あじ濃厚のうこうだがやわらかみがあり、喫煙きつえんすると周囲しゅうい芳香ほうこうただよわす特長とくちょうがある。だいいち世界せかい大戦たいせんまでは、日本にっぽんへもトルコ、ギリシア、エジプトせい大量たいりょう輸入ゆにゅうされたほか専売せんばいきょくせいもあり、くちかね銀紙ぎんがみ、またはコルクをいた高級こうきゅうひんなども社交しゃこうようとして上流じょうりゅう階級かいきゅう需要じゅようおおかった。

〔3〕アメリカン・ブレンド 1913ねん、アメリカ・タバコ・トラストが解散かいさんすると、そこから独立どくりつしたレイノルズしゃあたらしいみの紙巻かみまき「キャメル」を開発かいはつした。それまでは、黄色おうしょくやオリエントなどのたんたねによるみであったが、これは黄色おうしょく主体しゅたいにバーレー、オリエント、それにメリーランドなどを配合はいごうし、香料こうりょう加工かこうして味覚みかくやわらかくしたもので風味ふうみかるく、両切りょうぎ紙巻かみまきにあたらしい時代じだいをつくった。このかるあじのぞ嗜好しこうは、現在げんざいきたばこの主流しゅりゅうとなり、日本にっぽん製品せいひんだい部分ぶぶんがこのタイプである。またアメリカン・ブレンドには、原料げんりょうかフィルターにメンソール(はっか)を加工かこうした涼味りょうみのある喫味のメンソール・シガレットもある。

〔4〕ダーク・ブレンド 各国かっこく風土ふうど栽培さいばいほう、あるいは交配こうはいなどによってなが年月としつきあいだ変化へんかした、それぞれの国産こくさんおもとしている。これには、いちめい黒色こくしょくたばことよばれる特殊とくしゅ風味ふうみ紙巻かみまきたばこがあり、フランスの「ゴロワーズ」などはその代表だいひょうであるが、イタリア、スペイン、きゅう地域ちいきれんみなみアメリカなどでもしたしまれている。しかし、しだいにアメリカン・ブレンドに嗜好しこううつってきている。

田中たなか冨吉とみきち

フィルター・チップきたばこ

紙巻かみまきたばこのくちに、ニコチンとタールを吸収きゅうしゅうするフィルターを接着せっちゃくした製品せいひんは、1940ねんにアメリカで発売はつばいされたが、だい世界せかい大戦たいせん一時いちじ製造せいぞう中止ちゅうしされ、戦後せんごの1950ねんにふたたび発売はつばいされた。ちょうどこのころ喫煙きつえん健康けんこう問題もんだいについての論議ろんぎはじめられたため、1952ねんには市場いちばでわずか1.4%のシェアしかなかったのが、5ねんの1957ねんには一挙いっきょに40%をめるまでにいたった。きのながさはくににより多少たしょうがあり、両切りょうぎりは70ミリメートルが標準ひょうじゅんになっていたが、フィルターきになると、70ミリメートルのほかにロングサイズ=80ミリメートル、キングサイズ=85ミリメートル、インペリアルサイズ=90ミリメートル、スーパー・キングサイズ=100ミリメートル、アメリカには120ミリメートルもあり、しだいにながさをしていった。ぎゃくに、イギリスにはミニサイズという66ミリメートルのフィルターきもある。フィルターのながさは製品せいひんによりことなり、12ミリメートルを最小さいしょうに、15、17、20、25ミリメートルがある。ふとさは円周えんしゅうはかり、スリムタイプが22.5~24ミリメートル、標準ひょうじゅんは25ミリメートルである。紙巻かみまきたばこの充填じゅうてん(じゅうてん)りょうは、1ほんで0.9~1.2グラム内外ないがいである。

 フィルターに使用しようする繊維せんい原料げんりょうなに種類しゅるいもあるが、日本にっぽんではたばこの喫味に調和ちょうわさせて3種類しゅるい使用しようしている。(1)アセテート・フィルター=アセテート繊維せんいたば棒状ぼうじょうげたもので、1ほんなか繊維せんいやく1まん0750ほんある。(2)ネオ・フィルター=日本にっぽん独自どくじ製品せいひんで、パルプをたん繊維状せんいじょうにほぐしたものを加工かこうし、やわらかなシートじょう成型せいけいして棒状ぼうじょうげる。ニコチンとタールの吸収きゅうしゅうりつがよく、喫味をかるくする。(3)チャコール・フィルター=ヤシの炭化たんかした粒状りゅうじょう活性炭かっせいたんをフィルター内部ないぶ混入こんにゅうしたもの、混入こんにゅうしないがじゅうフィルターにしたもの、さらに、混入こんにゅうしないでフィルターを二分にぶんし、その中間ちゅうかん活性炭かっせいたん挿入そうにゅうした三重みえフィルターのものがある。

 活性炭かっせいたんけむりちゅうふく微量びりょう刺激しげきせい蒸気じょうき成分せいぶん吸着きゅうちゃくし、喫味をかるくする効果こうかがある。巻紙まきがみ製紙せいし原料げんりょうはアサとパルプで、高級こうきゅうひんにはアサ、中級ちゅうきゅうひん以下いかにはアサとパルプの混合こんごうひん使用しようしている。巻紙まきがみ普通ふつうしょう(しょうし)をもちいる。本来ほんらいしょう多孔たこうしつであるが、全紙ぜんし多孔たこうするには、しょうちゅう機械きかいてきまたは電気でんき火花ひばなによって多孔たこうする方法ほうほうと、フィルター・チップにひらけあなする方法ほうほうがあり、空気くうき流入りゅうにゅうによって喫味をやわらかくしたり、けむりちゅうのニコチンとタールのりょう低減ていげんしている。

