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矢合観音 | じゃからんだの気ままな旅 
矢合やわせ観音かんのん | じゃからんだのままなたび 

矢合やわせ観音かんのん

矢合やわせ観音かんのん周辺しゅうへん散策さんさくしました。以前いぜんはとてもにぎわっておりましたが、最近さいきんはここをおとずれるひとすくないようです。

 

 

 

 

 

ここはおてらではなく、民家みんかです。ここのみず万病まんびょうくとの評判ひょうばんでかなりとおくからもみずもとめて参詣さんけいするひとがあるようです。

にわにある井戸いどから持参じさんしたペットボトルなどにめてかえります。

 

 

ここからすこみなみへいったところに、えん光禅寺こうぜんじがあります。ここははぎてらとしてられております。

 

 

 

 

あきにははぎ境内けいだいいっぱいにきますが、いま根元ねもとられており、その面影おもかげはありません。

 

 

 

このてらからすこみなみにいったところに、尾張おわり国分寺こくぶんじあとがあります。聖武天皇しょうむてんのう時代じだい全国ぜんこくかれた国分寺こくぶんじあとで、尾張おわり国分寺こくぶんじはここにかれておりました。

 

ちかくにてられた案内あんないには、金堂こんどう講堂こうどう記載きさいされておりますが、あたりははたけまたは雑草ざっそうしげったはたけで、てらあとらしい形跡けいせきはまったくありません。

 

このあたりはいまはすべて民有みんゆうとなっております。

なん発掘はっくつ調査ちょうさおこなわれており、かなり広大こうだい敷地しきちだったことが確認かくにんされております。

 

 

とうあとだけがのこっており、そこに石碑せきひてられております。

 

 

 

この遺跡いせきからすこきた国分寺こくぶんじがあります。

このてら臨済宗りんざいしゅう妙心寺みょうしんじ寺院じいんですが、尾張おわり国分寺こくぶんじ後継こうけい寺院じいんのようです。

 

 

矢合やわせはかつては尾張おわりくに中心ちゅうしんであったようで、いまでも国分こくぶ地名ちめいのこっております。

 

信長のぶなが時代じだいには三宅みやけがわ物資ぶっし輸送ゆそう中心ちゅうしんてき役割やくわりになっていたことをかんがえると、このあたりも当時とうじ繁栄はんえいしていただろうと推測すいそくされます。

 


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