日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけい 「下方かほう限げん」の解説かいせつ 下方かほう限げんしもほうぎり 鹿児島かごしま県けん:鹿児島かごしま市し鹿児島かごしま城下じょうか下方かほう限かぎり鹿児島かごしま城下じょうかの武家ぶけ屋敷やしき地ち。下した・下方かほうあるいは川内かわうち(かわうち)ともよばれた。鹿児島かごしま城じょう(鶴丸つるまる城じょう)の南東なんとうから南みなみにかけての一帯いったいにあたり、北きたは上方かみがた限げん、東ひがしは町屋敷まちやしきの下町したまちに続つづき、南みなみの甲突こうつき(こうつき)川かわ対岸たいがんには武家ぶけ屋敷やしきの西田にしだ(にしだ)(西にし田方たがた限げん)および参勤さんきん街がい道筋みちすじ(出水しゅっすい筋すじ)に沿そう西田にしだ町まちがある。上方かみがた限げん・上うえ(かん)町まちとの境さかいは鹿児島かごしま城じょうの本丸ほんまると二にの丸まる境さかいの堀ほり(新堀しんぼり)であった(天保てんぽう城下じょうか絵図えず)。寛永かんえい一いち三さん年ねん(一いち六ろく三さん六ろく)の薩州鹿児島かごしま衆しゅ中屋敷なかやしき検地けんち帳ちょう(旧記きゅうき雑録ざつろく)には「四よん札さつ之の内うち下した」とあり、屋敷やしき八はち三さん三さん筆ぴつ、うち現住げんじゅう屋敷やしき八はち一いち四よん筆ぴつを数かぞえる。内訳うちわけは新堀しんぼり(しんぼり)より下した(しも)(屋敷やしき二に九きゅう四よん・現住げんじゅう屋敷やしき二に八はち五ご)・久保田くぼた諏訪すわ之これ後ご辺あたり(くぼたすわんあとへん)(屋敷やしき二に七なな六ろく・現住げんじゅう屋敷やしき二に七なな三さん)・二本松にほんまつ地蔵じぞう通どおり辺あたり(ふたまつじぞうどおりへん)(屋敷やしき六ろく・現住げんじゅう屋敷やしき五ご・地蔵じぞう屋敷やしき一いち)・二本松にほんまつ地蔵じぞう馬場ばば(屋敷やしき九きゅう八はち・現住げんじゅう屋敷やしき九きゅう五ご)・山口やまぐちノ辺あたり(やまのくちのへん)(屋敷やしき一いち五ご九きゅう・現住げんじゅう屋敷やしき一いち五ご六ろく)となっている。 出典しゅってん 平凡社へいぼんしゃ「日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけい」日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけいについて 情報じょうほう