田中たなか冨吉とみきち

紙巻かみまきたばこの製造せいぞう

製品せいひん種類しゅるいによって原料げんりょう選択せんたく処理しょり方法ほうほうにそれぞれちがいがあるが、現在げんざい日本にっぽんでの標準ひょうじゅんてき製造せいぞう方法ほうほうはスレッシング方式ほうしきといって、原料げんりょう処理しょり製造せいぞう分離ぶんりした工場こうじょうおこなわれている。原料げんりょう工場こうじょうでは種類しゅるいべつしたがい、(1)たばこに水分すいぶんあたえる原料げんりょう調和ちょうわおこなう、(2)異物いぶつ混合こんごう検査けんさ異物いぶつのぞく、(3)をそろえてさき裁断さいだんする、(4)たばこをスレッシャーにかけてすうかいたたき、へんちゅうこつ(ちゅうこつ)(葉脈ようみゃく)に分離ぶんりする、(5)ふうせんへんちゅうこつ選別せんべつする、(6)へんちゅうこつ別々べつべつ乾燥かんそうさせたのちたる(たる)にめ、製造せいぞう工場こうじょうおくる。

 製造せいぞう工場こうじょうでは、(1)製品せいひんべつさだめられた配合はいごうする、(2)調和ちょうわ装置そうちねつ水分すいぶんあたえ、やわらかくする、(3)基本きほんてきだい1おこない、うすそうにして堆積たいせき(たいせき)サイロへげる、(4)電磁でんじ分離ぶんり異物いぶつのぞく、(5)原料げんりょう混合こんごうたばこの配合はいごうをよくする、(6)高速こうそく回転かいてんしき截刻おくる。截刻はば製品せいひんによりことなり、0.5~1.1ミリメートルはばがある。ちゅうほねべつ工程こうてい調和ちょうわ加湿かしつあつてんひらたくされ、異物いぶつのぞいて截刻される。ちゅうほね配合はいごうする製品せいひんは、ここでさききざんださだめられた比率ひりつにより配合はいごうされる。(7)ふたたび乾燥かんそうする、(8)だい2芳香ほうこうせい香料こうりょう添加てんかする、(9)3そうからなるサイロにむと、3そう同時どうじ落下らっかして各種かくしゅ配合はいごう完全かんぜんとなり、工程こうていおくられる。

 まきうえでは、きざんだたばこが銘柄めいがら印刷いんさつされながら連続れんぞくしててくるライスペーパー(巻取紙まきとりし)のうえち、高速こうそくまきうえ自動的じどうてきに1ほんなが紙巻かみまきたばこができあがる。そして回転かいてんするナイフでまいぶん4000ほん一定いっていながさに切断せつだんされる。両切りょうぎりたばこはこの工程こうていわるが、フィルターきは、接続せつぞくするフィルター・チップ・アタッチメント自動的じどうてきにフィルターがつけられる。ひん厳重げんじゅう検査けんさののちに包装ほうそう供給きょうきゅうされ、自動的じどうてきに20ほんりは7、6、7ほんずつの3だんに、また10ほんりは5ほんずつの2だんにそれぞれそろえられる。さらにアルミはく(はく)でちゅうつつみし、包装ほうそう用紙ようしあるいはしょうはこめて、防湿ぼうしつようセロファン上包うわづつみ包装ほうそうし、オープニング・テープでかれる。現在げんざいげと包装ほうそう直結ちょっけつするマイクロ・コンピュータ採用さいようまきつつみ開発かいはつされ、この工程こうてい高速こうそくすすんでいる。

田中たなか冨吉とみきち

紙巻かみまきたばこの包装ほうそうとデザイン

しきしょうばこ包装ほうそう出現しゅつげんして以来いらい両切りょうぎりたばこはしょう箱入はこいりがおおかったが、1913ねんに「キャメル」がカップ・シェイプドがた薄紙うすがみ包装ほうそう(「キャビン」がた包装ほうそう)の20ほんりで発売はつばいされて以来いらい、この包装ほうそうおお使用しようされた。しかし1954ねんにアメリカのフィリップ・モリスしゃが、片手かたてはこぶた(ふた)をける厚紙あつがみのスナップ・オープン・パック(「みねがた包装ほうそう)を発売はつばいしてからは、この2しゅ主流しゅりゅうになっている。

