デジタル大辞泉
「黒塚」の意味・読み・例文・類語
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くろづか【黒塚】
- [ 一 ] 福島県二本松市の東部、安達原の一部の名称。花崗岩の塚がある。昔、鬼女が住んでいたという伝説があり、歌枕として名高い。
- [初出の実例]「みちのくの安達の原のくろづかに鬼こもれりと聞くはまことか」(出典:大和物語(947‐957頃)五八)
- [ 二 ] 謡曲「安達原」の別名。観世流以外で用いる。
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黒塚 (くろづか)
(1)能の曲名。観世流は《安達原(あだちがはら)》と称する。四・五番目物。作者不明。シテは鬼女。旅の山伏(ワキ)が陸奥の安達原で行き暮れ,荒野の一軒屋に宿を借りる。あるじの女(前ジテ)は,旅のなぐさみにもなろうと糸車を回して見せながら,あさましい身の上を嘆いたり(〈片グセ〉),気を変えて糸尽しの歌を歌ったりする(〈ロンギ〉)。夜が更けて寒さが増すと,女は薪を採って来ようと言い,留守中に寝屋(ねや)を見ないようにと念を押して山へ出かける。供の能力(アイ)がそっとのぞくと,寝屋には人の死体が散乱している。山伏たちは,さては鬼の住む有名な黒塚だったかと逃げ出す。山から帰って様子を知った女(後ジテ)は,鬼女の形相を現して追い迫り,山伏と争うが,ついに祈り伏せられる(〈イノリ・中ノリ地〉)。人間の心の二面性を描いた能とみることもでき,その場合寝屋を表す小屋の作り物が象徴的な意味をもつ。人形浄瑠璃《奥州安達原》などの原拠。
執筆者:横道 万里雄(2)歌舞伎舞踊。長唄。1939年11月東京劇場で2世市川猿之助(のちの猿翁)が初演。作詞木村富子,作曲4世杵屋(きねや)佐吉,振付2世花柳寿輔(のちの寿翁),舞台装置松田青風。3巻構成になっている。能《黒塚》に取材した舞踊劇は,明治初年以来,数種あったが,本曲は能を脱却した近代的な解釈を加え,バレエから振付にヒントを得ている。装置,照明にも近代感覚を盛り込んだ新舞踊。3世猿之助に引き継がれ,海外公演でも好評を博している。〈猿翁十種〉の一つ。
執筆者:権藤 芳一
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黒塚
くろづか
(1) 能の曲名。五番目物。観世流では「安達原 (あだちがはら) 」と呼ぶ。作者未詳。祐慶ら山伏一行 (ワキ,ワキツレ,アイ) が,陸奥安達ヶ原で,とある庵に宿を借りる。その女主人 (前シテ) は,糸繰り技を見せ,浮世のはかなさを嘆く。夜がふけて寒さが増すと,女は留守の間に閨 (ねや) を見るなとい残して裏山へ薪をとりに出かける (中入り) 。不審に思った能力 (アイ) が閨をのぞくと,人の死骸と白骨が累々と重なっている。そこで女主人が実は鬼女だと知り,一行は逃げ出す。山から帰った女は鬼女の姿となって (後シテ) 追い迫るが,山伏の法力に祈り伏せられる。前場は女の深い孤独と業,後場は『葵上』『道成寺』と同じく般若の面をつけた鬼女の恐ろしさを描く。浄瑠璃『奥州安達原』の原拠。 (2) 歌舞伎舞踊曲。長唄。 1939年 11月東京劇場で2世市川猿之助により初演。木村富子作詞,4世杵屋佐吉作曲,2世花柳寿輔振付。同名の謡曲 (1) を原拠とする。老女に化けて旅人を食う安達ヶ原の鬼女が,客僧阿闍梨祐慶に仏の道を説かれて後生を願うようになるが,人骨が山と重なる閨をのぞかれて憤怒の本性を現し,最後は法力により祈り伏せられるというもの。仏果を願う老女の晴ればれとした心境を表現した踊りと,鬼女の本性を現したのちの荒々しさとの対照が眼目。
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黒塚【くろづか】
能の曲目。安達原(あだちがはら)とも。五番目物。五流現行。安達原の一軒家で尽きぬ嘆きの糸車を繰る老女のところへ,山伏たちが宿を借りるが,約束を破って閨(ねや)の死体の山を見て驚き,逃げ出すと老女は鬼に変じてあとを追う。人間の孤独や業(ごう)を描いた傑作。近世の演劇や三味線音楽の題材として好まれ,人形浄瑠璃の《奥州安達原》をはじめ,それを改作した常磐津節《安達ケ原》,長唄の同名曲などが作られている。長唄は,能楽師の日吉吉左衛門の依頼によって1870年に2世杵屋勝三郎作曲。作曲者の三大作をいう〈杵勝三伝〉の一つ。その他,能を歌舞伎舞踊化した《黒塚》と称する作品が数種ある。
→関連項目切能物
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黒塚
くろずか
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 作者
- 木村富子
- 初演
- 昭和7.10(東京・歌舞伎座)
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世界大百科事典(旧版)内の黒塚の言及
【安達ヶ原】より
…安達ヶ原は歌枕として多くの歌に詠まれ,安達太良山南東麓の本宮盆地を指すとも言われる。この土地には古くから鬼が住むという伝説があり,たとえば平安後期成立の《拾遺和歌集》に,平兼盛の詠として〈みちのくの安達の原の黒塚に鬼こもれりときくはまことか〉の歌が入っている。この古伝説を踏まえて,謡曲の《安達原》(現在,観世流以外の流派では《[黒塚]》という)が生まれた。…
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