 いつからたばこの包装ほうそうにデザインをもちいたのかあきらかではないが、フランス専売せんばいきょく(1810創立そうりつ)は、ぎたばこの徴税ちょうぜいのため、角形かくがた包装ほうそうひん唐草からくさ模様もようのある帯封おびふうもちいた。さらに1864ねん紙巻かみまきたばこの規格きかくさだめ、製品せいひん番号ばんごうをつけて区別くべつしたが、1876ねんには消費しょうひしゃ魅力みりょくある固有名詞こゆうめいしをそれぞれの製品せいひんもちいた。最初さいしょ包装ほうそう簡単かんたんかみつつみや、はだかのままの製品せいひん帯封おびふうをしていたが、やがて葉巻はまきばこ紙巻かみまきはかみばこめるようになり、ラベルが(は)られるようになった。デザインはルネッサンスふう唐草からくさ模様もようやそのほかのモチーフをもちいた輪郭りんかくデザインがおおかった。またマッチの発明はつめい社会しゃかい発展はってんは、携帯けいたい便利べんり紙巻かみまきたばこの需要じゅよううながし、一方いっぽうしきしょうばこができるようになると、ほかの製品せいひん区別くべつするため、ブランドのイメージを表現ひょうげんする特別とくべつなデザインを使用しようするようになった。かく国民こくみん趣向しゅこうをよくあらわしたデザイン、つまりそのくに国民こくみんしたしまれる人物じんぶつ文様もんよう動物どうぶつ植物しょくぶつもの風景ふうけい器具きぐなどを写実しゃじつてきえがいたり、製造せいぞう業者ぎょうしゃ家紋かもんおもとするものもあった。日本にっぽんでははじ外国がいこく模倣もほうして唐草からくさ模様もよう輪郭りんかくしきからはじまったが、やがて固有こゆう文様もんよう日本にっぽん趣味しゅみ風景ふうけいなどにうつり、1900年代ねんだいはじめごろにはフランスでアール・ヌーボー様式ようしきのデザインがれられると、日本にっぽんでもその影響えいきょうけたりした。

 だいいち世界せかい大戦たいせん形態けいたい機能きのうしたがうというバウハウスのデザイン思想しそうや、デザイン様式ようしき単純たんじゅんなどの影響えいきょうから、たばこ包装ほうそうデザインも変貌へんぼう(へんぼう)してきた。だい世界せかい大戦たいせん、アメリカではおな品質ひんしつ製品せいひん市場いちば販売はんばいされる場合ばあい人目ひとめにつくデザインのよしあしによって直観ちょっかんてき商品しょうひんえらばれるという経験けいけんから、情調じょうちょうというよりも単純たんじゅん明快めいかいなデザインが、また銘柄めいがらめいきたせるデザインと色彩しきさい重視じゅうしされるようになった。それが現代げんだいてきあたらしいデザインとされ、アメリカたばこの世界せかい進出しんしゅつとともに各国かっこくがその影響えいきょうけざるをえなくなり、デザインの国際こくさいてき類似るいじだっている。こうした傾向けいこうのなかでは、長年ながねんんできた製品せいひんのデザインも市場いちば価値かちうすくなり、なかにはデザインをあたらしく変更へんこうするものもてくる。たとえばフランスで有名ゆうめいな「ゴロワーズ」は、伝統でんとうある古代こだい羽根はねのついたかぶと(かぶと)のデザインから現代げんだいてきなトラックとかわっている。一方いっぽうしん製品せいひんのデザインはファッションせいつよされ、イギリス系統けいとう高級こうきゅうひんとしてのイメージアップから、デコレーター・パックといわれるメーカーの紋章もんしょう銘柄めいがらめいだけのデザインがおおい。アメリカ系統けいとうではストライプ・スタイルがおおく、このれいでは日本にっぽんの「キャビン」「テンダー」がこれにぞくす。しかし、デザインの国際こくさいてき類似るいじ傾向けいこうのなかにもかく民族みんぞくのそれぞれことなる感覚かんかくあらわれているのは、文化ぶんかたいする意識いしきである。国家こっかてき事業じぎょう祝典しゅくてん記念きねんして、各国かっこく特別とくべつ製品せいひんあたらしいデザインで発売はつばいされるが、日本にっぽんでも全国ぜんこくてきに、また地方ちほうてき記念きねん行事ぎょうじなどに発売はつばい地域ちいき限定げんていして記念きねんたばこが発売はつばいされている。

田中たなか冨吉とみきち

たばこ産業さんぎょう国際こくさい多様たよう

たばこは民族みんぞく移動いどうによって、移動いどうされたくに移動いどうしたくにたがいの喫煙きつえん風習ふうしゅう影響えいきょうあたえていった。そのもっともいちじるしいのは戦争せんそうで、ヨーロッパのさんじゅうねん戦争せんそう(1618~1648)は各国かっこくにパイプ喫煙きつえんを、またナポレオン戦争せんそう葉巻はまきつたえ、クリミア戦争せんそう参加さんかこく紙巻かみまきたばこを流行りゅうこうさせた。だいいち世界せかい大戦たいせんではヨーロッパの戦線せんせんにおいてパイプと葉巻はまきよりもずっと軽便けいべん紙巻かみまきたばこがもちいられ、機械きかいによる高速こうそく大量たいりょう生産せいさん戦時せんじちゅう需要じゅようたし、紙巻かみまきたばこが喫煙きつえん大勢おおぜいめるまでにいたった。さらにだい世界せかい大戦たいせんは、アメリカン・ブレンドたばこを世界せかいてき進出しんしゅつさせる機会きかいとなった。たばこの喫味は各国かっこく国民こくみん嗜好しこうによりそれぞれがあり、これまではおもにバージニア・ブレンドやオリエント・ブレンド、それに各国かっこく産地さんちによるダーク・ブレンドの特殊とくしゅな喫味などがあったが、国民こくみん多数たすう嗜好しこうがそのくに製造せいぞうする喫味になっていた。それがアメリカン・ブレンドの各国かっこく進出しんしゅつと、喫煙きつえん健康けんこう問題もんだいじょうからフィルターきが発売はつばいされると、一般いっぱんにニコチンとタールのすくないかる味覚みかくのたばこがもとめられるようになった。喫煙きつえん年代層ねんだいそう交代こうたいや、嗜好しこう多様たようせいもとめる傾向けいこうもあり、世界せかい市場いちば様相ようそうおおきくえている。

 アメリカは世界せかい工業こうぎょうこくであるとともに農業のうぎょうこくでもあり、建国けんこく歴史れきしはタバコの栽培さいばいからはじまったが、現代げんだいでもたばこ産業さんぎょう重要じゅうようで、タバコの輸出ゆしゅつりょう世界せかい1である。企業きぎょう系列けいれつでは国籍こくせき企業きぎょう会社かいしゃをもつイギリスにいで2にあり、紙巻かみまきたばこの販売はんばい数量すうりょうはトップの2しゃだけで1986ねん現在げんざい世界せかい市場いちばのシェアの30.2%(日本にっぽん国内こくないだけで世界せかい市場いちばやく13.5%)をめている。また1971ねん、EC(ヨーロッパ共同きょうどうたい)のつよ要請ようせいにより、EC区域くいきない製造せいぞうされた製品せいひん市場いちば開放かいほうされたため、ヨーロッパと世界せかい各地かくちにおける系列けいれつ会社かいしゃかず圧倒的あっとうてきおおい。イギリスのBATインダストリーズしゃ世界せかい進出しんしゅつ歴史れきしは20世紀せいき初頭しょとうからであるが、アメリカのフィリップ・モリスしゃ進出しんしゅつ目覚めざましく、そのほかのイギリスとアメリカのメーカーも他社たしゃかぶ取得しゅとくまたは提携ていけいにより紙巻かみまきたばこのだい消費しょうひこく目標もくひょう国外こくがい進出しんしゅつおこない、さらに開拓かいたくこくにまで進出しんしゅつする姿勢しせいをみせている。このほか、たばこ産業さんぎょう先進せんしんこくは、他国たこくメーカーとライセンス契約けいやく締結ていけつし、外国がいこくせいたばこを国内こくない製造せいぞうしたり、輸入ゆにゅうぜいはぶいて廉価れんか提供ていきょうする方法ほうほうがとられている。日本にっぽんでは1973ねん昭和しょうわ48)以後いご、アメリカとヨーロッパ諸国しょこく国内こくない製品せいひん一部いちぶ製造せいぞう販売はんばいする一方いっぽう対象たいしょうこく製品せいひん一部いちぶぎゃく国内こくない製造せいぞう販売はんばいしており、フィリピン、東欧とうおう諸国しょこく一部いちぶとアンダー・ライセンス契約けいやくむすび、国内こくない製品せいひん一部いちぶかれにおいて製造せいぞう販売はんばいしている。嗜好しこう多様たよう傾向けいこうにつれてしだいに各国かっこくとも製品せいひんすう増加ぞうかしているが、たばこ市場いちばでもっとも競争きょうそうはげしいアメリカではブランドを重視じゅうしし、そのなかで嗜好しこう製品せいひん形態けいたいきのながさと包装ほうそう)の多様たようせいおうじている。したがってどういちブランドには、喫味ならスタンダードとかるあじのライト、それにメンソールりがあり、きのながさにはキング・サイズと100ミリメートルサイズ、包装ほうそうにはソフト・パックとハード・パックのべつがある。こうした製品せいひんはメーカーにより2しゅから8しゅおよぶほど発売はつばいされているが、1ブランド1しゅというのではなく、ブランド・ファミリーを形成けいせいしている。日本にっぽんでは1985ねん現在げんざい紙巻かみまきたばこのフィルターきが47しゅ両切りょうぎりが3しゅ、パイプようが7しゅ葉巻はまきが7しゅ、また1986ねんにはまきようたばこも製造せいぞう販売はんばいされている。紙巻かみまきたばこの嗜好しこうは、一般いっぱん多様たようのなかでかる味覚みかくへとかい、各国かっこくともていタール製品せいひん製造せいぞうしている。アメリカではろくだいメーカー製品せいひん117しゅのうち48しゅがライト製品せいひんで(41%)、タール含有がんゆうりょう低下ていかきそっている。一般いっぱんにタール含有がんゆうりょうが1ほんあたり15ミリグラム以下いかていタールとし、5ミリグラム以下いかちょうていタールとするが、最近さいきんは0.1ミリグラムから0.01ミリグラムと公称こうしょうする製品せいひんあらたに発売はつばいしている。しかし、ていタールになるほどたばこの味覚みかくからはとおざかり、また各社かくしゃ製品せいひん特色とくしょくうすれるため、メーカーにはこの問題もんだい解決かいけつのこされている。日本にっぽんでは現在げんざい「ジャスト」8ミリグラム、「テンダー」6ミリグラムがていタール製品せいひんである。

田中たなか冨吉とみきち

たばこの専売せんばいせい

たばこは嗜好しこうひんであるため、各国かっこく高額こうがくぜいし、くに重要じゅうよう財源ざいげんにしている。このなかには徴税ちょうぜい確実かくじつ方法ほうほうとして専売せんばいせい採用さいようしているくにがあり、せん売国ばいこくはアジアでは韓国かんこく台湾たいわん、タイ。中近東ちゅうきんとうではトルコ、イラン、イラク、レバノン、シリア。ヨーロッパではフランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、アイスランド、オーストリアなど。アフリカではアルジェリア、チュニジア、モロッコ、リビア、エチオピア、ギニア、ソマリアなどがある。専売せんばい管理かんりにはくに直営ちょくえいのほか、フランスでは公共こうきょう企業きぎょうたいが、オーストリアとスペインではくに出資しゅっしする単一たんいつ株式会社かぶしきがいしゃ特殊とくしゅ法人ほうじん)もある。課税かぜい消費しょうひぜい制度せいどおおく、日本にっぽんでは1876ねん明治めいじ9)にはじめておこなわれ、製品せいひん煙草たばこ(たばこ)印紙いんし貼付ちょうふ(ちょうふ)させた。1898ねんタバコが政府せいふ専売せんばいとなり、1904ねん明治めいじ37)には製造せいぞう販売はんばい専売せんばいとして益金えききん全額ぜんがく国庫こっこ納付のうふしていたが、1949ねん昭和しょうわ24)に公共こうきょう企業きぎょうたい日本にっぽん専売せんばい公社こうしゃとなり、1954ねんになると地方ちほう税法ぜいほう改正かいせいにより、都道府県とどうふけん市町村しちょうそんにたばこ消費しょうひぜい納付のうふすることになった。1985ねんには組織そしき民営みんえいとし、日本にほんたばこ産業さんぎょう株式会社かぶしきがいしゃとなった。販売はんばい各国かっこくともおろししょうまたは直営ちょくえい支所ししょ配給はいきゅう会社かいしゃ小売こうりてんおろされる。日本にほんたばこ産業さんぎょう株式会社かぶしきがいしゃでは、支社ししゃが18、営業えいぎょう支所ししょが270かしょあり(合理ごうりにより将来しょうらい減少げんしょう)、直接ちょくせつ小売こうりてん配給はいきゅうしているが、大都市だいとしでは配給はいきゅう会社かいしゃ委託いたくしているところもある。このほか会社かいしゃ直接ちょくせつ消費しょうひしゃ接触せっしょくする場所ばしょであるたばこ・サービスセンターが、主要しゅよう都市としに29かしょある。たばこ小売こうりてん全国ぜんこく沖縄おきなわけんのぞく)にやく25まんけんあるが、小売こうりてん週休しゅうきゅうせい普及ふきゅうと、早朝そうちょう深夜しんや営業えいぎょう時間じかん短縮たんしゅく、また店舗てんぽ設置せっち場所ばしょ困難こんなん事情じじょうなどから、自動じどう販売はんばいそなえるところがおおくなり、1986年度ねんどにはやく37まんだいかぞえる。

田中たなか冨吉とみきち

喫煙きつえん健康けんこう問題もんだい


 喫煙きつえんは、日常にちじょう生活せいかつにおいて気分きぶんしずめ、緊張きんちょうをほぐすという鎮静ちんせい作用さようと、反対はんたい心気しんきたかめる刺激しげき両方りょうほう心理しんりてき効果こうかがあり、かおりと味覚みかく嗜好しこうひんとして愛用あいようされてきた。しかし、1928ねんにイギリスで紙巻かみまきたばこの喫煙きつえん肺癌はいがん(がん)の原因げんいんになるという論文ろんぶん発表はっぴょうされると、その各国かっこくでこの問題もんだいについて研究けんきゅうおこなわれた。1952ねんアメリカ・がん協会きょうかい調査ちょうさなかあいだ報告ほうこくで、喫煙きつえん肺癌はいがん関係かんけい警告けいこくはっし、つづいて1964ねんにアメリカ公衆こうしゅう衛生えいせい総監そうかん報告ほうこくしょにより、さらにこの問題もんだい注目ちゅうもくされるようになった。1970ねんWHO(世界せかい保健ほけん機関きかん総会そうかいでもこの問題もんだいげた。WHOはぜん加盟かめいこくたいし、喫煙きつえんへの注意ちゅうい喚起かんきするよう通知つうちした。アメリカでは1965ねんに、紙巻かみまきたばこの包装ほうそう喫煙きつえんしゃ注意ちゅういうなが表示ひょうじ義務ぎむづけられたが、各国かっこくもこれにならい、日本にっぽんでも当時とうじ日本にっぽん専売せんばい公社こうしゃがこの問題もんだいにつき1971ねんから医学いがくじょう研究けんきゅう外部がいぶ委託いたくし、紙巻かみまきたばこけむりちゅうのニコチンとタールりょう公表こうひょう包装ほうそうには「健康けんこうのためいすぎに注意ちゅういしましょう」と表示ひょうじをした。喫煙きつえん肺癌はいがんとの関連かんれんは、たばこのけむり粒子りゅうししょうふくまれるタールのなかごく微量びりょうのベンゾピレン(ベンツピレン)という成分せいぶんがあり、これが体内たいない酵素こうそによってかたちえ、遺伝いでん物質ぶっしつ作用さようし、発癌はつがんするものといわれている。しかしすべての人々ひとびとにその作用さようおよぼすものではないともいわれている。またベンツピレンなどの発癌はつがん物質ぶっしつそのものも、たばこのけむりなかだけにふくまれるのではなく、さかなにく野菜やさいなどのげや、汚染おせんされた大気たいきなどにもふくまれている。それでも肺癌はいがん患者かんじゃ紙巻かみまきたばこの喫煙きつえんしゃおおいという統計とうけいじょう結果けっかから、人命じんめいかんする重大じゅうだい問題もんだいとして、日本にっぽんでは、肺癌はいがん関係かんけいのみならず、喫煙きつえんによる呼吸こきゅう心臓しんぞう血管けっかん生理せいり薬理やくりにん胎児たいじなどへの影響えいきょう、また受動じゅどう喫煙きつえんによる影響えいきょうなどやく50におよ研究けんきゅう課題かだいについてそれぞれせんもん医学いがくしゃ研究けんきゅう委託いたくし、その結果けっか学術がくじゅつ専門せんもん発表はっぴょうしている。

 また、たばこのけむりきらひとのため、喫煙きつえんのマナーの指導しどうがら始末しまつに、街頭がいとうがられの設置せっちや、ポケットがられの配付はいふおこなっている。そして、20さい未満みまんもの喫煙きつえんには、1900ねん明治めいじ33)に制定せいていされた「未成年みせいねんしゃ喫煙きつえん禁止きんしほう」(2022ねんれい4〉「二十歳はたち未満みまんしゃ喫煙きつえん禁止きんしせきスル法律ほうりつ」に法律ほうりつめい変更へんこう)にもとづき、指導しどうしている。

 喫煙きつえん健康けんこう問題もんだいたいする研究けんきゅう具体ぐたいてきには、ニコチンとタールのすくないたばこの栽培さいばい製造せいぞう途中とちゅうでのニコチンとタールの減少げんしょう処理しょり、あるいはそれらの含有がんゆうすくないシート・たばこの製造せいぞう、フィルターの改良かいりょうなど、すでに製品せいひんには実施じっしされてはいるが、たばこを使用しようしないあたらしい喫煙きつえん素材そざい研究けんきゅうおこなわれている。イギリスとアメリカでは植物しょくぶつパルプを原料げんりょうとしたセルロースけいと、植物しょくぶつそのものを原料げんりょうとして香料こうりょう加工かこうしたノン・タバコ・シガレットが市場いちばており、ぎゃくにこれらの原料げんりょうをたばこに配合はいごうした製品せいひんもある。これにはニコチンがふくまれず、タールもたばこよりはすくないが、喫味に不満ふまんのこるため需要じゅようびていない。メーカーはこの喫煙きつえんようしん原料げんりょうたいし、将来しょうらいへの研究けんきゅう課題かだいとしている。

田中たなか冨吉とみきち

たばこの民俗みんぞく


 たばこは、煙草たばこ烟草たばこ丹波たんばなどのをあてるほか、いとけむり(しえん)、相思そうしそう(そうしそう)、かえしたましいそう(はんごんそう)などともよんだ。南西諸島なんせいしょとうでは、わすぐさおもそうなどともいい、さをわすれさせてくれるたばこが、ふるくからのわすぐさむすいている。一般いっぱんに、たばこのけむりふかんで、一種いっしゅ陶酔とうすいあじわおうとしたのである。日本にっぽん渡来とらいすると急速きゅうそく全国ぜんこくひろがり、慶長けいちょう(けいちょう)年間ねんかん(1596~1615)には奥州おうしゅうにまでひろがった。このころは各地かくち階層かいそうえた老若男女ろうにゃくなんにょ喫煙きつえん風景ふうけいがみられたが、江戸えど幕府ばくふによりたびたび禁煙きんえんれいされた。しかし効果こうかはほとんどなく、江戸えど中期ちゅうきにはたばこを運上うんじょうきん冥加金みょうがきん(みょうがきん)の名目めいもく課税かぜい対象たいしょうとするようになり、タバコの栽培さいばい奨励しょうれいする方向ほうこうへと変化へんかした。こうした幕府ばくふ政策せいさく変化へんかともない、たばこは人々ひとびと生活せいかつのなかにみ、日本にっぽん独特どくとくのたばこ文化ぶんかといえるものもできあがっていった。

 伝来でんらい当初とうしょから、日本にっぽんではきざみたばこがもちいられ、はじめはこまかにきざんだたばこを竹筒たけづつめてっていたが、のちに真鍮しんちゅう(しんちゅう)のくち雁首がんくび(がんくび)をたけ羅宇らお(らお)でつないだきせるが一般いっぱんした。このため、すげえを商売しょうばいとする羅宇らおまれたり、社交しゃこうむすいた喫煙きつえん作法さほうのようなものもまれた。きせるは、遊女ゆうじょの「きゃく曳(きゃくびき)ぎせる」として遊廓ゆうかく(ゆうかく)の風俗ふうぞくとなったり、ときにはけんか道具どうぐとなり、また一家いっか主人しゅじん威厳いげんしめすものともなった。

 江戸えど初期しょきから中期ちゅうきにかけては、たばこをあるくという風習ふうしゅうはなく、もっぱら屋内おくないでの喫煙きつえんのみであった。きゃくおとずれるとそのいえ主人しゅじんのたばこを使用しようしたが、そのさいには「たばこの請取うけとり(うけとり)わたしのれい」という一定いってい作法さほうがあった。主人しゅじんがまずきゃくにたばこをすすめ、きゃく遠慮えんりょする、そうしたやりとりをさんかえしたのち、主人しゅじん懐紙かいし(かいし)できせるのくちぬぐえ(ふ)いてきゃくにきせるをす。きゃくはこのきせるをりてい、たばこのあじめる。一服いっぷくふくって自分じぶんまえき、いとまごいをしてまえに、懐紙かいしできせるのくちいてたばこぼんもどす。また、目上めうえひと年上としうえひと同席どうせきした場合ばあいは、それらの人々ひとびとよりさきわないのが礼儀れいぎとされた。こうした喫煙きつえん作法さほうも、江戸えど後期こうきには懐中かいちゅうたばこの発達はったつによってだんだんすたれていった。しかし反面はんめん懐中かいちゅうたばこの普及ふきゅう屋外おくがいでの喫煙きつえん習俗しゅうぞくをつくりだし、くわえきせるをいやしむとか、仕事しごと合間あいましょう休止きゅうしを「たばこ」「一服いっぷく」などというようにもなり、それにともな食事しょくじをもさすようになった。

 たばこのけむりには邪気じゃきはらちからがあるとかんがえられた。きつね(きつね)やたぬき(たぬき)にかされたときにはたばこを一服いっぷくすればよいといわれ、またものはたばこのあぶら(やに)をきらうともいわれた。たばこが生活せいかつのなかにふかろすと、昔話むかしばなし伝説でんせつにもおおかたられるようになり、たばこの由来ゆらいかたはなしされた。一人娘ひとりむすめくした母親ははおやが、むすめはかからえたくさもちいてそのかなしみのなぐさめにしたのがたばこのおこりだとか、つまおっと夢枕ゆめまくら(ゆめまくら)にってはかえたくさそだててうまでの方法ほうほうおしえたのがはじまりだとかいうもので、たようなはなしは、奄美あまみ(あまみ)、沖縄おきなわなどの南西諸島なんせいしょとう中心ちゅうしんに、徳島とくしま兵庫ひょうご福島ふくしまかくけんなどにもつたえられている。さらに奄美あまみ地方ちほうには、たばこを主題しゅだいにした民謡みんようつたえられている。また、鹿児島かごしまけんには、冠岳かんむりだけ(かんむりだけ)の煙草たばこ神社じんじゃをはじめとして「たばこ神社じんじゃ」が7かしょまつ(まつ)られ、たばこ耕作こうさくしゃ信仰しんこうあつめているなど、各地かくち信仰しんこう対象たいしょうになっている。このほか福岡ふくおかけん杷木はき(はき)まちげん朝倉あさくら(あさくら))などでは、まつりにたばこがもちいられた。

 たばこは1904ねん明治めいじ37)に専売せんばいせい施行しこうされるまで、自由じゆう小売こうりがなされていた。たばこ店先みせさきには、あか行灯あんどん(あんどん)かかき(かき)しょく暖簾のれん(のれん)がけられて目印めじるしとされた。みせかまえた小売こうりのほかに、ひろし(かんぽう)年間ねんかん(1741~1744)には、くすり箪笥だんす(たんす)のようなはこしをつけ、そこに仕切しきりをしてきざみたばこをれ、わらびしゅ(わらびで)のたまきかたけにしてカチャカチャらしながらってあるくたばこりもあらわれ、人々ひとびとは「カチャカチャ煙草たばこ」とよんだ。「たばこのまぬおんな精進しょうじんする出家しゅっけまれ(まれ)」といわれるほどたばこは庶民しょみん生活せいかつんだが、紙巻かみまきたばこが普及ふきゅうすると、女性じょせいはしだいにくちにしなくなった。

倉石くらいし忠彦ただひこ

田中たなか冨吉とみきちちょ『たばこのほん』(1976・住宅じゅうたく新報しんぽうしゃ)』『G・P・エーシュトルフちょ新井あらいやすしいちやく紳士しんしはタバコがおき』(1979・TBSブリタニカ)』宮城みやぎおとわたるちょ『タバコ』(1983・講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ)』『『現代げんだいのエスプリ204 たばこの文化ぶんか』(1984・至文しぶんどう)』大川おおかわ俊博としひろちょ『たばこにつづみち』(1991・有斐閣ゆうひかく)』日本にほんたばこ産業さんぎょう株式会社かぶしきがいしゃへん『タバコぞく植物しょくぶつ図鑑ずかん』(1994・まことぶんどう新光しんこうしゃ)』宇賀田うがたためよしちょ『タバコの歴史れきし』(岩波いわなみ新書しんしょ)』


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百科ひゃっか事典じてんマイペディア 「タバコ(煙草たばこ)」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

タバコ(煙草たばこ)【タバコ】

熱帯ねったいアメリカ原産げんさんのナス多年草たねんそう。しかし温帯おんたいではいちねんくさたかさ1〜2.5m,たまごがた互生ごせいし,ながさ60cm内外ないがいなつ漏斗ろうとがた淡紅あわべに白色はくしょくはな総状そうじょうにつける。高温こうおんこのむが温床おんしょう利用りようにより温帯おんたい北部ほくぶでも栽培さいばいされる。ただし多湿たしつ条件じょうけんには不適ふてきである。普通ふつう早春そうしゅん播種はしゅなえ移植いしょくし,なつ収穫しゅうかく乾燥かんそうさせたたる(たる)につめられ1〜2ねん堆積たいせき発酵はっこううながし,のち工場こうじょう発酵はっこう加熱かねつなどして味付あじつけされる。世界せかい生産せいさんりょうの1/5以上いじょう米国べいこくで,ほかに中国ちゅうごく,インド,ブラジル,トルコなどがしゅ産地さんち甘味あまみある黄色おうしょくしゅかるいバーレーしゅかおたかいオリエントしゅ葉巻はまきしゅなどがおも日本にっぽんでは葉巻はまきしゅ以外いがいはほとんどの品種ひんしゅ栽培さいばいされ,茨城いばらき福島ふくしま熊本くまもとなどがしゅ産地さんち主成分しゅせいぶんニコチンかさいた葉巻はまき(シガー),こまかくきざみ,煙管きせる(きせる)やパイプできざみタバコなどもあるが紙巻かみまき(シガレット)が一般いっぱんてきあじやわらかくするためのフィルターづけ紙巻かみまきつくられている。また特殊とくしゅなものに,はなこなをすりつける嗅(かぎ)タバコ,香料こうりょうなどをくわえおしかためた噛(かみ)タバコなどがある。 喫煙きつえんはアメリカ・インディアンの風習ふうしゅうであったが,コロンブスの新大陸しんたいりく到達とうたつ,ヨーロッパへ伝来でんらい以後いご各国かっこくひろまった。日本にっぽんへは16世紀せいきにポルトガルじんがもたらしたといわれ,たちまち普及ふきゅうして,煙管きせる,タバコれ,タバコぼんなどの喫煙きつえん発達はったつした。明治めいじ以後いご,タバコ生産せいさん一段いちだん発達はったつしたが,政府せいふはまず1876ねんにタバコぜいし,1904ねんには製造せいぞうから販売はんばいまでを国家こっか独占どくせんする専売せんばいせいをしいた。この制度せいどは1949ねん以後いご日本にっぽん専売せんばい公社こうしゃ運営うんえい,1985ねんがつ以後いご専売せんばいせい廃止はいしに併い日本にほんたばこ産業さんぎょう製造せいぞう販売はんばい。 タバコの成分せいぶんのうちとく人体じんたい悪影響あくえいきょうあたえるのはニコチンとタールぶんで,強度きょうど喫煙きつえんによりニコチン中毒ちゅうどくこり,タールぶん肺癌はいがん(はいがん)の発生はっせい関係かんけいするとされる。すくなくとも統計とうけいてきにはタバコ(とく紙巻かみまき常用じょうようしゃに,肺癌はいがん発生はっせいりつたかいことがあきらかにされている。なお日本にっぽんではほうにより未成年みせいねん喫煙きつえん禁止きんしされており,1972ねんから米国べいこくれいにならって有害ゆうがい表示ひょうじがなされている。また,喫煙きつえんしゃがタバコけむりにさらされ吸煙きゅうえんいられている状態じょうたい受動じゅどう喫煙きつえんばれ,その危険きけんせい指摘してきされている。→嫌煙けんえんけん
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ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん 「タバコ(煙草たばこ)」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

タバコ(煙草たばこ)
タバコ
Nicotiana tabacum; tobacco

ナス多年草たねんそうであるが,温帯おんたい栽培さいばいするといちねんくさになる。熱帯ねったいアメリカの原産げんさんたかさ 2mほどになり,ふとくきおおきなあつ互生ごせいする。みじか葉柄ようへい基部きぶにはつばさがあってなかばくきいだく。くきねばりけのあるせん密生みっせいする。なつに,くきいただきおおきな円錐えんすい花序かじょまたは総状そうじょう花序かじょして,ふかいらっぱがたはなをつける。はな昼間ひるまだけひらき,ながさ3~4cmの花筒はなづつ上部じょうぶは5きれしてほしがたひらく。このかわかして発酵はっこうさせ,喫煙きつえん嗜好しこうりょうとする。多数たすう品種ひんしゅられ,キューバ,トルコ,フィリピンなどで栽培さいばいされる葉巻はまきようひろ品種ひんしゅぐんと,シガレットようほそぐんとがある。日本にっぽん栽培さいばいされているのはバージニアけいとメリーランドけい大別たいべつされる。なお,ほんしゅ以外いがい同属どうぞく植物しょくぶつやく 100しゅあり,南北なんぼくアメリカ,オーストラリア,熱帯ねったいアジアなどに分布ぶんぷする。そのうちきたアメリカさんN. rusticaはヨーロッパでたばこようとして栽培さいばいされている。製造せいぞうたばこは,喫煙きつえんようたばこ,噛たばこ,嗅たばこに大別たいべつされ,喫煙きつえんよう紙巻かみまき,ようき,きざみなどにけられる。乾葉ひばちゅうには4%程度ていどのアルカロイドがふくまれているが,その主成分しゅせいぶんニコチン猛毒もうどくである。タバコの栽培さいばい南北なんぼくアメリカのインディアンによってはじめられ,医薬いやくよう儀礼ぎれいようとしてひろ愛用あいようされていた。コロンブスらの探検たんけんによって 16世紀せいき後半こうはん医療いりょうひんとしてヨーロッパに持込もちこまれたが,たちまちぜんヨーロッパに喫煙きつえん風習ふうしゅうひろがり,日本にっぽん東洋とうよう諸国しょこくにも普及ふきゅうしたのは 17世紀せいき初頭しょとうというはやさであった。日本にっぽんにおけるタバコの栽培さいばいは,「たばこ専売せんばいほう」 (昭和しょうわ 24ねん6がつ施行しこう) により日本にっぽん専売せんばい公社こうしゃ許可きょか必要ひつようとされ,たばこの製造せいぞう販売はんばい公社こうしゃ独占どくせんであったが,1985ねん4がつ公社こうしゃは「日本にほんたばこ産業さんぎょう株式会社かぶしきがいしゃ」として民営みんえいされ,同年どうねん4がつ1にち施行しこうの「たばこ事業じぎょうほう」により,たばこ製造せいぞうのぞき,外国がいこくたばこの輸入ゆにゅう販売はんばい自由じゆうされた。喫煙きつえんによるニコチンおよびタールの人体じんたいへの影響えいきょう近年きんねんおおきな問題もんだいとなり,日本にっぽんにおいてもニコチンぶんすくな種類しゅるいよろこばれ,タールをふせぐフィルターつきが,紙巻かみまきのほとんどの種類しゅるいめている。

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